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初恋は、ぬいぐるみとともに。

作者: 有梨束
掲載日:2026/06/05

「そのぬいぐるみは君のお友達かな?よかったら、僕にも名前を教えてくれる?」


恋と呼ぶにはあまりにも単純で、それでも私の大事なぬいぐるみを馬鹿にしたりせずに、1人の人格のように扱ってくれた眩しい笑顔に、私ははじめて『人』に心を奪われた。



小さい頃から、人が怖かった。


ニコニコ話している裏で何を考えているのかわからなくて、わからないから勘繰りすぎて、勝手に疲弊して、いつも夜1人になると泣いていた。

何で人を怒らすのか、不機嫌になられるのか、笑われるのか、わからないことが怖くて、いつも顔色を窺ってビクビクしていた。


そのうち、誰かと話すのが難しくなった。

5歳の時には、すっかり口下手で、滅多に喋らない私が出来上がっていた。


両親には呆れられ、兄には揶揄われ、使用人には困った顔をされた。


そんななかで、唯一私を責めずに、話さなくてもいいんだよと微笑んでくれたのは、祖母だった。


家の中で、毎日祖母と一緒にいるようになるのに時間はかからなかった。


「レレアナは感受性豊かだから、全部を受け入れてしまうんだねぇ」

しくしく泣く私を抱き寄せて、何も言えなくても話し相手になってくれた。


「レレアナ、おしゃべりできなくても、妖精さんや女神様は心の声を聞いてくださるのよ。だから、あなたは1人じゃないわ」

そう言って、たくさんの本も読んでくれた。


それから、小さくなって着られなくなったお気に入りのドレスで、クマのぬいぐるみを作ってくれた。

落ち着く匂いと、祖母の淡いコロンの匂いがして、私はすぐにぎゅっと抱き締めた。


5歳の私には、抱えると少し大きいくらいだった。

祖母はクマの腕をぴょこぴょこ動かして、クマの手で私の頬を撫でた。


『ボクはレレアナの友達だよ。ボクに名前をつけてくれる?』


祖母の声なのに、腕の中のクマが喋っている感覚がしたのをよく覚えている。

不思議と実在しているように感じて、それをすんなり受け入れられた。


でも、上手く言えなくて、もじもじしていると、クマの両手でほっぺをむぎゅっとされた。


私はクマの向きを変えて、自分がクマの手を取った。

そしてクマに隠れるようにして、小さな声を自分から出した。


「…ボ、ボクの名前は、ベティ。おばあさま、ボクをレレアナの、お友達にしてくれて、あり、がとう…」

私が喋ったのだけれど、ベティが喋ったのだった。


たしかに、クマのベティが息づいた瞬間だった。


ベティを通したら、なぜか話しやすくて、自分じゃないというだけで心が軽かった。

こんな感覚はじめてで、嬉しくて、恥ずかしくて、やっぱりうれしかった。


顔を赤くして、ベティの背中に埋めると、祖母はベティも一緒に抱き締めてくれた。



『レレアナ、これからはボクがずっと一緒にいるからね』


あの日以来、祖母以外に理解者を得て、私はベティを片時も離さなくなった。

朝起きる時から、夜寝るまでいつも一緒。


はじめて心からの安心を手に入れた気分だった。



アスラン様に出会ったのは、ベティをいつも抱えるようになって2年近くが経った頃、7歳の時だった。

相変わらず、レレアナのままではおしゃべりするのが苦しかったけど、ベティに代わってもらえれば少しは話せるようになっていた。


ベティが代弁してくれるおかげで、前よりも生活がスムーズになった。


それでも、両親にはいい顔はされなかったし、兄には馬鹿にされたし、使用人には怪訝な顔をされるようになった。


祖母は体調を壊して、療養施設に移った。


私の味方は、ベティだけになっちゃったのだった。


だから、夜は1人きりで泣くのではなく、ひたすらにベティと2人きりでおしゃべりした。

ベティだけが、私の話をそのまま受け取ってくれる。

へんにお世辞も言わないし、いいことはいい、ダメなことはダメだとはっきり言ってくれるベティは、一番信頼できる人物になっていた。


ベティがいてくれればいい。

