遠征祭・その3
作者の愚痴
一人称ですら本心を見せない主人公。面倒くさい
「…もしもし、悪いわね。ファーストコンタクト失敗よ。思わぬ邪魔が入っちゃってね。…ええ、彼女はまだアタシとは面識ないけど。…うん、じゃあ今度はもっと分かりやすく?…そんな露骨でコテコテな手でいくの?…はぁ、ま、いいけど。それで釣れるの?あ、釣れちゃうんだ…残念な娘ね」
電話の向こうの依頼主が苦笑いしているのが携帯越しにも伝わってきそう。まったく…、使えない手下2名はアタシと依頼主の相談が終わるのを律儀に黙って待っている。片方は何か臭いし、もう片方は見るからにボコボコにされてきた、といった姿になってるし。
「ええ、じゃあ、明日はラジオ局ね、了解。…さてと。聞いてた?作戦変更、と言うより路線変更よ」
電話を切ると並んで突っ立っている細身で背の高い悪魔と横に幅広い鬼に向かって早速次の作戦を伝える。
「しかし姐さん。また邪魔が入る、なんて事にはならやせんかね?」
「今日の事はあくまで予想外のアクシデントでしょ。本来ならアンタ達が絡んでるところにアタシが助けに入ってターゲットに接近するって計画だったのに。まさか同じようなことが何度もある筈ないし、ねえ?」
「そうでさぁ。まさかあんなチンピラに絡まれるなんてオレ達だって思ってなかったですし。なあブラザー?」
「オレはまともに相手の姿も見る暇無くゴミ袋の下敷きにされたんで全く覚えてないっす」
ああ、だからアンタ臭いんだ。…って言うかシャワー浴びてくるなり着替えるなりしてきなさいよ。
「明日はラジオ局。そこでターゲットと接触するから。今度こそ抜かりなくね。キジロウ、デビット」
「「了解でさ、姐さん!」」
流石に2度も失敗したとあったら何でも屋イクスの名が下がる。
「無いとは思うけど、今度また邪魔が入るようなら…覚悟してもらわないとね」
遠征祭で精霊地区に来ている学生の宿泊地である温泉宿『犬乃湯』。地元でも評判の老舗であり温泉目当ての観光客はもちろん、精霊界特有の「割烹」や「懐石」と呼ばれる伝統料理が楽しめるので食事目的でわざわざ来訪する人も少なくない。そして毎年、魔術技巧専門学園の遠征祭で学生の宿泊地として場所を提供してくれている処でもある。
「いやぁ、それにしてもビックリしましたよ。まさか「あなた」が『モフモフ』に職業体験に来るなんて」
「こっちのセリフだ。知っててやった訳じゃないんだろうが、どんな因果だか…」
「あはは。でも流石と言うか見事な接客でしたね」
「嫌味と受け取っておこうか。…ほら、受け取ったらさっさと仕事に戻れよ」
「はいはい。…ああ、今回の件あなたの事はカタリナ団長には…」
「内密に、絶対にな」
「了解です。ではまた」
…ウリは戻ってきたのに忍だけなかなか帰ってこないから出歩いてみたら、思わぬところに遭遇した。
偶然忍の姿を見つけたので近づこうとしたら知り合いらしき相手と話し中だったので何となく隠れて様子を見つつ盗み聞きしてたけど…。
宿のラウンジで紙袋を手渡して知り合いと別れた忍。見つからないように柱の影に隠れているからバレてない筈。別に隠れる必要は無いんだろうけど、どうも忍は自分の情報を出したがらないのでこういう機会で無いと忍の昔話なんて聞けないだろうし。
(あの人の服、確か昼間忍とウリが働いていた喫茶店の服だよね…)
忍と親しげに話していたりは喫茶店『モフモフ』の制服姿の20代半ば程度の眼鏡の男性。忍が着ていたものと同じウェイター服の襟から上はトカゲのような風貌だったけど、獣人の人なのかな?
