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蝉しぐれ  作者: GUN
10/23

第10話 次郎の太平洋戦争


終戦後の日本の復興は、アメリカ軍の監視の元、徐々に進められていった。

敗戦の屈辱とは裏腹に、生き抜く事が、国民の唯一の共通する努力義務であった。


物資の不足は相変わらず、市井に混乱を運んでいた。

闇市の混乱に乗じた、詐欺まがいの奪略。東北産の米と偽り、砂利を詰めた米袋を大量に騙し売った挙句、魚介類の卸には前金が欲しいなどと煽り、一箱の地物を見せつけて巧妙な商談を持ちかける。

廃墟の市場に積まれた木箱には、瓦礫のクズで有り余っていた。


正常に機能しない流通の裏では、やっと生き残った者さえ、奈落の底へと落とし入れて行った。それは死の宣告に値すべきものだった。


一方、庶民の生活は、何も言わぬ国政に委ねられていた。

災害支援に名乗りを挙げたユニセフからは、脱脂粉乳の継続支援が、15年に渡りこの国を守ってくれていたのだ。

また、アメリカからの生活必需品や、生産物資の供給が、疲弊する国民の生活と、我が国の生産の糧となって行くのである。

それは皮肉にも、やがて経済大国の一員として名乗りを挙げる起因を作り出していたのだ。


東京の街並みは復興の一途をたどった。瓦礫の山は、廃墟に等しかった下町の家屋は、次第に息を吹き返していた。

世界で唯一の核爆弾の餌食となった広島、長崎。“七十年は草木は生えぬ”と、絶望説が唱えられた。

しかし、今、路面電車の行きかう小都市を復元させたのだ。

東京や、広島・長崎に限ったことではない。どの被災地にも、力強い復興の息吹が民衆の逞しさの中で、見事に蘇生を始めた。


敗戦の傷口はやがて人々の心から、かさぶたを消し去っていった。


昭和三十一年。日本の経済水準の繁栄を結んで。“もはや戦後ではない”との経済白書の文言が、戦後の日本復興の終了を掲げたのである。




『お母さん、どこなの?。無いよ、わたしのブラウス』

『ちゃんと見たの?、あるはずよ、上から二番目よ』

『・・・。ああ、あった・・』

『相変わらずね、早苗のおとぼけは。いつになったら、自分ひとりで出来るのかしら?』

『そんな、馬鹿にしたように言わないでよね、傷つきやすい年頃なんだから』

『あらそう・・、もう何度目かしらね。そんなこと聞くのって』

『だから・・』

『恭介くん、待ってるんでしょ。早くしなきゃ、嫌われちゃうわよ』

『残念!。恭ちゃんはね、わたしにぞっこんなの。そんなことあり得ないの』

『へえ・・、大した自身だこと。よっぽど出来た彼氏なのねえ・・』

『当たり前でしょ。わたしが選んだのよ、恭介のこと』

『はいはい、それくらいにしましょ。早くしなさい、早苗』

あの幼かった早苗も、今は、十八歳の青春を謳歌する年頃になっていた。

女学院高校に通う早苗は、近所でも評判の美形であった。


『おはよう・・。あーあ、よく寝たなあ・・』

『もう、何時だって思っているの、四郎・・。いい加減、しゃんとしなきゃね』

『あのね、母さん。男の付き合いってもんがあるの、特に俺みたいな下っ端はさ、上司のご機嫌取りに大変なんだぜ』

『それは大変だこと・・。でもね、少しは自重してくれないとね・・』

『ホント、四郎ちゃん度が過ぎるのよ。でも、仕方ないわよね、率先してお付き合いしてるんでしょ?』

『なんだあ・・、お前、その言い方はないだろ?。社会人は厳しいんだよ、学生のお前みたいに気楽でいられないんだ』

『ほら、またいつもの言い訳がはじまった。ねえ、お母さん』


『それより早苗、早くしなさい。恭介くん待ってるから・・』

『なんだあ?、今日も、恭介と会うのか?』

『そうよ、いけない?』

『ふーん、奴のどこがいいんだか・・』

『何言ってるのよ、四郎ちゃんの友達じゃない。もっと褒めるべきだわ』

『人の妹に手を出しやがってさ、ろくでもない奴だよ。ったく・・』


『二人ともいい加減にして、ほら、早苗は玄関へ、四郎は顔を洗って』

社会人になった四郎を、容易く想像出来るだろうか?。父親似の精悍な顔立ちと、現代っ子の特徴、すらりと伸びた足。


商社マン二年目の四郎は、いつの間にか男の逞しさを身にまとっていた。

『朝ごはん、食べる?』

『うん・・、いいや、俺、すぐ出かけるから』

『奈津美さん・・と、会うの?』

『いいや・・。母さんには言ってなかったね。彼女とは別れたんだ。結局、反りが合わないってことさ・・』

『そう・・』