ベティがわかってくれればいい。

ベティなら、私の全部をわかってくれるから大丈夫。


そう自然と、心の拠り所になっていった。



アスラン様が我が家に来たのは、学園で仲良くなったお兄様を訪ねてきたことだった。


6歳年上のアスラン様は、兄と同い年のはずなのに、もっと大人びて見えた。

銀色の髪がサラサラで、髪だけ女の子みたいと思った。

濃紺の瞳は、ベティと同じ目の色だと思って、見つめていたい気がした。


「妹君、はじめまして。僕はアスランです、お兄さんの友達なんだ」

7歳の私にも丁寧に挨拶して、愛嬌のある笑みを見せた。

チラッと見えた白い歯が、肌と目の色と自然と溶け合っているような、少年でもあり、祖母がよく読んでくれた絵本の妖精みたいな可愛らしい顔つきだった。


私は初対面の相手に固まってしまって、ぎゅううっとベティを抱き締めた。

大体はそこで首を傾げられたり、眉間に皺を寄せられたりするのに、アスラン様はきょとんとしていた。


「ああ、そいつは自分じゃ喋られないから放っといていいよ」

兄の鋭い声に肩がビクッと跳ねて、余計に腕がベティに食い込んでいく。


泣きそうになって、でも「人様の前で令嬢が簡単に泣いてはいけない」と怒鳴った家庭教師の声が頭に響いて、顔をベティで隠した。

唇を噛むしかできなかった。


怖い、こわい、逃げたい、足が動かない。


「喉の調子でも悪いのかい?」

「喋れるくせにだんまりなんだよ。おかげでいい迷惑」

兄の盛大な溜め息は、もう慣れっこだ。


「いつもそうなのかい?」

「ああ。いっつもビクビクしてるし、つまんねえ奴なの。相手にしなくていいぞ」

「そう」

兄と会話していた瞳が、もう一度こちらを向いた。

私の目を見ようとしていた。


「ほら、宿題するんだろ?行こうぜ」

「ああ、先に行っていてくれ。すぐに行くよ」

兄は肩を竦めて、先に部屋へと向かっていった。


私とベティとアスラン様は、玄関ホールで立ち続けていた。


沈黙が流れて、私は足が動かないし、アスラン様は顎に手を当てて考え込んでいるし、気まずかった。

でも、考えている割には険しい顔ではないし、口の端がムッとしていなくて、怒っている雰囲気は感じなかった。


緩やかなそよ風みたいな時間だった。


「そのぬいぐるみ、かわいいね」

たくさん考えていたみたいなのに、次に発せられた言葉は、身構えるには肩透かしを食うものだった。


目をパチパチさせている間に、アスラン様は笑顔で続けた。


「そのぬいぐるみは、君のお友達かな?」

ベティを友達だと言ってくれたのは、祖母以外にはじめてで、濃紺の瞳の中のキラキラをじっと見てしまった。


ベティの目は、綺麗なつやつやのボタンで、照明にあたると白い丸が浮かぶ。

アスラン様の目も、それによく似ていた。


私は黙ったまま、小さくコクリと頷いた。


「やっぱり友達だったんだね、すごく仲が良さそうだもの」

ニコーッと笑った顔に、裏もなく本心を言ってくれている気がした。


今思えば、願望だったのかもしれないけれど、アスラン様に少し心を開くには十分だった。


「その子に名前はついているの?」


こくん。


「そっか。よかったら、僕にも教えてくれる?」


いつの間にか、体を屈めて視線を合わせてくれていた。


私はいつものように、ベティの手を取って、そのもちもちの手を振っていた。


『ボクの名前は、ベティ、って言うんだ』


ベティの返事にアスラン様はもっとにっこりして、何もなかったかのように自分の胸に手を当てた。


「僕はアスラン、ベティよろしくね」

『ああ、よろしくな』

「ベティ。よかったら君の可愛いお友達も、僕に紹介してくれないかな?」

『…この子は、レレアナ。おしゃべりが苦手だから、レレアナの代わりにボクがしゃべってあげているんだ』

「そっかぁ。じゃあレレアナ嬢とおしゃべりしたい時は、ベティに話しかければいいのかな?」

『そうだな、そうしてくれると助かるよ』


ベティの後ろでもじもじして、落ち着かなかった。


このお兄さん、ベティとおしゃべりしてくれたわ…!


