第14話 ”い組”の誕生
『折角じゃ、まだ自己紹介もしておらんかったな』
天野が気を利かせて、その場を取り繕った。
『おれ、勝冶俊二だ。静岡から来たんだ』
房の一番奥から火の手が上がった。
『浜野健三。大分じゃ』
『木村功一。金沢』
『群馬の草津からだ、柴田修一』
『中村和夫。砂丘で有名な鳥取からだが』
『松山の、越智秀和や』
『岡山じゃ、和木敏夫言うんじゃ』
『山田保。長崎ばい』
『福岡の博多やけん、岡崎純二たい!』
『相沢孝夫。岐阜だぎゃ。里に婚約者を残してるんだわ・・、早く帰りたいんだけどよ・・』
『ええから、早く済ませろや。後がつかえとんのじゃ!』
天野の突っ込みに、房内には笑いが込み上げていた。
『甲府からだ、市川春夫』
『和歌山や、水田淳一郎』
『福場力。奈良や』
『近藤つかさ。宮崎じゃっど』
『千葉の習志野からだ、山崎勝一。よろしく!』
爽やかな自己紹介ではあったが、小指を失った左手が、やはり目立っていた。
『仙道喜八。山口は下関じゃ』
『服部一二三じゃ、広島じゃけん』
『安部徹二。同じく広島じゃ』
『岸田洋介・・、横浜からだ』
『矢口哲平じゃ、鹿児島でごわす』
『へへ・・、矢野下幸助や・・。よろしくぜよ』
『足立健太郎。栃木だっぺ』
『兵庫の尼崎や、山下圭二。よろしゅうたのんまっさ!』
『東京からだ、早坂次郎』
『天野竜太郎じゃ、広島は呉の出身じゃ』
この時、総勢二十五名の若き集団であった。
船室の一角であるこの房の扉には、“い”と大きく書かれていた。“いろは”の、“い”で、あった。
この集団の名は、誰が呼ぶともなく、自然と、“い組”と名付けられた。
頭文字の如く、先頭を走るのだ。そして潔く、そう全員が覚悟を決めた早朝であった。
黎明まだ明けやらぬのこの瞬間、大海原が、確かに皆の覚悟を見届けていてくれた。
『フィリピンってどんな状況なのかな・・?、山下』
『暑い。それしか知らん』
『会話になってないだろ?、おまえ・・』
『腹減ってんねんや・・』
『腹って・・、さっき晩飯食ったばかりじゃないかよ!』
『あんな粗食で満足してんのか?、次郎ちゃん。はーあ、辛抱強いんやねえ・・。世間の鏡みたいなお人や、ご立派でんなあ・・』
『嫌みはよせよ、俺だって同じさ。誰も満足なんてしてやしないさ』
『饅頭屋、継いどったらえかったなあ・・。今頃、きっと食い放題や』
『はあっ。あのね・・、饅頭屋だろうが畳屋だろうが、赤紙は来るんだよ。そんなこと判るだろう』
『そんなん知ってるわ、言うてみただけや。聞き逃さんかい・・。ホンマ、几帳面な男やのお』
『俺に当たるなよな、おまえだってなあ、愚痴が・・』
『止めとけや、無駄な喋りは空腹の敵。身を縮めるだけじゃけえ』
他愛ない次郎と山下の会話の間に、天野が割り込んだ。
『はあ・・。竜ちゃんはええなあ、腹にぎょうさん飯を溜めてんねや・・』
『腹・・?』
『そうや、冬眠前の熊みたいにな、しこたま溜めてんちゃうか、この腹』
山下が何気なく、天野のお腹をはたいた。
『必殺!、十字星!』
瞬時に山下の襟元が、天野の極太の腕に絡まった。
『・・・!!』
『フィリピン行きは、残念ながらここで終いじゃ。お前はここで臨終じゃな・・』
不敵な笑みを浮かべながら天野が、もがき苦しむ山下を更に絞めつけた。
『おォっォ・・・』
手足を痙攣させながら、山下が泡を吹いて、だらりと抜け落ちた。
『竜さん!、もう止めろよ!』
とっさに次郎が天野の腕を解いた。
『ええ・・?』
驚いたように天野が、死人のようにだらりとする山下の顎を持ち上げた。
『冗談じゃろう・・・?、本気で絞めてはないけえ・・』
『そんな事はいいから!、早く看護兵を呼んで!』
思わぬ展開が天野を仰天させた。つい悪ふざけのつもりが、緊急事態へと発展したのだ。
『誰か、早く!』
次郎の慌てぶりが、事の重大性を物語っていた。それにどよめく房内は、天野の挙動を凝視していた。
『な、何を見とるんじゃ!、わしはただ、悪ふざけのつもりで・・』
『うーん、うーん・・』
その時、絶命寸前の山下が息を吹き返した。
『山下!、大丈夫か?。おい!』
『ここは・・、天国か?。それとも地獄か・・?』
『何言ってんだ、おまえはまだ死んじゃいないよ!。俺が判るか?、うん?』
『おお・・、次郎やないか。色々、世話になったのお・・』
『弱気になるなよ!、まだまだこれからじゃないか・・。何か欲しい物あるか?』
『ああ・・、腹減ってんねん。晩飯まだかいな・・?』
『さっき、食べただろう?。何回言わせるんだよ。この野郎!』
『・・・?』
二人の会話を聞いていた天野が、怪訝な顔で山下を覗き込んだ。
『ああ・・、死にそうや。やっぱり、饅頭屋継いどいたらよかったんや・・』
『・・・。饅頭屋じゃとお・・?』
『あかん、次郎ちゃん。ばれたみたいやで』
『おまえのくさい演技じゃ、ここまでがやっとみたいだな』
『お前らのお・・』
『誰か、早く看護兵を!。早く!』