どうやら忍は、今日初めての喫茶店で働いた訳でも無さそうな様子。それに昔からの知り合いのようだし…。ウルス教官と良いマキナさんと良い、いい加減そろそろ忍の過去が気になってくるよ。
「んで、お前はいつまで柱の影でコソコソしてるんだ?」
「ぎゃふんっ!?」
いつの間にか背後に立っている忍に浴衣の襟首を掴まれる。離せっ!慣れないモノ着てるんだし着付けはマキナさんに習ったけど半分適当だから崩れるっ、肌蹴るっ!
「盗み聞きとか悪趣味なヤツだな、ニートの次はストーカーになる気か?別に止めはしないけどストーキング相手は別のヤツにしてくれるか?」
「ならないしっ、盗み聞きしてた訳じゃないしっ!だから離せっ、脱げるっ!」
「うわ、それは困る。需要が無い」
「アンタ以外にはあるわっ!!」
襟を掴む手を振り払う。ああもう、本当に肌蹴たしっ!帯を締めなおして胸元を押さえながら振り返って精一杯の非難のまなざしを向けるけど、そんなものが通用する相手な筈もなくて…。
「…さっきの人、昼間の喫茶店の人だよね。何かまだ用事があったの?体験は今日1日だけの筈だよね」
「俺とウリの制服を洗濯して返しただけだ。持って行くって言ったのにわざわざここに来るって言うからな」
「へぇ…、知り合いだったんだ?」
「まあ、な」
はぐらかす気は無いみたいだけど、それ以上言うつもりも無いみたい。だから、こっちからもうちょっと突っついてみることにする。
「そう言えば無駄に仕事出来てたもんね、ウェイター経験もあるんだ?」
「昔やってた時期があるってだけだ。ほら、さっさと部屋に戻れ。そんな格好って事は湯上りだろ?風邪ひいたら尻拭いが面倒だろうが」
「うわぁ、私の体の心配してくれてるのに全然嬉しくないよありがとう」
うーん…、やっぱり詳しい昔話をする気は全然ないみたい。まあ、本人がこの調子なんだから、聞いても無駄だろうね。気になるのは確かだけど、しつこく詮索するほど野暮なつもりもないし…まあ、今日のところはウェイター経験有りって事が判明しただけで良しとしよう。部屋でウリやモプシー達とババ抜きの途中だし。
「ま、いいや。部屋に戻ろ?どうせ忍も隣部屋なんだし。私達が4人で1部屋なのに何様のつもりか1人で1部屋使ってるもんねぇ」
「お前のグループ、俺しか男がいないんだから仕方ないだろ。それより明日はそこそこ早いんだ、同室の寝ぼけ天使が寝坊しないようにちゃんと起こしてやってくれよ?」
「ああ、うん。それは努力するよ。…一応はね」
「全く安心できない返事をありがとうよ」
崩れた浴衣を何とか直して、一足先にこの宿で宛がわれた自室に向かおうと足を進める忍に付いて行く様に、後を追いかけて並ぶ。
まあ正直、さっきの人とはどういう関係なのか、昔何をしてたのか、どうしてそんなに目つきと口が悪いのか、聞いてみたいことは山ほどあるけど、聞いても教えてくれなさそうだし、何より詮索されるのをとても嫌っている様子なので、無言のままこうしてテクテクと並んで歩き続ける間の抜けた画になってしまってるんだけど…。
「あんまり人の昔話なんて詮索しないもんだ」
ふと、私の頭の中を見透かしたように、視線はこちらに向けず歩き続けたままで忍が不意に口を開く。
「…やましい事でもあるから?」
「そりゃ、それなりに人に言いたくない事の1つや200はあるだろ」
「多い多い多い多い多い多いよ、それ」
「お前だって、話して楽しくない過去はあるだろ。俺にとっては昔の事なんて大半はロクでもない事だったしな」
それはつまり要するに、もう思い出したくも無いような思い出ばっかりって事?…アンタ、一体どんな人生送ってきたのさ…。ある意味余計気になってくるじゃない。
「それに、必要ないだろ?俺とお前はあくまで学園の依頼で組んでるだけなんだ。前にも言ったかもしれないが俺は別に女子と仲良くなるために学園に来た訳じゃない」
