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3.すれ違う心

 事の一部始終を、緒叶は見ていた。

 声は聞こえない。だけど、元ゴッド派の緒叶だからこそ分かる事がある。

 あれは、あの白髪の男は、神の代行人だ。

 そして彼に手を取られた砂乃は、しばし固まっているようにも見えたが、じきに一緒に歩き出した。

 砂乃をこのまま行かせてはいけない。

 直感とはいえそう感じた緒叶は、一目散に滋の部屋へと走る。

「シゲ! 砂乃ちゃんが――」

 不意に言葉を呑んでしまったのは、そこに亮樹の姿があったからだ。

「砂乃がどうした」

 見兼ねた滋が、話を進めようと言葉を発する。

 ハッと我に返ると、ひっくり返りそうな声を何とか発した。

「そう、外に、神の代行人が来て……多分砂乃ちゃんを連れ帰るためにきたんだわ!」

 言葉の最後に亮樹を見たのは無意識だ。だけど心のどこかで、伝えるべき本当の相手は亮樹だと気付いていたのは真実だった。

 彼は緒叶の心を悟ったのか、それとも自分の心に従ったのか、彼女の隣を通り過ぎたのかと思うと、滋の部屋から姿を消した。



 現代の交通機関は自動車とバイク型の飛行機体が主流だった。

 その中でも金銭的に裕福な者のみ、球体の超高速飛行機体も交通手段の一つとして使用できる。

 棗が使用しているのも、球体型飛行機体――ガウだ。

 数百メートルは高い位置から降ろされたエレベーターのような円錐に足を踏み入れると、砂乃は一年間過ごした家を見た。

 窓はついていないため、手すり以外は自分と上条家をはばむものは何もない。

 名残惜しくなどないと言ったら嘘になるけれど、今は亮樹に会いたくないという気持ちの方が強かった。

 棗と共にこのまま帰ったら、二度と亮樹達に会う事は無いかもしれない。

 寂しいと、やっぱり思ってしまうけど、きっと後悔はしないだろう。

 だって隣には、ずっと迎えに来てくれるのを待ち望んでいた棗がいる。

 彼の顔を見て安心したいと、砂乃が上条家から背を向けた時だった。

「砂乃!」

 呼ばれた名前と声にハッとする。

 それが亮樹だと分かって振り向く事ができなかったのは、動揺と罪悪感からだった。

 裏切り者だと思われていたのだから、大したダメージなど亮樹は受けていないかもしれないが、これは間違いなく、彼への裏切りだ。ビュー・ガーデンを捨てゴッド派へ戻るのだと思われても仕方ない。――いや、実際そうなのだ。

