第19話 ジャングルの中の恐怖
『頂上まで、あとどのくらいや・・?。ハァ、ハァ・・』
『心配するな。明け方までには着くけえ』
『時間は・・?、ハァ、ハァ・・、今・・、何時や・・竜ちゃん』
『ん・・。ああ、一時前じゃ』
『何時間歩かせたらええねん・・!。もう駄目や・・、ここで休もうや。なあ?』
『・・・。ここじゃ、下から丸見えだ・・。死に急ぎたいのなら、おまえ一人、ここで休んでろ・・』
次郎の冷たい言葉が、疲労している山下を突き放した。
『・・・。へっ・・、格好つけよってからに・・。ああ、そうするわ・・。組長さんのお言葉に甘えて、一人で休ませてもらいます・・』
『このバカがあ・・!。やめとけや・・』
暗闇の中。天野が、仕方なく山下を戒めていた。
『山下・・。死に急がなくても、もうすぐにやって来るさ・・。俺たちの番がな・・』
後ろを振り向くことなく、次郎がはっきりと告げた。それは、山下だけに送った言葉ではなかった。後ろに控えた全員に投げ掛けた、次郎の覚悟であった。
『そんな弱気で、ええんか・・?。次郎・・!』
『弱気・・?。竜さん、勘違いするなよな!。中途半端に死を選ぼうなんて言った覚えはない。俺は、敵を全滅させるまで、死なないよ。いや、死ねないんだ!』
『次郎・・・』
『急ごう!、弱音は後で訊く。だから、今は登るんだ!』
勝負の決め手は山の頂上にある。そう叫ぶ指揮官の決断が、唯一、生きて還る術を示唆していた。
雨音が辺りを包み始めた。スコールの前ぶれだった。次第に激しくなる雨を背中に、次郎の傍に寄った岸田が、おもむろに話しかけた。
『組長・・。いや!、次郎さん。あんたにも、怖いものはあるのか?』
見当はずれの問い掛けに、次郎が応えた。
『・・・、あるさ・・。怖いものばかりだ。情けないほどにな』
『覚えているか?、次郎さん。船の中でさ、俺の胸倉を掴んで、あんた言ったよな』
『ああ・・、言った』
『戦場では敵を選べないってさ・・。あんた、大勢の前に俺を晒したんだ』
『ああ、そうした』
『俺さ、正直、怖かった・・。あんたの本気の目が、怖かったんだ・・。色んな悪さなんてよ、飽きるほどやってきたけどさ。何て言うのかな・・、肉体よりも、心が死ぬことの方が、怖いんだってよ、そう思った。今まで、虚勢張って生きて来た俺にも、気付けることがあったんだ。あん時のあんたの言葉でな・・』
『そうか・・。俺の言葉でも、人の役に立てたんだな・・』
『あのさ・・、国に帰ってもよ、あんたのこと組長って呼んでもいいか?』
『・・・。そんなこと、帰って考えるさ・・。それまで待ってくれるか?、岸田』
『ああ・・、待つぜ・・。早坂組長!』
二人の会話を見届けたように、突然のスコールが、木々の葉を打ちつけた。
月の光を失った“い組”の行く先は、やがて暗闇と言う恐怖と直面するのであった。
人体の五感は、やがて麻痺を起し始めた。空腹と虚脱とが一体となって、有りもしない物体を連想させるのだ。
『おい・・、和木・・。あの木の影の向こうに・・。誰かおるとよ・・』
『どこなぁ・・、わしには見えんが・・。岡崎、お前の眼の錯覚じゃろうが?』
『いいや・・、確かにおる・・。こっちを見とるっちゃ!。間違いなか!、アメ公がおるぞっ。あ、あそこや、ほらっ!!』
“ダダダダダダダダダダダッッッ!!”ダダダダッッッ!、ダダダダダダダッッッ!!
『岡崎っ!!』
暗闇の藪に向けて、岡崎の構えた銃が炸裂した。
『どうしたァ!!、誰だっっ!!』
“ダダダダッッ!!、ダダダダダダッッッ!!”