動揺と心浮き立つ気持ちが入り混じって、そわそわした。


そんな私を見ても、アスラン様は変わらない笑顔を向けてくれた。


「では改めて、レレアナ嬢とベティ、よろしくね」

春風みたいな優しい声と、自然体の眩しさに、胸がとくとくと音がした。


初恋と呼ぶにはあまりにも色が薄く、ただときめいただけだったのかもしれない。


邪険に扱われない優しさに、救われただけかもしれない。


それでも、自分からもう一度話してみたいと思うはじめての人で、心を惹きつけるには十分強烈だった。



私が、アスラン様を好きになるのに時間はかからなかった。



あれから10年経ち、私はというと、口数の少ないおとなしい令嬢という評価を得るくらいにはなった。

この10年で、祖母は亡くなり、アスラン様とは兄が連れてくる時に時々お会いするくらいの仲だった。

幼馴染にもなれず、婚約者候補にもなれず、ただの友達の妹のまま。


それでよかった。

どうにかなりたかったわけでも、恋を叶えたいわけでもなく。

あんなに素敵な人は当然女性人気も高かったし、遠くで見ているのが私にはお似合いだった。

それでも、兄を訪ねにきたついでに、必ず私にもベティにも声をかけてくれる。


それが、何よりも嬉しかった。


だから、アスラン様が世界で一番幸せになってくれたらいいのにな、と心の中だけで思っていた。




「やあ、レレアナ、ベティ、久しぶり」

夜会などで遠くから見かけるが、家を訪ねてくるのは半年ぶりで、浮つきそうだった。


対面で話すたびに緊張するのは、今も昔も変わらない。


「アスラン様…!お、お越しになっていたんですね」

「そうなんだ、ちょっとあってね」

珍しく顔が曇っている気がして、胸がざわついた。


『アスラン殿、久しぶりだな』

「ベティ、久しぶり〜。ちょっとだけ、僕のことを癒してくれないかい?」

『なんだ、どうしたらいいんだ』

「レレアナがしているように、僕にも抱き締めさせておくれぇ〜」


この10年でそんなことを言われたことがなくて、ベティが話をしているのに、私の心臓がやけに速くなった。


『疲れているのか?仕方ない、特別に許可してやろう』

「ありがとう」

そう言って、私の隣に座っていたベティを抱き上げて、その腕で包んだ。


私はどうしていいかわからなくて、ドキドキが止まらなかった。


「はあ〜、癒されるぅ。レレアナがいつも抱き締めているから、どんな感じなのかなとは思っていたんだけど、こんなにも心地よかったんだね」


眉を八の字にしてふにゃあと笑うアスラン様は、こんなに近くにいるのに、いつも見ているより遠くに感じた。


「レレアナは、ぬいぐるみ作り、捗っているのかい?」

アスラン様はベティの頭に顎を乗せて、こちらを見下ろしてきた。


23歳成人男性にぬいぐるみという組み合わせは、あまりにも可愛かったけれど、アスラン様だと違和感がなかった。


でも、そんなことよりも濃紺の瞳が曇っている方が気になって、仕方なかった。


「そうですね。バザーに出すものと、自分用とを、相変わらずずっと作っていますね」


そうなのだ、私はこの10年でぬいぐるみを作るようになり、メキメキと上達していた。


唯一の取り柄と言ってもいい。



はじめて自分で作ったのは、ウサギのユーラで、祖母のようにはうまく作れなくてヨレヨレだったけれど、アスラン様はたくさん褒めてくれた。


「えっ、自分で作ったの!?すごいじゃないか!」

「ユーラって名前にしたの?かわいいね」

「じゃあ、ベティにとっては、はじめてのぬいぐるみの友達だね。喜んでくれたでしょ?」


当時14歳のアスラン様がそう言ってくれて、私がぬいぐるみを作り続ける理由の1つに簡単になってしまった。

今でも作り続けるから、私のベッドの上はぬいぐるみだらけだ。


あまりにも増えすぎて、最初の頃は子どものいる使用人にあげていた。

思いの外、喜ばれたし、ほんの少しずつ私への態度も変わっていった。


ぬいぐるみを通してでしかおしゃべりできない少女は、ただぬいぐるみを大事にしすぎていると気づいたのか、出来のいいぬいぐるみを分け与えたからかはわからないけど、柔和になっていくのを感じた。