「砂乃、彼は?」

 目の前には、目の端で亮樹を見ながら訊ねてくる棗の姿。

 今の砂乃は、彼を見つめるだけで精一杯だった。

「……りょーじゅ。かしわば、りょーじゅです。この一年、ずっと砂乃と一緒にいてくれたの」

 そう、と返すと、棗の体が亮樹の方だけに集中した。

「初めまして柏葉亮樹君。僕の名前は棗。砂乃のパートナーであり、ゴッド派をまとめる神の代行人の一人です」

 初めましてという割には、“亮樹”の発音が砂乃と違って正しかった気もするが、生憎それに砂乃と亮樹が気付いた様子はなかった。

 棗の顔は逆光で、亮樹からはよく見えない。だけどその言葉遣いからは、明らかな侮蔑の感情が伝わってきた。

「砂乃、おまえ、ゴッドが嫌になって抜け出してきたんじゃなかったんだな」

 そんな棗の言葉は聞かなかったように、亮樹はただ砂乃へと問い掛けた。

 棗の表情が、明らかに不機嫌になる。

「……ちがう」

 砂乃が答えた。

「俺はそうだと思って、お前を俺たちのところに留まるように言った」

 だけどそうでないなら、もしも砂乃がゴッドへ戻りたがっていたのなら、亮樹にそれを阻む事はできなかった。

 同情で引き止めたんじゃ、槙那を早くに死なせてしまった麻生両親と変わらない。

 傷つけたくなくて、これからの作戦にも巻き込まないと決めたのだ。砂乃の意思でいたいと思う場所にいさせてやらなくては。

「……帰るのか?」

 亮樹は俯いていた。彼が何を考えているのか、砂乃には想像も――まして想像しようと思うことも考え――つかない。

「りょーじゅは、すなのにいてほしい?」

「俺に聞くな。砂乃の好きなようにすべきだよ」

 俺に聞くな。それは、亮樹の口から“裏切り者”なんて言わせるなということなのだろうか。

 彼は優しいから、今この瞬間も、自分に気を使ってくれているのだろうか。

 一度彼を疑ってしまった砂乃すなのは、もう否定的にしか事を考えられなくなっていた。

「じゃあ……このままナツメサマと帰る」

「そっか」

 話が終わったと判断したなつめは、エレベーターを動かした。二人の体がどんどんと上空のガウに引き込まれていく。

 もう後戻りはできない。

 それくらい高い位置まで上り詰めた時、庭には俯く亮樹りょうじゅと、いつの間に出てきたのか、こちらを見上げる緒叶おかのしげるの姿があった。

 砂乃の名前を呼んでくれているのが、ここからでも分かる。

 ――引き止めてくれたなら、わたしは命に変えても、あの子を実験材料になんてしなかった。

 ねえ、おかの。

 あたしはこの時、いっしゅんだけあなたの言葉を思い出したの。

 その理由に気付くまで、ずいぶんとかかってしまったけれど――……。



 砂乃の乗り込んだガウは、間もなく亮樹達の前から姿を消した。

 四時間で日本国を一周できる機体だ。その速度は言うまでもない。

「行ってしまったな」

 滋が亮樹の隣に立った。まるで寂しいとでも言いたげな口調だ。ぎゅっと奥歯を噛み締めれば、青黒く映る芝生を見つめながら、搾り出すように亮樹は言葉をはいた。

「あいつが望んだ居場所なんだから、これでいいんだよ」

「……お前がそう言うのなら、そうなんだろうな」

 くるりと体位を変えると、滋は母屋へと入っていった。彼の言葉に不思議そうに振り返ったとき、緒叶がじっとこちらを見ていたのに、亮樹は気付く。

 その目は確実に、自分を責めていた。痛む亮樹の胸にとって、それは火に油を注ぐも同じことだ。痛みを紛らわすには、自分も彼女を睨むように見返すしかなかった。