『言っとくけど俺さ、当分、結婚なんて考えてないからね。気を揉んだりしないでよ』

『それは判っているわ・・、四郎のことなんだもの。いちいち、わたしが立ち入る必要なんてないでしょ・・?』


一途に人を愛する時代は終わったのか?。簡単に男女の別れを口にする四郎に、春代もいささか戸惑いを隠せないでいた。


『それよか、早苗のこと心配してやってよ。母さん。恭介ってさ、案外、薄情なところがあるんだ。根は良い奴なんだけどさ・・』

『四郎の友達なんでしょ?、もっと、褒めるべきだわ』

『ちっ、親子そろって同じこと言うかな?。じゃあ、出かけるから』

『遅くなるの?』

『晩飯とっといてね、そんなに遅くはならないと思うけど』

『もう・・、勝手なんだから・・』

四郎が玄関をくぐり抜けた時、表で表札を覗き込む、怪しい男の姿が待っていた。


『んっ・・・?』


『あのお・・、早坂さんのお宅でしょうか・・?』

『ああ・・、そうだけど。誰・・、おたく?』

『四郎くん・・?、じゃそね』

『えっ・・?』

『お母さんおるでしょうか?。いやっ、僕、怪しいもんじゃなかです、ごめんね、いきなりで・・』


そう言いながら、いそいそと、その男がポケットから一枚の写真を取り出した。


『ああ・・、これが僕、そして・・、この隣が次郎くん。そう、君のお兄さんの、次郎だ』

四郎が、そのしわくちゃになった写真を用心深く見ると、確かに、愛おしい兄の笑った顔が写し出されていた。全員軍服に身を纏った、記念写真だった。


『あっ・・。母さんっ!、ちょっと来て、ねえ、母さんっ!』

慌てて母親を呼び出す声には、困惑を隠せないでいた。


『どうしたの?、何かあったの・・?』

怪訝そうに春代が、駆けつけた。四郎の背中越しに、その男の顔を覗き込んだ。

三十半ばと見られるその男は、深々と一礼をした。


『どちら様でしょう・・?、四郎が何か』


『突然の訪問、失礼します。私、次郎君と同じ部隊におりました。矢口哲平と言います。ミンダナオの地で・・、次郎君に、次郎君に・・・』

声を詰まらしたその男は、俯いたまましばらく、声を失っていた。

肩を震わせながら、いつまでも頭を上げなかった。


『母さん・・、これ・・』

四郎がさっきの写真を、春代に見せた。

『次郎・・?、次郎だわ・・』

驚くでもなく、可愛い息子の笑顔を、春代は指でなぞっていた。


『矢口さんって言いましたよね、どうか、頭をお上げになってください。この写真から察すると、次郎が大変お世話になったようですね・・』

そう言って、矢口の肩にそっと手を差し伸べた。


『・・・、僕の・・、僕のせいで・・、次郎くん・・』

『誰のせいでもないのよ、ご自分を責めないでくださいな・・』

『・・。ありがとう・・、ございもす・・』

『四郎、上がっていただきなさい。いい?』

『う、うん・・』


少しくたびれた皮靴が、早坂家の玄関内に揃えられた。


正座のまま、やはり俯きっぱなしの矢口に、春代がゆっくりと声を掛けた。

『お腹減ってるでしょう?、大したものはありませんが、よかったらどうぞ召し上がって』

お茶碗一杯の飯と、鯵の干物。湯気の立った味噌汁が、矢口の前に並んだ。

一瞬、躊躇っていた矢口だったが、申し訳なさそうに箸を取ると、一気にそれを口にほおり込んだ。

埃にまみれた大きなカバンと、型のくずれた背広。それは、長旅の様相を見せていた。


『どちらから、いらしたの?。矢口さん』

『あっ、はい・・、鹿児島です・・。指宿から、来もした』

『鹿児島ってさ、あの、鹿児島?』

四郎が驚いたように訊き直した。それもそうだ、いくら戦後の交通手段が発達したと言っても、移動手段はごく限られていた。しかも、九州最南の地から東京までだ。その労力は測り知れなかった。


『じゃあ、今朝着いたのね、上野駅』

『はい、夜行列車で・・。わぜ揺られて、しかも寝っどころか、隣のオヤジのいびきがひどうてですねえ、寝れもはんでした・・』

矢口の間延びしたような特有の茶べり方が、この場の雰囲気を和ませていた。


『ご馳走様でした。夕べから何も喰わんでおりましたから・・。助かりもした』

『矢口さん、失礼な聴き方になるけど、どうして東京へ?』

『はい・・、本当はいっきにでも来たかったとです。引き揚げ船に乗せられて国に還ったら、すぐ、次郎くんのお母さんと、ご兄妹に挨拶をって、ずっと思うてもした。でも、いざ故郷に帰ったらですよ、家やら、畑やら焼かれてしもうて、手つけられんごとになって・・。つい、生活に追われて月日が経ってしもいました。本当に申し訳なく思っております・・』

