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4.願うは自由か幸せか

「爆破? 南の離れ島を?」

 その日は朝から、モニタールームに皆が集まっていた。

 亮樹と滋と緒叶。そして見慣れぬ男が一人。

 彼は獅堂雅しどうまさといい、同じビュー・ガーデンの、滋の知人だという。身なりもしっかりし、髪型もオールバックに整えられた獅堂が、とても滋と同い年には見えなかった――が、同い年らしい――。

「ああ。どうやらゴッド派の考えている領地拡大の方法は、南の離れ島を爆破させるというものらしいんだ」

 亮樹の投げかけた疑問に、答えてくれたのは獅堂だった。見た目よりも声音は優しいが、声質はやはり野太く低い。

「あそこにはナチュラル派の本部がある。やつら、まずはそこを潰す気か」

「ナチュラルは軍事集団だから、上の人間がいなくなれば、乱れると思ったんでしょうね」

 滋と緒叶も、ついで意見を述べる。

「でも、それがビュー・ガーデンに知られれば、面倒になることは考えなくたって分かるんじゃねえの? なんで奴らは、そんな面倒な橋をあえて渡ろうとするんだよ」

 さらりと述べた疑問だが、それはもっともな意見だ。ナチュラルでもゴッドでも、彼ら派閥にとって、ビュー・ガーデンほど厄介な集団はいないだろう。

「そうだ、だから、今回は神の代行人が直々にお目見えするとも噂が立っている」

「ああ、神の声が聞こえるってあの? それが何かやばいの?」

「そんなものは何の根拠もない話だ。あいつらの本質は、フューズを使うという事」

 獅堂を抜いた、三人の背筋が強張る。

 亮樹以外は、そんなこともちろん知っていたが、今の言葉に再び考えさせられたのだろう。

 砂乃は、この作戦に利用するために連れて帰られた? と。

 そんなことは信じたくないと、亮樹はごまかすように頭を振った。

 ゴッド派は味方ではない。だけど、味方でないから嫌な奴だらけだなんて、そんなことはもう、思いたくないのだ。

「……で? 何か阻止する作戦があるんだろ」

 振り絞って出した声だったためか、おのずと声量が少なくなる。

「ああ。何人かのビュー・ガーデンから協力が取れた。近々奴らが動く事は確かだ。お前たちにも協力してもらいたい」

「もちろんだ。出来る限りのことはするさ。此処でナチュラル派に滅ばれちゃ、いままでの苦労が水の泡だからな」

 そう答えたのは滋だが、亮樹も緒叶ももちろん同じ気持ちだ。

「ああ、そうだな。じゃあ早速だが――」



 ゴッド派の策略を阻止するための作戦を簡単に述べると、獅堂は上条家から去っていった。

 彼の姿が見えなくなるなり、亮樹も自分のバイク型飛行機体マイブへと向かう。一足先に、亮樹には仕事が与えられたのだ。

「気をつけてね」

 お互いに背を向けた状態で、緒叶が声をかけてくる。

「……」

「何、黙ってるの?」

「緒叶からそんなこと言われるとは思わなくてさ。あんた、俺を軽蔑してたんじゃないの?」

「亮樹くんて……、実は執念深いのね」

「冗談だよ」

 苦笑しながら振り返った先には、同じく少しだけ顔をこちらに向けた緒叶の姿があった。

「……気をつけて」

「サンキュ」

 一言返すなり、ヘルメットをかぶると、亮樹はマイブに乗ってエンジンをかけた。

 勢いよく吹かした機体は宙を走り、颯爽と緒叶の視界から消える。

 彼が向かうは――ゴッド派本部。最北、北の離れ島。


***


 コンコンと、咳込みながら砂乃は窓を開けた。

 此処は古城の最上階だ。島の端――海までもが見渡せた。

「すごーい……」

 海を渡ることはしばしばあっても、こうして全体を見渡す事はそうはない。その壮大な風景に、彼女は思わず感嘆の声を漏らした。

 棗と共にゴッド派に戻ってきてから、早一晩が過ぎた。

 入れられた部屋はかつての自分の部屋ではなく、最上階の、知る限り十年以上誰にも使われてはいない部屋。

 何となく息苦しいその部屋で、棗に渡された毛布をかぶって眠った。

 融合人間フューズであり、まして風である砂乃は、寒さなど感じないようにいくらでも調節できる。それでも咳が出るなんてことは、部屋の空気が悪い事しか理由にならなかった。

