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蝉しぐれ  作者: GUN
18/23

第18話 組員の死


『そりゃ、全員覚悟の抗戦じゃったです。目は血走り、やつれた頬にへばりつく汗が、どうにも生きた心地がしもはんでした・・』


『矢口さん、お茶のお代わり如何ですか?』

『あっ、はい、遠慮なくいただきます』

春代の落ち着き払った様子に、矢口は改めて、早坂次郎という人物を垣間見た気がした。


『お母さんの横顔・・、次郎くんの面影が映っておりもす・・』

『あら、そう・・?。もっと美人だったらよかったかしら』

『そげなことなかです!。奇麗なお方です』

『この歳になっても、そんなこと言われると嬉しいものね・・。ありがとう』

『はあ・・、恐縮です』

『矢口さん、俺は?。次郎兄ちゃんに似てるのかな?』

『はい、四郎くんも、次郎くんによく似てもす。よか男ん子です』

『そうだよね!、ははは・・』

調子よく四郎が、次郎の自慢話に便乗していた。


『矢口さん、よかったら続き、聴かせてもらえないかしら?』

『はい!、お付き合いいただけもすか・・。熱帯のジャングルは、それは想像を絶する・・・』

矢口が、話を再開した。



『どうにも、この暑さは辛抱出来んで・・。それと、蚊じゃ、群がって攻撃してきよる』

『援軍は来てへんのかいな・・?。どう見ても、数で負けとるやんか!。クソッ!』

『隊を離れるんじゃないぞ!。いいな、縦の列を保つんだ。それと、無駄に弾を使わないように。山下、頼むぞ!』

『俺ばっかりに言うなて、哲ちゃんが一番心配やで・・』

『おいが、どげんしもした・・?』

『無駄話は止めじゃ!、静かに着いて来い。後の連中も見張っておけよ』

『はいはい・・』

『全員、気を抜くんじゃないぞ。いいな!』

次郎が慎重に、草をかき分けて前進を続けた。山頂を目指して一歩一歩、前を進むしか手立てはなかった。


『何時間歩けば、いいのじゃんそか?』

『矢口さん、まだ歩けるか?』

『次郎・・、ここで休んではどうじゃろう?。皆、えらく疲れてとるわい』

『そうだな・・、一服するか。全員無事か?』


『組長・・!、矢野下が・・、矢野下が!』

その時だった。後方の勝冶から、悲壮な声が届いた。

一目散に駆け下りた次郎が見たものは、どす黒くくすんだ顔の矢野下だった。


『矢野下!、大丈夫か?。おい!』

『組長・・、情けな・・いぜよ・・。漏らして・・しも・・うた。ハァ・・ハァ・・』

『おまえ、熱は・・!』

矢野下の額に手を当てた次郎は、情けなく首を横に振った。


『勝冶、いつからだ!、矢野下の体調の異変に、気が付かなかったのか?』

『でも・・、こいつ・・。大丈夫だって・・、黙っていてくれってさ・・。組長に迷惑が掛かるからって・・』

『馬鹿な・・。迷惑だって・・そんな』

『ただの水当たりだろうって・・、随分、我慢してたんだ・・』


『マラリア・・か・・?』

『ここで休もう、誰か水を!、ここへ持って来てくれ!』

『矢野下!、さあ、水だ・・』

『ハァ・・、ハァ・・。ありがたい・・ぜよ・・。四万・・十・・の水は・・、めっちゃ・・美味いん・・じゃ・・。姉ちゃん・・、あり・・がと・・』


『脳マラリアじゃな・・。意識障害を起こしておるんじゃ・・』

『竜さん・・、死ぬのか、矢野下・・』

『・・・。時間の・・、問題じゃろう・・』

天野の深い溜息が、矢野下の死を肯定した。


『おい、矢野下!。俺たち、生きて還るんだぞっ!。いいか、生きて、高知に還るんだぞっっ!!』

矢野下の身体を揺すりながら、次郎がうなだれた矢野下に言い聞かせた。


『姉・・ちゃん・・。眠い・・んじゃ・・、まだ・・、寝とって・・も・・、ええぞね・・』

『矢野下・・・』

『次郎、しばらくここに留まろうや、焦らんでええやろ!』

『今晩には、ここを出発する。朝が来れば、敵に囲まれる・・。それまで、体力を温存しないとな・・』

『他の者は、どうじゃ!。調子悪い者は手を挙げや!』

誰もが天野を凝視して、歯を食いしばった。体調の万全な者など居る筈がない。粗末な食糧と、過酷な労力に苛まれていたのだ。


けれど、早坂組長の唱える“全員帰還”の強い思いが、彼らを屈強な人間へと変えて行ったのだ。


『矢野下・・、故郷に帰って、何がしたいんだ?。そうだ!、美味い飯食べたいよな。そして、酒飲んでさ・・。高知って、飲ん兵衛ばかりだもんな・・』

