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蝉しぐれ  作者: GUN
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第13話 船内での乱闘


『ああん・・?、どう言う意味だ?、出しゃばると痛い目に合うぜ!!』


次郎の発した言葉に、失くした小指の先を舐め回して、その男が更に凄みを増した。


『痛い目に合いたいんだろ?。だから、俺が提案してるんだよ。誰が先にやるんだ?、対戦相手は決まってるのか?。悪いけど山下さ、扉の前で見張っててよ』

『えっ?。ああ、そやな、表にばれたらあかんねんな・・・』

『そうじゃないさ、ここから逃げ出せないようにだよ!。だって、死ぬまでやり合うんだろ?』

『次郎。はは・・・、冗談きついでえ・・・』

『今から向かう戦場に、冗談なんて存在してないよ。もう既に、ここは戦場なんだ!』

そう言い切った次郎にある男から声が及んだ。


『そう言うおんしは、誰と勝負したいんや、次郎くん?』

次郎に向けて、露骨に対戦相手を求める声が呟かれた。その右腕には竜が天に昇る、見事な刺青が施されていた。


『えっ?、俺は、誰とでもいいよ。俺のことが気に入らない奴なら、誰とでも受けて立つけどさ』

淡々と語る次郎を品定めするかのように、房内の危ない連中が薄笑いを浮かべていた。

『都会育ちのボンボンに、ホンマの喧嘩を教えてやるぜよ・・』

先ほどの刺青男が、更に次郎を挑発した。


『君は、高知出身だよね?。本で読んだことがあるんだ、坂本竜馬と同じ言葉を持ってるね』

『同じ言葉やと・・?。当たり前ぜよ、日本一、気合の入った言葉やきな』

『名前を、訊いてなかったよね』

『おう!、矢野下幸助や。忘れるがやないぞ!』

『矢野下くんか。で、素手でいいんだよね、この決戦』

『当たり前やか。男の喧嘩ろう?、わしはええがやけど、おんしは心配ろうよ?』

『俺さ、武器は持たない主義なんだ。何て言うか、やった痕の感触がしっくりこないからさ・・』

その風貌からは釣り合わない、残忍さを匂わせる一言が次郎の口から出された。しかも、次郎の額の傷が、余計にそれを伺わせていた。


そう言って自分の両手に目配せしながら、次郎が冷やかな微笑とともに、その拳を握り直した。顎の下に揃えられた両拳。それはまさしく、拳闘の構えであった。

左足をのつま先をやや内側に踏み出し、重心を右足に任せるその構えは、余りにも堂に入っていた。


『おんし、何モンや・・?』

『俺も、五輪に出たかったよ・・。出来ることならな』

『五輪・・?。まさか、選手じゃったがか・・?』

『違うよ・・。選手に成り損ねたんだ、五輪は消えたからな・・』

そう言いながら、次郎の左の拳が、矢野下の顎に向けて軽く速射を放った。


“シュッパッッ!”

『・・・っっ!』


寸止めの拳は、それでも矢野下の顎を僅かにかすめていた。

『素手じゃ、拳を痛めてしまうからなあ・・。どうにも、グローブが欲しいよ』

左の拳を握り直して、次郎が悔しげに呟いた。


『あのさ、やっぱり顔面は止すよ。だから、悪いけど、腹部でいいかな?』

『腹部・・?』

『ああ、右わき腹の下部分さ。いい?』

次郎の前置きが終わったと同時に、右拳は矢野下の右腹部へと突き刺さっていた。


“ドスッッ!”

『ゲホォッッ・・!』


苦痛に顔をゆがませて、矢野下の身体が、くの字に歪曲していた。

『さあ、次はどこにしようか・・?』

『・・・、お前・・、ずるいがぞ・・』

膝間づいた矢野下が、声を絞って抵抗していた。


『背後から撃つことは、卑怯者扱いなんだ。けれど俺は今、正面から撃ったよ。前置きも言ったし。どうさ、裁きが必要なのかな・・?』

『・・・。いいや・・、要りま・せん・・後で・・、お話しましょう・・』

さっきまでの勢いは、まるで消え失せていた。蒼ざめた矢野下が、腰砕けに次郎に向けて、降伏を申し入れた。


『そう・・、判った。また後でね』

そう言いながら、次の対戦相手を探しているのか、次郎が房内を見渡した。


『まだ続けるのなら、俺は逃げたりしないからさ。誰か申し出てよ』

『・・・・』

既に戦意喪失したのか、誰も、次郎と目を合わせようとしていなかった。


『なんだ、お終いか・・』

残念そうに拳を緩めた後、思い立ったように次郎が、身体を揺らし始めた。

それは、拳闘士に必須である、仮想練習だった。相手を想定に入れての実戦さながらの殴打の組み立てを、見事なまでの脚捌きで披露していた。


“シュッ!、シュシュッ!!。シュッ!、シュッ!”