 もちろんそれは掃除を怠っていることが原因なのだが、そんなことに気が回るほど、砂乃は賢くはない。

 空気が悪い部屋だ、となんとなく思うくらいだ。

「ナツメサマ、今何してるんだろう」

 大好きな主人のことを考えて過ごす時間は、何とも幸せだ。窓辺に腕を置き、その間に顎を乗せた。

「このけしき……見せてあげたいな。みんなにも」

 一人で呟く声も、調子のいい弾んだ音に乗せられる。

「おかのやりょーじゅも、アジトにこもってばかりだから、きっと喜びそう。シゲさんは……よく一人でお出かけしてるから、もしかしたら見てるかな?」

 目を細めながら、視線をうつろにする。壮大な景色も、もう意味を持たない。

「りょーじゅ、何、してるかな。すなののこと、少しでも考えてくれてる……かな」

 寂しい。さみしい。サミシイ。

 棗が迎えに来てくれるのを、ずっと待っていた。今も、彼がいてくれるから、きっとすぐ亮樹達のことなんて考えなくなると思っていた。

 でも違う。今も、彼の、亮樹達のいない一瞬一瞬がさみしくてしょうがない。たとえ、自分が嫌われた存在だと気付いていても――……。

 長い年月誰にも開けられることのなかった扉は傷み、開けようとするたび悲痛な叫びをあげた。

 今回もまた、痛々しい軋みの音を響かせながら、その扉が開かれる。

 棗から、用があるときは自分から行くから、決して部屋から出てはいけないと言われていた。

 だから扉を開いた主は、必然的に棗だと感じる。

「ナツメサマっ!」

 自分が一番さみしさを感じている時に来てくれたのが嬉しくて、勢いよく扉へと振り返った。

 しかしそこにいたのは、棗よりももっと大きな男性。

 角刈りの黒髪、線のように細い目。唯一棗とかぶるのは、着ている衣装だけだ。

「オンサマ……」

 神の代行人の一人、御。それが彼の名前だ。

「まさか、こんな部屋に入れられていたとわな」

「こんな部屋? 海が見えてすてきです」

 屋敷内でも、他とないほどにみすぼらしい部屋だ。そこに入れられても笑っていられるのは、知識が乏しいからこそだろう。

「オンサマ? すなのに何か用ですか? それとも、ナツメサマの言伝ことづてとかですか?」

 それは訊ねたというよりは、願望がこもっているように聞こえた。

「いや……お前の姿がないものだから、どこに入れられているのかと探していた。かつてのお前の部屋は、もう――」

 言いかけて、口をつぐむ。出来るなら、この無知な少女を傷つけたくはなかった。

 しかし無情にも、少女はまっすぐにこちらに目を向けてくる。

砂乃すなのの……部屋?」

「いや、何でもない。腹は減ってないか? 此処は寒かったんじゃ……と、おまえは寒さを感じないようにできるのか」

「お腹も、空いてないです」

 笑顔でそう答えているのに、何故だか砂乃が悲しんでいるように見えた。

 不思議に思って目を凝らした時、その答えに気付く。

 どんなに砂乃が笑っても、その瞳だけは、決して笑ってはいなかった。此処はこの少女にとって、幸せと感じられる場所ではないのだ。それに気付いても、御はただ顔をしかめることしかできなかった。

「……棗が、好きか?」

 聞いてから、今少女にこれを尋ねるのは酷だと感じられた。罪悪感にかられて、彼は目を逸らす。

「? もちろんです」

 首を傾げながらも、砂乃ははっきりと答えた。

「ナツメサマこそ、すなのの一番に信じる方。ナツメサマこそ、一番にすなのを信じてくださる方です」

「本当にそうか?」

「え?」

 大きく開かれた瞳を、御はまっすぐに見た。これから起きる事は、どんな結果になろうとも、この少女を傷つけるだろう。

 だけど、その答えだけは、どうか自分で見つけてほしい。

「お前が信じる者は、信じてくれる者は、本当に棗だけか? いや、むしろ棗は、本当にお前の信じられる者なのか」

 自分を一心に見ていた砂乃の瞳が、不意にそがれて床を見つめた。

 浴衣のすそを、くしゃくしゃに握りこむ。

「え……ぁ、そんなこと……聞かれても」

 ざわざわと、砂乃の心に不安が走った。

 その様子に、御は一瞬声を失うが、なんとか搾り出したように言葉をつむぐ。

「お前は、本当に信じられる者を、見つけるべきだ」

 それ以上は何も言ってやれる気がしなかった。逃げるようだと自分でも思ったが、長居は無用と判断して部屋を出る。

 扉を閉める直前、「オンサマ……」と呟く砂乃の声を聞いたような気がした。


「本当に……信じられる、者?」

 それはナツメサマ。彼がそう言ってくれたし、自分でもそうだと思った。

 だけど、あたしがこの一年間、信じてきたものはなんだった?

