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6.枯れた思いと生まれた絆

 自動車型飛行機体オーブから降りれば、亮樹はググッと背伸びをする。たった二十分弱の短い旅だったが、これからの自分達の目的を思い返すと、始める前から精神的にか体が重かった。

「……ナチュラルのアジトも久々だなあ」

 目の前に広がる大きな建物を見ると、亮樹は息を吐くと同時に呟いた。

 オーブから降りた滋が答える。

「お前はやはり何度か来たことがあるのか」

「そりゃあ俺の父さんは、一応ナチュラルのお偉いさんでしたから。この辺に住んでたこともあったよ」

 無言に頷けば滋は建物を見上げた。

 どこか見覚えのあるそれは、自分の大好きな書物に載っていたものだ。

「大会議場に似てるなあ……」

 あまりにぽそりと呟かれた声は聞き取りづらく、亮樹は怪訝そうに聞き返した。

「え?」

 すると、滋はバツが悪そうにしながら話してくれた。

「ああ、いや……。随分昔、もう千年くらい前の話だが、大統領、とか総理大臣とか、そんな風に言われるものがあったんだよ、世界には。その偉様たちが会議する、国会議事堂ってのがあってさ、それによく似た形をしてる」

「……シゲちゃんて何気にさあ、歴史好きだよね」

「ふっ、違うよ。昔の世界が好きなんだ。ナチュラルとかゴッドとか、この日本国はそんなことに一切関与しない、一番平和な世界だったからな」

 まるで憧れるように呟く滋に、亮樹はしばし黙った。

 ふっと顔を上げれば、まっすぐに前を見据えて言い切る。

「でもさ。俺たちがそんな世界にするんだろ」

 ナチュラルとゴッドが共存し、殺戮なんて言葉とは無縁の、そんな世界。

 それを創るのが、ビュー・ガーデンの願いなのだから。

 にっと笑って滋は頷いた。

「ああ。そのために今日、此処に来たんだ」

 そう言えば、滋は左側に体位を変えて数歩歩き出した。

「――俺はあっちに行くが、お前は向こうに回ってくれ。他のビュー・ガーデンの連中もいるかも知れないが、あまり会うなよ? そんなに性格のいい連中ばかりじゃないからな」

「分かってるよ。他のビュー・ガーデンと一緒に戦う気なんてないし、多分戦い方も違うし、気だって合わないだろっ」

 同じようにして右側を向けば、亮樹は茂みを越えた。

「……戻って来いよ」

「分かってるよ。――っいしょっ」

 もう一つ茂みを越えると、亮樹はさっさと自分の持ち場へと走っていった。

 木に攀じ登れば、幹に腰掛辺りを見回す。

 なかなか大きな木だ。天辺まで登れば、建物の屋上すら見渡せそうだった。

 さすがナチュラル派。森林を大事にしすぎて育ちすぎたとも言えるだろう。

 辺り一体を見回せば、すっかりナチュラルに扮したビュー・ガーデンがちらほらと見えた。

 どんなに成りすましていても、雰囲気などでその違いは一目瞭然だ。

 しかし亮樹の目についたのはビュー・ガーデンよりも、平和そうに笑っているナチュラルの平民達だった。

 ナチュラル派のお偉方の集まるこの建物よりずっと奥にある町では、多くの人が何も知らないように普通に生活している。

 もしも父がゴッドに殺されたりしなければ、今ごろ自分もあの中で幸せに笑っていたのだろうか。と不意に思ってみたりした。

 家族に囲まれて、一歩先の世界が殺戮に染まっていることなんて知らずに平和に生きるのと、大切なものを失ってでも、こうして自分で世界を、その在り方を見て生きるのとでは、どちらが幸せなのだろう。