…うん、確かに前にも聞いたよ、その台詞。確かにそうなんだけどね。言う通りなんだけど…。
何なんだろうね、前に聞いた時よりずっと、カチンと来るのは…。
「1ヶ月以上経っても、そう思ってるんだ?忍は」
「お前はこの1月で情が移ったか?」
次の瞬間、思わず私の手は前を歩く忍の腕を掴んで無理やり私のほうへと振り向かせていた。突然背後から引っ張られた忍はちょっとだけ驚いたような顔をしてこちらを見下ろして、私の表情…多分、怒っているんだろうけど…。私の顔を見て、更にもう少しだけ驚いた様子だった。
「私はね…、そりゃ初対面がアレだったし、アンタは色々乱暴だったりデリカシー無かったりでムカつくことばっかりだけど、ご飯は美味しいし大事な場面はちゃんと助けてくれるし、茶釜組との件だってモプシーを助けてくれた時だって…」
自分でも、正直こうしてまくし立てておきながらどうしてこんなに腹が立つのか分からない。忍は、いつものように軽口で茶々を入れようとでもしたのか小さく口を開きかけて…私と視線が合って、そのまま口を閉じてしまう。
「アンタが本心でそう言ってるのか私から、私達から距離をとろうとワザとやってるのか知らないけどさ…。面と向かってそう言われた相手が本気で傷つく事とか考えないの?…いいや、分かっててやってるんだよね、アンタはやたら頭が回るし」
叩きつけるように口から勝手に飛び出す言葉を一方的に浴びせながら、自然と自分の口から出た言葉で初めて自覚する。そうか…私は、傷ついたんだ、今。
「アンタは意地悪だけど、信頼関係なんてあるとか思ってないけど少しはこう、馴染んできたかなって思ってたのにさ…」
「環境に慣れただけだ。俺は何一つ変わってないぜ?」
「…っ!」
悪びれた様子も無く、薄く笑みさえ浮かべてたったそれだけの言葉で切り捨てる忍に、さっきよりも更に怒りを覚えてしまった私は思わず振り上げた手を、もう止めることは出来なかった。
「お風呂上がったよ。姉さんも入りなよ」
「あんたのスケジュール調整がひと段落したら、ね」
ラジオ局での仕事の期間中の宿泊地として取った精霊地区のリゾートホテルの一室。気心の知れたマネージャーと同室なのは何の不満も無いけど、部屋に戻ってまで仕事の手を止めないワーカーホリックぶりは些かどうかと思うけどね。
「出たばっかりだからまだ暖かいままだよ。汗ぐらい流してきたらどうだい?」
「あんたがフラフラするから無駄にかいた汗だけどね」
…あんまり下手なことを言うとボク自身に火の粉がかかってきそうだ。彼女は本気で仕事が片付くまで動く気が無いみたいだし…テレビでもつけようかと思ったけど邪魔になりそうだね、これじゃあ。
グラフにされて記入してあるスケジュール表を調整しながら時折PCの横に置かれたコーヒーのカップを啜る。彼女のこの姿はほぼ毎晩見ている気がする…。感謝しきれないね、この人の影の努力でボクみたいな奔放な小娘が芸能人の真似事のようなことを出来ているんだから。
「明日も収録なんだから早めに寝ておきなさい。今日1日オフで好き勝手にしてたんだから十分リフレッシュできたでしょ?」
「ああ、そうだそうだ。まだ話して無かったね」
姉さんの言葉に思い出した、今日の出来事を。ボクが遭遇した滅多に味わえない非日常的な体験を。
「昼間『モフモフ』で久しぶりにランチを取ったんだけどね。そこでちょっと悪質なファンに絡まれてしまってね…ああ、でも心配は要らないよ。何の危害も加えられていないし、颯爽と助けてくれた人がいてね」
「…へぇ。あんたの無用心さはまた今度お説教だとして。それで?」
一瞬姉さんのキーボードを叩く手が止まるけど、すぐに再開してボクの事を一度だけ軽く横目で見てから、あまり興味がない様子でボクの話の続きを促してくる。
