鳳凰の涙
「鳳凰拳」それは古代某国で名を馳せた至高の拳法である。
その奥義は「燃え上がる炎」に例えられ、極めし者は鳳凰の如く天に舞うと伝えられていた。
その達人であった父を持ちながら、少年・炎翔は十四の春を迎えていた。
よく晴れた初夏の日差しが辺りを照らす。
たまに吹き抜ける風が心地いい。
炎翔は太い枝に腹ばいになり、下で汗を滲ませ型を打つ兄を見下ろしていた。
「型打ち千回だと言ったはずだ」
兄の低く、感情のない声が響く。
兄・炎嶺、二十一歳。
鳳凰拳の神童と呼ばれる男。父亡き後、家を継ぎ、弟に拳を教えている。
「さっき七百までしただろ? 残りは明日でいいじゃんか」
「七百は七百だ。千ではない」
炎翔は顔をしかめた。
兄はいつも正しい。
いつも強く、いつも無表情で、そして容赦がない。
(どうせ俺は、兄貴みたいにはなれない)
父が生きていた頃から、周囲は兄ばかりを称えた。
“鳳凰の再来”。
“百年に一人の神童”。
その隣で、炎翔は「弟の方は能無しだ」と囁かれ、いない者のように扱われた。
負けず嫌いな性分が、余計に胸を焼いた。
「……ちぇ」
炎翔は枝の上で寝転び、空を見た。
そこへ、少女の声がした。
「またサボってる!」
幼馴染の柳花だった。
同じく十四歳。穏やかな瞳と、きりりとした眉を持つ少女。
彼女は腰に手を当て、炎翔を睨む。
「お兄様が一人で教えてるのに、あんた何やってんの!」
「うるさいな。ちょっと休憩だよ」
「かれこれ一時間木の上じゃない!どこがちょっとなのよ」
柳花はため息をつき、木を見上げた。
彼女は生まれた時から、炎嶺の許嫁である。
だが、炎翔は知っている。
彼女の視線が自分に向くときだけ、少し柔らかくなることを。
「ほら、これ」
柳花は飴玉を差し出した。
「機嫌直しなさい。お父様が町で買ってきたの」
炎翔は飛び降りて受け取ろうとしたが、手を滑らせた。
ころり、と地面を転がる。
「あっ!」
炎翔は慌てて拾い上げる。
そこにあったのは、珊瑚色に輝く小さな珠。
「……?」
夜露に濡れたのだろうか。妖しく、だがとても美しく光っていた。
「地面に落ちて濡れちまったのかや?まあいいや」
炎翔はそのまま口に放り込んだ。
柳花が目を丸くする。
なぜなら柳花が渡した飴は鼈甲色であり、炎翔が手にしていたものは飴ではなかったからま。
「ちょ、炎翔、それ飴じゃ……」
言葉は続かなかった。
その珠は、古より伝わる秘宝――
“鳳凰の涙”。
不死を得ると噂される、伝説の宝珠であった。
だが、誰もその真偽を知らない。
炎翔は知らぬまま、飲み込んだ。




