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蝉しぐれ  作者: GUN
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第12話 危険な船旅


『なあ、次郎。もう何日乗ってんのかいな?、この船』


『ああ、そうだな・・、七日目かな。どうした?、まさか船酔いか?、山下』

『そんなんちゃうわあ・・、飽きて来たっちゅうことや。廻り海ばっかりやし、可愛い姉さんの乗った難破船でも、浮かんでへんかな・・?』

広島の宇品港から出港してから、わずか七日目の朝であった。海の上の生活に、既に飽き飽きしていたのだろう。他愛も無い、馬鹿げた妄想に興じていた。


『呑気なこと言ってんじゃないよ・・。そんな今がきっと恋しくなるさ・・』

『現実的やなあ、おまえは・・。ところでや、次郎。前から訊きたかったんやけど・・、気い悪うせんといてな・・。おまえの額の傷な・・、えらい目立ってるやん・・』

山下の遠慮がちな問いに、次郎が笑いながら応えた。


『ああ、この傷だろ。小さい頃に出来たんだ。玄関先でさ、転んだはずみの傷なんだ。親父の出していた大工道具に頭から突っ込んだらしい。その様を見てたお袋は、我が子は死んだって・・、思ったらしいけど。結構、いかしてるだろ?。こいつ、お陰で効力はあるんだぜ!、いざと言う時にさ』

『なんや・・、危ない傷やないんかいな・・?』

『危ないって、どう言う意味だよ・・。俺は健全な男だよ、お前が想像しているほど勇ましくないって』

『そんなん判ってるって。もう忘れようや、堪忍や・・』

『俺は気にしてなんかないよ。大丈夫だから・・』

『そんなん判ってるって・・へへ・・』

互いの誠の距離を測べく言葉の一手を、山下が先手を決めた。だから次郎が、快く反応したのだ。


『男の紋章てあろやろ・・?、次郎。そんなんに使うたらええやん!。お前の出で立ちやったら、通用出来るって、ホンマ・・』

『へっ、下らんこと言うなや。緊張が足りん証拠じゃのお、われ!』

生憎そこに、天野が割って入った。


『はいっ、天野様!。わたくし、雑念が多くて困っておりますです!』

『・・・。お前、絞めちゃろうか、ほんま・・』

『竜ちゃん、勘弁や。そない嫌わんといてえなあ』

『竜さん、こいつ絞めていいよ。ついでに海に捨てていいんじゃない?』

『次郎!、お前ふざけ過ぎや、洒落にならんて。この人、ホンマにやりかねんよって・・』

船室の房内に陣取っていた数人が、立ち上がった天野竜之介を見上げて、驚いたように間を開けた。


『この、“もやし”があ、大人しゅうしとけや!』

『やめろやって、その“もやし”っちゅうのん。ごっつう、傷付いてんねんで、・・ホンマ』

そう、“もやし野郎”こと、山下圭二。兵庫県尼崎から送り込まれた、次郎と同年の十八歳。家業の饅頭屋の跡取りを任されてはいたが、この戦争のための召集を言い訳に、逃げ廻ってばかりの、実に我儘で奔放な男であった。