「何だよ?」

「行かせてしまってよかったの?」

 体の横に下ろされた手が、ゆるくだが拳を作っていた。彼女が何を自分に言わせたいのか、もちろん亮樹には想像もつかない。

「だって、砂乃が帰りたいって言ったんだ。止める事は、あいつを縛る事にしかならないだろ」

「……砂乃ちゃんのためだって言うのね」

「何が言いたい?」

「それは言い訳だって、思えたから」

 こんな時まで、何故だか緒叶の声は優しくて、それは逆に亮樹にダメージを与えた。きつく、咎めるように責めてくれた方が、何倍も楽だ。

「じゃああんたに分かるってのか? あいつの気持ちが、本当に望んでいたことが!」

 ギッと緒叶を見た亮樹の瞳がただ悲しく揺れるているようにしか、彼女には見えなかった。

 大切な親友を亡くし、一日も経たないうちに仲間を手放したのだ。今まで自分が必死に戦って、共存を目指してした行いが、まるで意味がなかったように思われてならない。

「そんなこと、だれにも分からない。だったらその言葉を信じるしか、……それしかないだろ!」

「……あなたはそうやって、いろんなことから逃げているのよ」

 言いにくそうにしながらも、緒叶は振り絞るように言った。

「は……?」

「話すのが嫌だから、何も聞かない。傷つくのが嫌だから、深く関わらない。そうやって逃げているから、砂乃ちゃんの望みも幸せも、分からないんじゃない!」

 それは図星だ。

 しかし亮樹は逆上したように、再び緒叶に背を向けた。

「たしかにわたしも逃げてた。だけど、みんなにとって一番いいことだけは、いつだって分かっていたつもりよ」

 緒叶の足音が、体位を変える。

「ゴッドがどういう場所か、あなたは全く知らないわけじゃない。だったら、砂乃ちゃんにとってそこが本当に幸せかも、あなたには分かるはずなのに……」

 空に浮かぶ月光の映し出す影が、亮樹一人になったのは、それから間もなくのことだった。


***


 ガウ内の液晶モニターには、夜空を瞬く星がきらめいていた。メディア番組を好まない棗が、機体外に設置されているカメラに切り替えているのだろう。砂乃はそれを、上質なソファに腰掛けただ呆然と眺めた。ガウ内部は、奥に小さな操作室があるだけで、あとは豪華なシャンデリアに照らされた応接間のような広い一室だ。人間三十人は優に入るだろう。ソファにテレビ、机には、棗の部下が用意してくれた紅茶が湯気を上げていた。天窓がいくつかあって、そこからも星も見られる。

「砂乃」

 声の主は、隣に腰掛けていた棗だ。

「はい」

「この一年、寂しい思いをさせたね。僕が迎えにくるまで、お前はずっと独りぽっちだったのだろう?」

「いいえ。りょーじゅがそばにいてくれました」

 ふと棗が視界に入れた砂乃は、今もなおモニターだけに目を向けていた。

 気に入らない。たかが兵器のくせに、一人前に感情などを持つなんて。

 ズタズタに、傷つけてやりたい。

 そう思うとあとは簡単だった。砂乃が傷つくだろう言葉が次々と脳裏に浮かんでくれる。

「亮樹が……か。彼はお前によくしてくれたかい?」

「そうだって言ったら、おこりますか?」

 せっかく迎えにきてくれた棗を怒らせたくないと、砂乃は不安げに彼を見た。

 しかし当の本人は、まるで気になどしなかったようににこりと笑う。

「いいや。迎えに行くのが思ったよりもかなり遅れていただろう? だから、お前が傷ついているんじゃないかととても心配していたんだ。たとえ一時いっときの夢でも、お前が幸せに暮らせたのなら良かったよ」

