36話 後鬼嫌(ごきげん)斜めのお姫様
フランと後鬼が、再び闘技場へ歩き出す。
その背中を、誰も止められなかった。
しばしの沈黙を破ったのは、ミラだった。
「あの……闘技場の周囲に立っている、あれ……。
ずっと置物だと思っていましたが……」
言葉を濁したミラに、シルドが低く答える。
「……人間の剥製だ。正面の一番目立つ位置にリアスさんがいる」
ベルゼが、歯を噛みしめた。
「……その右。あの2人は――フランのご両親です」
ミラの一言に空気が凍りついた。
役小角は、その瞬間ようやく理解した。
なぜフランが、再び戦場へ戻ったのかを。
許せなかったのだ。
あの敵を――
その想いを
後鬼が汲み取ったのだ。
――――――
「……ロキボウに任せた方が、良かったですか?」
後鬼の問いに、フランは即答する。
「いいえ」
その声は、静かで、確信に満ちていた。
「怖いですか?」
フランは、少しだけ間を置いて答えた。
「……怖いよ。でも、それ以上に……
許せない」
後鬼は、微笑んだ。
「ならば十分です。
あなたは、あの者より遥かに強い。
それに――あなたには、わたしと小鴉丸がいます」
後鬼は一歩前へ出た。
美しく、冷たい笑みを浮かべて唱える。
『大海の凪――』
妖術が発動した瞬間、闘技場から“音”が消えた。
鎧騎士が口を開く。
だが、何も聞こえない。
ユニコーンも同じだった。
「指定した者の発する音を、すべて消し去る術です」
後鬼は淡々と告げる。
「これで、あなたはもう声を使えない」
次の瞬間。
『岩床の筵』
足元から突き上がる岩刃が、ユニコーンの身体を貫いた。
叫ぼうと大きく開かれた口から、音は一切漏れない。
「痛いですか? 苦しいですか?」
後鬼は、ゆっくりと近づく。
「助けてほしいですか? ……はっきり言わないと、伝わりませんよ」
ユニコーンは必死に何かを訴えている。
だが、声はない。
「そうでしょうね」
後鬼は、優しく、残酷に言った。
「それは――あなたが、今まで幾百、幾千の者に与えてきた苦しみと同じです」
袖から扇子が取り出される。
その瞬間、前鬼の顔色が変わった。
「……小角、下がれ」
「え?」
「最悪、岩山ごと吹き飛ぶ」
後鬼は扇子を開いた。
『竜流の焔』
巨大な火竜が出現し、洞窟の天井を突き破る。
島全体が揺れ、熱気が空を焼いた。
火竜は、空から闘技場を見下ろす。
「彼が、あなたを焼き尽くして喰らいます」
後鬼は静かに告げる。
「遺言は……不要ですね」
扇子が、振り下ろされた。
火竜が落下し、ユニコーンの姿は炎に呑まれ、
――消えた。
一瞬の沈黙が落ちる。
「……岩山は、飛ばされなかったね」
「……少しは理性が残っているらしい」
その時、後鬼が振り返る。
「前鬼。全部、聞こえていますよ」
全員が、言葉を失った。
後鬼はフランの前に立ち、掌を胸に当てる。
『万回の刻』
傷が癒え、力が満ちる。
「ありがとう、紅葉」
「あなたは、勝てます」
後鬼は、炎の向こうに立つ鎧騎士を一瞥した。
「退路はありません。
――思う存分、舞ってきてください」
フランは、小鴉丸の柄に手をかけた。
恐れはない。
もう、逃げない。
あの日失ったすべてを――
今ここで、取り戻すために。
フランは、鎧騎士へと歩き出した。