 分からないけれど、だけど何も知らずにただのうのうと過ごしている自分を想像すると、そんなのは絶対に嫌だ、と思わずにはいられないのだ。

 ビュー・ガーデンの在り方は父の夢であり、やはり亮樹りょうじゅの夢なのだった。

 気を入れなおして再び建物の周りを見渡す。

 ゴッド派の者らしき人間は目につかなかったが、灯台下暗し。すぐ近くから聞き覚えのある声がした。

「モリサキ! はやく!」

 ふっと見下ろした先にいるのは、いつぞやの若草色の髪をした少女と、らくだ色の髪の少年だ。

 少女は明るく後ろの少年に手招きした。

 彼はげっそりと近づいてくる。

「はあ、禾夜……お前、本当タフだよね。確かに此処までは二時間で来れるけどさ、少しくらい疲れたりとかしないわけ?」

 問い掛けてくる少年――森嵜の言葉に、少女――禾夜は胸を張って答えた。

「全然。これからが楽しいんじゃん。でもさあ、だっれも敵さんがいなくて……つまんない」

 本当に不服そうに言うものだから、宥めるためなのか森嵜はポツリと細かい作戦を語り始めた。

 嫌でも自然に、それが亮樹の耳にも入ってくる。

「まあ、ぼくたちのやることは、所詮は建物の爆破に気付かれないことだから。今日ってさ、大事な会議の日なんだって。僕たちがこうやって爆弾仕掛けてるとも知らずに、ナチュラルの偉い人間たちは、みんなあそこに集まってる。気付く事もないだろうから、そう暴れる事もないかも」

 それを聞けば、案の定禾夜は嘆いた。

「ええ! モリサキが言ったんじゃん。此処にくればたくさん暴れられるって」

「ん〜、ビュー・ガーデンくらいはいると思ったんだけどな〜」

 困ったように頭を掻く森嵜を、禾夜は恨めしそうに睨んだ。

 そしてふと、背後に危険を察する。

 葉がざわざわと揺れると、禾夜は森嵜に飛び掛った。

「モリサキっ」

 加減を知らない少女の体は、勢いよく森嵜に体当たりしてくれる。とっさのことに対応しきれず、彼はそのまま倒れこんだ。

「ってて……。なんだよ一体」

 刺激を受けた頭をさすりながら、文句の一つも言ってやろうかと思ったが、禾夜は既にこちらに目もくれていなかった。

 激しく木の上を睨んでいる。

 怪訝そうに森嵜も禾夜の視線を追うが、その先にあったのは、たくさんの葉の生い茂る大木だけで、他は何の姿も見受けられなかった。

 疑問に思い辺りを見回せば、先ほど自分の立っていた場所に小型のナイフが突き刺さっている。

 禾夜が身を挺して自分を守ったことに、森嵜は漸く気付いた。

 と同時に、木の枝が大きく揺れる。タンッと音を立てて地に降り立ったのは、棗と同じくらいの年の青年だった。

「誰?」

 声変わりもまだの声を精一杯低くして、森嵜は訊ねる。

「お前らの望んだ、“ビュー・ガーデン”だよ」

 簡潔に亮樹が述べると、森嵜よりも禾夜が早く反応した。

 ビュー・ガーデンとかは関係無しに、とっさにそれが敵として認識される。

「……あんた……よくも、モリサキを」

 大切な主が攻撃されたことは、何よりもの屈辱だった。

 さっと右手を左肩に沿え、空気を斬るように右に動かす。

「赦さない!」

 禾夜の動きに乗って木の葉が亮樹を襲い出した。

 とっさに避けるものの、その量は半端でない。まんまと逃げ場の無い茂みまで追い込まれてしまった。

「モリサキ、命令して」

 シスターはパートナーの命令がないと攻撃は出来ない。

 本能と、本能と理性からできた融合体。明らかに本能が体の機能を支配していて、彼女達だけでは、相手をどこまで傷つけていいのか、そこまでの判断ができない。だからいつだってパートナーの指示に従うよう、彼女達はしつけられている。