「『モフモフ』のウェイターがね、絡まれているボクを助けてくれたんだ。見たところ人間種みたいだったけど、相手は鬼人と悪魔だったのに正に一蹴、といった感じで倒してしまってね…。まるで漫画雑誌やアニメの世界に出てくる主人公のようなタイミングとシチュエーションだったよ」
「…そ、よかったわね」
「目つきがちょっと怖かったけど、ああ、口も大分悪かったね。ボクがお礼をと言ったのに「別に助けるつもりでやったんじゃない」ってね。本当に二次元作品のような体験だったよ…。それに、驚いたことにそのウェイターは魔術技巧専門学園の学生らしくてね。連れの人の言葉を聞く限り、偶然にも明日はボクの仕事先、ラジオ局で働く予定らしいんだ」
「ぶふっ!!」
「うわ汚っ!」
突然口をつけていたコーヒーを噴出す姉さん。気管にでも入ったかい?ああもう、ええと、タオルタオル…。
「げほ、けほっ…、し、シーナ、それ本当?」
「…?うん、ウェイターの連れが言っていたしね。どうかしたのかい?」
「けほ、けほっ…ん、大丈夫よ。…そうね、丁度よかったじゃない。改めてちゃんとお礼しておきなさい。私も一度会ってウチのポンコツ娘がお世話になりましたってお礼しないと」
「誰がポンコツだい、失礼な」
「へまちゅっ!」
「風邪ですか?」
「…珍妙ナくしゃみでスネ、シャコちゃん」
「ずびっ…きっと、どっかで噂でもされてるんでしょ。ほら、次モプシーの番だよっ。こっちがババだから引いちゃ駄目だからねっ、こっち引きなさい、こっち」
「…何とナく、戻っテ来てカラ不機嫌デすネ…」
「ケンカしましたか?随分怒らせたようですね、あの娘のこと」
宿の中庭、石畳を照らす灯篭の灯りと池に映る夜空の月が何とも風情なので風にあたっていたところに、人の憩いの一時を阻害する来訪者がやってきた。中庭の池の上に短くかけられたアーチ状の小さな橋の上で、手すりに肘をついてボンヤリしていたところに銀髪が夜の闇に映える見知った顔の姿。
「お隣、失礼しますね」
「良いなんて言ってないぞ」
「勝手にします」
何となく、池に映る月を眺めていた俺の隣に遠慮なくやってくるウリ。さっきのシャルと同様、この旅館の浴衣姿だ。まあ、アイツと違ってキッチリと着こなしているので着崩れていないが。
「お前さんも一発殴りに来たのか?」
「も、と言う事はあの娘に叩かれましたか。…あの娘がそこまで感情的になるなんて、あれでよっぽど大上さんに懐いていたんでしょうね」
「身近にエサくれるヤツがいたら野良犬だって多少は懐くだろ」
「歩み寄ろうとしてきたシャルに、そういう風に突き放した訳ですか」
ご明察。どっかで覗き見でもしてたのか?分かっているならいちいち聞かないでほしいものだが。
「律儀に避けもせずに叩かれるぐらいなら多少態度を改善したらどうですか?シャル、部屋に帰ってきたとき涙ぐんでましたよ。「手が痛いだけだよ」って強がってましたけど、マキナさんもモプシーさんも貴方と何かあったんだと察して何も言わないでいますけど」
愛されてるもんだなポンコツニートも。別に避けなかったのは律儀でも何でもなく、避けたほうが益々ムキになって魔術でもブッ放しかねないと思っただけなんだが…。
「謝ってあげてくださいとまでは言いませんけど。せめてフォローぐらいはしておいてくださいね。貴方はあの娘の世話係なんですから。仕事がし辛くなるのは本意ではないでしょう?」
「てっきりお前さんのことだからもっと感情的に俺を非難しに来ると思ったんだけどな」
「ご安心を。十分怒ってますし、呆れてます」
「おう、なら安心だ」
自分でもワザとらしすぎるかな、とは思うが案の定、ウリは俺の隣で顔を向けないままハア、と小さく溜息をつく。彼女がこうして嘆息する姿をもう何度目にした事か…まあ、10割方原因は俺なんだけど。
「気付いているんでしょう?貴方は、ご自身が思っている以上にシャルに…いえ、マキナさんはもちろんモプシーさんにも信頼されているんです。貴方がどういうつもりでいるのかは知りませんが、もう少し割り切ってしまったらどうです?」