 幸せ。そうだったのだろうか。

 もちろん不幸ではなかったけれど、棗と離れ離れにさせられたことは、いつも砂乃の心に寂しさを残していた。

「みんな、やさしかったです」

「そうだろうね。お前からゴッド派の事情を聞きだすために」

「え?」

 自分の耳を疑った。大きな瞳が、さらに大きく開かれる。

「子供のお前を、彼等は利用していたんだよ。慣れさせればきっとゴッドについて話すだろうと。砂乃、まさかゴッド派のことを彼らに話しては……」

「いません。ナツメサマのことも、このペンダントのことも。だれ一人にも話しませんでした」

「そう。いい子だ」

 頭を撫でてくれるその手に、砂乃は思わず頬をゆるめた。

 何も話さなかったのは、それもいつか、彼に言われていたからだった気がする。

 ゴッド派は秘密が多いから、むやみやたらに他人にゴッドの話をしてはいけない、と。

「でも、みんなもすなのに、自分の話をしてはくれなかった」

 数日前に、緒叶が自分のことを話そうとしたこと、聞いてやればよかったと、砂乃は不意に後悔した。

 初めて、自分に過去を話そうとしてくれた人だったのに。

「それはそうだろう。いつ裏切るか分からない相手に、自分の秘密を明かせる人間がいるかい?」

「うらぎる……」

「お前がゴッドについて話さなかったのも、彼らを心から信用していなかったからだ」

 そうなのだろうか。砂乃は亮樹を、滋を緒叶を、確かに信用しているつもりでいたのに。

 棗の言葉が全て正しく聞こえるのは、彼こそ本当に、砂乃が信じている人物だからなのだろうか。

「お前は初めから、ゴッドの情報を集めるために、ビュー・ガーデンに利用されていただけなんだよ」

「でも……」

「まだ奴らを気にするのか。そんなに彼等はお前を可愛がるように振舞っていたのかい?」

 それはどうだろうか。亮樹はたびたび自分を置いていくし、滋はあまり関わる機会もなかった。緒叶だって、面と向かって話したのはあの一回だけだ。

 触れ合いなんて、ほとんどなかった。それでもなぜか、砂乃は彼等の愛情を感じていたのだ。

 黙りこむ砂乃に痺れをきらすと、棗は切り札を話し始めた。

「ならば教えてあげよう。お前は彼らに決して信じてなどもらえなかったと僕が言う、本当の理由を」

「……」

「言いたくはなかったよ。でも後で傷つくのはお前だ。彼――柏葉亮樹の父親はね、ゴッド派によって殺されているんだよ」

「え?」

 一瞬、また聞き違えたかと思ったが、さっきも聞き違えではなかったのだから、今回も本当なのだろうと考え直す。

 だけどそれが事実なら、亮樹が自分を信じてくれるわけがないのも納得できる。砂乃は一番神に近い、ゴッド派の人間なのだから。

 もちろん今の彼女に、棗が名前も知らなかったはずの亮樹の素性を知っていることに疑問をもつほどの、余裕も知能もない。

「彼の父親がナチュラル派の人間だったのは知っているかい?」

「いいえ」

「そうか。その中でも偉い方だったのだよ。柏葉家は。だから僕もよく覚えている。彼の父親はゴッド派とナチュラル派の共存を、ナチュラルにいながらも訴えていた。それはナチュラル派からも反感を買い、ゴッド派の神経を逆撫でした。“共存を図る身でナチュラルに属すのか”、と」

 亮樹の父親を知っていたというのは真っ赤な嘘だ。砂乃が関わっている人間の素性を、隅々まで調べ上げたに過ぎない。

「だからゴッド派に招き入れるふりをして、彼を殺したんだ。僕がこれを知ったのは、柏葉亮樹かしわばりょうじゅの父が死んだ後だったけれどね」

「ナツメサマは、何も知らなかったんですね」

「知っていれば止めていたさ。むやみに人を殺す事は、ゴッドの教えにそむくからな」

 不意に見せたなつめの表情が悲しく曇る。彼は誰よりも、神を愛し尽くしていると、砂乃すなのには思えた。

「分かっただろう? 柏葉亮樹はゴッド派を恨んでいる。お前が彼に信じてもらう事など、最初から、叶わなかったんだよ」

 ああ、そうか。砂乃は思った。

 亮樹が自分に黙って出かけるのも、自分の過去を話してはくれないのも、砂乃を信じていないからこその事だったのか。

 信じられるものは、砂乃が信じるものは、やはりゴッドで、棗なのだ。

「はい、ナツメサマ。ナツメサマは約束を守ってすなのをむかえに来てくれた。だったらすなのが信じるのは、やっぱりナツメサマだけです」

 まっすぐに彼の顔を見て、砂乃は言った。

 この一年は確かに楽しかった。ゴッド派にいるときは、パートナーは主で、主従関係だったけれど、ビュー・ガーデンで砂乃は、亮樹と言う対等な関係の人間に出会う事ができた。

 それは何より砂乃を成長させてくれる出来事になったけれど、すべては彼女からゴッドの情報を聞き出すための、亮樹の作戦に過ぎなかったのだ。

 大丈夫。すなのにはもう、ナツメサマがいる。だれよりも信頼できるナツメサマが――……。


***


「“なっつん”、もうすぐ着くんじゃない?」

 タイル張りの華やかなホールに、三人の男女が集まっていた。

 壁には瑪瑙めのうが埋め込まれ、天井のシャンデリアの光によってよく映える。

 声を発した男――姿かたちから、十代中ごろだろう少年は、三人掛けソファを一人占めして横になっている。

「また棗の逆鱗げきりんに触れるぞ、森嵜もりさき

 そう言ったのは御だった。腕を組んで、森嵜の転がるソファの背もたれに後ろから寄りかかっている。

「いいじゃん、なっつんてばいっつも仏頂面の怒り顔だからさ、ニックネームでもつけて印象よくしてやったほうがいいって」

「それはわたしも思いますね。棗さんはもう少し、愛想を身につけるべきかと」

 と、古楽こぐらが森嵜に便乗した。

 古楽は他の皆と同じく古代ヨーロッパの騎士のような格好をしているものの、ふわふわと流れるような長い金髪と、その美しい容姿から、女性である事は明らかだった。小さな窓から、壮大な景色を眺めている。