 ナツメサマとの約束。

 ナツメサマとの思い出。

 ……そして、

 りょーじゅの言葉。

 おかののやさしさ。

 シゲさんの、ビュー・ガーデンの夢。

 ――お前が信じる者は、信じてくれる者は、本当に棗だけか?

「そんなの……」

 ――お前は、本当に信じられる者を、見つけるべきだ。

「……わかんないよ……!」

 どうしようもなくて、砂乃の声は、ただ震えた。


***


 大きな古城の周りは、樹林に囲まれていた。接近戦を得意とするナチュラル派の侵略を抑えるためだろうが、こちらとしては、バイク型飛行機体を隠すのにいい環境だ。

 侵入者を見つけ知らせる機械もいくつかは設置されているようだが、その死角に位置するのも難ないことだった。

 ヘルメットを外すなり、頭を左右に振る。

 汗が数滴、宙を舞った。

「ふう〜。あっちぃ……」

 アジトから此処までは、マイブで約六時間。出発は昼間だったのに、現在の辺りはすっかり色を無くしていた。

「さすがに此処まで来るのはきついな〜」

 膝に手をついて腰を屈めれば、亮樹は疲れた体を癒そうと、数回深呼吸をした。

 しばらくして落ち着いたところで、再びあの古城を見上げる。

 ――だけど、此処が神の住処――神の代行人のアジトか……!

 時計型通信機シーティーシーピーの時計部分は開くようになっていて、そこには耳栓のような小さな受話器が入っている。それを耳にはめ込むと、亮樹は通信を滋のパソコンにつないだ。

「ああ、シゲちゃん? 俺、亮樹だけど。うん、うん。今着いたよ」

 探知機に探られないよう辺りを見回しながら、ゆっくりと歩む。

「ああ」

 そうしながらも、一文一句聞き逃さないよう、滋の言葉にも耳を傾けた。

「あいつらには、なるべく会わないようにするよ――」



「ナツメサマ」

 機械的に発せられる声に、自室の壁に寄りかかっていた棗はふと扉へ目をやった。

 そこには肩にやっとついたくらいの短い髪、――前髪はそろってはいないものの――古い言い方をするならば“おかっぱ”の、砂乃よりももっと幼い少女が、何の感情もなくただこちらを見ている。

「ああ、好桃すももか。どうだい? 修業は上手くいっているかい」

「はい」

 答える声にやはり感情はなく、ただ淡々と、自分の言葉に頷く少女の肩に手を置くと、棗は言葉を続けた。

「お前は、僕が今まで出会ってきたシスターの中で一番神に近い。神に近い強さを持っている。期待しているよ」

「はい」

 そっと手を離し、数歩後ろに下がる。

「それじゃ、もう行ってもいいよ。御のところへ行けば、次すべき事は分かるはずだ。……ああ、それと、もう僕の部屋へは来ないように」

「……はい」

 消え入りそうな声で返事をし、好桃は棗の部屋からゆっくりと出た。

 好桃に感情など持たないよう指導させてきた棗には、あの言葉に少なからず少女が傷ついたなんて、夢にも思わないだろう。

 今棗と会話した、十歳前後の少女。彼女こそが、棗の現パートナーだった。

 好桃の足音が消えたのを確認すると、棗はソファに荒く腰掛け、大袈裟に足を組んだ。

 ――お前は一番神に近い力を持っている。

 ――たとえシスターといえど、生きているんだぞ。

 不意に思い出した自分や御の言葉に苛立てば、机に用意された淹れたての紅茶を肘で滑り飛ばした。激しい音を立ててカップが割れ、湯気をたてた液体が床に広がる。

「シスター? 馬鹿馬鹿ばかばかしい。何が神の子だ。所詮は兵器。僕たち人間に敵うわけでもないくせに。ちょっとした強さがあるくらいで粋がる連中がいるんじゃ、世界は変えられないな」