「……禾夜の好きにしていいよ」

「じゃあ、コロス」

 目の色が変わった少女に、亮樹は些細な疑問を投げかける。

「お前……木の融合体……?」

「違うよカヤは、大地から生まれたシスター。木だけじゃなくて……」

 次に地面に手をつきながら、禾夜は言葉を続けた。

「土だって味方なんだから!」

 言葉と同時に地面が割れる。その速さに、亮樹は間一髪左へ転がり避けるのが精一杯だった。

 やはりフューズ相手に生身で戦うのには限度がある。

 転がった拍子に右腕が痛み、庇いながら立ち上がる頃には、どうやって逃げようかさえ考え始めていた。

 しかし怒りに狂っている神の子が、そう簡単に自分を逃がしてくれるわけがない。

 間髪いれずに、次の攻撃が亮樹を襲った。


 時刻は十四時二十分を指していた。

 大会議場に設置した爆弾が爆破するのは十六時ジャスト。既に数人のビュー・ガーデンは蹴散らしたものの、未だ一番痛めつけてやりたい人物には会えていない。

 柏葉亮樹。やはり戦いに恐れをなして逃げたのだろうかと、棗は呆然と思っていた。

「ナツメサマ」

 音の無いリズムで自分を呼んだのは、下僕である神の子の好桃だった。前を歩いていた少女だが、彼が急に立ち止まったのを不思議に思ったのだろう。

 何でもないと返せば、少女は何も言わずに再び前を歩き出した。

 あと一時間と四十分。ビュー・ガーデンがどれだけ粋がろうと、自分達の作戦を翻す事は出来ない。恐らく今は建物内に設置した爆弾を探し処理しようとでも考えているのだろうが、みすみすそんなことをさせるつもりもなかった。

「好桃、会議場に入るよ。中に潜り込んでいるビュー・ガーデンを排除する」

「はい」

 前を歩く少女が振り向き様に返事をした。

 と、ほぼ同時に東側の木々が激しく揺れる。

「……森嵜か」

 草木をこんなにも唸らせる事ができるのは、それと融合した神の子を従える森嵜しかいないだろう。

 しかし何にしたって、こんなに大っぴらに大地を轟かせては鈍感なナチュラル派にも気付かれかねない。

 スッと体の向きを変えると、棗は忌々しそうに言った。

「好桃、悪いがそっちへは一人で行ってくれ。僕もすぐに後を追うから。ああ、あと、もしも君が敵だと判断する輩と直面したら――迷わず殺せ」

「はい」

 簡潔に返事を返すなり好桃は駆け足で棗の元から離れていった。

 そんな少女の後ろ姿が見えなくなると、棗も自分の目指す先へと駆け出した。



「っ、かはっ」

 大木に勢いよく叩きつけられる。

 いつかの晩は飛び降りるクッション代わりになってくれていた“木”という存在が、今は単なる凶器に過ぎなくなっていた。

 亮樹が前のめりに倒れ込むと、禾夜は迷わず次の攻撃を仕掛けてくる。

 体が思うように動かなくなってきた亮樹は、ああ、死ぬ、とさえ思い始めていた。

 禾夜が最後の一手の如く、その手を振りかざした。

 その時。

「待て」

 冷たくかけられた一声に、禾夜の手は思わず強張った。

 声のした方向に、ゆっくりと顔を向ける。

「なっつん」

 その姿に声も出ない禾夜とは裏腹に、森嵜は目前の人間の名を呼んだ。

「その呼び方はやめろ」

 気に障ったのかどうなのか、森嵜には見向きもせず無感情にそう言えば、棗は彼の横を通り過ぎる。

 そのまま禾夜の元まで歩きつめると、捻るようにその腕を掴み上げた。

「いたっ!」

「! やめろよなっつん! 禾夜に……」

 手を出すなと続けたかった言葉だが、棗から向けられた冷たい視線に、森嵜は思わず息だけをのんだ。

 その間に亮樹はゆっくりと起き上がる。仲間割れか? とも思ったが、そんな言葉で片付けられるほど、場の雰囲気は優しくはなかった。

 棗の視線が一瞬、亮樹をとらえる。

「彼は僕が殺す。森嵜、君たちには下がっていてもらいたい」

「……何で?」

「彼が何者か、君たちは知らないんだろう? だったら言う必要の無い事だ」

「そんな……っ! 禾夜を力ずくで押さえつけて……傷つけて、ぼくたちに聞く権利は十分あるだろうっ? それにこいつはビュー・ガーデンだ! 作戦の邪魔になる奴は殺すって、それはあんたの指示じゃないか!」