『姉・・ちゃん・・、お母ちゃん・・の分までや・・、長生き・・せんとな・・。いかんぜよ・・』

山下が、次郎の手をまさぐりながら、微笑んでいた。故郷の姉を思いやっているのだ。

『くくく・・・っ』

皆の涙に咽ぶ声々が、辺りに浸み込んでいた。


それから数時間は経っただろうか、暗闇の中、出発の声が掛かった。頼りになるのは僅かな月明かりだけだった。

矢野下の容体はと言うと、次第に死相が見え始めていた。


『次郎・・、行くのんか・・?』

『ああ・・、時間だ』

『矢野下は、どうするんじゃ・・』

『組長!、俺たちでこいつを担いで行くから、先に行ってくれ!』

そう言って数人の組員が、名乗りを上げた。


『わいもそうするで!、このまま矢野下を見殺しには出来んよってな!』

『・・・。皆・・、ありがとう・・』

『次郎・・。そうするか・・』

帽子を深々と被り直した次郎が、勇ましく立ち上がった。


『全員、よく聞け!。組長としての、判断を告げる』

大きく深呼吸のあと、次郎が一人一人を見渡して、苦渋の選択を告げた。


『矢野下幸助は、ここに置いて行く!』

『なんでや!、次郎・・。それはあんまりやろう!』

『そうじゃ、見殺しかいな!。それはないで組長・・!』

『あんた・・、それでも人間や?』

『早坂―っ!、おんどれの考えには従えんど!、撤回しろや!』

次郎に向けて、罵声が飛び交った。それでも微動だにしない組長の瞳からは、迷いなど微塵も感じられなかった。


『俺は・・、全員が生きて還ろうと言った・・。誓った。一人でも途絶える者が出た時には、全員が散ろうとも考えた。それが、“い組”の、潔い運命だと思ったからだ。ここまで、脱落もなくよく辛抱してくれた・・。礼を言いたい・・』

『次郎、お前・・』

次郎の言葉に、山下が息を呑んだ。


『矢野下を、ここに残すことに反対であれば、我々全員の墓場として、ここに留まろう。全員が、ここで絶命するんだ。いいな?』

『そんな・・、無茶やでえ!、次郎!』

『中途半端に生き残ることが!、そんなに名誉なことなのか!。自分だけ生き残ることが、どんなに惨めかを・・・。お前たちは、一生・・、背負って行けるのか!』

『・・・・』

全身全霊を込めた、次郎の余りにも重すぎる言葉に、誰も反論など出来ようものか。

その言葉は、“い組”の、全員の命を預かり続けた次郎だからこそ、決断出来うる入魂の言葉だった。


『もうすぐ、敵兵がここを嗅ぎつけるだろう・・。皆、行くぞ』

『ああ・・、そうやな・・』

皆、後ろ髪を引かれる思いで、荷物を抱え上げた。それぞれが出発しようとした時だ。次郎が、矢野下の傍から離れようとはしなかった。


『・・・。次郎、お前が決めたことじゃ、覚悟を決めえや・・』

『先に行ってくれないか、竜さん・・』

『大丈夫か・・?、お前』

『ああ・・、大丈夫さ・・』

『ええか、お前に責任はないんじゃぞ・・。無茶はするな』

次郎を気遣ってか、そう言って天野は力無い群れを引き連れ、険しい登り道を進んで行った。数分歩んだ頃だろうか、思いがけず強い風が吹きつけた。その時だった。


“パンッ!、パンッッ!!”


乾いた三八式の銃声が、皆の耳に哀しく轟渡った。


『次郎くん・・、辛かやねえ・・』

『ううう・・、ううっ・・』

『ち・く・しょう・・・っ!』

『ヤノシタあぁ・・・』

堪え切れず、辺りの大木に拳を打ちつける者。狂気の如く絶叫を繰り返す者。そして、蹲ったまま、声を押し殺す者達。

各々の、悪夢の連鎖が折り重なっていた。見れば、周辺一帯が、修羅場に陥っていた。


皆、暫くは言葉を失っていた。やがて、皆の耳にかすかに聴こえて来たのは、歩みを止める事なく進み上がって来る、次郎の足音だった。真っ直ぐに皆の下へ、辿り着こうとしていた。


『次郎・・、お前・・』

すれ違いざまに、天野の右肩を強く握りしめた後、息さえ乱さずに次郎が、次の指揮を執った。


『急ぐぞ!、後ろを振り返ってる暇は、ないんだ!』


その背中には、悲しみを凌駕した、まるで炎が立ち上がっているかの如く、大きく揺らめいていた。


昭和二十年四月八日、午後九時十二分。矢野下幸助死亡。享年二十二歳。

右腕の竜の刺青と共に、天に舞い昇って行った。

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