「言わんとする事は何となく分かるが…それができれば苦労はしねぇよ」
「貴方には貴方で思うものがあるのでしょうが、自覚があるなら改善しようとする努力を…」
お説教の途中だが、気配を感じて手でウリを制す。突然言葉の途中で遮られたウリは一瞬憮然としたが、すぐにこちらの様子を見て察したように周囲を見回し始める。こういう時、察しがいい相手だとこっちも楽だよ。
「…出てこいよ。それとも覗き見趣味か?」
もちろん隠れている相手を目視している訳ではないので、人の気配を感じる方向にそれっぽく声を掛ける。そして、こちらの問いかけに答えるように灯篭の灯りの届かない植木の影から、月の灯りだけを頼りにぼんやりと、監視者の姿が見え始める…。
「月夜の逢引中かと思ったので気を使っていたつもりですが、余計な事だったですかね?」
「勘違いな上に余計な気遣いだな。どうした、『ファランクス財団』の秘書がこんなところで」
俺の言葉に隣のウリが身を硬くする。面識は無い筈だがあの悪名高い『ファランクス財団』の一員と言われれば当然の反応か。
「社長の子守も放置して一人で温泉旅行って訳じゃないだろ?『毒蜘蛛』」
「当然仕事ですよ『孤狼』。貴方と同様にね。…ああ、そちらの理事長のご令嬢様とは初対面でしたね」
姿を現した夜の来訪者、『ファランクス財団』に身を置く元冒険者が温泉宿に似合わない男物のスーツ姿で、小さく頭を下げる。
当然俺にでは無くウリに向けて、だが。
「『クロス社』で社長秘書をさせてもらっている蓮華と申します。…そちらの無粋な野良犬の言う通り、『ファランクス財団』の者でもありますが、ね」
相変らず妙なイントネーションの言葉遣いだな…さては田舎育ちだろ、こいつ。
「私の事もご存知のようですね…。丁寧なご挨拶をありがとうございます。ご存知かとは思いますが魔術技巧専門学園で生徒会長を勤めさせて頂いているウリと申します。…お見知りおきを、とでも言うべきでしょうか?」
「普通は言わないよな」
ウリの前に一歩出て手で彼女を背後に隠すようにして蓮華と向き合う。こちらは橋の上、あっちは植え込み。距離にして10Mといったところだろうが、この程度の間合いなんてあっという間に詰められるので気は抜けない。生憎今は丸腰だが…ウリが強いかどうかも俺は知らないし、戦闘になった場合不確定要素が多すぎる。
「…警戒しなくても、こんなところでやりあう気はありませんよ。ウチ個人としても、我が社としても」
ま、それもそうだ。そもそもメリットが無い。けど、そんな言葉を本気で信じるほど呑気でもないけどな。
「で、なら尚更何の用だよ。…いや、誰に用だ、って聞けばいいのか?」
嫌な予感しかしないが、俺の言葉にニヤリ、と悪意が大いに含まれた笑みを浮かべる蓮華。殺意などのそれとは違う、しいて言えば嫌いな相手が貧乏くじを引く瞬間を見られて嬉しい。…そんな顔だ。
「勿論、元星界の皇女のサブマスター、あなたにですよ」
「よし断る帰れ」
「シレーナ・カンタンテが『ロキの尖兵』に狙われている、と言ってもですか?」
「…!」
思わぬ名前と思わぬ組み合わせ。ウリも驚いたようで、息を呑む気配を感じる。
「…ロキさん家の愉快な仲間達が今日偶然会った小娘をどうしようと、俺には関係ないはずだが?」
「そう言うと思ってましたけど。では、彼女が、シレーナ・カンタンテが『吸血鬼』だと聞いても?しかも『魔歌種』と聞いても?」
偶然会っただけの小娘の個人情報がバンバン聞かされるんだが…耳を塞いで「あーあー聞こえなーい」とかやるべきだろうか。個人情報保護法違反で通報してやろろうか。
「更に言えば、彼女が『真祖』だと、聞いても?」
耳を塞ぐのが一瞬遅かったようだ。流石にその言葉に俺もウリも、仲良く並んで絶句してしまった。
