第11話 早坂次郎と天野竜太郎ともやし野郎
無謀とも思えるその男の行動に、倉庫内が唖然としていた。
『おい・・、やばいんとちゃうか?、誰か、止めた方がええで』
『きさんが吐いたツバぜよ・・、早う戻さんとな』
『お前かて一緒やろが?、何ほざいてんのや!』
目の前の難題に苛立ちを隠せないのか、こちら側では、張本人達のいがみ合いが繰り返されていた。
『つまらんのお・・。お前らの情けない戯言には付き合いきれんわ。どうせ死にに行くんじゃろうがあ、性根入れや!』
腹の底から湧き出るような声。ひと回り以上も、身体の大きい浅黒い顔の男が、何を言うともなく看守の前にゆるやかに進んで行った。そして、首をかしげて看守を見降ろした。
『なんじゃ、おんどれは・・?、おとなしゅうしとれや!』
『すまんね、こいつ、ワシの連れなんよ、勘弁しちゃもらえんかのう?』
『連れぇ?、じゃけえ、どうしたんじゃ。われもしごいちゃろうか!』
『・・・。あんた、どの権限で、もの言うとるんかいのお。わしら国の為に集められた宝でえ、戦地に行く前に潰すんか?、ほいじゃ、誰にもの言やあええんじゃ?』
『誰に・・?、どう言う意味じゃあ!』
『あんたみたいな下っ端じゃの、話にならんのじゃ!。呼べや、黒木を、司令部の黒木じゃあ!』
司令部の黒木との指名が掛かった。はたして黒木とは?。しかも、余裕に構えてるこの男は、一体、何者なのか?。
『黒木・・?』
『知らんのかいな、黒木じゃ、柔道の黒木じゃ!、ワシの師匠じゃ』
『ああ・・、黒木指導官・・?』
『そうじゃ、呼んでもらえるかのお?』
『は、はい・・。すぐに・・!』
掌を返したように、看守が慌てて倉庫から飛び出した。黒木との人物を探しに、自分の職務を放棄していた。
『大丈夫か?、お前も無理をしたよのお・・』
そう言って、床に這いつくばった男を抱え上げて、その状態を見た。
『余計な真似を・・、するんじゃないよ・・』
掴まれた腕をふりほどいて、自称、柔道家を名乗る男の目を睨みつけた。
『わし、天野竜太郎。この町がわしの地元じゃ。お前はどっからじゃ?』
『・・・。東京だ。早坂・・、早坂次郎だ・・』
『それにしても、口だけの連中ばっかりじゃのう。情けのうなるわ、のう、お前ら』
さっきからのいがみ合いの二人に向けて、天野竜太郎が凄みを効かせていた。
『誰が、口ばかりやと・・』
ぽそっと関西弁の男が、小さく反論を見せた。
『ほお・・。多少の覚悟はしてきたようじゃの?、』
『あったりまえや!、他の連中と一緒にすんなや、ボケェ・・』
決して天野の目は見てはいないが、細身の関西人が、続けて反論した。
『カラ元気じゃないと、ええんじゃがな・・』
天野が、その大きな身体からは想像出来ない素早い動きで、関西人の袖を取ると、次の瞬間、声にならない喘ぎ声が絞り出された。
それは、“絞め技”だった。見る間に紫色に変わる顔は、まるで臨終の相のようにも見えた。
誰も目の前のその光景に、身動きすら出来ない。天野竜太郎という男、相当な有段者に違いない。
『やめえっ!!』
と、倉庫の入り口から、バカでかい声が響いた。
『天野、もうやめておけ。これ以上、調子に乗らん方がええぞ』
『黒木先生・・!』
死刑執行の手が緩められた。だらりと崩れ落ちる細身の関西人は、既に意識を飛ばしていた。
黒木と言うが天野の傍に立って、にっこりと微笑んだ。
『のお、天野よ・・』
『お久し振りです。先生!』
“バチィィッ!!”。間髪入れず黒木が、天野の右頬を張った。天野の大きな身体が、少し傾いた。
『素人相手に、何をしとるんじゃあ!!。そこまで腐ったんか?、お前の柔道は!』
『先生・・』
軍服の襟を正して、黒木が静かに言葉を加えた。
『まあ、仕方ないよのお・・。この戦争のために、お前のオリン・・、いや、五輪出場も、消えてしもうたけんのお・・』
昭和十五年に予定されていた、東京オリンピックは、十二年に勃発した日中戦争の煽りを受けて、翌、十三年の七月十五日に、中止の閣議決定が下されたのだ。この時勢、“オリンピック”との呼び方も、改めて“五輪”と称された。
『まさか・・、あの、天野選手?』
一同が目を見張った。それもそのはず、日本柔道界の英雄が、目の前に居るのだ。
『そこに伸びとる、もやしみたいな男は誰や?』
『・・・。初対面です。あんまりにも生意気な奴じゃったから、許せんかったんです』
『それじゃあ天野、今回の不祥事は、全てお前の責任でええんじゃの?』
『は、はい・・』
黒木の言葉により、今回の不始末は、天野が引き受けることに決まったと思われた。
『俺が仕掛けました・・。最初に俺が出しゃばったんだ。だから、俺が原因です』
早坂次郎が、潔く名乗りを上げた。
『それじゃ、お前と天野に体罰じゃ。ええかの?』
『いいえ、体罰はすでに受けてます。俺は、あの看守に。天野さんは、あなたに・・。そして、“もやし野郎”は、天野さんに。それぞれ体罰を受けました。だから、これで決着したことにはならないでしょうか』
『ほう・・。この場で講釈をたれるとはのお・・。しかし、実に客観的で立派な主張じゃないか。しかも、筋が通っとる。お前、名前は何と言う?』
『早坂次郎です』
『そうか・・。生きて還って来いよ。お前みたいなモンが、これからの日本を立て直すんじゃ。つまらん思想に媚びる奴は、もうこの国には必要ない。もう少しの辛抱じゃ、戦争も、そう長くは続かん。結果はどうであれな・・』
黒木の言葉が、この時の次郎の心に強く響いていた。反戦の動きや言動が、ご法度なこの時勢に、思い切って次代の若者に託した言葉。軍の司令部に身を置く重責ならではの、重く、そして憂いを含む言葉であった。
この一件を期に、天野竜之介、早坂次郎。そして、“もやし野郎”の、三人の友情を綴る運命が幕を開いたのだ。
昭和十七年八月。猛烈な暑さが、容赦なく身体を包み込む。ここぞとばかりに鳴き迫って来る蝉しぐれが、彼らの旅立ちの準備を知らせていた。