 なつめが手荒く放り出した禾夜かやを庇いながら、森嵜もりさきは声を上げた。

 禾夜は異常なほど棗に怯えている。

 無理も無い。彼女は一度、うるさいということを理由に、棗に瀕死状態になるまで傷つけられた過去があるのだから。

「そう、だからこれも、僕からの命令しじだ」

「……っ」

「おい……待てよ」

 割って入って来た亮樹りょうじゅは、息も絶え絶えに意見する。右手を庇うようにゆっくりと立ち上がろうとするも、体に力が入らず再び座り込んだ。

「お前ら……変だ。同じ神の代行人、なのに……どうして命令だの、権利だのって言葉が……飛び交う? なんで、お前らは、対等な関係なんじゃないのかよ」

「死にぞこないが余計な口を挟まないで欲しいね。対等な関係? そんなものがこの世のどこに存在する? たとえ万民が平等だと諭されても規されても、その中には必ず上下関係が発生する。力とか、頭脳とか、所詮は勝ったものが上へと上るんだ」

 それは確かにそうかもしれない。だけどそうではないと誰かが、人の上に立つ存在である人間が証明していかなくては、どうして戦争が終わるだろう。

「……だけど……そうだ。あんた達はゴッド派だろう。神を一番に立てるあんた達が、どうしてそんな、科学的なことを言うんだよ!」

「ゴッド派が神を信じ、神の言葉どおりに行動していると信じるのは、所詮は平民どもだけだ。だってそうだろう? もしも僕たちが神の言葉通りに行動するなら、どうして神の子なんて創る? 一番神を信じていないのは、僕たち神の代行人さ」

 その言葉に、亮樹はただ愕然とする。神を信じるゴッド派。自然を尊重するナチュラル派。彼ら二つの派閥が共存してこそ、美しき国が創れると言うのに。

 そんな彼らが神なんて信じていないというなら、この戦争は単なるいがみ合いの喧嘩ではないか。原因の無い喧嘩を終わらせる方法なんて、時が経つのを待つ以外に何があるだろう。

「じゃあ……、あんたがゴッド派でいる、理由はなんだ」

「それは、気に入らないからさ、この世界が。人間は人間の言葉になどに耳を貸さない、だけど人間外の言葉は意外とあっさり受け入れるものだ。だから僕は神になる。そしてこの腐った世界を支配し作り変えるんだ」

 きっぱりと棗は言い切った。そんな彼の言葉に眉根を寄せて、亮樹は唸る。

 それは美しい信念だ。たった一つ望む世界を造り出すために必死になることは、素晴らしい事かもしれない。

 だけど。

「あんたの望む世界がどんなものかは知れない。だけど、俺は絶対、その意見には賛同できない」

「なぜそう言い切れる?」

「あんたは……槙那を殺し、砂乃を裏切ったから」

「まだそんな事を言っているのかい。僕の行いは何も間違っていない。麻生槙那はナチュラルの人間だから敵と見なし殺すのは当然だし、砂乃は所詮兵器として作られた少女だ。兵器として使えなくなったのなら、棄てるのは当然だろう? なぁ、森嵜」

 急に話を振られれば、森嵜は答えに詰まった。

 ナチュラルを敵とし殺すことは間違ってはいないだろう。しかし彼には、禾夜を兵器と見なし使えなくなれば棄てるなんてことは決してできない。

 無知で、無防備で、そして自由な、とても手に負えない少女だが、それが愛しくて仕方ないのだ。

「森嵜?」

 名を呼ばれれば、視線は逆に下へと下がった。庇っていたはずなのに、今は護られるように禾夜に手を握られている。

 まあ禾夜にとっては、助けを求めるために差し伸ばされた手に過ぎないのだろうが。それでも今は、それが森嵜の支えだった。

「……ぼく、なっつんが要らないものを要らないときっぱり判断するところ、すごく憧れる。なっつんの望む世界だって、きっとぼくは賛同すると思う。でも、神の子に対する扱いだけは、頷く事は出来ないんだ」

