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「お願い、朝子ちゃん。」

 結ちゃんは切実です、という表情であたしを見上げた。本当に困っている様子で、眉を八の字にし、目もかすかにうるんでいる。小柄でかわいい子の上目づかいって、反則だ。良心と庇護欲が刺激されていけない。

「うーん……。」

 まいった、どうしよう。



 6月も既に、ラスト3分の1にさしかかった。日に日に気温は高くなっていき、蒸し暑さが増していく。雨ばかりというわけではないけれど、まだ梅雨は明け切っていない。そんな梅雨でも、晴れ間の日差しはもはや夏。ぎらぎらと狂暴さを帯びてきた。

 昼休みだというのに、あたしは弁当もそこそこに切り上げ、生徒会室に詰めている。期末試験前の定例議会が迫っていて、庶務雑務がどっさりあるのだ。各委員会や各クラス委員への連絡と確認。書類のまとめと、大量のコピー。役員の打ち合わせや、ひとっ走りして先生にハンコをもらってくるなどなど。

 最近は昼休みも返上だけど、あたしだけじゃなく他の役員の皆も忙しく働いているから、文句は言えない。たとえ、議会と一緒に迫ってきている期末試験が、非常に気になっているとしてもね。その辺は、皆だって同じなのだ。


 あたしは今度の議長も交えた打ち合わせに備えて、今までに提出された議題をまとめていた。生徒会の備品である古い型のパソコンにカタカタ打ち込んでいると、後ろから遠慮がちに声をかけられた。

「あの、朝子ちゃん。ちょっといいかな……?」

 振り返ると、美化委員長の河内結ちゃんだった。

「あれ、どうかした?」

 美化委員会に関する連絡・確認事項は、もう既に全て済ませてあるはずだ。何か他にあったかな、と思って尋ねると、結ちゃんは首を振った。

「ううん。あのね、実はお願いがあって。」

 あたしは結ちゃんに、近くに放置してあった椅子をすすめた。ぼろぼろの、いつ廃棄されてもおかしくない椅子だ。かなり申し訳ないけれど、この生徒会室にあるのはどれも似たようなものだから、どうしようもない。

 結ちゃんはぎいぎい鳴ってしまうその椅子にちょこんと腰かけ、こくっとつばを飲み込んでから言った。

「あのね、美化委員会の活動計画書のことなんだけど……。」

 ああ、とあたしは思い当たった。そういえば、美化委員会はまだ未提出だった。いつも事務系の仕事はそつなくこなして問題のない委員会だから、今回ちょっと遅れていてどうしたんだろう、とこの前の打ち合わせで会長が言っていたっけ。

「計画書、できた?」

 あたしが尋ねると、結ちゃんはしゅんと目を伏せた。

「それが、まだなんだ。――計画書の作成をしている人がいるんだけど、何の連絡もなくて、まだできていないみたいなの。それで、今から急かしに行こうと思うんだけど……。」

 ちらり、と結ちゃんは上目づかいにこちらを見た。

「朝子ちゃん、一緒に来てくれない?」

「え、いいけど……。」

 なんだそんなことか、とあたしは拍子抜けした。一人で行くのが嫌なのかな、となんとなく苦笑してしまう。

「その、計画書作ってる子って、誰なの?」

 結ちゃんの表情が暗くなった。小声で、ぽつんと言う。

「――8組の、野球部の新田くん。」



 耳を疑った。

「え――。」

 予想だにしなかった人の名前が出て、あたしは絶句した。結ちゃんは泣き出さんばかりに必死になって言う。

「お願い、朝子ちゃん。わたし、あの人――すっごく怖いの。いつも不機嫌そうっていうか、威圧感あるし、ほとんど話したこともなくて。」

「ああ、……うん。」

 呆然として、曖昧な反応を返してしまった。

 確かに、彼は結ちゃんみたいな小柄な子から見ると、すごく怖いだろう。あたしは、彼の上背のあるがっしりした体を思い浮かべた。愛想のない、ふてくされているように見える顔。あまりしゃべらないし、ちょっと怖いのはわかる。あの強面は評判のようだし。

 ――うーん。

 あたしはちら、とパソコンの画面に目をやった。

「……誰か、他に行ってくれそうな人はいなかった?」

 それとなく、仕事を楯にずるく逃げようとしたあたしに、結ちゃんは身を乗りだした。

「委員会の子は皆怖いって。――朝子ちゃんなら、あの人のことも怖くなさそうだし、気軽に話し掛けられるんじゃないかと思って。」

 そうだ。確かに、あたしは彼のことが怖いわけじゃない。怖いわけじゃないけれど。

 どうしよう、と迷っていると、向かいの机の雑然と積まれたファイルの向こうから、笑いをこらえる声が聞こえた。顔を向けると、黒ぶち眼鏡の奥の、明らかにおもしろがっている目と視線がぶつかった。

「――何?」

 ちょっとムッとして問いかけると、相手はにやにや笑いを返してきた。

「いやいや。当然、藤原には新田なぞ恐るるに足らねーよなと思って。」

「どういう意味、それ。」

 相手はすまして眼鏡を上げた。

「朝子姐さんにゃ、新田の威圧感もそよ風みたいなモンだろ?

 ――って、怒るなよ。これ、僕じゃなくて河内が言ったんだぞ。」

「わたし、そんなこと言ってないよ、会長。」

 結ちゃんは苦笑した。あたしは、呆れてため息をついた。

 このひょうきんな黒ぶち眼鏡が、我らが生徒会長、吉田信広会長だ。いちいち話に入ってこないでよ。そう言おうとして、あたしははっと気づいた。

「そうだ――ノブ会長、あんた8組じゃんか!」

 会長が結ちゃんと一緒に行けば、ちょうどいい。最良の案をひらめいたあたしに、ダメダメ、とノブ会長は手を振った。

「僕は藤原と違って繊細だから、新田の前なんか出たら気絶しちまうよ。同じクラスだけど、僕もあんまり話さないし。」

 こいつはー。あたしは脱力して息をはいた。結ちゃんはくすくす笑っている。

 ノブ会長はちら、と自分の腕時計を見た。

「ぐずぐずしてると昼休み終わっちまうぞ。議題まとめは後で誰かに投げておくから、さっさと行っておいで。」

 あたしは再びため息をついて、のろのろ席を立った。行くしかないのか。正直、気分が重い。結ちゃんもぱっと顔を輝かせて立ち上がった。

 あんまり話さない、だって。それを行かない理由にしていいなら、あたしだって、彼とは全く話さないのに。



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