3
二度目の接触は、思いがけないほど早くやってきた。
結ちゃんと一緒に彼を訪ねた2日後、彼自身が授業後の生徒会室にやって来たのだ。
あたしは議会準備の大詰めを迎え、今日で全て終わらせてやると意気込んで、パソコンの画面に集中していた。戸口のところに立っていた彼を最初にみつけたのは、ノブ会長だった。
「新田じゃねぇか。何だ、どうした。」
「――ああ。」
びっくりして、あたしは勢いよく入り口の方を向いた。――彼がいた。
ここの扉は「開放的な生徒会」というスローガン通りに、常に開きっぱなしだ。あたしには、そのドア枠がこんなに狭そうに見えたことはない。昔よりもすごく大きくなったんだなぁと、今さら改めて思った。昔は、あたしとそう変わらない背丈だったのに。
彼は生徒会室の中を見回して、ぽかんとしているあたしに目をとめた。戸口をくぐって近づいてくる。
「これ。」
ぴら、と彼は一枚の紙を渡してきた。美化委員会の活動計画書だ。
「もうできたの?」
驚いて思わずそう聞くと、彼は頷いた。
「粗方はできてたから。こんなんでいいか、見て欲しいんだけど。」
「うん。」
あたしは紙を受け取って、目を通し始めた。なんとなく隣の彼が気になって書類に集中できなかったけれど、どうにか最後まで読み通す。――うん、大体OKだ。
「あとちょっと手直しして欲しいところがあるけど、大すじはこれでいいと思うよ。」
「わかった。」
言ってから、ふと気づいた。
「――ていうか、あたしよりも結ちゃんに見せた方がいいんじゃない?」
彼はぐっと眉根を寄せた。コワい顔。
「……河内だと話が進まない。」
苦々しい言葉に、あたしは思わず吹き出した。彼はますますムスッとした表情になる。
なんとか必死で笑いを押さえ込んで、あたしは彼に訂正箇所を言った。ここをもう少し具体的に説明して欲しいとか、こんな言葉を使ったらいいんじゃないかとか。彼は頷いて、明日にはまた訂正したものを持ってくると言った。
用事が終わって、彼はそのまま生徒会室を出て行こうとする。彼が戸口にさしかかった時、あたしはあっと思いついた。そういえば、戸棚の中に昨年度の計画書があった気がする。渡せば参考になるかもしれない。
――ゆーくん。
そう彼を呼びとめかけて、あたしは慌ててその言葉を飲み込んだ。
「――新田くん。」
初めて、彼のことをそう呼んだ。違和感で、舌がしびれたようになる。違う人を呼んだみたいだ。けれど彼――新田くん、は振り向いた。
あたしは急いで棚をひっかき回し、去年の美化委員会計画書を引っぱり出した。それを新田くんに手渡す。
「これ、去年のやつ。参考になると思うから。」
「――ああ。」
ぱっとその紙を受け取ると、新田くんは歩き去っていった。それを見送り、あたしは肩の力を抜いた。
新田くん、新田くんか。この呼び方に、早く慣れないといけない。
やっぱり、何年もずっと関わりがなかったあたしが「ゆーくん」と呼ぶのは変だろう。その方が不自然で、違和感があるだろう。
それは当然のことだ。けれども、ほんの少しだけ寂しく思った。
新田くんがいなくなった後、あたしは準備作業を再開しようとパソコンの前に戻った。やれやれ、と軽く伸びをしていると、ノブ会長がふらふら近寄ってきてあたしの隣に座った。
「藤原、新田と仲いいんだな。」
あたしは、まじまじと会長の顔を見た。彼は意外そうな、おもしろそうな表情をして見つめ返す。さっきのやりとりのどこを見て、このメガネはそんなこと思ったんだろう。
「……別に、そんなによくないと思うけど。そう見えた?」
「見えた。僕、新田があんなにしゃべっているところ、初めて見たぞ。」
そうなのか。新田くんはあれで、よくしゃべっていたのか。
思わずあたしがううむとうなると、ノブ会長はいきなりおかしそうに、肩を震わせて笑いだした。
「しっかし、新田が美化委員って……やっぱ何か似合わねぇな。」
それには、あたしも笑ってしまった。そういえば、確かに。彼は元々生徒会活動という柄じゃなさそうなのに、しかも美化委員とは。正直、ごみの分別指導とかしている姿があまり想像つかない。
「まぁ、あれで案外掃除とか好きなタイプなのかもしれんが。」
「それは、ないと思うけど。」
昔の彼を思い出しつつ、あたしが笑いながら言うと、ノブ会長はひょいと軽く眉を持ち上げた。
「そうか?――なんだ、やっぱり仲いいじゃないか。」
あたしは、肩をすくめるだけにした。もうこの話題はおしまいにしよう。
「それより会長。あたし、明日生徒会に来ないから。」
突然そんな宣言をすると、ノブ会長は顔をしかめた。
「正気かよ。明後日が議会なんだぞ。前日じゃねぇか。」
あたしはすまして答える。
「受け持ちの仕事は全部今日で終わらせるから。それに明日は、特に打ち合わせもないでしょう?ここんところずっと居残りしてきたんだから、いいでしょう、1日くらい。」
ノブ会長はやれやれ、とため息をついた。
「藤原は一番働いてくれたわけだしな。……ま、いっか。
そのかわり、レジュメはちゃんと読んでおくこと。」
「ノブ会長のそういう話をわかってくれるところ、好きだなー。」
会長はうっとおしそうな顔でうるさい、と追い払うしぐさをした。
けれどすぐ、興味津々は表情になる。
「で、藤原が無理やり休みとってまでいれたい予定って、何なんだ。」
「内緒。」
あたしは冷たく返した。ノブ会長が不満げな声をあげて抗議してくる。でも、悪いけどこれは黙秘させてもらう。
だって、本当に久しぶりなのだ。明日の授業後は前々からちゃんと、約束していた。絶対、意地でも空けないと。
久しぶりの、小野くんとの古典授業の日なのだから。