 俯きがちに言葉を紡いでいる森嵜に、棗の表情は見えていないのだろう。見えていたなら、この冷たい表情を前に、少年が彼に反発できたとは思えない。

「なっつんの神の子は……正直、ぼくにはどうでもいい。人のこととやかく言うほど、ぼくはお人好しな人間じゃないからね。でも禾夜は別だ。ぼくは禾夜を要らないなんてきっと一生思わないし、たとえ禾夜が戦えなくなったって、棄てたりなんてしない……ううん、できないから」

「モリサキ……」

 禾夜の歓喜の声に、森嵜は少女を見た。

 その表情にホッとできるのは、それだけ彼の中で、この少女が大切だからだ。

 しかし非道なこの男にそんな言葉は通じない。

「ふん、神の子、神の子。所詮は単なる兵器にそこまで感情移入してどうするんだ? やはり君たちは使えない。用無しになった兵器に愛着なんて持っていても、それは単なる判断力に乏しいバカな人間というだけの事だ」

「あんたはそうやって、簡単に人を傷つけるんだ。兵器? 確かに、砂乃もそこの女も、兵器として作られたのかも知れない。だけど、あいつらは人間だ! ちゃんと感情を持ってる……涙を流せる、人間なんだよ!」

 背後でそう叫んだ亮樹に、棗はゆっくりと振り返った。

 まるで子供の戯言でも聞いたかのように、厭味たらしく笑みを浮かべる。

「人間? よく言うよ。彼女達は家族にも棄てられた存在なんだよ。苗字はあっても、帰る家は無い。いくら神の子と呼ばれていても、所詮はただの融合体だ。まともな神経を持った親なら、そうやって我が子の体を弄らせようとするかな? 所詮彼女らは、誰からも見棄てられた存在なんだよ」

「違う!」

 亮樹は叫んだ。腹筋が痛む。恐らく先ほどの戦いの最中に打ったのだろう。

 ――誰からも見棄てられた存在。

 違う。そんな事は、絶対に違うのだ。愛されない人間なんていない。例え親に見放されたことが事実でも、ならば他の誰かが愛してやるべきなのだ。

 御が自分の神の子を想っているように。

 亮樹の目の前にいる、森嵜と呼ばれる少年が、禾夜という神の子を大切にしているように。

 亮樹が砂乃を、愛しく思っているように――。

 ごくりと唾を飲み、息を吐けば、まっすぐな目で棗を見た。

「俺は……砂乃を見棄てない。絶対に見棄てたりしない。砂乃も、緒叶もシゲちゃんも……。あんたが殺そうとするナチュラル派の人間だって、護ってみせる。それに――ゴッド派の人間も、誰一人殺させたりはしない。俺は、誰の敵にもならない。誰も……裏切らない、誰も見棄てない。――あんただって、命の危機に曝されたなら、きっと助ける」

 それは願望でも幻想でもなく、立派な決意だった。みんなが幸せに生きられる世界を創ること――それが亮樹の中で、人が人らしく生きられる世界の“信念”だった。

 一筋の光が亮樹を照らす。

 木葉の間から差し込んでくる光だが、棗にはそれを希望の光だと思うことはできなかった。

「ばかが……。そんなもの、所詮はおとぎ話じゃないか」

 誰もが幸せに生きられる世界。棗だってそれを望んだことくらいある。それでもそんな希望は夢だと思い知らされた過去があったから、彼は今こうして“新しい世界”へと思いを馳せているのだ。

「君の夢話は聞いてて反吐へどが出る。君は誰も護れないよ。何故って? 柏葉亮樹、君は今此処で死ぬからだ」

 亮樹を過去の自分だと思うのは、都合のいい解釈だろうか。それでも棗は、今此処で自分の手によって彼を殺さなければ、前に進めないような気がしてならなかった。

 腰に携える剣を引き抜けば、亮樹の方へと構える。

 亮樹は息をのむ。棗の剣の腕など知り得もしないが、今の体力状態で避けきれるとはとても思えない。

 ああ、もう、終わりだ。と、この時ばかりは本気で思った。

 剣が風を斬る音がする。振り上げたのだろう。固く目を閉じていた亮樹には予測することしかできなかった。

 ふわりと優しい風が頬を掠めた。それを合図とすれば、走馬灯のように、亮樹の中に大切な人々の言葉が浮かんで消える。

 ――次はそんな風になって帰ってこないでね。

 ごめん、緒叶。お守りまで作ってくれたのに、俺はあんたの期待に応えられそうにない。――いや、ここまで痛めつけられた時点で、もう約束は守れてないもかもしれないけどさ。

 ――戻って来いよ。

 ごめん、シゲちゃん。いつだって俺の無事を祈っていてくれたのに、俺はバカやってばっかりだった。

 ――話せるときがきたら話そう。

 ――例え何の情報も手に入れられなくたって、生きて帰って来い!