僅か半間足らずの狭い足場を苦ともせず、前後左右に身体を入れ替えての俊敏な動きに、一同が溜息さえ見せていた。


『ピストン堀口みたいだっぺ・・。“拳聖”と呼ばれた、俺の地元の英雄なんさ!』

突如、やたら明るい声色が、次郎の背中に突き刺さった。


“シュッ”・・、瞬間、次郎の動きが止まった。

『君・・、堀口さんの同郷だって・・?』

『ああ、栃木からさァ、仕方なく来っちまったんだわ』

『そうなんだ・・。俺、早坂次郎って言うんだ。君は?』

『はは・・、足立健太郎だ、よろしく!』

『健太郎か・・、褒めてくれてありがとう。逆に恐縮してしまうよ、堀口さんと比べられるとさ・・』

『いいや、確かに君のシャドーは、見事だったと思うんさ!。例え、オリンピック候補には挙がってないっつうてもよ、技術は遜色はないくらいだっぺ』

そんな足立の説明が、次郎への疑惑へと向かった。。


『・・・?、挙がってないにしても・・じゃと・・?』

五輪を断念した天野が、疑いの目で次郎を睨んだ。


『足立って言うたよな・・。どうして次郎が候補じゃ無いのを知っとるんじゃ?』

『俺もさ、ボクシングやってたんだわ。栃木じゃ、結構有名だっちゃ!。オリンピック候補なら、すぐに耳に入るってさ』

『次郎!、どう言う意味や?。おまえ五輪候補選手やなかったんかいなあ・・?』

続いて山下が、駄目押しを促した。


『何で?・・、俺、一言も候補選手だって言ってなんかいないよ・・』

『何やとお・・?』

さきほどから消沈していた矢野下が、息を吹き返したように声を上げた。


『次郎・・。おんし、わしを騙したがか・・?』

『うん、結果、そう言うことになるのかな?』

『もう一度じゃ、はっきりさせちゃるぜよ!』

そう言って、矢野下が次郎の前に歩み進んだ。名誉挽回と言う訳だ。

『さあ、かかってきいや!』

矢野下の浮かべる不敵な笑みとは裏腹に、その構えた姿は、凡そ拳闘らしき凄みを、まるで欠いていた。


『あんた、止めといた方がいいわ、この人には勝てっこねえべな』

足立が迷いなく矢野下に告げた。

『なんやと・・?』

『オリンピックに出るとか出ないとかさ、そんな次元と違うってよ。さっきのシャドー見たべさ?。相当、やばいって!。あんた』

『何や・・、おんしが止めるのじゃったら、仕方ないのう・・』

そう言って、安心したかのように潔く矢野下が引き下がって行った。一見、矢野下の行動は皆に矛盾を感じさせた。しかし、その無駄とも思える行動にこそ、彼の、男子たる面子を重んじる気概が隠されていたのだ。


『他に、やりたい者は居ないのか?』

次郎が再び、皆に投げ掛けた。


『あんた意外の奴と、組ませてはくれねえのか?』

ぼっそと房の奥の方から、不満そうな声が上がった。

『相手を、選ぶと言うのか?、君は?』

深く帽子を被った男が、壁にもたれかかっていた。

『だって、あんたには勝てっこねえだろうよ・・。そんな喧嘩する奴なんていねえぜ・・』

次郎がおもむろに、その男の傍に歩み寄った。


『立てよ・・。おい、立てよ!』

その言葉に慌てて立ち上がったその男の胸倉を掴むと、情けなく次郎は俯いた。そして顔を上げて、訊いた。

『名前は・・』

幾分、怯えるようにその男が答えた。


『岸田・・、洋介だ・・』

『いいか、岸田。これから俺たちが向かう戦場では、敵は選べないんだ。例え、強靭な肉体を持つ敵兵を目の前にしたとしても、逃げられないんだよ。戦わなきゃいけないんだ。それが、俺たちを待つ戦場なんだっ!』

『ああ・・』

そう言い放ったあと、岸田の胸元から手を解いた次郎は、辺りを見回しながら言った。


『すまない・・。すべて俺が仕掛けた茶番だ・・。さぞ、白けただろうな・・』

『・・・・』


反論する者など居なかった。それは決して、次郎に対しての恐れではなかった。岸田のこぼした、“相手を選ぶ”との心の油断を、それぞれが自分自身に問いかけていたのだ。

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