「そのマヌケ顔が見られただけでも、わざわざ来たかいがあるというものです」
「…それが事実なら、『ファランクス財団』だってその娘を狙ってるんじゃないのか?『ロキ』の邪魔をさせて、その隙に漁夫の利を狙う算段…って訳でもあるまいし」
そういうつもりなら、いちいち直接こうして伝える必要もない。『ロキの尖兵』がシレーナを狙っていると言う事を知らせるだけなら手段は他にいくらでもある。
「もちろん、こちらにはこちらの思惑があります。それでも、もう放って置く訳にはいかなくなったでしょう?何せ『真祖』の『魔歌種』です。その危険性も、『ロキの尖兵』がその力を手に入れたらどんな事に使うか…想像するだけで笑えない光景が浮かびますね」
「騎士団に連絡して保護してもらう、という事では解決しないんですか?」
「…ま、無理だろうな」
『真祖』。人間種以外の種族に極稀に現れる規格外の能力者のことだ。「先祖返り」だの「突然変異」だの、色々な言われ方はあるがオルドで一番広く広まっている名称は、この『真祖』だろう。
咆哮一つで海を割る獣魔。たった一人で悪魔の軍勢を壊滅させかけた大天使。歴史上に名前を残す有名人の中にもこの『真祖』は少なくない。
ちなみに、みんなご存知我らがポンコツ。シャルトリュー・コラットも「前代未聞の人間種の真祖なのではないか」という説が一部であるほどだ。
ようは、「たまに生まれる天然チート」と言えば分かりやすいだろうか。はたまた「生まれつきレベルカンスト」「天のステータス振りミス」なんて言い換えたほうが可愛げがあるかもしれない。
「どうして、無理だと?」
「シャルの事を考えてみろ。アレも『真祖』同然だろ」
説明不足かと思ったが、頭の回転の速いウリはそれだけで大体察したようだ。
シャルと同じ。行き過ぎた力を望みもせずに持ったせいで周囲からは大仰に扱われ、自分のせいで周囲に理不尽な被害が生じる場合もある。「特別な存在」なんて言うのは聞こえはいいけど実情は腫れ物同然の扱いが関の山だ。大事になった時点で、シレーナ・カンタンテは芸能活動は勿論、下手をしたら今後まともな自由など無い人生を送る事になるかもしれない。
…まあ、正直俺には関係ない話なんだが、別段。
「まあ、『真祖』って話がどれだけ信憑性があるか、ってのか前提だけどな」
「デタラメでわざわざ財団が動いているとでも?」
分かってるよ。ただの皮肉に真面目に返すな。『ファランクス財団』の秘書自ら行動しているという事実がこの件の信憑性を表す事になる。って訳だ。当然、狙ってやってるんだろうが…そこまでして無関係の俺を巻き込みたがるのかねぇ…。
「ウチの用件はもうこれで済みました。後は好きなように、『ロキ』とトラブって下さい『孤狼』」
「…っ!」
フワリと、音も無く跳躍して中庭の石垣の上に飛び乗る蓮華。悪名高い『ファランクス財団』をこのまま逃がすかとばかりにウリが身構え、追撃しようとするそぶりを見せるが…。
「やめとけ」
「どうしてですか、このままみすみす逃がすんですか?」
「よく見ろって」
飛び出そうとしたウリを手で押さえながら携帯を取り出しライトを点灯。すると光に反射して極細の糸が、いつの間にか俺達と蓮華の間に無数に張り巡らされているのが分かる。
「ご心配なく、魔力糸ですから10分程で消えますよ。尤も、触れれば指ぐらい簡単に落ちますけどね」
姿を見せる前に既に追われないように準備してた訳だ。まあ当然だろうが…。
「マジか、試しに触ってみてくれ」
「誰が触るか!」
もう時間も時間なんだから大声出すなよ、常識の無い女だな…これでよく大企業の秘書が務まるもんだ。
「はぁ…、調子を狂わせるのが上手ですね、つくづくうちの銀目に似ててムカついてきます」
誰だギンメって、知らないやつと同列にされて罵倒されるとか理不尽すぎだろ。傷つくぞ?
