7.君に捧げる、新しき十字の証
上条家に、いつもと同じ朝が来た。和を主とした朝食の並ぶテーブルには、滋と緒叶、そして、亮樹と砂乃が変わらぬ配置で机を囲む。
昨日自動車型飛行機体に乗り込んだ砂乃を、それで帰ってきた砂乃を、滋と緒叶は何もなかったように迎え入れてくれた。
誰一人、ごめんなんて言葉は口にしていない。わざわざ口にしなくたって、それぞれが何を思っているかは、みんなちゃんと分かっていた。
それでも食卓が静かなのは、緒叶が無言の怒りを露にしているからだ。それが自分に対する怒りなのか、砂乃は少し不安になる。そんな雰囲気を打ち破いたのは亮樹だった。
「……緒叶。機嫌直せよ」
もくもくとご飯をかき込みながら、彼は言う。
「誰のせいだと思ってるの?」
亮樹は苦笑する。理由は分かっていた。彼女の祈りに答えることができず、傷だらけに帰ってきてしまった自分だ。
「そりゃ、けがしないようにとは思ってたけどさ。しょうがないじゃん。こういうの覚悟で行ってたんだから」
「へえ? 神の代行人に囲まれても助けも呼ばなかったんでしょ?」
う、と亮樹は箸を置いた。確かに自分で何とかしようと呼ばなかったのは事実だが、囲まれたのは不本意だ。
そんな彼の真意を悟れば、滋が味噌汁をすすりながら、代わるように口を開いた。
「そう言ってやるなよ、緒叶。お前が普段穏やかな分、そうして怒ると亮樹は逆に堪えるんだ」
滋の言うとおりだ。いつもは優しい緒叶が怒るのは、自分がこの上なく悪い事をしてしまったようで、罪悪感に駆られてしかたない。
「だって……、わたしがどんな思いで待っていたかも知らないで。不慮の事故なんてものじゃ済まないでしょ。捻挫までしてるのよ」
医学の進歩した三十世紀だからこそ、擦り傷や切り傷なんてものは一日で治るが、捻挫や骨折は、どうしてもわずかな時間が掛かってしまう。好桃に噛み付かれた前回のも、酷いけがの部類には入ったが、あれは助けを呼ぶにも呼べなかったから怒る気にはならなかったのだろう。それから考えて、さすがに今回は緒叶も許しきれなかったようだ。
「すぐ治るっつの。緒叶は心配しすぎなんだよ」
その言葉に、緒叶は荒々しく箸を置いた。
「心配して何が悪いの! 亮樹くんたちが帰ってくるまで、わたし気が気じゃなかったんだから!」
「おい、緒叶、落ち着けって。亮樹ももう少し言葉を選べ……」
「あの……」
と、賑やかな彼らの声を掻き消すように割って入ったのは砂乃だ。
皆の視線が、戸惑いがちな少女に集まる。
「話、中断させて……ごめん……。でも、どうしても、言わなきゃいけないこと、あって」
顔面蒼白、まさにその言葉が的確だというほど、砂乃の表情は重かった。皆がこちらに注目するから、さらに緊張が加わって声が震える。
「あたし、十三年間、ずっとゴッド派にいた。だから、本当はみんなに話してないゴッドの情報が……いくつかある。でも、でも、ね。あたし……」
突拍子なことを言い出した少女に、三人は言葉を失った。じきに気が抜けたように椅子にもたれかかったり、肩を落としたりする。
「あー、俺もあるな。俺の父さんはナチュラルでも偉かったし、俺は十六年間いたしな」
「わたしも。子供のこと……まだ詳しくは話してないわ」
「俺もいくらかあるかもな……」
「な、ってシゲちゃんずっとビュー・ガーデンなんだから、分かる事全部話そうよ」
高らかな笑いが食卓に漏れた。
きょとんと、砂乃の目が丸くなる。
「あの……」
先ほどと同じ言葉が漏れたが、今度は戸惑いではなく困惑が混じった。
「今はまだ、言いたくないんだろ? そんなん、俺らにだって秘密はあるんだ。言えるときがきたら言えばいいんだよ」
隣で微笑む青年に、砂乃は目頭が熱くなった。
此処はなんて、居心地がいいのだろう。みんなが砂乃を思ってくれているのが分かる。みんなの気持ちがふつふつと、砂乃の中に流れ込んでくるようだった。
「ありがとう」
こんな言葉、棗には言ったことがない。なんて美しい言葉なのだろう。どうしても言いたくて、砂乃は何度も“ありがとう”と呟いた。
昼下がり、何もすることがなくなれば、亮樹はさっさと出かける準備を始めた。
着替えてバイク型飛行機体用のグローブをはめれば、颯爽と玄関へと向かう。
「どこ行くの?」
何の気なしに扉を開ければ、ふと右側から声が掛かった。
「うわっ? ……て、砂乃……」
「グローブまでしちゃって、一人でどっか行く気だったんだ。緒叶にばれたらまた怒るよ」
壁にもたれるように背中をつけて、目を細めながら亮樹を見てくる。渋い顔をしながらも彼は答えた。
「別にいいじゃん」
「どこ行くかくらい、教えてよ! そしたらすなの、別につれてけなんて言わないのに……」
こういうところは、まるで以前と変わらないな、と亮樹は思った。置いていかれることを彼女が恐れるのは無理もない。しかしそれを、亮樹に求められても困るのだ。
「そんなに俺に置いてかれたくないならさ、常に俺の見張りでもしてたらいいじゃん」
「だから今こうやって待ちぶせてたんです!」
「……槙那の墓参りに行くんだよ」
諦めたように答えると、砂乃の目が見る見る丸くなっていく。
「まきな?」