 神、神といくら嘆いたって、神様は人間に何もしてはくれない。だから神は信じるのではなく、誰かが成り代わって世界を支配していかなくてはならないのだ。

 棗が不機嫌の絶頂にいるその時、彼のシーティーシーピーが着信を知らせた。

「棗」

『俺だ』

 現れた映像に映る人物は、名乗られなくても十分棗の見知った人間だった。

「ああ、御か。どうした?」

 用があるから連絡してきたのだろうに、御はいくらか話すのを戸惑っていた。

 じきに、意を決したように声を発する。

『お前のシスター……名は……砂乃、だったか? あんな所に入れておくのはどうかと思うぞ』

「ふっ、馬鹿馬鹿しい。いらなくなったモノを、ゴミ箱に捨てるのは当然のことだろう?」

『棗』

「何、機嫌を損ねたかい? だけど、僕の言葉は間違っているかな?」

 のけぞるように腰を前へ出すと、背中を軽く反らした。

 不機嫌さに拍車がかかる。

「あんなモノは兵器だ。戦えなくなったモノは何の意味ももたない。それとも君は、戦えなくなったあの娘に同情して、傍に置いておけとでも言うのかい?」

『だが……』

「だがじゃないよ。僕はそんなのごめんだね。たとえ使えるモノだって……。生きている? 馬鹿馬鹿しい。部屋にも入れたくない。考えただけで……虫酸が走る!」

 グッと握りこんだ手に力がこもる。じわりと、掌が熱くなるのを感じた。

『……分かった』

 本当は全然分かってなんていなかったが、自分じゃ今のなつめの思いを断ち切る事など出来ないのは分かっていた。

 これ以上話していても、きっと埒があかない。

 納得したらしいおんの言葉に、少なからず満足すれば、棗は拳を解いた。長い爪の跡に血が滲んでいる。

『どうするつもだ、あの娘』

「次の作戦にでも使ってあげたらどうだい? せいぜい、捨て駒として」

『冷たい男だな』

「フン。優しくしてやる必要のないものに、優しくしてやるつもりなどないね」

『よく分かった』

 今度は意見を述べるのではなく、ただ棗の答えを聞き、御は通信を切った。


 *


 大きな屋敷の内部に入ると、後はただ目的の部屋を目指して亮樹は歩いた。

 柱の影から誰もいないことを確認して、再び前へ進む。

「にしても……この地図分かりづれぇ〜」

 滋が色々な情報を元に書いてくれた内部の地図。物の配置は間違っていないようだが、絵が下手すぎて分かりづらい事この上ない。

 文句言うな、という滋の声が受話器から聞こえたが、そこはあえて、聞こえないふりをした。

 地図と廊下を順々に見回し、少々焦りながらも歩み続ける。

 と、楽しげな笑い声が耳に届き、亮樹は慌てて死角となる壁に身を隠した。

 そっと覗いた先には、同じような背格好の二人の男女が歩いている。

 男の方は、十代半ばくらいの少年で、幼さを残した声と、らくだ色の、顔の輪郭に素直に流れる髪が特徴的だった。

 女もまた少女で、若苗色のボブカットが目を引いた。格好がTシャツに短パンというラフな服装のせいか、髪色だけが映えている。

 少年は格好から、神の代行人であることは何となく分かった。

 少年が小さくも響く声で、少女に話し掛ける。

「禾夜、待てって。あんまり好き勝手に歩き回るなよな。なっつんに見つかったら、またひどい目にあうぞ」

「カヤ、ナツメ嫌い」

 ふと楽しげな笑いを絶やすと、禾夜と呼ばれた少女はぷいとそっぽを向いた。焦ったように一度目を見開いたものの、辺りを見回して棗の影がないことを悟れば、少年は安堵の息と共に項垂れる。

「……その呼び方もやめろって。一応みんな様付けで呼んでんだからさぁ」

 そんな少年の言う言葉も、まるで聞こえなかったように禾夜は言葉を発した。

「カヤ、モリサキは好き」

「……森嵜様」

 不服げに言う森嵜を見れば、何故だか満足げに禾夜は笑った。

「様って感じじゃないもん、モリサキは。ねぇねぇねぇねぇね、次はいつ行くの?」

「次は、三日後だよ。三日後に、此処とは遠くはなれた、南の端の島へ行く。そこで、おおいに暴れられるよ」

「楽しみ。カヤ、人が死んでくところとか見るの、大好き! だって何か楽しいもん。こう……カヤの手で苦しんでいく人とか、すごいよね! カヤがやっているんだよ、信じられる?」