「古楽ちゃんてば、なかなか分かるじゃん♪おっちゃんは分からず屋だから、ぼくとしては嬉しいかな」

「そうですか。でも、古楽“ちゃん”はやめてくださいね」

 極上の笑みで振り返った古楽が言う。

 ソファに横になっていた森嵜には背もたれが死角になって顔は見えなかったものの、言葉の端々から、そのおぞましい感情は読取れた。

「俺もおっちゃんはやめてほしいんだが……」

「何だよみんな! ぼくがせっかく考えたニックネームなのにさ。だったら古楽ちゃんは“こぐらん”で、おっちゃんは“御ちゃん”にするぜ?」

「じゃあ森嵜は“もっくん”ですね」

 膨れ面でうなだれる森嵜に、仕返しの如く付けられたニックネームだが、その反応は、古楽が望んだものではなかった。

「いいねー、もっくん! なんか一気に親しみわいた感じ?」

 想像外の森嵜の言葉に、古楽は愕然がくぜんとする。諦めたように再び外を眺めた。

「棗さん、もうそろそろでしょうか」

 ここにいる三人と、棗を含めて、神の代行人は完成する。今彼等は、集大成になりつつある作戦の運びを、棗に求めていた。

 四人は同等の関係だが、その中でも皆をまとめてくれるのが棗だ。

「なっつんて、昔パートナー組んでたシスターを迎えに行ったんでしょ? そんなお優しい方だったんだ?」

 明らかに皮肉を込めて、森嵜は言った。ちらりと横目で、御が彼を見る。

「昔なんて程じゃない。たった一年前まで、だ。……所詮兵器だと、あいつは言っていたが」

「だろうね。なっつんのそういうとこ、ぼく好きなんだよね」

「森嵜も、シスターは所詮兵器だと言うの?」

 古楽が割り入って訊ねると、森嵜は悪びれもなく答えた。

「兵器は兵器、でしょ。まあ、禾夜かやにそんな気持ちを抱いたことはないけど」

 それを聞いた途端、御は再び顔を前に向けた。

 兵器は、兵器。

 神の子をモノと思うことができない御には気持ちよくない言い回しだが、せめて自分のパートナーだけでも人と見ることが出来るなら、森嵜は棗よりいくらかマシだった。

 そうこうしているうちに、棗が帰ってきたと、三人のうちに連絡が入る。

 彼等の作戦が、刻一刻と決行に近づいていた。



 城に戻った砂乃は、一旦棗の部屋へと入れられる。

 自分が彼と別れた一年前と、その雰囲気は変わらなかった。

「僕はこれから用事があるんだ。お前は此処で待っていてくれな」

 それでも、砂乃が棗の部屋に入るのは珍しいことだ。かつて砂乃が自室として使っていた部屋もあるのだが、果たして今はどうなっていることか、彼女には想像もつかない。

「はい」

 笑顔で返した返事は彼に届いたのか、棗は颯爽さっそうとその場を去って行った。


***


 真っ白な空間に、亮樹は一人佇んでいた。

 一寸の狂いもないほど白い空間では、右も左も、前も後ろも、まして上も下も分からない。

 だけどそれが当たり前なのか、彼がその景色をおかしいと思っている様子はなかった。

 ふと、目の前だけが色を変える。

 それは色が変わったと言うよりは、巨大なスクリーンが現れたという方が正しかった。

 呆然とそれを眺める亮樹。そのスクリーンの中にも、姿かたちの同じ青年の姿が映る。

 ――ああ、俺だ。

 まるで一観客のように、彼はただ映写幕の中の自分を見ている。

 中の自分は、心なしか今より幼かった。辺りは雨で、視界がぼやける。

 その日亮樹は、連日の大雨で、家よりもう少し上にある土砂が崩れないか心配で、山道さんどうをひたすら歩いていた。

 風も強く傘は使い物にならない。仕方ないと、雨具を適当に羽織って山を目指す。その途中に、うずくまる小さな影を亮樹が見つけたのは、おそらく偶然だった。

 ――おい、どうした?