「俺の親友。この戦争に巻き込まれて死んだんだ」
そう言う亮樹に、砂乃はふと棗の言葉を思い出した。
「ナツメサマに……殺された……?」
「知ってたのか?」
「ぐうぜん聞いたことがあって……。じゃあすなのは、じゃまだよね」
勝手に納得すれば、砂乃はそそくさと退散しようとした。少女が亮樹に背を向ければ彼は仕方ないなと息をつく。
「一緒に行くか?」
パッと振り返った砂乃の表情は柔らんでいたが、すぐに緊張が走った。
「でも……、ナチュラルだったなら、すなのになんて会いたくないよ……」
「あいつはナチュラルとかゴッドとか、気にする奴じゃないよ。ずっとビュー・ガーデンに来る事を夢見てたんだから」
「え……」
「それにあいつ、一度お前に会いたがってた」
これは約束だったから。果たす事は叶わなかったけれど。
砂乃と二人で、槙那の墓前に立ってやるのも悪くないかもしれないと思えば、亮樹は迷わず砂乃にヘルメットを投げた。
亮樹からどこかへ行こうと誘われたのは初めてだったから、砂乃は喜んでバイク型飛行機体の後部に座る。
その手に、小さなビンを握って。
槙那の墓は湖に面していた。波打つ音がとても心地いい。
「いい場所だね」
墓参りを済ませれば、二人は丘に登り橋を歩いた。風が波を揺らし、二人の髪を靡かせる。
「ナチュラル派にとって、死した人は尊い存在だから。その町でも一番いい場所や好きだった場所に葬ってやるのは当然なんだよ」
「りょーじゅのお父さんのお墓も、ここにあるの?」
橋の下の霊園を見ながら訊ねる。そんな砂乃には、亮樹の表情が曇った事なんて気付けなかった。
「……父さんは……ナチュラルを裏切ったようなもの、だったから」
あまりに小さな声は、油断すれば聞き逃しそうだった。そうして振り返った先に俯く亮樹がいるものだから、砂乃はただうろたえる。
「あ、ごめん……」
「なんでお前が謝んの?」
「だって、つらいでしょ? りょーじゅのお父さんは何にも悪い事なんてしていないのに、きれいな場所でゆっくり眠る事もできないなんて。それなのに、すなのはりょーじゅに思い出させちゃった……」
「別に……。思い出しても平気っつったら嘘になるけど、俺本当に言いたくないことは言わないから大丈夫だよ」
「でも」
「あんまり深く考えんなよ。父さんにはちゃんと、シゲちゃんたちが墓を造ってくれた。ちっぽけな墓だけど、父さんは満足してるよ」
「そ……か」
じゃあお母さんは? なんて言葉が口をつきそうになったけれど、そればかりはグッと耐えた。
いま自分達と共にないのなら、それはもう――。
「そいえば砂乃、ペンダントやめたんだな」
その首元にいつもの黒い紐が下がっていない事に気がつけば、亮樹は何の気なしに訊ねた。
クリスタルは元々どうしようもなくなっていたが、その紐だけは砂乃はこれからも身に付け続けるのだろう、と無意識に思っていたからだ。
「あ、うん。あれは元々、ナツメサマがくれたものだったから」
「そうだったんだ」
「それをナツメサマにわられて、……てゆうか、あたしの居場所を見失わないために与えてくれただけだったけど。これはすなのにとって、ナツメサマとすなのがパートナーだっていう証だったから」
帯に挟んでいた小瓶を取り出せば、光に透かすように持ち上げる。
「それ……?」
「おかのがやってくれたの。あたしが持っていたいなら、こうやって持ってればいいって」
亮樹が丁寧に砂乃の掌から取ってくれたクリスタルは、洗われて元の色を取り戻していた。
それをしばし見つめれば、なんの前触れもなく、湖へと放り投げる。
「あっ、おい!」
突然の事に亮樹は思わず手すりから身を乗り出す。しかし小瓶は音も立てずに湖中へと消えた。
「何やってんだよ」
「いいの!」
あれだけ大事にしていたものだから、当然これからも持ち続けるのだと思えた。
しかし少女は、それを手放した事にすっきりしたように微笑んでいる。
「すなのにはもう、あれは要らない。ナツメサマとパートナーだっていう証は要らないの」
ゆっくりと亮樹に近づき、隣に並べば彼を見上げた。
「すなののパートナーは、りょーじゅだから」
青年の瞳が、光を宿す。見開かれた目に陽光が集まったのだ。
「だからさ、りょーじゅのつけてるアクセサリー、何でもいいから一つちょーだい?」
なくては不安なのではないが、どうしても、パートナーの証が欲しかった。
亮樹は少し迷ったような素振りを見せて、首のネックレスを一つ外す。
十字架の真ん中に、蒼い宝石が埋め込まれていた。
「言っとくけど、高いもんじゃないからな」
「いいの。ありがとう!」
満面の笑みで少女が言う。
体の小さい砂乃に、そのネックレスは不似合いな気がしたが、あまりに嬉しそうに笑うので亮樹にも思わず笑みがこぼれた。
「んじゃ、帰るか」
「すなの、パフェ食べたいな〜」
「は? アイスで我慢しろよ」
「格がちがうよ!」
「……お菓子も買ってやるから」
呆れた口調で亮樹が言う。その返事に満足すれば砂乃は高らかに声を発した。
「のった!」
バイク型飛行機体へ向かう二人の後ろ姿を、沈み始めた太陽が照らす。
まるでこれから始まる青年と少女の物語を後援するように、その光はいつまでも二人を照らし続けていた。