 人の死に様を見て興奮したように身振り手振りをしながら、禾夜は言葉を紡ぎ続けた。

 その様子に、森嵜はつい笑みをこぼす。

「くくっ。本当禾夜は好きだよなあ。でも……、おっちゃんが聞いたら怒りそうな話だけどさ」

 神の子を殺人ロボットのように人殺しに慣れさせること。御はそれを嫌い、よく自分達と口論になっている。

「オンは……、よく分かんないけど、カヤのこと睨むから好きじゃない。ナツメもオンも……なんか冷たいよね?」

「ああ……分かったから。もう寝るぞ禾夜。ほら、部屋帰れ」

 もうじきこの場を棗が通るのを、森嵜は知っていた。変な危害を加えられる前に、禾夜を此処から離れさせようと思う。

「うん! おやすみー、モリサキー」

 まるで無知な少女のように大きく手を振ると、禾夜は角の亮樹に気付かず通りを走り去った。

 同じく森嵜も、踵を返して今来た道を帰って行った。

 再び静寂の戻った廊下で、亮樹は一人怒りに震える。

 あの少女は融合人間だろうか。分からない、だけど、確かにあったのだ。

 左肩に、十字架に絡みつく逆さ龍の刻印が。

 ――カヤ、人が死んでくところとか見るの、大好き!

「……人が死ぬところ見るのが……好き?」

 グッと握り締めた拳を、力任せに壁へ叩きつける。

 それでも、痛いのは手より胸だった。

「バカじゃねえのか? 有り得ねえだろ! 苦しむ姿が好きだって? くさってる……。そんなの絶対ぜってぇくさってる!」

 思うがままに叫んだ。誰かに聞かれたら、とか、そんなことを考える余裕も、もはやない。

『亮樹、落ち着け』

 ふと耳に響いた滋の声に、自分の立場を思い出させられるが、一度爆発した憤りは、そう簡単に収まってはくれなかった。

「分かってるさ、だけど……。――くっそう!」

 人を殺す事に何の疑問も持たない。あんな集団に、亮樹の父は殺されたのだ。

 それに気付かされて、どうして落ち着いてなどいられるだろう。

『亮樹。目的を見失うな。見つかるぞ』

「……分かってる」

 事実、彼は分かってなどいなかった。頭が混乱して、もうまともに考える事もままならない。

「けど……だけど……!」

「“だけど”、なんだい」

 ハッと、亮樹は振り返った。そこには白色長髪の見覚えのある青年が、怪訝な目で立っている。彼は砂乃のパートナーの……そう確か、棗、だ。

 あまりに気狂いしすぎて、棗が近づいてきていた事に、亮樹は気付けなかったのだ。

 得意の冷たい口調で、棗は呆然としている亮樹を皮肉った。

「こんなところで何をしているのかなあ。柏葉亮樹君」

「……あんた、砂乃の……?」

 砂乃のパートナー。つい口をついて出そうになった言葉だが、言い切る前に、棗が全く桁違いな言葉を続ける。

「実におかしな話だ。何故、此処にビュー・ガーデンの君がいるのだろう。……それとも、ゴッド派に派閥変えかい?」

「ふざけんな! お前らがナチュラル派の……ナチュラル派の領域を侵そうとしてるから、だから……っ!」

『亮樹!』

 そこで亮樹はハッとする。頭に血が昇って事を冷静に考えられないからといって、これは立派な情報流出だ。

「なるほどね。結構簡単にビュー・ガーデンは、手の内を明かしてくれるんだ」

「っ」

 最悪だ。此処まで口が軽いと、もう怒りを通り越して焦りしか生まれない。

 と、棗が自分のシーティーシーピーを持ち上げると、彼にしか使えない手の動きで、通信をつないだ。

「好桃、すぐに僕のところにおいで。……敵だよ」

 最後の部分だけ言葉が冷たく響いたのは、その単語が、呼び出した人物を一番急がせるものだからなのだろう。

 だけど亮樹が気になったのは、言葉よりも、棗が呼び出した人物だった。

「すもも……?」

 亮樹を倒したいなら人間の手を染めるまでも無い。此処にいるのは神の代行人。代行人とは名ばかりだが、事実フューズを使う連中だということを亮樹は獅堂から聞いたばかりだ。フューズを出してくれば、生身の亮樹なんて、きっとひとたまりも無いだろう。

