第17話 いとしあの星
山下の吐き捨てるような言葉に、しばらくは沈黙が続いていた。
『次郎・・。お前の考えはよう判ったで。戦争を美化したわしの言葉は、結局、他人事じゃ。ここにおる皆のことを真剣に考えておらん証拠じゃ・・・。生きて戻ることを前提にしたお前の言葉は、決して戦争批判じゃない。人間としての当り前の考え方じゃ。
やっぱりお前が“組長”じゃ!。わしらを纏められるんは、早坂次郎しかおらん。ここにおる全員が、そう思っとるはずじゃ。
『竜さん・・・』
『そうじゃろうが、皆あ!。反対のある奴は遠慮のお言うてくれやあっ!』
『俺はかまへんよ。次郎やったら、頼り甲斐もあるしな・・』
『おいも、反対はありもはん!』
『他の者はどうじゃ?』
『俺も賛成だ。まあ、反対する奴がいたとしても、俺が許さないけどよ』
足りない小指を舐めながら、山崎勝一が鋭い眼差しを向けた。
『そうか、満場一致っちゅうわけじゃな。ほいじゃあ、決まりじゃ。我ら”い組”の頭は、早坂次郎じゃあ!!。ええの、お前ら、何があっても組長を守るんで!』
『おおっっ!!』
天野の激烈な雄叫びに、全員が高揚していた。早坂次郎を頭とした”い組”は、更に団結を固くしたのであった。
今夜、ミンダナオの地に降り注ぐ月明かりは、南方戦線の緊張感を、そっと忘れさせてくれていた。
その夜、寝付けない次郎は一人、月夜の下で散歩に興じていた。東京で見る夜空を遥かに超える星群が、次郎の頭上で燦然と輝いていた。
『はあ・・。きれいだ・・』
思わず溜息を漏らしてしまうほどの神秘が、遠く彼方に散りばめられていた。
しばらく夜空を眺めていた次郎に、かすかに楽器らしき音色が耳を撫でた。
『・・・。ハーモニカ・・?』
その音の奏でる方向に進んで行く次郎は、何故か懐かしさを覚えていた。
『誰・・?』
次郎の気配に気づいたのか、ハーモニカは音を萎めた。
『ごめん・・。続けていいんだよ』
『なんじゃ、組長か・・。誰か思うたよ・・』
ハーモニカの持ち主は、服部一二三だった。天野と同郷の広島弁が、とても愛おしく聴こえた。
『もっと吹いてよ、聴きたいんだ』
『人様に聴かせる腕はもっとらんけえのお・・。恥ずかしいわあ!』
『さっきの曲、もう一度聴きたいな』
『ああ、渡辺はま子じゃろ。まさか組長・・、好きな女子が恋しいんか?』
『恋しいさ、すぐにでも会いに行きたいさ・・』
『ほうか・・。わしも恋しいわ、喧嘩判れじゃ踏ん切りがつかん、もう一度会って話をしたいんじゃ・・』
『なんだ、そう言うことか・・。よほど、大切な人だったんだね』
『顔はぶさいくなんじゃけど・・、あいつ意外にはおらんけえ・・』
そう言って、服部がハーモニカをくわえた。心なしか潤んだ目元は、愉しさを回想しているかのように、輝いて見えた。
“プパーー、プププパーー、プパププー・・・”
次郎の注文通りの、曲が流れ始めた。渡辺はま子の、“いとしあの星”であった。
その旋律に、しばらくは目を閉じて聴き入っていた次郎が、次第に声を出して唄い始めた。
“いとしあの星あの瞳、今日の占い何と出る・・。夢で見た見たいつかの夜・・、夢で託したその人は、骨も命もこの土地に・・、みんな埋めよと笑い顔・・”
服部が奏でるハーモニカの哀愁に、次郎は星空を仰ぎながら、溢れる涙を拭っていた。
『次郎さん、あんた、ええ人じゃねえ・・。あんたの惚れた女子が、羨ましいわ・・』
『可哀相にね、日本を離れることを告げられなかったんだ・・。だから、会って話がしたいんだよ・・・』
『わしも、会いたいんじゃ、ほんまに・・』
『服部さ、今夜のことは内緒にしておいてくれないか・・。いいね』
『当たり前じゃ!。誰にも言わんけえ。心配しなさんな、組長・・!』
満面の笑みで、服部が気を利かせて応えた。
しみじみと約束を誓った、次郎と服部の内密の夜は過ぎていった。
この日をきっかけに、二人の隠密行動が頻繁に繰り返された。
服部のハーモニカの旋律に、合わせて次郎が唄う。それがいつの日か、“い組”の全員を巻き込んでの大合唱となって行くのであった。
それは時には、米軍の捕虜を交えての合唱団を形成する程までに、勢いを見せていた。
但し、少し調子外れの天野は、当人の弁明を他所に、いつも蚊帳の外の存在であった。
その愉しさも、いつまでも続きはしなかった。次第に戦局は、ここ南方の日本軍を危機に追い詰めて行くことになるのだ。。
昭和十八年二月には、日本軍のガダルカナル島からの撤退を余儀なくされた。
当初、ガダルカナル島に上陸した総兵力は、三万一千人を超えた。その内撤退出来た者は、一万六百人。戦闘による死者、五千人。残り約一万五千人は、蛾死と病死だったと推定された。
やがて、このミンダナオにも、戦火が及ぶ日が近づいていた。
『よう、組長さんよ!。敵は接近しておらんかな?』