 ――検討を祈る!

 ――気をつけて。

 ――りょーじゅは、すなのにいてほしい?

 ――わたしたちは、別に知ったから話さなくたって、知らないから教えてくれなくたって、対等な関係なんだよ。

 ――また此処で会おう。

 ――じゃあ、ナツメサマとこのまま帰る。

 ――それは逃げだって、思えたから。

 ――だが、彼女らは人間として育っているんだ。兵器としての役目も持ってはいるが、人として育つ事も、決して忘れてはならないことだ。

 ――お父さんがどうとかじゃなく、お父さんの夢が、りょーじゅの夢なのね?

 ごめん。みんな。ごめん。

 ごめんな。砂乃。

 ――さすが親友。俺が会いたいっつったら、地の果てからでも、会いに来てくれそうだな。

 きっと今そっちへ行ったら、槙那は怒るだろうな。だけど、槙那、父さん、母さん。もうすぐ俺は、そっちへ行くよ――……。

 大体の清算はしたつもりだった。後悔はどうしようもなく残るけど、それも運命なら仕方ないのかもしれない。そこまで思っているのに、いつまで経っても棗の剣は振り下ろされない。不信に思った亮樹が目を開いた時、視線の先には、予想外の光景が広がっていた。

「砂……乃?」

 目の前で自分を庇うように手を広げる少女。彼女を目にするのは、実に何日ぶりだろうか。

「砂乃、どうしてお前が此処に」

 だが事実、それに一番驚愕しているのは棗だった。連れてきてなんていないはずの少女。なぜそれが此処にいるのか。

「俺だ」

 そう言って、砂乃が飛び出してきた木の陰から現れたのは御だった。棗の目がみるみるうちに丸くなっていく。

「俺が後を追わすよう、部下に頼んでおいていた。自動車型飛行機体しか残っていなかったから、ほぼ同時刻に屋敷を出ても、着くのは今になってしまったようだがな」

「……どうして」

「どうしてか、分からないか?」

「あたしが……りょーじゅのところに帰りたかったから。すなのは、りょーじゅが死ぬなんてイヤだったからです」

 臆することなく言葉を発す少女に、亮樹は息をのんだ。自分から棗の元に帰った砂乃。そんな彼女から、こんな言葉が聞けるなんて思いもしなかったのだ。

「はっ。僕に見棄てられれば、今度は大切にしてくれる者の元へ帰るのかい? 随分偉い存在なんだね、神のシスターは……。兵器のくせに!」

 パンっと、威勢のいい音が響いたかと思うと、音の先では棗の頬が赤くなっていた。

 殴ったのは御だ。

「もう、やめろ……! お前の個人的感情で、神の子を、人を傷つけてはならない」

 棗は顔を御に向ける事が出来なかった。いままでどんな言葉を吐いても自分についてきた御が、こうして棗に手を出すのは初めてだ。

 そんな事は知り得もない亮樹だが、森嵜までもが目を丸くして二人を見ているので、そうでは無いかと想像なら出来た。

 棗の中に恐怖が生まれる。自分の信じてきたものが、呆気なく崩れ去っていくような、そんな恐怖。

 ずっと感じてはいたのだ。亮樹に出会ったそのときから。

 亮樹は自分の望んだ未来を切り開こうとしていた。棗が望み、そして諦めた未来を。

 さらに、棗がどうしても愛せなかった神の子を愛した。

 神の子は、棗から父親を奪った憎き生き物で。彼はそんな少女達をどうしても愛せなかったのだ。

 棗の成し得なかった事を成し、成そうとしている亮樹は、やっと見つけた彼の信念を打ち砕く。

 だから棗は、この手で亮樹を殺そうと、その胸に誓っていたのだ。

「御」

 まだ顔を見るまでは出来なかったけれど、消え入りそうな声で、ゆっくりとその名を呼んだ。