 声をかけたのは好奇心だ。こんな雨の中、うずくまっているなんて、頭がおかしいか具合が悪いのどちらかしかない。

 髪が長いから少女だろう。

 浴衣姿のそれは、もしかしてこの世のものでは無いのでは、とも亮樹に想像させた。

 しかし振り返った姿に、彼は愕然がくぜんとする。

 今にも泣きそうに震える瞳、この雨の中を歩いたのだろうと想像できるほどはだけた衣装――ではなく、胸元の一点に、亮樹の視線は集中した。

 十字架に絡みつく、逆さ龍の刻印タトゥー。それは神の僕として召喚された、神のシスターの証であり、禁忌を犯して楽園を追放された、堕児ロウチルドの証であり、融合人間フューズの証だ。

 ――あなた、だあれ?

 無防備な少女の姿は、ただ父を殺した仇の仲間としか、亮樹の瞳には映らない。

 ――此処で……何してる。

 明らかな憎悪を含んだ言い方だと、自分でも分かった。しかし目の前の少女は、怯えた様子もなく、ただ辺りを見回しては、僅かに首を振って呟く。

 ――わかんない。

 ――ゴッド派の人間がいるところじゃない。ここはナチュラル派の領域だぞ。

 ――あなたは……ナチュラルハ?

 ナチュラル派――その意味を、この少女は本当に理解しているのだろうか。軽く首を傾げるその様は、本当に無防備そのものだ。

 ――……一人か?

 ――そう。……うん、そう。

 ふと、少女の瞳が伏せられた。悲しい雰囲気が漂った、と亮樹が思う。

 あれは、同情だったのだろうか。スクリーンの中の自分が、出会った少女に羽織っていただけの雨具をかけてやっている。その映像を見ながら、亮樹はただただ冷静に考えていた。

 どうして俺は、あの少女を助けようとしているのだろう。あれは、父さんを殺した人間の仲間。こうして考えれば、ただの敵なのだ。

 名前も知らない少女。だけどどこか懐かしい、そんな気がする。

「あいつは……誰だった?」

 俺は彼女に同情したのだろうか。一人きりだと言った少女が、両親に先立たれた自分と重なったのだろうか。

 そうだったのかもしれない。――初めは。

 だけど関わりを持って接していくうちに、それとは違う感情が芽生えていたと、そう思えた。

 まるで、小さな子供が母親に甘えように自分の後をついて回ってくる少女が、うとましく感じながらも可愛かわいかったのだ。

 ――うちに来いよ。みんな歓迎してくれるから。お前、名前は?

 スクリーンの中の亮樹りょうじゅが少女に問い掛ける。小さく答えられた声は、雨の音に掻き消されて、こちらの亮樹にはよく聞こえなかった。

 同時に、真っ白だった世界がぼやけ、亮樹は視界を失った。


 聞こえなかった声。だけど現実へと引き戻されていく間に、記憶は戻り、少女の名前も頭に浮かぶようになっていた。

 そう、あの子の名前は――

砂乃すなの……」

 次の世界は薄暗く、濃い灰色が視界を占めた。

 だけど今回はわかる。ここは自分の部屋で、目に映るのは閉められたブラインドから漏れる薄明かりをまとった天井。

 今までいた世界は、夢だ。

 その証拠に、ゆっくりと体を起こせば、見慣れた自分の部屋が視界に入る。

 暗がりで色はないものの、ベッドの左側に置かれたデスク、目の前にあるジーンズ地の小さなソファは、間違いなく亮樹の部屋だった。

 砂乃と出会ったときの――というか、過去夢を見ること自体初めてだ。

 ――りょーじゅは、すなのにいてほしい?

 切なそうにこちらを見る様は、まるで止めてほしいようだった。

 でも、亮樹はそれを拒絶したのだ。

 もし自分が砂乃なら……ビュー・ガーデンに残ることを選んだだろう。だけど彼は砂乃ではない。柏葉亮樹なのだ。亮樹に砂乃の気持ちは分からない。彼女の言葉しか、彼女の気持ちを知るのに信頼できるものはなかった。

 だけど……本心は……。

 ――すなのにいてほしい?

「……うん」

 言えるわけなど、なかった。

 彼女が自分で、自分の意思で決めた言葉でなくては、自分は頷いてはいけない。

 それが、彼女を自由にするという事だ。

 額に手を当て、彼はそのままこうべを垂れた。


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