「では、ご健闘を」
それだけ言って石垣の上から背後に、宿の外へ向かって飛び去っていく蓮華。タイミングを見計らったように、俺達の前に張られていた糸も同様に、その姿を薄めていき、消えてしまう。
「…騎士団に通報するべきでしょうか」
「騒ぎになったら遠征祭が台無しになるけどな」
「さっきから反対ばかりですね、大上さん」
そういうお前さんは些か思慮が浅いんじゃないか?目の前に有名な犯罪者がいたら冷静さを欠くのも無理は無いかもしれないが…。ウリも、結局は一介の学生でしかないんだし。
「財団の思惑に乗せられる形になるのは癪だが、どのみち明日は噂の『真祖』と嫌でも顔を突き合わせることになるんだ。ま、なるようにしかならないだろ」
「『魔歌種』の『真祖』、ですか…。事実ならゾッとしない話ですね」
そう言って実際小さく身震いするウリ。無理も無い。『真祖』と言うだけでバカげた能力の持ち主であることが確定しているのに、よりによって『魔歌種』ときたもんだ。
『吸血鬼』種族は大きく分けて4つのタイプに分別される。
広く知られている血を吸い、日光とニンニクに弱いという特徴はオルドでは古臭い俗説として有名な笑い話だ。実際ニンニクたっぷりで有名なラーメン屋『麺や小次郎』の店主も吸血鬼だし、日光に弱いのも色素が薄いので日焼けしやすく、ちょっと焼けるだけで肌が荒れるという体質なだけ。血は確かに飲むが血液で腹は満たされないし栄養素は足りないし、好き好んで効率の悪い食事を取る物好きはいない。
様は、実際の『吸血鬼』なんて獣界の蝙蝠族とさほど大差がない。実際「キャラがかぶってる」と両種族は長年いがみ合っているしな。
(まあ、「きのこの里」と「たけのこの山」の派閥戦争レベルだけど…)
『吸血鬼』の種族としての特徴は夜目が効くこと、野生の蝙蝠がやたら懐くこと等正直大した事は無い。精霊界においてはそこそこ上級の種族なので上位種になれば肉体を霧に変えたりする事も出来るが、一番大きな特徴であるのは『魅了』の能力と言える。
例えば『蛇眼種』は「視線」で、『鳥香種』は「匂い」で、『淫魔種』は「仕草」で、対象者を魅了する。力の強い種になるとある種の洗脳と言えるレベルにまで達するので、魔力の高さよりもその能力を恐れられている種族だ。
そして、『魔歌種』とは言葉の通り「声」を媒介にして魅了する種族だ。
「シレーナって娘が歌手活動しているのも『魔歌種』だから、って事か?」
「だとしても、『真祖』レベルの力で魅了魔術を使えばどんなことになるか…。それに声が触媒ならラジオやテレビで世界中に簡単に流せます。『ロキの尖兵』に悪用されたりしたら…」
「下手すれば世界中がテロリストの支配下になるだろうな。おいおい、これってもしかして国家レベルの重大案件なんじゃないか?」
「もしかしなくても尋常じゃない次元の話ですよ。騎士団どころか下手をしたら国が動きます」
そうだよなあ…。財団も、こんなケタ違いの事件を一介のポンコツ介護士にどうしろっていうんだろうな…。
これでもう何度この光景を見るだろうか?