『ああ、平泉兵長。現在、異常は確認されておりません!』
『そうか、御苦労。しかし、“い組”の連中はよく働くのォ・・。統率が取れとる証拠や。早坂組長の力量やの』
『そんな力なんてありませんよ・・。皆のお陰で、やっと、ここまでやって来れたんです。あの・・、平泉兵長・・。今更ですけど、あの時は申し訳ありませんでした。生意気言って・・』
『ああ?、なんや、あの件かいな。もう、どうでもええよ。気にするな。お前の主張が正しかったのや、俺の方が恥ずかしいくらいや』
随分前に、次郎と山下に猿真似を強要した、平泉兵長が、次郎に詫びを入れた。
『ガダルカナルが堕ちた。ここも、いずれ惨い事態を覚悟せにゃならん時が来るぞ』
『どうなるのでしょう?、我が軍は・・』
『・・・。早坂、お前、結婚はしとるのか?』
『いいえ、まだ・・』
『そうか・・、家族は、皆元気か?』
『はい、母と幼い弟と妹がいます。元気に国を守ってくれています』
『親父はどうした?』
『もう、随分前に戦死しました。満州で・・』
『そうか・・、残念だったな』
『兵長、ご家族は?』
『ああ・・、俺は独り身じゃ。お袋が姫路の田舎で暮らしとる。もう年やからな、俺が先か、お袋が先か・・』
『生きて還りましょうよ。平泉さん!』
『そうじゃな、そうするか・・。しかし、お前に言われると何や、その気にさせられるで。ほんま、不思議な男よのお』
『俺、“い組”の全員を連れて還るんです。そう約束したんです』
『立派な志じゃ。一点の曇りも無い・・。早坂組長なら、出来そうやな!』
『はい、是非、兵長もご一緒にどうぞ』
『ははは・・。俺は足手まといになるからの、お前らに迷惑が掛かる・・』
『俺がおぶってでも、兵長を連れて還りますから。それまでには、体重を減らしておいて下さい』
『余計な世話や・・、こいつ!』
生きて還ると逞しく語った次郎。そこには、早坂組長の威厳が、漂っていた。
『ガダルカナルでな、ぎょうさん日本兵が死んだらしいでえ・・』
『ああ、わしも聞いた。殆どが、病死らしいとな・・』
『おい達も、同じ運命じゃんそか・・?』
い組の者達も、やはり迫り来る恐怖に、動揺を隠せずにいた。
『皆、弱気になってどうするんだよ?。竜さんまでなんだよ、潔くないなあ・・、もっと前向きに考えようよ!』
『何を言うとるんじゃ・・、わしは何も怖いもんなぞ、無いで・・。のう、山下』
『竜ちゃん、さっきまで鳥肌立ってたやんか?』
『おいも、鳥肌立ってもした』
『哲ちゃんのんは、豚肌やろが・・。なに可愛い子ぶってんねん!』
『あんた、そりゃ失礼じゃんそ。確かにおいの実家は、豚を飼うてもすが・・・。ああ、そよ考えっと、腹が減ってきもした・・』
『あかん!、駄目や・・。俺も豚肉の厚切りが、浮かんできたで・・』
喰い物で盛り上がりかけた話の途中で、ある者から苦情が入った。
『いい加減にしろよ!。腹の足しにならない話は、ゴメンだね。余所でやってくれよ、苛ついてしょうがないぜ・・』
『あん?、何や柴田・・。お前かて喰いたいやろが!、』
『・・・。じゃあ、喰わせろよ。ここに持って来いよっ!』
『なんやてぇ?、喧嘩売ってんのか!。おい、そやろがっ!』
帽子を鷲づかみにして、勢い山下が柴田の傍まで歩み寄った。
『なんの真似だ、やるのか・・?』
『へへ・・。お前がその気やったらな・・』
『痛い目を見ることになるぞ、いいのか?』
『その言葉、そのまま返したるわっ!』
険悪な雰囲気が漂う中、仲裁に入ったのは、やはり次郎だった。
『腹の足しになる喧嘩だったら、止めやしないけど・・。どうなんだ・・』
『なんや・・、次郎・・。悪ふざけやて、なあ、柴田・・』
『ちっ!、勝手だよな・・、お前ら・・』
『止めようや、喰いもんの話は、ご法度じゃ。寝よ、寝よ!』
堪りかねた天野が、喧嘩にお開きの合図を送った。
南方戦線の、兵士の死に至る要因とは・・。敵兵に撃たれる前に、多くの蛾死者を出してしまう事実を、この時には現実として受け入れることなど、皆無であった。
そして窮地に追いやられた、ここミンダナオの日本兵にも、死に方を選択しなければならない状況下に置かれていった。
昭和二十年三月十日、奇しくも日本では、東京大空襲という大惨事に遭遇した日でもあったのだ。
米軍が大挙して上陸する中、生死を懸けた抗戦が、ミンダナオの山中で砲撃の音とともに繰り広げられていた。
一方、日本軍の敗戦を決定付けるかのように、海上からの訃報が届いた。
昭和二十年四月七日、十四時二十三分。最期には米軍の凄まじい魚雷攻撃により、遂に沈没に至る。
鹿児島から200キロ以上も離れた海上で、その火柱と、きのこ雲が確認されていた。
連合艦隊旗艦の大和は、やがて海の底にその雄姿を隠していった。
『総員、死に方用意』
戦艦大和の鉄板扉に大きく記された覚悟の文字が、壮絶なる戦いに終止符を打った。