『なんで、あないな辺鄙なとこ、行かされなあかんねん。人権侵害にもほどがあるでえ・・』

『しょうがないだろ・・、俺たちに選択の余地はないんだよ。誰かが、あっちって言えば、それに従うしかないんだ。悔しいけどな・・。それが現実さ』

次郎のその言葉に、誰もが憤りを隠せなかった。白か黒かを選択する余地など無い。進みべき道には、すでに”死”と言う答えしか残されてはいなかった。


『生き残る事を考えとるから、余計な未練が湧くんじゃ。見事に散りましょうや、我が国のために、家族のためにのお!』

天野の覚悟を決めた言葉に、生気を失っていた者達も次第に我を取り戻していった。中には、白い歯を見せ始める者もあった。

南へと下る、航海中の束の間の安泰な日々。やがて迫り来る南方の激戦地区へと、船は針路を進めた。



『おい・・、起きろよ。おい!』

『もう・・、何や、どないした・・?。まだ暗いやんけ、勘弁しろやあ・・』

『外で人が動き廻っている・・。恐らく、敵艦に接近したんだと思う・・』

『敵艦・・?、アメ公かいな?、ほんまか!』

『しっ、静かに、混乱は邪魔だ。今の俺たちには手に負えない』

『なんでやあ・・、人出がおったほうがええやろ・・』

『この船の装備を見たか?。まるで羊同然さ・・。狼の皮なんて、被れるどころじゃない。ただの貨物船だ』

『はあ・・・?』

『お粗末な機関銃と、自決出来る数の手榴弾しか、積んでいやしないよ・・』

『ええっ!、ほな、俺たちどないなんねん?、戦地に着く前に、おじゃんかいな?』

『そうは言ってないだろう・・。けど、覚悟はいるかもな・・』

次郎の組み立てた危機感を、まだ誰も気が付かずにいた。眠り続ける輩共は、真新しい帽子を胸に当て、今宵の夢に甘んじていた。


『何か、あったんやいや・・?』

隣に寝ていた男が喋りかけて来た。その、こんもりとした風貌からは、緊張の欠片も見当たらなかった。

『ああ、世界最強の艦隊が、すぐそこにおんねや。もう・・、終いやなあ・・』

『どげんしたらええ?、おとなしゅう死ねちゅうこっか?』

『・・・。お前、何処の国からや?、何語喋ってんねや』

『鹿児島から来もした・・。分かりもはんか?』

『通じへんねん!、標準語使えっちゅうねん。この、“おいどん”が』

『はあ・・。おいどんっては、最近では言わとですよ』

『もうええ!。そないな暇ないねん。俺ら死ぬんやど』

『落ちつけよ、山下。まだそう決まった訳じゃないさ、様子を見よう』


『どうした・・?、何騒いどるんや・・』

『竜さん、ごめんね。起しちゃった?。』

『何やら上が騒がしいようじゃが、まだわしらの出る幕じゃないけえ、あんまり騒がん方がええ。正気を失うなよ、まだまだ序盤じゃ』


『どうなるきに・・』

『おい、何を喋っちょう?』

『何だ!、どうした。敵艦の襲来かよ!』

次第に目を覚ました者から、異口同音に声が上がった。ざわつき始めた房内では、収拾のつかない事態に達していた。


『どうせ死ぬんだ、この場で戦ってやる!』

『怖いもんなぞなか!、おいは男やけ、いつでん死んでもよか!』

『おい、相手は何処よ?、オレは・・、無駄には散らんぞ!』

死に対する恐怖が、皆の心理を逆走した。中には、怯えて声さえ出せずに蹲る者もいた。


『次郎、どないする?。止められへんぞ・・』

『ああ・・、そのようだな』

『情けないのう・・。犬の遠吠えか』

天野が見かねてか、ゆっくりとその大きな身体を持ち上げて、辺りを見据えた。


『ええ加減にせえやあ!!、お前ら!!』

天野の渾身の雄叫びが、房内に響き渡った。その大きな声に、一斉に沈黙が戻った。


『潔よう死ぬことには、わしも納得出来る。しかし、見苦しい声を吐きながら散ってはならんのじゃ!。ええか、もし、己のその声が家族に届いたとしたら、どうするんじゃ?、情けない声を届けるんか?、遺された家族の涙に、つまらん遺恨を残すんか!。お前らの志は、生涯、立派に生き続けるんでえっ!』

しっかりと結ばれた口元には、むしろ自分自身に言い聞かせるような、そんな決意さえ伺わせていた。


“ガチャッ”

突然、前ぶれも無く房の扉が開かれた。その一瞬、皆に緊張が走った。



『緊急指令が入った・・。よく聞け!』

『・・・・』


『台風が近づいてる、明日の夜には最接近との情報が入った。全員、備えておけ』

そう告げて、船員が無造作に扉を閉めて去った。


『台風・・?。そう言ったよな、今・・』

『ああ・・、そげん聞こえたと。ばってん、おいの耳が確かならな』

『敵の艦隊って、一体、何処へ行っちゅうや?』

それぞれが、気の抜けた声を並べていた。さっきまでの緊張感が嘘のように、茫然とお互いを見やった。


『申し訳ない・・。俺が最初に騒いだようなもんだ。眠れなくて、つい・・』

発信元の次郎が、おもむろに弁明を吐き出した。

『なんや・・、次郎。お前かいなあ・・、どうりで、変やと思ったでえ!』

すかさず山下が、調子外れの合いの手を入れた。


『はは・・。そうか、そうだったのか。てっきり、敵軍の奇襲かと・・』

房内の数人の安堵の声が、先ほどの緊張を半端に覆い隠そうとしていた。


『申し訳ないで済むんか?、次郎。人命にもしものことがあったとして、お前は申し訳ないで、済ますつもりなんか?』

『いや・・、そう言うつもりじゃ・・』

『ここは、既に戦場なんじゃ!、つもりもくそもないんじゃ!!。お前のつまらん判断が、周りを巻き込んだらどうする。ここの全員が死ぬことになるんでえ!』

天野の指摘した次郎の曖昧な覚悟を、そのまま、ここに居る全員に訴えたかったのであろう。

“見事に散る”。この一点にだけ、今は心を寄せ合うのだ。きっと天野は、そう言いたかったに違いない。


『竜さん・・』


『散ることは簡単じゃ・・。勘違いするなよ、終いまで諦めてはいかんぞ、生きて還るんじゃ。ええか、ここの全員が生きて還るんじゃ!。どんなことがあっても弱音は吐くな!。それでも死にたい奴がおったら、どうしても堪え切れんかったら・・、その時は・・、自決せえ。見事に散ってくれ・・』

天野竜之介の覚悟のススメが、房内の隅々に沁み入っていた。天野の言葉の前に、全員、返す言葉さえ無かった。


『・・・。あんたが、大将でいいのか?、ここの全員のよ・・』

一人の男から、予期せぬ発言が寄せられた。頭を掻き毟るその男の左手からは、小指がもぎ取られていた。


『大将・・?、どう言う意味じゃ・・』

『まとめ役だよ・・。見てみろよ!、どうにもここに居る連中は、育ちが良くないらしいからな・・』

あからさまに、この場の秩序を乱す無礼に、一同が噛みついた。


『何を言うとんなあ、でれえ失礼じゃな、お前は!』

『誰を見て言うちょんじゃあ!、おめえ!』

『あーあ、弱い奴こそ、必ず大口叩きよんなあ!』

『育ちがどうだって・・?。そう言うてめえこそ、出来の悪い顔してんぜ・・。そうじゃねえのか?』

その男の発した無礼を、目つきの悪い同類とも察する輩たちが、裁こうとしていた。

じわじわと、暴徒の起こりかねない雰囲気を醸し出していた。


『そうかい・・。へへっ、お前らなあ・・。どうやら、ここで死にたいらいいな・・』

『その言葉、そっくりお前に返しちゃるぜよ・・』

今にも乱闘が起きようとしたその時だ。次元の低い、子供じみた喧嘩を見かねた次郎が、しゃしゃり出た。


『君達さ、本気でここでやり合うつもりなんだろうね・・?。だったら、対戦表を組まないとな・・』

『次郎、やめとけ・・。もう、力では抑えられん・・』


天野が仲裁に入ろうとしたが、既に危険な流れは堰を切ろうとしていた。

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