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いつから自分達の娘は、自分達が知る『娘』ではなくなったのだろう。
「懍砡・・・、私の愛しい娘、懍砡っっ」
李明宮の主となった己が娘から向けられた無機質な瞳と視線は、釉妃の実母の心を容易に粉々に砕き、その実母は先程から何度も同じ言葉を繰り返し呟き、厳しい現実から逃避している。その態度こそが娘にとっては疎ましいのだとは知らず、ただただ、嘗ての娘の幻影を追うばかりである。
一方、久々に妹が帰ってきたとの知らせを受け急ぎ実家に戻ってきていた釉家の娘2人は、同じ血を分ける姉妹が様変わりしたのを動揺と共に激しい憤りを持って受け止めた。もう自分達が知っている妹であり、姉でもある『釉 懍砡』は存在しないのだと。真に自分達の血の分けた姉妹ならば、両親を悲しませる事はしないのだから。
だからあの女性は自分達の知る『懍砡』ではない。そう結論を弾き出した所で、代々家に仕えている下男夫婦が必死の形相で家族が集う室に駆けこんできたかと思いきや――。
「た、大変でございます、梁麗の大使と名乗る御方が、お、お嬢様に是非お目見えになりたいと、」
息を切らし、切れ切れに言葉を紡ぐ下男。
その下男は基をただせば懍砡の世話役であり、教育係りでもあった為、人一倍懍砡に心酔していた人物であり、今の釉家には必要のない人材とも言えた。そんな彼が今でも釉家にしがみつく様に仕えていたのは、いつの日にかきっと戻ってくると信じていた己が主の為だった。
願い、請い続けた18年間。
ずっと願って来てようやくその願いが叶ったと言うのに、今度は他国へ嫁ぐのではないかと言う恐ろしい噂が・・・。
否定して欲しいのに、主は肯定と取れる言動ばかりだ。いっそうのコト、自分も付いていこうか。幸い、今の釉家には男は必要とされていない上に、邪魔がられているようでもあるし。
下男が内心でそう決めかけていた時、その涼やかな声は突如として室に響いた。
「申し訳ありません、待ち切れずに入ってきてしまいました。――で、そちらの方が我らが陛下に嫁いで下さる方でございますか?」
玲朗な響きを持つ声。
その声は、核心を持って、いつの間にやら私室から居室へと戻ってきていた釉妃と宦官である青年へと言葉を向けていて、向けられた二人はゆっくりと、それでも確かに頷いた。
こうして李明宮の主であった国民達からさえ忘れ去られていた側妃は、この日を持って国から去る事となったのである。
その時の釉妃の瞳には、確かな覚悟の証である光が宿っていたと後の史書には遺されている。