「ぬいぐるみではお話ししてくださるので、お嬢様の気持ちがわかって嬉しく思います」と言ってくれたのは、侍女長だった。


両親もあまりに熱心に飽きずに作っているのを見て、バザーに出すかと提案してくれた。

飛ぶように売れていくぬいぐるみに、「レレアナは令嬢とは別の才能があったんだな」と態度を軟化させた。


お父様にいたっては、欲しい生地や綿、装飾用のビーズやパーツを買い与えてくれるようになった。

お母様は、もう少し令嬢らしくして欲しいものだけど、と口では言うが、私の作った猫のぬいぐるみをご自分の部屋に飾って大事にしている。

お兄様は、「この少女趣味が…」引いてはいるが、いちいち突っかかってくることも無くなった。



「レレアナが作るぬいぐるみは、愛情がこもっているのがわかるものね。僕も女の子だったら、欲しかったな」

アスラン様は、幼い頃に見せてくれた笑顔でにこやかにそう言った。


それだけで、私の心臓はどくどく言う。


「ア、アスラン様、今日は何かあったのですか?」

「ん?どうしてそう思うの?」

紺色の目が、少しだけ揺れた気がした。


「いつもお会いする時よりも、表情が硬い気がしたので…」

消えそうな声でそう答えると、アスラン様はベティが座っていた私の隣に、距離を空けて座った。

向かい合って座ったことはあったけれど、離れているとはいえ隣ははじめてだった。


「やっぱり、レレアナにはわかっちゃうか。君は人の気持ちに敏感だものね」

困ったように眉が下がっていって、ベティを抱き締める力が強くなったのがわかった。


私は縫っていた手を止めて、アスラン様の方に体を向けた。

はじめて会った時よりも、長くて重たい沈黙が続いた。


どうしたのかしら、はっきりしないアスラン様は見たことがなかった。


そうして、ようやくその重い口が開かれた。


「僕、魔物討伐部隊に選ばれたんだ」


世界から音が消えたようだった。


「一週間後に出発で、半年近くは帰ってこられないと思う」

「そ、れは、帰ってこられるのですか…?」


訊いてはいけないことを、訊いた気がする。

それでも、反射的にそう言っていた。

普段はうまく喋られないくせに、こういう時だけ本音が漏れてしまった。


「わからない。僕は最前部隊だから、危険ではある」

アスラン様が淀みなく言うものだから、耳の奥がキーンとした。


もしかしたら、もう、会えないなんて、こと。


「だから、レレアナに会っておこうと思って」

そう言って笑う顔はいつもと同じで、同じだから悲しくなった。


どうして私に会いに来てくれたのかはわからない。

素直に喜ぶにはあまりにも痛くて、泣きそうだった。


「……アスラン様は、優秀な騎士様ですからね」

「ふふ、ありがとう」

そんなことしか言えなくて、思わず俯いた。

視界に映っているのは、ベティの足と、アスラン様の脚だけだった。


私は意気地なしだから、ベティの手を取って、ふりふりと振った。


『無事の帰還を待っているぞ。気をつけてな』

ベティの言葉に、アスラン様がフッと笑ったのがわかった。


「うん、ありがとう。レレアナも、ベティも、元気でね」

アスラン様がどんな顔で言ったのかはわからなかったけど、春風のような温かさはどこにもなかった。




「ベティ、ずるいわ!アスラン様に、だ、抱き締めてもらって…!」

夜、ベッドに座り込んで、目の間にいるベティに文句を言った。


なんとなく、今はベティに抱きつけない。

アスラン様の匂いでもしたら、失神してしまいそうだからだ。


『なんだい、アスランとは恋仲になりたいわけではないと言っていたではないか。欲でも湧いたか』

「そ、そうじゃなくて!」

『そんなことよりどうするんだ。あいつ、討伐に行っちまうってよ』

「そんなの、どうにもできないじゃない。…私は、ただ、アスラン様が幸せになってくれればいいと思っていたのに…」


ぽつりと零れ落ちていく独り言が、妙に響いて虚しかった。


『レレアナ、お前はお前のできることをしたらいいんだよ』

「私に、できること…」

『ぬいぐるみ作りだろ?アスランのために作ってやれよ』