「僕は……僕には、たとえ君が神の子を愛せと言ったって……無理なんだ」

 御はただ一人、棗の過去を知っている。少年だった棗に植え付けられた傷の重さも、何もかもを見てきた。

 何も出来なかった無力な自分。なのに棗は御を責めることなく、何処までも信頼を寄せてくれていた。まるで兄を慕うように。

「ああ、でも、だからって傷つけては駄目だ。たとえお前に彼女達が人だと思えなくても確かに生きている、人間ひとなんだ」

 ゆっくりと棗が辺りを見回せば、砂乃が、禾夜が、そして姫愛もが、まっすぐにこちらを見ていた。

 人間。ただの兵器として創られた少女達が、パートナーが存在しなくてはろくに戦えもしなかった少女達が、いつしか感情を持ち、人間と呼べる存在になっていたのか。

 ふと体位を変えれば、誰にも目を合わせることなく、棗は数歩前へ進んだ。

「……好桃を連れてくる。君たちは先にガウに戻ってくれ。古楽にも連絡は入れておく」

「なっつん?」

「戦う気が失せた。今日はもう帰ろう。――ああ別に、このままいたいならいてくれて構わないよ。ただし、迎えは来ないから帰りを自分で何とかできるならね」

 本当に気が失せたのか、棗の声はいつになくあっさりとしていた。

 その目は何の起因もなく元の色を取り戻す。

 いつかの冷たい瞳のままに、棗はふと振り返り、亮樹たちを見た。

「砂乃、お前はそこにいたいならそうすればいい。どの道僕にはもう新しいパートナーがいる」

 少女の瞳に光が宿った。それは失うものの変わりに大切なものを得た輝きだ。

 棗の事は本当に大好きだった。だけど砂乃が望む場所は、やはり亮樹の傍にある。

 棗が身を翻すと、御と森嵜が後に続いた。

「共に行く。古楽を連れて、皆で帰ろう」

「ぼくも。一人でガウにいたってつまらないしさ。禾夜、行くよ」

 まだ不満げに、禾夜も後ろを歩き出した。

 最後を歩く姫愛が、ふと砂乃を見ては優しく微笑む。それはまるで、相手の幸せを喜ぶようであり、はたまた別れを惜しむようでもあった。

 亮樹は息をつく。一気に気が抜けたように肩を落とした。しかし、まだ全てが片付いたわけではないと気がつけば、顔を上げてなけなしの力を振り絞る。

「待てよ!」

 砂乃に庇われていた身を乗り出して声を吐く。神の代行人が振り返れば、その拳を亮樹は握った。

「爆弾って何処に仕掛けた? どうせならその処理も――」

「そんなものは自分達で何とかしろ」

 間髪いれずに放たれる棗の言葉に、亮樹の顔がただ歪む。

「全て護る。誰も死なせない。それが君の言葉だろう。だったら君で何とかしろ。ナチュラルは敵だ。それを滅するという僕たちの信念は変わってはいない。この先は、君たちが君たちの信念で動くところだ」

 再び棗の体が亮樹に背を向けた。力強い足踏みで、その場を去っていく。

 歩み続ける彼らの背中を、亮樹は見えなくなるまで眺めていた。

 不意に、砂乃が亮樹に振り返る。

 その顔を見れば、少女は気の抜けたような表情で座り込んだ。いつもと同じように、亮樹が呆れた声をかけてくる。

「何やってんだよ」

「ホッとしたらこしが抜けちゃった……。あの、りょーじゅ。ナツメサマたち、行かせちゃってよかったの?」

 きょとんと、だけど不安げに見上げてくる砂乃が可笑しくて、亮樹はつい意地悪でもしたいような衝動に駆られる。

「何だよ? 戦いたかったの?」

「ちがうけど」

「いいんだよ。俺たちの目的は殺すとか捕まえるとか、そういうことじゃない。あいつらが退散してくれたなら、これで爆弾さえ見つければ、必要外の死者は出ない。なにも不都合なんてないんだから、いいんだ」