 ならば今呼んだ好桃がフューズと考えて妥当だが、亮樹が素直にそれを受け入れられないのは、棗のパートナーは砂乃のはずだからだった。

 そんな彼の思いに気付いたように、棗は厭味たらしい笑みを見せる。

「五分も経たないうちに彼女は来る。優秀だろう? 僕の“現”、パートナーは」

「“現”……? 砂乃はっ?」

 勢いをつけて一歩歩み出ると、答えを待つように肩で大きく息をした。

「あんな戦えないもの、何の意味もないね。他の神の代行人たちは、なぜかシスターに色々なことを教えるが、僕は戦う事以外をシスターに教える必要はないと思う。だからあんなふうに感情を持ってしまったモノは、何の役にも立たない、ただの娘……いや、あんな研究の成功物体なんて、人間とも言えないね。――単なる老廃物だ」

「っ、てめえ! 何のために……だったら、何のために砂乃を連れて帰ったんだ!」

 憤った亮樹は、思い切り棗の胸倉に掴みかかった。

 しかし青年は、壁に押しやられても、涼しい顔つきでこちらを見ている。

「決まっているだろう。次の作戦に、君たちの手の内にシスターがいるのは面倒だからさ」

 ぱっと亮樹りょうじゅの手を振り払い、なつめは乱れた襟元を整える。

「ビュー・ガーデンは砂乃すなのを失った以上、みなただの人間。もう怖いものは何もない。他に、質問はあるかい?」

「……っ、返せよ、だったら、砂乃を返せ!」

「返せ……? 砂乃が僕の元にいるのを望んだのにかい?」

 っ。亮樹は息をのんだ。

 砂乃の望む世界に、彼女を居させること。それが彼女と出会ったときからの、亮樹の一番の願いだった。

 だからこそ、彼は今悩む。傷付きずついてでも、少女を望む場所にいさせるべきか、例え望まない場所でも、少女を連れ帰るべきか……。

「君は砂乃を手放した。その君に、あの娘に戻って来いと言えるのかい」

「それは……」

『亮樹乗るな! これは罠だ! 時間をとらせる為の……フューズが来る前に、早く逃げろ!』

「だけど……」

『何を勘違いしているんだ。俺たちが望んでいるのは、お前がそこで、フューズたちに殺されることじゃない! たとえ……何の情報も手に入れられなくたって、生きて帰って来い! それが俺たちの、お前に望む第一のことだ!』

「シゲちゃん……」

 小さく、小さく亮樹は、その名前を呟いた。

 胸に暖かいものが込み上げる。失う分だけ得るものが、亮樹には必ずあった。

 だけどそんな思いも、この卑劣な神の代行人は簡単に打ち砕いてくれる。

「君の望みは分かっているよ。三日後、僕たちがナチュラル派の領域を侵略するため、南の本拠地を攻撃する。その詳細情報がほしいんだろ? だけどまあ、どこを探してもそんなものは出てこないよ。情報は全て、僕たちのシーティーシーピーの中に入っている」

 スッと、自分のシーティーシーピーを指差して、棗は得意げにそれだけ言った。

 しかしそれは、亮樹にとって驚愕きょうがくの事実だ。

「なっ? シーティーシーピーは、あくまで時計型の通信機だろ? そんな機能、あるなんて聞いたことないぞ!」

「ふん、君のような元ナチュラル派には分からないだろうけど、本来科学は、ナチュラル派よりゴッド派の方が進んでいる。このように機械をどんどん進化させることくらい、僕たちには造作も無い」

 確かに融合人間の実験を成功させたゴッド派なのだから、その理屈は正しいだろう。

 そのまま一度時計に目をやると、じきに好桃が来ると思いながら棗は再び口を開いた。

「だけど……君は実につまらない男だったよ。前に来たナチュラルのあの男の方が、もう少し楽しませてくれたね」

「あの男……?」

 亮樹が首をかしげる。突然降ってかかって来た話題に、全く着いていけない。

 そう思ったのは一瞬だった。

「分かっているだろう? 君にはもうとっくに情報が来たはずだ。……大切な友が死んだと」

 ドクンと亮樹の胸が鳴る。案外あっさりと、彼はその名を口にした。

「槙那……? お前、槙那のこと知ってたのかっ?」

 その疑問にも、棗は冷静に、そして残虐に答えてくれる。

「当たり前だろう。砂乃の傍にいた人間のことはみんな調べてある。君の父親のことも……上条緒叶のこともね」

 上条緒叶。棗がその名をわざわざ強調させて言ったのは、亮樹が今一番聞きたくない話が何なのか、全て予測がついていたからだ。

「緒叶……?」

 だけど亮樹は、緒叶の名に首を傾げることしかしなかった。これから棗が話す事実がどういうものなのか、瞬間的に気付く事が出来なかったのだ。

「上条緒叶。彼女の過去を、君は知らないんだったね」

 ――真実を話して傷を舐めあう関係になりたくないんだ、緒叶は。それはお前も同じだろう、亮樹?