ベティはなんでもないように言うから、私の方が驚いてしまう。


「えっ、ぬいぐるみなんて渡せないわ。邪魔になってしまうじゃない」

『小さいのを作ったらいい。寝る時の癒しぐらいにはなるかもしれねえだろ?』


そう言われて、昼間のアスラン様の言葉と行動を思い出していく。


ベティを抱き締めて、息をついたアスラン様。

女の子だったら自分も欲しかったと言ったアスラン様。

いつになく笑顔が張り付いていたアスラン様。


「…お守りくらいには、なるかしら?」

『いらなかったら置いていってもらったらいい。渡すだけ渡してみろよ』


ベティの後押しに、私は生地棚から紺色の固い生地を取り出した。

机の明かりをつけて、適切に切って、黙々と縫い始める。


妖精様、女神様、誰でもいいです、アスラン様を無事に帰してください。

あの方には、ずっと笑っていてほしいのです。

それだけが、私に願いなんです。


どうか、どうか、アスラン様が無事に帰って来ますように。


祖母が言っていた、心の中が聞こえていたら、この願いは届くのだろうか。

不安な気持ちと戦いながら、私は小さい小さいぬいぐるみを作ったのだった。





出発の前日、私ははじめてアスラン様を訪ねていった。

自分から会いに行くのに勇気が必要だったが、ベティに叱られてなんとかやってきていた。


「レレアナ、どうしたの?何かあった?」

焦った様子で出迎えてくれたアスラン様に、必死で頭を下げた。


「お忙しいのに、申し訳ありません…!」

「それは、大丈夫だけれど。レレアナ、顔色が悪いよ?大丈夫?」

明日討伐に向かう相手より、顔面蒼白というのは、情けないし申し訳ないしで、気が滅入りそうだったが、なんとか首を振った。


「あ、あの、お渡ししたいものがあって…。前日になってしまって、ごめんなさい」

なんとか声を絞り出して、私は両手を出した。

そこには、紺色の人差し指ほどの小さいクマのぬいぐるみがあった。


「これを作ってきました、よかったら、お守り代わりにしてくださいませっ…!」

アスラン様の方に手を伸ばすので精一杯だったが、アスラン様はすぐにそれを手に取ってくれた。

その時、指先が少しだけ手のひらに触れた。


「レレアナが作ってくれたの?」

「はいっ、あの、急いで作ったので、不格好かもしれませんが」

「僕のために作ってくれたんだ…?」

「はい…!」


気の利いたことなど言えるわけもなく、それでも一生懸命返事をした。


アスラン様は何度か瞬きしたあと、ふわりと解けるように笑った。

そして、紺のクマを頬に寄せた。

瞳と同じ色のクマが、アスラン様と並んで、可愛かった。


「ありがとう、レレアナ。すっごく嬉しい」

「…たくさん、たくさん無事を願って作りました!だから、だからっ…」

途中で涙声に変わってしまって、言葉を詰まらせた。


アスラン様は、小さいクマの口にキスをした。

それをただ見ているしかできなかった。


「しかと受け取ったよ。帰ってきたら、一番に挨拶しにいくね」

「…一番でなくても、大丈夫です」

「嫌だよ、一番に会いたいもの」

あの時のような眩しい笑顔で、アスラン様はクマの口を私の口につけた。


何が起こったかわからなかった。


ただ、顔が赤くなったことだけは覚えている。



それからというものの、私はひたすらに1つのぬいぐるみ作りに心血を注いだ。

他のことなど考えたくなかった。

アスラン様のことがチラつけば、あのクマの口付けを思い出して顔から火が噴き出しそうだし、途端に不安が体中を蝕んでいく。


だから、それに集中するしかなかった。


私は、自分よりも二回り以上横に大きくて、膝ぐらいまで高さのある大きなぬいぐるみを作っていた。

腕を回しても後ろに届かないくらい、大きなぬいぐるみ。


紺色の美しい目に、銀の髪の男の子のぬいぐるみ。


人の形のぬいぐるみを作ろうなんて思ったことがなかったけれど、これで気を紛らわすしかなかった。


我ながら、馬鹿で、気持ち悪くて、暗いなと思った。


アスラン様に似た男の子のぬいぐるみなんて、アスラン様にバレたら気味悪く思われるかもしれない。

