55話 小角を知る者、名を叫ぶ
男の口が、その名を告げようとして動いた。
そのわずかな兆しに、後鬼は目を細める。
「あぁ……妙ですね。
どうしてあなたが“役小角”の名を知っているのでしょう」
巨大なムカデの式神が、怒り任せに頭を振るう。
「やはり……鬼使いの役小角か!」
その衝撃で、男と後鬼の距離が引き剥がされた。
男は一歩退き、即座に呪術を放つ。
『封印の式!』
後鬼の足元に光の円陣が展開され、空気が張り詰める。
男はフランへと視線を向け、確信を込めて言った。
「このクラスの鬼を従えられたのは役小角だけだ。
この娘が……その生まれ変わりか!?」
「その前に――」
後鬼の声は、ひどく穏やかだった。
「わたしの問いに答えてくださいませんか。
なぜ、あなたは役小角を知っているのか?」
封印陣の内側にいるはずの後鬼が、男のすぐ隣に立っていた。
男の喉が引きつり、声が消える。
後鬼は無言でムカデの頭部を踏み砕いた。
式神は悲鳴を上げる暇もなく霧散する。
そして、そっと男の頬をなぞるように指を添えた。
血が、男の目と鼻と耳から溢れ出す。
「……鬼気を感知できるのですね」
後鬼は淡々と告げる。
「ならば、あなたも“生まれ変わり”なのでしょうね」
男の口から、嗚咽が漏れた。
「あなた程度の呪術師が、この距離でわたしの鬼気を浴びれば――
血は煮え、内側から壊れてしまう」
後鬼は一歩引く。
「正直に話せば、抑えて差し上げますよ」
男は震えながら、ゆっくりと視線を落とした。
――――――
後鬼は男を拘束し、フランに《万回の刻》を施す。
毒が抜け、フランは苦しそうに息を整えた。
出血も止まり、意識が戻り始める。
「……紅葉」
フランが静かに言う。
「あなた、少し楽しそうに見えるんだけど」
後鬼は首を傾げた。
「楽しい、というより……興味深いのです」
彼女は男を見下ろす。
「役小角を知り、生まれ変わりを自覚し、ここへ来た。
理解の外にある存在は、確認しなければなりません」
「……こいつは村を壊したわ……わたしは許せない」
フランの声が低くなる。
後鬼は視線をフランへ移した。
「フランは術師との闘い方を勉強しないといけません。
簡単に隙を突かれた」
「……反省してる」
「基本は、常に冷静に……ですよ」
「ごめん――
紅葉がいなければ、わたしも村のみんなも死んでいた……」
後鬼は微笑む。
「この村を守るため、わたしはここに置かれていますから」
フランは男を睨みつける。
「どうしてこの村を襲ったの?
それに、どうしてロキ坊と同じような術を使えるの?」
後鬼が一歩前に出た。
「では尋問を始めましょうか」
――――――
男の上体を起こし、後鬼の尋問が始まった。
「お名前は?」
「……ロレンスだ」
――パンッ。
乾いた音とともに、男の小指が弾けた。
「ぎゃああっ!」
男が転げる。
後鬼は足で頭を押さえ、静かに言う。
「本当のお名前を」
「……あ……蘆屋道満……」
後鬼の瞳が、わずかに細くなる。
「それで結構です、蘆屋様」
「なぜ、役小角を知っているのです?」
蘆屋は震えながら答えた。
「知らぬ者などいない……
二鬼を従え、神を封じた伝説の呪術師だ……」
「あなたの時代に、彼は?」
「いない……すでに死んでいた……
俺たちの……憧れだ……」
「……彼女は役小角ではありませんよ」
蘆屋の思考が止まる。
「……なら、どこにいる」
「あなたのくだらない呪いを解くため、カイドウ村へ向かいました」
「……そんな、カイドウ村から鬼を操るなど――」
「それが――役小角です」
蘆屋は、力を失ったように項垂れた。
「ラァナ様に呪いをかけた理由は?」
「……スウェルドという貴族の依頼だ」
「仲間は?」
「……」
「何人ですか」
「……」
――パンッ。
薬指が弾けた。
「ぐあああ!」
「質問に答えて!」
フランの声が鋭く飛ぶ。
「村の人たちに、あれだけのことをしておいて――
黙って終われるだなんて思わないで!」
刀に手がかかる――
彼女の怒りは相当なものだ。
後鬼が静かに告げる。
「話しても、話さなくても――あなたは今日、ここで終わります」
蘆屋の呼吸が乱れる。
「……し、死にたくない」
「なら、仲間の数を」
「……助けてくれ――殺さな……い……っ!」
その瞬間。
蘆屋の身体が跳ねるような動きを見せた。
そして口が限界まで開く――
――ブチャッ。
頭部が内側から弾け飛んだ。
フランの顔が蒼白になる。
「……今のは」
「自動発動型の呪いです……」
後鬼は淡々と言った。
「彼以上の使い手が、背後にいるようです」
彼女はほんの少し嬉しそうに微笑んだ。
「……状況が、想定より複雑なようですよ」
いつもお読みいただきありがとうございます。
カルタ回からのフラン・後鬼回という流れでしたが、
お楽しみいただけていたら嬉しいです。
この3章は、少しずつ物語の色が変わり始める章でもあります。
ここから先は、4章へ向けて静かに流れが繋がっていきます。
引き続き見守っていただけたら嬉しいです。
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