第22話 南方戦線終結
『・・・。どう言うことや・・?』
『おい、どうした・・?、今更・・、組長を放棄するのかっ!!』
『そうじゃっ!。この場におよんで・・、弱腰になったんかっ!。組長!、あんたらしくないでぇっ!!』
『次郎・・、何でやねん!!。言うとる意味が判らへんてっ!』
山下でさえも、身を乗り出して次郎に言い寄った。
小さく溜息にも似た吐息をこぼしながら、次に、しゃんと背筋を正して、次郎が釈明の弁を吐いた。
『こんな段階で言うことではなかったのは、重々判ってた・・。皆から組長って呼ばれ始めた頃から、自分なりに考えてはいたんだ・・。何て言うんだろうな・・。そう、他人行儀に聴こえて仕方ないんだ、どうしてもね・・。そもそも俺の性分には合わないや・・。だから降りようと決めた。ここに来てさ、上も下もないじゃないか・・。朽ち果てるまで、仲間でいたいんだ。だから、今からは兄弟分でいいだろ?、ここに居る皆が、兄弟でいいじゃないかっ!!』
淡々と答えているはずの次郎の口元からは、、強がりを背負い切れない、悲しみを含んだ憂いが漂っていた。
余りに突然の次郎の言葉に、戸惑っていた連中を察してか、天野が調子を合わせて繰り出した。
『兄弟か、うん、それも悪くはないよのぉ・・。じゃけど、極道な弟分たちを、よくぞここまで面倒見てくれた次郎兄きは・・、さすが大したもんじゃ・・!』
天野の言葉に、全員が言葉を控えていた。しんみりと、誰もが互いの顔を見つめ合っていた。
全員の様子を確かめ終わったのか、間をおいてから、改めた口調で次郎が話を続けた。
『俺たちに残された道は、ジャングルで絶命することでは無い・・。己の足元に結ばれた、“い組”という、尊き運命の糸を共有することでしか、俺たちの道は決して開くことは出来ないんだ・・』
次郎の投げ掛けたその言葉は、決して生き残る術を語った訳ではない。ましてや、死に場所を選ぶ事を示唆したものでもない。
『この二年間、俺をかばってくれたことに感謝する・・。俺の、無責任な言葉で傷付いた者、じれったく、指揮の執れなかった俺を気遣ってくれた者。淋しさに堪えかねていた心を、癒してくれた者・・。今日まで・・、ありがとうと、言いたい。
しかし、残念ながら・・、六名もの尊い命を、俺は救うことが出来なかった・・。それだけではない・・。今、俺たちの目の前で、生死を彷徨い続けている仲間を。俺はどうすることも出来ずに、こうして、のうのうと、生きているんだ・・。明日かも知れない、やがて散るであろう我が命を・・。せめて、彼らに捧げたいとも・・思う・・。いいかっ・・!、無駄なあがきだろうと、勇気ある突撃であろうと、目の前で苦しむ兄弟がいたとしたなら、決して見捨てないでくれっ!。同じ、“い組”の仲間として、共に散る覚悟で、その糸を、どうかその時は・・、手繰り寄せて欲しいんだっ!!・・』
いつもは激しさを押し隠していたはずの、次郎の渾身とも思える魂の雄叫びが、涙ほとばしる勢いとともに、皆の心に突き刺さっていた。
『くくく・・っ・・!』
全員が決して忘れてはいなかった。あの時、次郎が放った二発の銃弾は、まぎれもなく、まだ息を欠いていない矢野下の命を奪ったのだ。
それ以来、どうしようもなく背信の日々を、今日までずっと、心に潜めていたに違いない。
流す涙は見え無くとも、毎夜、次郎の心はすすり泣かずにはいられなかった。
次郎の、おそらくは最期になるであろう言葉の中には、皆に託したひとつひとつの思いが凝縮されていた。噛み砕かれたその言葉と、烈々たる思いは、次郎の指揮官としての威厳が込められていた。
『くぅぅ・・・っ!』
『組長・・っ・!、うぅぅ・・っ・・』
泣いていた。皆、其々の想いを馳せながら、男ながらに泣き伏せていた。
別離れの儀式さながらの男たちの涙は、今夜、少し欠けた月灯りの下で、哀しくも照らされていた。