でも、それならそれで、アスラン様が帰ってくるからできることだと思うと、不気味に思われてもいい気がした。


どれだけ縫っても終わらないぬいぐるみを、ずっと作り続けた。


「アスラン様…」


泣きながら作ったのは、もうしょうがなかった。



半年ほど経って、銀の髪に紺色の目の男の子は出来上がってしまった。

凭れるようにしがみついて、時間を持て余すようになっていた。

他のぬいぐるみを作ろうとは思えなかった。


隣にベティも置いて、挟まれるように埋もれていく。


こうしている間にも、アスラン様は戦っていて、怪我だってしているかもしれないのに、私ときたら、本当にダメだ。


でも、力が入らない。

泣きたい。

泣きたくない。

会いたい。


ぎゅうぎゅう抱き締めて、弱音が独り言になってしまいそうになった時、屋敷の中が騒がしくなった。


「お嬢様、お嬢様!魔物討伐部隊が帰還されたようですっ!」

使用人の声に、バッと顔を上げた。


「ア、アスラン様は…?」

「それが…」

言い淀む使用人に息を呑んだ時、その後ろからボロボロの制服を着たアスラン様が顔を出した。


「………え」

「それが、凱旋パレードの前にご帰還されて、そのままこちらにいらしたようで…」


はて、どういうことだろうか。

私は、都合のいい幻覚でも見ているんだろうか。


「レレアナ、ただいま!」


屈託のない笑顔がそこにはあって、ヘロヘロと力が抜けていく。

床に倒れそうになって、アスラン様が咄嗟に支えてくれた。


「…っ!?」

「はははっ、驚いてる。そんな顔、はじめて見たよ」

嬉しそうに弾んだ声のアスラン様の顔が近くて、思わず仰け反った。


「あれ、逃げないでよ。やっと会えたんだから」

そう言って、私の前髪に手を伸ばしてきたけど、触れる前にピタリと止まった。


「あ、ごめん。風呂も入らずに来ちゃったんだった」

「…アスラン様、ですか?」

「えっ?そうだよ、僕だよ」

「…無事、なのですね?」

「ああ、かすり傷ぐらいなものさ」

「お帰りに、なったのですね…」

もう目の前が涙でぐちゃぐちゃで、アスラン様のことを見たいのに、何も見えなかった。

涙ごしに、銀と紺色が透けて見えて、余計にボロボロ泣いてしまう。


「ううっ、よかった、よかった…、無事ならよかったです…!」

「うん、レレアナのお守りのおかげでずっと頑張れたんだよ。ありがとう」

「無事に、帰ってきてくださって、ありがとうございます…」

思っていることが次から次へと溢れて、止まらなかった。


こんなに饒舌なこと、今までなかったのに。


「アスラン様に何かあったらどうしようって、私そればっかりで、何もできなくて」

「そんなことないよ。なんか、大きいぬいぐるみもあるし」

「あっ、それは…!」

隠すには遅すぎるし、隠せるような大きさでもなくて、アスラン様は男の子のぬいぐるみを撫でた。


「レレアナ、これなあに?」

「うえ、っと、その…」

「なんか僕と同じ髪と目の色じゃない?」

「うあ、う」

「ねえねえ、レレアナ。これ、どうして作ったの?」

意地の悪いような、むくれるような声に、私は目を泳がせるしかなかった。


それを逃さないとでもいうように、アスラン様が顔を覗き込んでくる。


は、白状するしかないみたい。


「それは、その、寂しさを紛らわすために…、作ってしまって」

か細い声の自分の告白に、顔が熱くなっていくようだった。


「僕に似せて作ったの?」

「…というよりも、アスラン様の代わりみたいな、もので」

「なにそれ。僕の代わり?」

聞いたことのないアスラン様の怪訝な声に、ヒヤッとした。


あ、どうしよう。

やっぱり、気持ち悪かったかもしれない。


目をギュッと瞑ったが、すぐに不機嫌そうな声が返ってきた。


「僕の代わりにこの子に抱きついていたの?なにそれ、羨ましいんだけど」

「…へっ」

「ねえ、レレアナ。せっかく帰ってきたんだから、僕に抱きついてくれない?」

そう言われて、一気に体中が赤くなった。


へ、へ、へぇっ!?