 それより、と呟くと、亮樹は砂乃の右手を取った。すっかり血は乾いているようだったが、けがをしていることは見て取れる。

 ポケットからハンカチを取り出すと、少女の掌を上に向けた。

「随分勇敢に戦ったあとかな? これ」

 それが悪い冗談だと本能で感じ取れば、砂乃は恨めしげに彼を睨んだ。

「ちがうよ」

 血で染まった中にも、いくらか光るものがある。少女の首元を見れば、それは彼女がずっと大切にしていたペンダントの、クリスタルの破片ではないかと想像する事が出来た。

「バカ……。何やってんだよ」

 丁寧に破片を取り除けば、そこにハンカチを巻いてくれる。

 そうする亮樹の手が思いのほか優しくて、砂乃の目から涙が一粒、また一粒と流れ出した。

「なっ、何泣いてんだよ?」

「すなっ、すなのは、これからもりょーじゅのそばにいて……いいの?」

 嗚咽をあげながらもそんな事を聞いてくる。その言葉に、亮樹ははたと思った。

「お前、さっきの聞いてた?」

 ――俺は砂乃を見棄てない。

 あの言葉を聞かなきゃ、砂乃はこんなこと言えなかったはずだ。少なくとも「亮樹の元へ帰ってもいい?」と、聞いてくるのが筋だろう。

 しどろもどろする青年の問いに、少女はコクコクと頷く。

 本人に聞かれたとなるとどこかこそばゆいところがあって、亮樹は自分の口に手をあてて、空を仰いだ。

 再び少女を見れば、自分の気持ちなんかお構いなしに涙を流している。本来強気で、意地っ張りなところのある砂乃が、こうして亮樹の前で泣くのは珍しいことだった。

「砂乃が……望むなら」

 ぽそりと呟かれた言葉が聞こえなくて、砂乃は亮樹を見返した。

 大好きな青年の、穏やかな笑顔がそこにある。

「帰って来いよ。みんな待ってる。……俺さ、今同じ問いをされたなら、今度ははっきりと言えるよ」

 涙で喉が焼けそうに痛かった。それでもどうしても聞きたくて、砂乃は一度息をのむ。

「……りょーじゅは、すなのに、そばにいてほしい?」

「――うん」

 大きく頷く亮樹に、その体に、砂乃は強く抱きついた。神の住処に帰ってからの長い時間、ずっとずっと考え続けていたことを彼に伝える。

「すなの……ずっと、さみしくて。ナツメサマがいてくれる、って、どんなに心で思っても、出てくるのはりょーじゅとかおかのとか……みんなのことばっかりで、ぇ……」

「うん」

「あ、いたかった……。会いたかったよぅ。りょーじゅ……!」

「うん……」

 何を言っても、亮樹は「うん」としか答えてくれなかったが、砂乃にはそれで十分だった。たった数日。それだけしか離れていなかったのに、砂乃には彼の声が懐かしくてたまらない。

 亮樹の胸に顔をうずめて泣きじゃくる少女の長い黒髪を、彼は愛おしそうに撫でた。

「おかえり」と、小さく呟く。

 じきに滋から通信が入り、爆弾が無事に処理されたことを知らされた。


 結局、これからもナチュラルとゴッドはいがみ合い、ビュー・ガーデンはただ中立を目指して駆け回って、何も変わりはしないのだろうか。

 ――全て護る。誰も死なせない。それが君の言葉だ。

 いや、違う。亮樹の言葉は確かに棗の心に焼きついている。

 ――例え君が言ったって、僕は神の子を人間だと思うことは出来ないんだ。

 ――それでも、傷つけては駄目だ。たとえお前が彼女達を人だと思えなくても、人間なんだ。

 ――戦う気が失せた。

 御の言葉を棗は少なからず受け入れている。

 世界は変わる。そのために、自分達は存在するのだ。世界を緑でいっぱいにし、ひとの心にはいつだって、疲れた身を預け休める事ができる神が存在する。

 亮樹たちは願う。日本国がそんな、“美しい楽園ビュー・ガーデン”になることを。


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