 滋の言葉がよみがえる。

 ――緒叶にも悲しい事があるんだよ。

 ――気をつけて。

 悲しい事、それは、俺にもあるよ。緒叶に話せていないこと。シゲちゃんしか知らない事実。

 だから、これを聞いたら、俺も緒叶に話さなくちゃいけない。緒叶に、とか、そんなんじゃなくて。

 俺には出来ないんだ。この傷を掘り返す事が。

「やめろ……! 言うな……!」

「彼女はね、過去にゴッド派の男に嫁ぎ……」

「言うな!」

「その男との間に出来た子供を……」

「やめろっ!」

「神の子にしようとしたんだよ」

 亮樹は奥歯を噛み締める。

 聞いた。聞いてしまった。

 緒叶の傷を。

「まあ、実験は失敗。子供は死んでしまったけどね」

 さらりと言う青年に殺意が芽生えた。それでも、一心にその感情を押さえ込む。

「命を弄んでしまったと、あの女は思っているだろう。そんなことをしているゴッド派の元に嫁いだ自分が、きっと恥ずかしいだろう。……君は、上条緒叶を同情の目でしか見れなくなる。かわいそうだね彼女も。何も知らず自分の傍にいてくれる人間が欲しくて、君を傍に置いておいたのに」

 かわいそう、それが果たして、棗に言えたことだろうか。彼がこうして今緒叶の過去を話さなければ、亮樹がその真実を知るのは、少なくとももう少し後だった。

 いや、それが自然な流れで、亮樹は緒叶の口から、自分自身も過去を話せる様になったときに、お互いに腹を割って話したかったのだ。

 それを、この男が壊した。此処から無事に帰れても、亮樹は自分がビュー・ガーデンに派閥変えするまでの経緯いきさつを緒叶に話さなくてはいけない。だってそれが、自分達が“対等な関係”だということだ。

 棗の目的は、恐らく亮樹の心に不安を持たせることだ。そうやってこの先の戦いを有利にする。

 だけど、そんな手には乗るものか。

 緒叶が自分の傷を忘れるために利用したくて、俺の傍にいてだって?

 そんなことは、

「違う。俺たちが一緒にいたのは、そういう意味でじゃない!」

「だったら他に何がある? ビュー・ガーデン、アレは結局、どちらの派閥も信じられなくなった、弱い人間の集まりだろう」

「違う」

 自分の周りをゆっくりと往復する棗を、亮樹は睨んだ。

 もう亮樹が惑わされていないと分かったら、棗が次の作戦に移るまでは早かった。

 冷静な表情を崩さずに、立ち止まるなり亮樹を凝視する。

「その点、だから彼は強かったのかもしれないね。麻生槙那。最後まで実に勇敢に僕に立ち向かってくれた。まあ、簡単にひねり潰してやれてしまったけどね」

 その言葉は、落ち着きを取り戻していた亮樹の心を再び逆上させた。

 槙那、彼は誰より自分を分かってくれた、大切な……大切な友だったのだ。

 それを、こいつは、“こいつら”は、どこまで生命を軽んじたら気が済むのだろう。

「っ、てっめえ、ふざけんな……っ!」

 拳が空をきった。しかしそれが棗に当たることは叶わない。

 急に何かが飛び掛ってきたかと思えば、次の瞬間には腕に痺れるような痛みが走っていた。

「うっ!」

 食い込む牙は、とても人間のものとは思えない。しかし目の前――それもかなりの至近距離にいるそれは、明らかにまだ幼い少女だ。

 フーフーと唸りながら、威嚇するようにこちらを睨む。

 その金の瞳は、ただ自分を敵としか見なしてはいないようだった。

「ジャスト五分。よく来たね、好桃」

 性質タチが悪い。不意に亮樹がそう思ったのは、好桃と砂乃のイントネーションが似ていて聞き違えそうになったからだ。それが偶然かわざとなのかは、彼にはとても分からないが。