『やめえ!!、撃ち方やめェェ!!!っ』
ジャングル一帯に、天野の声が轟渡った。
『ハァ、ハァ・・、ハァァッ・・』
息を荒立てて、銃を構えたままの岡崎は、放心状態のまま全身を震わせていた。
その傍で動けずにいた和木は、いきなり訪れた恐怖に目を血走らせていた。
『なにしてんねやっ!、よこせやっっ!!』
岡崎から銃を奪った山下が、硬直しきった岡崎の顔を覗き込んだ。
『・・・。あかん、こいつ壊れとるで!。もう使いもんにならへんやん・・!』
『極度の緊張で、神経がやられたようじゃのう。もう戦力にはならんな・・。どうするや、次郎』
天野のその言葉に、次郎は即答した。
『戦力に戻すしか無いだろう。それが出来ないで、何が仲間だよ・・。竜さん、あんた本気で岡崎を捨てるのか?、そんなこと考えているのか?』
『えっ・・?』
天野に向けた次郎の言葉を、理不尽と解釈すればいいのだろうか。それとも、人間の本質を問うに値する、正論であったのだろうか。
『自分のことしか考えない奴は・・、この“い組”には、必要ないよ・・』
吐き捨てるような憤りを隠せない次郎の言葉に、天野は暫く、構えているしかなかった。
『和木・・、君には辛い思いをさせたね。御苦労さま』
『組長・・。わしは何にも出来んかった・・。奴の様子にも、気が付くことが出来んかったんじゃ・・。こんなに近くにおったのに・・』
『和木・・、自分を責めちゃいけない。ここは戦地なんだ、誰にも罪は科せられやしない。起こったことが全てなんだ・・』
和木の沈痛な胸の内を、精一杯にかばおうとした次郎に、噛みついた輩がいた。
『あんたのやったことも、正当化出来るよな・・?』
次郎に向けて言ったのは、群馬から来た柴田だった。他の者と違って、“い組”に違和感を持っていたのだろうか、このミンダナオに着いてからも、一匹狼的な存在であった。
『どう言う意味だ?』
『どう言う意味ってよ、あんた判ってるんだろ?』
不敵な笑みを浮かべて、柴田が次郎に言い寄った。
『矢野下を見殺しにしたくなかった・・。そう言いたいんだろ?、組長さんよ!。けっ!、格好つけやがってよ、そんなに英雄気取りしたいのか?』
『・・・・』
『ほら・・、何にも言えないか。そんなとこだろうさ、あんたの覚悟ってよ』
『・・・、次は、お前に任せるから・・。柴田、岡崎の傍で見張っててくれないか・・』
『なんで俺なんだよ!、おい、いい加減にしろよっ!』
柴田が次郎の襟を掴んだ、その時だ。
“ドスッッ!!”、柴田のみぞおちに次郎の右拳がめり込んだ。
『ゲホッ・・!、ウグッ・・』
前のめりに膝をついて、苦しそうに胃液を吐いている柴田に、次郎が言った。
『仲間に銃口を向けるのに、覚悟なんていらない・・。惨めな自分を、責めればいいだけさ・・。友を救えない・・、力の無い己を・・、悔やめばいいだけだっ!!』
暗闇に開かれた次郎の白い瞳から、一筋の涙が頬をつたわっていた。
そう言って次郎は、岡崎の肩を抱き寄せ歩き始めた。更に強く、そして更に逞しく、次郎の背中が大きく見えていた。
『柴田よ・・、お前には判らんじゃろうな。あの男の気持ちはのォ・・。優し過ぎるんじゃ、次郎は。組長なんて肩書は、わしらが勝手に決めたことじゃ・・。奴にとってはそんなこと関係ないんじゃと思う。けどの、あいつの責任感は半端じゃないんじゃ!。傍から見とってよう判るで・・。まあ、そう言う家庭に育ったんじゃろうな・・。想像できるわ・・、次郎のお袋さんの姿がよ』
『・・・、責任感って、曖昧なこと言うなよな・・。それとも、奴は特別なのか・・?』
『特別や・・。次郎は、誰の代わりにでも死ねる・・。そんな男や・・。その覚悟でここに来てんねや。矢野下のこともそうやで、あの時点でもう、次郎は生きて還ろうなんて考えてないはずや・・』
『そんな・・、馬鹿な・・』
『そんな馬鹿が、ほれ見てみいや、岡崎の肩を抱いて前を行きよるじゃろが、直に岡崎は正気を戻す。次郎の傍でのう・・』
『あん人は、すごかやでっす。おいも、認めもす』
『・・・・』
天野と山下、そして矢口の言葉が、柴田の脳裏に瞬時に組み込まれた。
『ちょ、ちょっと待ったァ!。組長!、俺が岡崎を・・!。岡崎を!!』
一目散に次郎を追う柴田の後ろ姿は、ようやく、組員らしい様を見せていた。
『ハア、ハア・・ッ、待てよ組長っ!。俺に任せたんだろ?、岡崎のこと・・』
『腹は大丈夫か・・?、一応、手加減はしておいたけど』
『あれでかよォ!、ホントか?』
『試してみるか?』
『いやっ!、いいよ・・。勘弁してくれよォ!』
『柴田・・。世話になるな、岡崎のこと頼んでいいか?』
『ああ・・、もちろん俺も、“い組”の組員だからな。四の五の言ってられんわ』
『そうか、頼もしいな』
『生意気言ったな・・。悪かったよ、早坂・・』
『いいんだ。気にすることないさ。けどな・・、決して馬鹿な真似はするんじゃないぞ。いいな』
『何だよ・・!。馬鹿な真似って・・』
『生きて還るんだ・・。柴田、生きてここを出るんだぞ!』
柴田の気性の荒さを知ってか、次郎が投げ掛けた言葉に、柴田も頷いていた。
『ああ・・。そんときには、あんたも一緒だろ?、“組長”』
『・・・。そう、ありたいよな』
柴田の問いに、心なしか覇気のない次郎の返事に、柴田も同じ気持ちで居たのだろう。互いに干渉を控えていた。スコールの激しい雨音に、二人のその言葉もすぐに掻き消されていった。
『まだまだ距離はある。全員、急ぐぞっ!』
そう言って次郎が、一歩、足を踏み出した。
降り続く激しいスコールの中を、山頂を目指してひたすら登って行く部隊全員の姿には、やて最期を向かえる日も、そう遠くはなかった。