『そう・・。大変だったのね、今は、どうなさってるの?』

『はい、親父の後を継いで畜産と、農業をやっておりもす。子供も三人おって、そりゃ賑やかで、毎日が戦争・・』


“戦争”という言葉に、急に口ごもった矢口に、春代が助け船を出した。

『もはや、戦後ではない・・。矢口さん、もう世間の常識なのよ。忘れましょうよ、あなたも』


『・・・。ありがとうございます。次郎くんから聞かされていもした。奇麗で明るいお母っはんだって・・。安心しもした。やっぱい来てよかったとです』

そう言って矢口が、カバンの中から何やら取り出したのだ。


『ずっと、渡そうと思っとりました。お母さんに』

くすんで色褪せた封筒を、そのまま春代の前に差出した。


『手紙です・・。次郎くんの、書きかけの手紙です』

矢口の、その言葉を聴きとった春代は、にわかに目を閉じた。

『俺、読んでいい?』

調子よく四郎が手を出そうとした時だ、春代がそれを遮った。


『後で読ませてもらうわ。それより矢口さん、もっとお話ししてもらっていいかしら?。あなたと、次郎のこと。そして南方で、何が起こったのかを』

春代の目が真っ直ぐに、矢口の献身的な心を見つめた。


『あの・・、僕、口下手なもんで、上手く語いがなっかどうか・・』

そう前置きをしながら、背筋を整えた矢口は、ゆっくりと喋り始めた。


『鹿児島から一旦、広島の呉に駐在しもしたとです。丁度、前の年に軍艦大和の進水式があって、とても活気で溢れていもした。全国から、南方に向けての兵隊が集めらちょったようです。それは異様な空気で一杯でもした・・・』



前年の昭和十六年八月八日に、呉海軍工廠から船出した巨大戦艦大和の余韻が、ここ、呉の町に、未だに残っているようだった。


『おい、お前ら。ヒィリピンって知ってるか?』

『ああ、何となくな。南方だろ?、台湾より暑いって聞いてるぜ』

『暑いどころか、赤道直下や!、知らんのかいな、ほんま・・』

『知る訳ないじゃろ。わしらこの土地しか知らんのじゃ、学校で習うたんは、アメリカと、イギリスくらいじゃろう?』


『フランス革命も習っちょうがよ、知らんきに?、おまんら』

『そりゃあ習うとるが、ばってん、教科書しか見たこたなかよ、ヒリピンごたる、どげな国かわかりゃせんもん』

各方面から召集された、少し行儀の悪そうな若人が、意気軒昂に交流を深めていた。


『あんた、何処からね?、そげな細か身体でどげんすると?』

『何だよ!、てめえの知ったことじゃないだろ。ええ!、ケチつけんじゃねえぞ!』

戦争という公の処刑場に送り込まれた不安と、若さの特権が、あちらこちらで揉め事を起こしていた。

倉庫の一角に集められた大勢の男どもで、熱気が充満していた。


『その南方には、いつ頃向かうのかな?、誰か情報持っていないか・・』

『ああ、情報とまではいかんけど、数日後には出航するみたいやけん。そげなこと言うとった。宇品がどげやらとか言うとった』

『知っとる・・。宇品港じゃ。呉の町からそう遠くはないけえ・・。なんで最初から広島市内に集めんかったんかのお・・』


『軍の都合や、あれこれ考えるだけ損やて、どうせ死にに行くようなもんや、せやろ?』

関西弁の男が、吐き捨てるように言った。

『そうだけどさ・・・・』

『へん、大阪もんは、怖がりちゅうのんは、ホンマやねえ・・』

それにちょっかいを入れるように、別の男が白けついでに言った。


『何言うてんねん!、誰が怖がりやてぇ?。お前こそ、足震えてんちがうんか!』

『震えてないがよ・・、まあ、わしのは武者ぶるいっちゅうことやきに。おんしの見栄とは本質が違うぜよ』

『おりゃあっ!、おもて出くさらせ!、しばいたろかあ!!』

ここにも、全国のツワモノ共が集合していた。実に頼りになる若人集団だろうか。


『おい、やめろよ!。ここで揉めてどうすんだよ。目付けられるだけだぞ!』

『なんやお前・・。えらい知ったかぶりするやんけ。おお!、お前もここで、しばかれたいんか?』

『そうぜよ、東京もんは、黙っとった方が利口じゃ。せいぜい怪我せんうちに帰えった方がいいぜよ』

『・・・。いいよ、じゃあ、外でやってくれ。俺、許可をもらうよ。誰か呼んで来るから・・』

『なんやて・・?』

そう言って無造作にその若者は、軍関係者と思われる者の傍に歩み寄った。


『あのお、ここは喧嘩禁止区域でしょうか?』

『・・・、ああ?、何じゃとお・・』

『もう一度訊きます。ここは、喧嘩をしても罪になりませんか?』

『この馬鹿たれがあ!!』

いきなり看守が、その若者の腹をめがけて握り拳を打ちつけた。


『ぐふうっっ・・!』

その若者は、身体をくの字に曲げて、コンクリートの床に崩れ落ちた。

『げほっ!、うう・・』

『喧嘩じゃったら、戦地で思いっ切りやれや!。のう、若いの!』

『あいつ、馬鹿じゃねえか・・?』

その光景を見ていた一人が、呆れて声を吐いた。


更に看守が、その若者の短髪の毛を鷲掴みにして、身体ごと引きずり上げた。次なる制裁を加えようとしていた。

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