 しかし、この少女が好桃か。

 つまりこの少女も融合人間。それも砂乃と違い、風との融合なんてかわいいものではないだろう。

 ギリギリと、牙が腕に食い込む。

 少女の口元に亮樹の血が溢れた。

 かわいそうな少女。こうして人の血を見ても、心に傷の一つも植え付けられはしないのだ。

 これが彼女らの運命だと諭されても、亮樹は納得なんてしない。

 教えてやれば、少女達は心を持つことが出来るのだと、亮樹りょうじゅは知っているからだ。

 砂乃すなののように。

 だけど今目の前にいる少女は、そんな思いも一変させた。

 この眼、この威嚇のオーラは、まるで獣だ。他人は敵か味方でしかなく、今の亮樹は、少女にとって前者でしかない。

 それでもまだ人間の姿を留めているだけ、この少女は手加減してくれているのだろう。

 むろん、姿を変えるまででもない相手と見なしていることになるのだろうが。

 きっと本気を出したら、砂乃が風になるように、少女も融合したもう一方の姿になるはずだ。そしてそうなったら、本当に亮樹になす術はなくなることになる。

 好桃すももがもう一度、フウッと鼻を鳴らした。

 腕の痛みが一層増す。

 血を溢れさせすぎたせいだろうか。頭が朦朧もうろうとする。

 少女の目が時々四つに見えるときは、本当に頭を振りたくなった。

 少しでも動いたら余計に深く歯をたてられるだろうと考えられただけ、まだ思考回路が働いていたかと安心する。

「その腕、食いちぎってやってもいいよ」

「フーっ、フーっ」

 好桃が息をはく分だけ、深く牙が突き刺さる。このままでは、本当にその牙が腕を貫通するのではないかとも思った。

 左手をパーカのポケットに突っ込む。

 そっと隠されたナイフの柄を握った。

 しかしそれを振りかざすのはためらわれる。こいつはフューズ。だけど、

一、人間だ。

それを容易に傷つけるなんて、亮樹にできるはずがなかった。

「離せ……!」

 口で言って通じる相手ではない。

 しかし亮樹は、此処へ殺生をしに来ているわけでもないのだ。

 何度か舌打ちをすると、あえて好桃に見えるようにナイフをちらつかせた。

 ほんの一瞬好桃の視線がナイフを捕らえたのを見逃さなければ、シュッとそれで宙を切る。

 案の定、少女は素早くそれをけてくれた。

 タンッと、好桃の体が棗の前に着地する。

 息も絶え絶えな亮樹とは裏腹に、涼しげな表情で少女は立ち上がった。

「ナツメサマ、テキ、コロス」

 同じ調子で紡がれる三つの言葉。このまま此処にいては本当に殺されかねない。

「くっそ!」

 一口に叫ぶと、亮樹はその場を走り去った。

「追え、好桃」

 好桃とは違い、音はきちんとあるのに、単調で冷たく響く声で棗は命じる。

 それを聞いたと同時に、好桃の体が四つん這いになり、颯爽と廊下を駆けていった。

 亮樹は必死に走った。腕は血をたらたらと流し、鈍い痛みだけを残す。

『亮樹、落ち着け。ばれたからにはもう、内部の人間に全て情報が回っているはずだ。誰にも見つからずに逃げる事は不可能かもしれない。だけど焦るな、焦るんじゃないぞ!』

 滋の声が漸く耳に届いた。

 本当はあのフューズに噛まれた時も、意識が朦朧としている時も、彼はずっと声をかけ続けてくれていた気がするのだが。

「……分かってる。っ、でもごめん、シゲちゃん。緒叶にも……謝って……」

『謝るのは……無事に帰ってきたお前だ。俺が緒叶に謝ったって、何の意味もない』

「……俺は、バカだったね」

『大丈夫だ。帰って来い、亮樹……』

 優しい滋の声が、傷ついた亮樹の体を、心を、癒してくれる。

 彼等のために、生きて帰ろう。そう思えば、痛みをこらえて、亮樹は一心に走った。

 警報機が無残な音を響かせる。

「侵入者だ! 捕まえろー!」

 あっという間に下っ端の騎士達が集まってくる。

「あっちだ、見つけたぞ!」

 大きな声が傷に響いた。何人いるのか、騎士の足音が多すぎて、どこからかの特定もできない。

「追えー!」

 左からかと気付くと、パッと右に体を反転させる。長く続く廊下を何とか逃げ切りたかった亮樹だが、思いはむなしく、ぐいとその体をつかまれ、口を塞がれれば、無常にも暗い室内へと引き込まれてしまった。


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