53話 日常のフラン
役小角たちがカイドウ村へ到着した頃――
パジャン村では、いつも通りの朝が流れていた。
大きな依頼もなく、ギルドは静かだった。
ロッキもミラも不在で、フランは久しぶりに休暇を取っている。
もっとも、休暇と言ってもやることは多い。
洗濯物を干し、床を掃き、積もった家事を片付けていく。
「……ロキ坊、ちゃんと着いたのかしら」
独り言が、自然と溢れた。
「ロキ坊はともかく……どうしてミラさんまで同行なのよ」
胸の奥に残る、言葉にしきれないモヤモヤ。
心配と、少しの嫉妬。
置いて行かれたような気分――
「……ああ、もう! 休憩!」
フランは作業を放り出し、コーヒーを淹れる準備を始めた。
豆を挽き、湯を沸かし、テーブルに焼き菓子を並べる。
カップは、2つ。
「……紅葉も飲むでしょう?」
誰もいないはずの部屋で、フランはそう声をかけた。
「ふふ……よくお気づきで」
いつの間にか、後鬼――紅葉がそこにいた。
「なんとなくね。気配があったもの」
「光栄です」
「座ってて。もうすぐ用意できるから」
ロッキが村を離れる際、念のため後鬼を残していった。
有事に備えて、村を守るために。
だが平穏が続き、彼女はこうして姿を見せていた。
淹れたてのコーヒーを差し出すと、後鬼は興味深そうに覗き込む。
「……苦い」
一口含み、少しだけ顔をしかめる。
「でも、不思議ね。後から香りが残る」
「気に入った?」
「ええ。身体に作用する成分があるのね。漢方のような飲み物かしら」
「……かんぽう?」
クスリ、と2人で笑う。
人と妖。
立場も種も違うのに、妙に会話が噛み合う。
「紅葉と、こんなふうに話せる日が来るなんてね」
「望めば、いつでも話せますよ」
「前鬼さんとは……まだ?」
後鬼は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「……彼には、まだまだ覚悟が足りません」
その言葉に、フランは何も言わなかった。
窓の外では、小鳥たちのさえずり。
穏やかな昼の気配――
そこに忍び寄る凶兆。
――災いはいつも突然やってくる。
フランは、ふと違和感を覚えた。
「……なに? この、肌にまとわりつくような違和感」
「……フラン、あれを」
窓の外を見て、息を呑む。
「……紅葉、あれって?」
空に、異様な影が浮かんでいた。
蝶のようで――
だが大きすぎる。
「蝶妖……式神ですね」
後鬼の声が、低くなる。
「……式神?」
「人為的に作られた妖です。妖気を持たないので、わたしでも感知が遅れました」
その瞬間、小鴉丸が微かに震えた。
「……来ますよ」
突風――
窓から吹き込んだ風が、部屋を荒らす。
コーヒーが倒れ、洗濯物が舞う。
「ちょっと! せっかく畳んだのにー!」
「フラン、外へ!」
2人は家を飛び出し、空を仰ぐ。
蝶妖は、じっとこちらを見下ろしていた。
その時――
村の方角から、悲鳴と衝撃音。
「……村が?」
「ええ。もう始まっていますね」
後鬼は、静かに言った。
「妖は1体ではありません。術者もこちらに来ているようです」
フランは、小鴉丸を強く握りしめる。
「……急がないと」
――――――
同時刻、ギルドハウス。
フードを被った男が、無言で立っていた。
その背後には、3体の式神。
止めに入った冒険者たちは、次々に吹き飛ばされていた。
「やめてください! どういったご用件ですか!?」
受付嬢の声にも、男は振り向かない。
「……出せ」
「な、なにを……」
男は、睨むような仕草で言った。
「呪術師だ……」
「ジュジュツシ……?」
「先日俺の呪いを解いた――あの呪術師を出せ」
静かな日常は、
確実に終わりを告げていた。