南北からの挟撃を受けた日本軍第三十師団主力は、六月二日に東部のアグサン方面への転進を決断。持久戦を企てた。しかし、移動途中で多数の餓死者、病死者を生じていたのだ。
昭和二十年七月。ミンダナオ島のアポ山頂に籠城を構えた一部の日本軍の抵抗は、既に壊滅的な状況であったと報告された。
“い組”の、その後の消息については、詳細が途切れたままであった。
洞窟に残った、天野、山下、矢口以下六名の重症者に襲い掛かった悲劇は、天野竜太郎の独断上で幕を閉じた。
一人、洞窟を抜けだした天野は、敵兵の注意を引くようにその大きな身体を投げ出した。
暫くは逃げ惑う天野の姿を追尾する、複数の米比兵に取り囲まれたその時だった。にんまりと得意げに腕を組んだ天野は、穏やかな表情を見せた後、豪快に高笑いを響かせた。
次の瞬間、容赦ない数多の銃弾が、天野の身体をめがけ炸裂した。
天野の最期の立ち姿は、まるで仁王像の如く威厳を放っていたと聞く。
天野竜太郎。享年二十七歳の、いかにも見事な散り際であった。
一方、早坂次郎率いる、“い組”の残党を待ち受けていたものは。
連合軍の放つ爆撃音の中、一歩も退く事無く、勇敢に突撃が開始されたと、伝え聞いた。
ここ、ミンダナオの地で命を絶った戦死者は、約二千五百人。病死者二千百人。不明者五千六百人。生存者、約三千人であった。
洞窟に残されていた、山下と矢口は、かろうじて捕虜として捕獲されていた。
残念ながら、痛々しく横たわっていた六名の組員は、放置されたまま、絶命を余儀なくされたのだった。
その他の“い組”の消息については、誰も知る由が無かった。
ある者からは、次郎らしき男が、海辺をひたすら歩いていたと。或いは、山肌に姿を見せた黒髪の男が、次郎に似ていたとの怪奇談が飛び交ってはいたが、やがてそれも次第に風化されていった。
そして、終戦を迎えた昭和二十年八月十五日。ここ、ミンダナオ島では、戦争が終結したとの認識は著しく乏しく、一部の間では誤報であるとの吹聴に、事実は錯走していた。
捕虜として囚われた日本人の多くも、一向にその気配を見せてはいなかった。
しばらくは、敗北の事実を認められなかったのだろうか、混沌とした精神状態のまま、生き残ってしまった哀れな己の身を、悔やんで止まなかった。
そんな捕虜収容所の一角で、生気の抜けたつぶやきが重ねられていた。
『俺らだけ・・、生きとるって、ほんまにええことやろか・・?』
『・・・。おいには・・、解かりもさん・・。じゃっど、生きてみてこそ・・、解かるっつこが、あるじゃそんね・・』
そこには、聴き覚えのある二人の会話があった。そう、山下と矢口のつたない語らいが、光の当たらない薄暗い小屋の中で交わされていた。
『哲っちゃん・・。俺、正直な・・、生きてて良かったって、そない思うてんねん・・。ずるいやろ・・!、情けない男やろ・・』
半べそを掻きながら、山下が矢口の袖口を握りながら、自分の醜態を預けていた。
『・・・。山下ぁ・・、勢いで死ねるほど・・、おい達は、勇敢でなかったっちゅうことじゃ・・、それは、仕方なかよ』
山下の不憫な思いを庇うように、そっと言葉を添えた矢口だった。
『こん中でな、俺・・、恥は・・、かきとうないねや・・』
生きていてこその、次なる欲が、山下の本音を更に掻き出していた。
収容所の至る所で、多くの残党兵が、山下と同じ気持ちで恥を忍んでいたに違いない。
立派にお国の為に出征したからには、何故に生きて還れようか。もしも、このまま帰還することがあったのならば、その時は、臆病者の烙印さえ押されかねない。そんな思いを抱きながら、窮屈な毎日を送らざるを得なかったのだ。
南方戦線の犠牲者は、当初、日本軍の予側した以上の、莫大な数を出してしまった。行方不明者のその後の生存は定かではなかったが、終戦を知らされないままに山中に籠り、生活を続けていた日本人を見掛けた現地人の声も、珍しくはなかったと聞いた。




