09
――これが本当に自分達の血が流れている、あの愛しい娘なのだろうか。
城下の貴族住宅地の端に、それなりの居を構える釉家の現当主である釉 茨伊は、己の横に座す唯一の妻である女の小さな手を握りながら、言い様のない恐怖と悲しみを懸命に堪えようとしていた。しかし、それは結果的には叶わず、何も映そうとはしない、何も映さない硝子玉の様な瞳をした当の本人である娘によって容赦なく暴かれた。
「・・・、そんなに私が恐ろしく、哀れなのですか・・・?」
ふっと、漏れた笑い声は嘲笑と侮蔑に塗れ、自分達を【親】として、【家族】として思っていない事を如実に表し、嘲りを充分過ぎるほど含んだ声色と表情で、まるで何とも思っていない奴隷に慈悲を与えてやろうと言わんばかりな尊大な態度で、釉家の人間と空気を支配していた。
真実、娘であるのならば、娘は自分達の胸の中に飛び込み、愛情や温もりを求めるものだと決めかかっていた釉家の人達は、すっかり変り果てた家族の一員を前に声すら出なかった。――否、出せなかったのだ。
思えば懍砡に、――この娘に、自分達は第七皇子の妃として送り出し、今日再び出会う日まで、何をしてやっただろうか。自分達は権力と世論の前に屈し、娘であり、妹であり、姉である女性を見捨て、正室腹の娘であるのにも拘らず、庶子として扱ったではないか。
怨まれていても仕方がないではないか。それで気が済むと言うのならば、とことん恨んで貰い、また一から関係を築き上げて行けばいいのだと、そんな実に安易で生温い事を澪と茨伊は思っていたのだが・・・。
「――慧迦、私の室から道具を運び出す準備を。それに―――」
先程から疎ましくてよ、余所者が。
完全に凍てついた氷の如き声と共に飛んだ小刀は、室の天井に突き刺さり、その直後、天井から幾人かの人影が姿を現し、釉家の人間や、釉家に仕える使用人達をも驚かせた。
――こうでもなければ、この御方は今日まで生きては来られなかった。
懍砡に命を救われ、共に今まで生きてきた青年は、己の唯一無二の主の命に従う為、足音も立てずに主が嘗て幼き頃に過した室に向かい、これから必要とするものと、必要としない物を仕分け、必要としない物は、この国に未練を残さない様にと処分する様に予め主から頼まれていた。
己の主が今日生家に戻ったのは、この国から出て行く為であり、何より外に己の居場所を求める為でもあった。 これ以上この国にいたとしても、もう自分は幸せになれないのだと聡過ぎる主は悟ったのだろう。
――さて、あの方は何処までも気高く美しい主を、再び己の手の内に取り戻す事が出来ようか・・・。
恐らくそれはどんなことよりも難しい道のりだろうと思案しつつ、偽りの宦官である慧迦は、ほの暗い愉悦の含んだ笑みを、誰もいない主の室で静かに浮かべたのだった。