確率論 ブラジルワールドカップ編
数学講師シリーズです。『統計学』参照。
「ゴ~ル!!木田、フリーキックを決めました」
アナウンサーが絶叫する。
「やった!やった!!」
解説者が大声で繰り返した。
その直後、レフリーは右手を高く伸ばし、終了の笛を吹いた。
そして日本はワールドカップベスト4を決めた。
試合終了後から、このニュース映像は何度もテレビで流され続けた。
ワールドカップ2ヶ月前のこと。
「はあ~、なんかいい方法ないかなあ~」
男はビールのグラスをテーブルに置き、重いため息をついた。
そのため息は、本当に密度が高い空気の塊のようにバーテンダーに届いた。
「元気出してください。ため息をつくと、幸せが逃げちゃいますよ。
いいグループに入ったじゃないですか。予選リーグは楽勝ですよ」
男はこのバーの常連客で、サッカー日本代表のコーティングスタッフの一員だった。
「そうだな~。俺のせいでチームのツキが逃げたら困るな~」
「そんなことはないです。ため息をもっとつくべきです」
コーチは隣に座る男にクッと顔を向けた。その男は微笑んでいた。
「どういうことですか?」
「ため息は自分のストレスを発散させるには良い方法です。
一つの呼吸法と考えれば良いでしょう」
コーチは怪訝な顔をした。
「だったら、なぜ世間では良くないことと言われるんですか?」
「それはため息を見た人がストレスと感じるためです。
だから、人を不快にさせないため、そう言うようになったんでしょう」
「へ~、そうなんですか。心療内科とか医療関連の方ですか?」
男はコーチに名刺を渡した。
「○○大学ッ!大学教授ですか?」
「いえ、ただの数学講師です」
コーチはハッとした。
「確率とか得意ですか?先日、ある専門機関が算出した、日本が予選リーグを突破する確率は18%でした。
テレビでは予選突破を楽観視していますが、我々はかなり危ぶんでいます。
何か確率を上げる方法はありませんか?」
コーチは少し酔っていた。それにこの数学講師にストレスをぶつけようと思った。
コーチはため息の話は知っていた。とにかく毎日胃が痛くなる課題を他人にぶつけてストレスを減らそうと思った。
「だったら、サプライズで宮間選手を選出するべきだったでしょう」
「宮間?」
「フリーキックの名手の」
「女子?」
「そうです。まあ、冗談ですけど。
しかし、今の日本チームの最大の弱点はセットプレー、
特にコーナーキックが得点に結びつかないことです。
逆に女子が好成績を納めているのは、宮間のセットプレーによるところが大きいです。
ワールドカップ決勝での澤の得点のアシストは本当に見事でした」
痛い所を突かれたコーチは黙っていた。
「当然、ワールドカップとなると流れで得点を決めることは非常に難しいです。だから…」
「中村を選出しなかったのが間違えという批判ですか?
今さらそんなことを言っても、何の役にも立ちません」
「いえ、違います。現行の選手でコーナーキックからの得点の確率を格段に上げる方法があります」
コーチは眉間に深いシワを刻んだ。
「コーナーキックでは相手ディフェンダーにほとんどヘディングで競り負けています。
得点の確率は0に近いです」
「そんなことはない。ちゃんとコーナーキックから決めている」
「それはアジア予選とか格下相手です」
コーチはウッと言葉を漏らした。
「だったら、どうすればいいのですか?」
「木田選手にコーナーキックでブレ球を蹴らせるのです」
ブレ球は無回転シュートとも言い、野球でいうナックルのような球筋だ。
球の勢いが少し落ちると、無回転のために空気抵抗が大きく影響し、突然無規則に大きく変化する。
「はあ~。そんなことをしたら、味方選手がボールに合わせられないだろう」
「そうです。合わせられません」
「だったら、意味ないだろう」
「でも、相手ディフェンダーも合わせられません」
ブレ球はゴールキーパーの正面でも取れないことがある。
「自殺点?自殺点を狙うのか?」
「それだけではありません。ディフェンダーと競れる確率も上がりますし、
こぼれたボールをシュートする可能性も上がります」
「そんなの運任せだな」
「日本がもっとも得意とするところです」
「どうして?」
「チームへの献身性です。サッカーの神様はこの献身性を愛しています」
「気に入った」
コーチ、数学講師、バーテンダーは勝利の祈願とサッカーの神様に乾杯した。
ワールドカップの予選リーグが始まると、世界は日本の予想もしない戦術に驚いた。
コーナーキックでブレ球を蹴り、こぼれ球を狙うというのだ。
しかし、これが成功した。
木田選手はコーナーキックだけで4得点決め、
その内2点はディフェンダーが触って角度が変ったことによるものだった。
見事、木田選手は6点を上げ、得点王になった。