ちらりとアスラン様を見ると、真剣な表情で両手を広げていた。


「あの…」

「ぬいぐるみにはできて、僕にはできないの?」

「ほ、本物は無理です…!」

「なんで」

「だ、だって、私、アスラン様のなんでも、ないです、し」

自分で言っていて虚しいが、頭は冷静さを取り戻していくようだった。


そうだ、私たちは、所詮、兄の友達とその妹で。

だから──。


「レレアナ、僕と結婚してくれない?」


あの柔らかい声が響いて、すべてがスローモーションに切り替わっていくようだった。


「え、…っと」

「帰ってきたらプロポーズするって決めていたんだよね。レレアナ」

「ひゃ、ひゃいっ!」


噛んだ、もうやだ…。


アスラン様はにやけるように笑って、私の手を取った。


「僕には君が必要です。君がいてくれたら頑張れるって、もう知ってしまったんだ。だからね、僕のお嫁さんになってくれないかな?」

「…わ、私じゃ、あまりお役に立たな」

「レレアナがいいんだよ」

いつもはそんなことしないのに、アスラン様は私の言葉を遮って力強くそう言った。


濃紺の瞳が、いつになく強くて、キラキラしていて、ギラギラしていた。


吸い込まれてしまいそうで、吸い込まれてしまいたくなった。


「ベティたちと一緒に、僕のところに来ない?」

「…ベティも、他のぬいぐるみたちも、連れて行っていいのですか?」

「もちろん、レレアナの大事な人たちは、僕も大事にしたい」


ああ、そうだ。

この方は、ずっとそうだ。

ただのぬいぐるみだとわかっているのに、実在しているように大切にしてくれる。

ぬいぐるみにだって、話しかけてくれるし、そうやって私の心を大事にしてくれる人なのだ。


だから、私は──。


「アスラン様、あの、私、…あなたのことが」

そこまで言って、ううう…と勇気が萎んでいく。


こんな時まで、私って、と落ち込みそうになった時、ベティの声が聞こえた。


『レレアナ、大丈夫だから。どーんとかましてやれ!』


笑いそうになってしまった。

そして、自然と笑顔が作れていた。


「私、アスラン様のことが好きです。だから、私でよかったら」

「プロポーズ、受けてくれるかい?」

「はいっ…!」

「やったー!よかった!」

「きゃっ!」


気づいたらアスラン様にぎゅーっと抱き締められていて、腕の中でわたわたした。


「あ、あの、アスラン様…!」

「僕もレレアナが大好き!ずっと一緒にいてね!」

「ええぇぇ…?」

「ベティよりも好きになってもらえるように、頑張るねっ!」


紺色の私の好きな瞳は、やっぱり眩しくて、蕩けるように細められていた。


「ひとまず、このぬいぐるみに抱きつくの禁止ね」

「えっ」

「抱きつきたかったら、僕にして」

「ひええぇ」

『あーあ、イチャイチャしやがって』

ベティの呆れた声がしても、私はうまく返事ができないままだった。


しばらくアスラン様の腕の中にいたあと、アスラン様はベティの手を握った。


「ベティもただいま」

『ボクへの挨拶、遅くないか?』

「あははっ、ごめんね!」


ベティたちぬいぐるみに囲われながら、ほんのり甘く、アスラン様がいるという実感を味わった。

これからは、こうしてそばにいられるかと思うと、緊張でどうにかなってしまいそうだった。



「ベティ、私にひとまずぎゅっとさせて…!」

『しょうがねえな。レレアナは、ボクもいないとダメなんだから』


私の大親友は、いつものように抱き締めてくれるのだった。







お読みくださりありがとうございました!!

毎日投稿155日目。(とか言いながら40分も過ぎてしまった〜…。時間配分を間違ったな。明日からまた頑張ります…!)

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読んでいてほっこりしました。 可愛いお話をありがとうございました。
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