房内に“どっと”、爆笑の渦が巻いた。それは、次郎と山下が画策した、手の込んだ寸劇に対しての好反応であった。
それとは対照的に、真っ赤に染まった顔に眉間にしわを寄せた天野。その怒りの先は、間違いなくこの二人に向けられていた。
『ごめん竜さん、ごめん!』
次郎が顔の前に両手を合わせて、天野の顔を見上げた。
『お前らの、どっちが仕掛けたんじゃ?。この猿芝居』
『次郎や。最初、次郎がな、面白いんちゃうかって・・。せやけど俺もな・・、賛成した。絶対、笑い取れると思うたからなあ』
『そうか・・』
『発案は次郎やけど、実行犯は俺や。裁くなら俺が対象やで、竜ちゃん』
天野を正面にしての、山下の開き直った態度が、妙に堂に入ってた。
『ははっ・・。そこまで考えとったんか、この“かばちたれが”』
『そう、考えとったんじゃけえ、竜さんよ』
調子よく山下が、天野の広島弁を真似たように応えた。
『山下よ、“かばち”って知っとるか?』
『知ってる訳ないやろ。俺は都会人や、田舎もん扱いせんといてや』
『それが、“かばち”じゃ言うんで。確かな言い訳が出来ん。講釈をたれるだけじゃ。勢いだけの突っ張りを言うんじゃ』
『俺が?、その、“かばち”なんかいな?』
『立派な、“かばち”じゃ。一級品じゃ、おのれの“かばち”は』
『へへ・・。なんや照れくさいなあ・・、褒められるやなんてなあ、なかったし』
急に背中を丸めた山下が、大きく溜息を吐いた。そして目を閉じて天井に顔を向けた。
『俺な・・、学校では虐められてたんや・・。饅頭屋のボンボン言われてな。金持ちの家は何を食べてんのか?、とか、徴兵制度は金で何とかなるってや、散々言われてきたんや・・。俺は、誰とも変わらん人間や・・。ただ、家の商売が儲かっているだけや。そんだけやのに、何で、俺がつまはじきなんや・・。何でや・・』
つまらなさそうに山下が、自分の恥部をこぼし始めた。
『どうしようもないの・・。しょうもない人間の醜さじゃ。人の不幸は見過ごすが、自分以上の幸福は、どうにも気が済まんのじゃな』
『妬んでいるんだよ。山下の家が羨ましいんだ』
『ほなら、皆稼げばええやろ?、努力して店持ったらええやろが?』
『そうはいかないって。それぞれの生活があるんだ、仮に、皆が店を構えてみろよ、買い手がいなくなるだろ?』
諭すように、次郎が言った。
『誰も饅頭屋をせえっちゅうことやない。色んな店をすればええ。簡単なことや』
ふて腐れたように、山下が言い返した。
『・・・。話の途中じゃっどん、よかな?』
『なんや、“おいどん”。まだおったんかいな!』
『まだって、ここ以外行っといがあいもはん。どげんしざっもねとです』
『判っからんっちゅうねや、だれか通訳よこせや!』
“おいどん”こと、鹿児島出身の彼の存在も、この後の“い組”にとって、かけがえのない存在となるのであった。
『はは・・。“おいどん”とは、ええ名前つけてもろうたの。お前、名前は何と言う』
興味深そうに、また、にこやかに天野が訊いた。
『ああ・・、矢口哲平と申しもす。鹿児島の指宿から来もした』
『知ってるよ!、砂湯が有名だったかな?・・。お爺ちゃんから聞いたことがあるんだ』
次郎が、それに乗っかった。
『じゃっどかい・・、嬉しいです』
『ほんで?、何や言いたいことがあるんかいな?。“おいどん”は』
『あのお・・、山下くんの言い分に、ちんと意見がありもす。おいは農家の後継ぎで生まれもした。結構ふとか(大きな)さくにん(農家)でした。じゃっで、周りから見たらゆつらし(裕福)家庭に見えてたんじゃんそね。ある日お父っどんが初めて嘆いていもした。こげん苦労知らん。おいのくろ(苦労)を、だい(誰)がしい(知ってる)のか・・・。翌日判りもした・・。畑一面に、誰かが油をまき散らしていもした。大切な稲が枯れていもした。そしこ(それだけ)ではあいもはん、けむん(家畜)にも影響があいもした。やっと育てた鶏の首が、そこいら中、切って落とされていもした・・』
凡そまともな人間の所業には思えない、下等な企みが蔓延していた。妬みや恨みの類は、いつの時代にでも人間の性として、継承を続けるのだろうか。
『矢口さん、よく耐えたね。お父さん、立派だと思うよ』
『次郎さん、あいがとごあす・・。おいわ・・、なんと・・』
大きな身体を丸めて、おいどんが鼻をすすり始めていた。
その哀愁漂う背中に向けて、一端の強がりが収まりを見せつけた。
『苦労は、就きもんやで。そんで人間は大きくなるんや・・』
知ったかぶりの山下が、その場を纏めようとしていた。
『お前の虐め話がの、しょうもない愚痴に聴こえてきたでえ。やっぱり、お坊っちゃんじゃのう。山下くん』
『その言い方はないやろう・・。竜さん・・』
“い組”の個性豊かな若者たちが、互いの言葉で、理解を求め合っていた。
大海原を静かに染め始めた旭日が、この者たち”い組”の運命を模索しているかのようだった。




