08
――なんと禍々しい国だろうか。
梁麗から和睦交渉の為に特使として、莉迂国の政治の中枢である立花にある皇城に足を踏み入れた若き文官は、皇王と皇妃の両者との拝謁が叶った瞬間、この国が実質上貴族と官僚らによって好き勝手にされているのだと悟った。
元よりその文官――蔡 六純は、梁麗国内に置いて、最も古き名門一族の三男でありながら、梁麗の若き皇帝に才能を見出された事で、宮廷に出仕が叶った異例中の異例な存在であり、その為、彼は通常の貴族官吏らより厳しい道を歩んできた上で、自力で皇帝の懐刀とも言える存在にまで成長した。
その彼の観察眼は、自国の皇帝を導いた三師の長と同等か、それ以上とも噂されており、実際彼の目に適った者達は私心なく皇帝に仕えている。
彼らの心は常に【梁麗と我らが皇帝の御為に】との思いがあり、邪な想いは己を堕落に導く卑しきモノだと心得ている。よって、梁麗では貴族とてその位に胡坐をかいていれば、いずれ平民出身の者達に位を奪われるのである。
「梁麗から遥々よう参られた。これが我が皇妃だ。――美しかろう?」
毒花とはよく言ったものだ。
目の前にいる若き皇帝は、皇妃一族によって雁字搦めになっている。
政治はかろうじて携わってはいられるようだが、内宮の事にはどうやら一切携われていないようだ。その証拠が自分のもとには既に入ってきているとも知らずに、毒花は悠然とした態度で笑みさえ浮かべている。
――やれやれ、これではまともな交渉は望めないではないか。
蔡文官こと、六純はとても一筋縄ではいかないだろう皇妃を忌々しく思いながらも、表面上は和やかに、かつ穏かに皇妃に阿り、その辺で適当に手に入れた土産物を恭しく捧げ、さり気無く、しかし狡猾に、恐らく大騒ぎになるだろう小石を投じた。
「それはそうと私共の陛下に御下賜下さるお妃様のお姿が見えぬようですが、お加減でもお悪いのですか?」
「っつ、き、妃は、どうしても譲らねばならぬのか?」
六純は自分の言葉に素直に反応した皇帝は好ましく思いつつも、皇妃の反応には思わずある種のおぞましさを覚え、認識を改めた。
どうやら毒花では生易し過ぎる様である。
彼女は己の利になるのならば、恐らく我が子の命さえ手に掛け、闇に葬るのだろう。
この手の女に逆らうとどうなるかを知らぬ男ではないだろうと、いったん探りを入れるのを止めた六純は、自国の貴族の姫君をも失神させるような蕩ける様な笑みを浮かべ、颯爽と衣音も立てずに【王の間】から退出した。
そしてその直後、李明宮の主である釉妃が行方不明である事が発覚した。
その時、既にこの国の妃の一人である釉妃が己の生まれた生家に帰っていたのを霙明が突き止めたのは、その日の夕刻になった頃であった。