星の無い真っ暗な夜空。空に灯りは無いのに地上は騒々しくあちこちに火の手が上がり、燃え盛っているので夜のはずなのにやたらと明るい。そして、いつ見ても形を変えずに常に真円を描いている月も、それをバックにこちらを見下ろす、この女も…。
「何の用だレーヴァ。こっちはこっちで色々忙しいんだが?」
当然こちらの文句など聞く耳を持つ訳がないが、それでも一応言うだけ言う事にはしている。言うべきことは言わないと益々図に乗る事は既に経験上理解しているからな。
見上げる先にいる人物、月を背にしてこちらの頭上に足を組むようなポーズで浮遊している赤い髪、赤い瞳、赤い装束の女がひらひらと手を振りながら挨拶も抜きに早速本題に入る。
「あなたの可愛い舎弟が楽しい玩具を見つけたようよ。既にお友達を向かわせてるし、今度は今までよりちょっと洒落にならないかもしれないわねぇ」
「…大概、いつもあまり洒落にならない事ばかりやってるだろ、「お前ら」は」
「あら心外。ギルド創立者の言葉とは思えないわね」
クスクスと楽しそうに笑うレーヴァだが、こちらは全くもって楽しくない。こいつが俺を呼んで楽しかった事など、長年の付き合いだが1度たりともあったものか。
「…さてさて、それでRとしてはどうするつもり?歌姫さんの力を使って復讐を果たすのなら、もちろん手を貸してあげるけど?」
「決まってるだろ?分かりきったことをいちいち聞くな」
お前の目の前にいるのを誰だと思っているんだ?この世界を誰よりも憎み、破壊するために『ロキの尖兵』を作り上げたオルド史上最凶最悪の反乱者だぞ?
「ふふ、そう言うと分かってたけどね。じゃあ、今回は流石にあなたも動く訳ね?」
「『真祖』の『魔歌種』なんてものを扱うんだ、組織の若造が下手な事をしたら台無しになるだろ」
「でも『財団』も動いているようよ?それに、例の学園の子達も精霊地区にいるし」
「関係ないさ。例え『ファランクス財団』だろうと噂の最強魔術師だろうと、俺とお前に勝てる奴なんてこの世にいると思うか?」
「んー…そうねえ。生憎私はまだ、会った事無いわねえ」
当然だ、本気で俺達を止めたいならオルドの全種族総出で掛かって来るぐらいのことをしてもらわないとな。それこそ、昔の「統合戦争」の再来ぐらいは派手にいきたいものだ。
「なら、久しぶりに力を使えるかもしれないって事ね。楽しみになっちゃうじゃない。期待させるならそれなりに応えて貰わないと嫌よR?…それとも、たまには本名で呼んであげようか?」
赤い髪を、衣を翻してレーヴァが俺の前に降り立つ。彼女の唇が微かに耳元に触れるほど、顔を寄せられて、一言。もはや彼女以外に呼ばれることの無い懐かしい名前が耳に響く。
「楽しいことになりそうね、R」
久しぶりすぎて自分の事だと実感が薄くなりつつある名前。今では歴史の教科書にすら乗せられている名前。3000年前の戦争から、変わらず絶えず、憎悪の炎を燃やし続けている復讐者の名前…。
それが『ロキの尖兵』のギルドマスターRの本名。俺の名前。
「さあてと。ロキ自らご出陣となると、噂のシャルトリューちゃんや大上忍もどうなっちゃうかしらねえ。どうするつもり、って言い換えたほうがいい?」
「場合によりけりだが、そうだな…」
こちらも別に見境無くすれ違った相手を惨殺するようなサイコパスな訳じゃない。ケースバイケースだ。だが…。
「どうしても邪魔になるのなら、仕方ないよな」
「そうね、仕方ないわよね」
含みを帯びたその言葉の真意は、俺とレーヴァにしか分からない。
そうさ、この怒りは、この憎しみは誰にも理解出来るものかよ。
俺は、この世界を何度破壊しても足りない程憎んでいるのだから…。
遠征祭初日終了。次回から2日目です。
ちょっぴり不協和音になりつつある大上とシャル。ファランクス財団とロキの尖兵のそれぞれの思惑とシレーナの正体。
そして、動き出すロキの黒幕。
登場人物増えると楽しい反面苦労しますね。
ちなみにシャル達が宿泊した「犬乃湯」ですが大浴場は時間帯によって男湯、女湯と切り替える仕組みになっています。
「マキナさんってお風呂入ってサビないの?」
「家電みたいな扱い止メテ下さイ」
なんてやりとりがあったとか無かったとか。




