005
時は流れ、夜。
ダンジョンの空を優しく地上を照らす蒼き満月と満天の星空。
それは地上では決して見る事のできない幻想的な風景。
モンスター達も各々の落ち着く場所で寝静まり、静寂が訪れている時。
そこに、一人の屍があった。
「…………」
「だ、ダーナさん、だ、大丈夫?」
屍の正体はダーナ。
あれからちゃんとユノの言いつけを守り、指定されたルートを走り、その道中で出会う全てのフィールドモンスター達を薙ぎ倒し続けてきた。
その根性にはユノも目を見張るものがあった。
提案した当初は本当にやるのか、という不安げな様子もあったが、やってみれば彼女は泣き言一つ言う事はなかった。
何処までも真摯に、真っ直ぐに。
ユノから与えられた課題をクリアしようと走り続けた。
「……う、うん、も、問題ないよ……でも、そろそろギルドに戻らないと……だよね」
膝を折り様子を伺っていたユノに顔だけをこちらに向けてくるダーナ。
それからダーナはゆっくりと立ち上がるのを見てから、ユノは首を横に振る。
「え、えっと……ぎ、ギルドには戻りません……」
「え? 戻らないの?」
「うん。明日も同じ事やるから、ダンジョンの中で寝泊りするつもりで……あ、い、嫌、だった?」
ダンジョン内で寝泊りをする場合はギルドへの申請が義務付けられている。
これには当然、時間制限もあり、今だとギリギリだ。
とは言え、ダンジョンの中で寝泊りするのを嫌がる子も居る。
出来る事ならもっと早くダーナに伝えるべきだったのだろうが、ユノはなかなか言い出せなかった。
「ご、ごめんなさい。きゅ、急に言って……い、嫌、だよね?」
「……ううん。むしろ逆!!」
先ほどまでくたびれていたであろう身体が一気に飛び上がる。
「キャンプみたいで面白そうじゃん!! やろやろ、ユノちゃん!! 申請ってどうやるの?」
「あ、えっと……D=デバイスの申請って所を押して……」
目をキラキラと輝かせるダーナに圧されながらも、ユノは自分のD=デバイスを見せながら、申請の方法を教える。
申請を終えると、ダーナはユノを楽しげな様子で見る。
「こういう事ってそう簡単に出来るようなことじゃないでしょ? ほら、探索者の特権っていうか? こんな綺麗な場所で過ごせるなんて何ていうか、ワクワクするでしょ?
何か特別感あるし!! 楽しまないと勿体無いよ!!」
「……ダーナさんって、その……何でもチャレンジ出来る人、なの?」
ユノの問いにダーナはう~ん、と唸り、腕を組む。
「そうだね~……割と何でもやってきたからね~。一番はやってみなくちゃ分からないっていうのが一番だけど」
「やってみなくちゃ分からない……」
その言葉の凄さをユノはすぐに理解できた。
ユノはそのスタートラインにすら立てていないから。
ユノは一気にダーナが眩しく見えるようになった。まさに光輝く太陽のような人。
そんな印象を強く抱いた。
「スゴイな~……」
「え? そ、そう? そう言われると嬉しいな~。でも、ユノちゃんだって凄いじゃん?」
「わ、私はぜんぜん……」
「私、クタクタなのに、息一つ切れてないでしょ? それは間違いなくユノちゃんが努力してきたって証だし、私は誇るべき事だと思うけど? ユノちゃんは凄い!!」
ずいっとユノに顔を近づけ、ニコっと笑う。
ユノは直感的に思った。
この人は……人たらし、だと。こう人を褒める事にためらいが無く、そこに裏表を全然感じない。
本当に……凄い人だ。
「……うぅ」
だからこそ、ユノにとってダーナは眩しすぎる。
ユノはダーナから視線を逸らし、D=デバイスにあるアイテムボックスを見る。
その中にあるモンスター避けのついたテント、薪、フライパンに、これから食べる食材達、更には人一人が入れるくらいの巨大な缶を取り出す。
「ん? ユノちゃん。これは?」
ダーナは見慣れないものだったのか、人一人が入れるくらいの円形の缶を指差す。
「そ、それは……お風呂だよ」
「え? そ、外……で?」
「え? だって、誰も来ないし……」
確かにユノも最初は抵抗があったが、今じゃ入らないと落ち着かないくらいには慣れきってしまっている。というか、空にある満月を見ながらの入浴というのは落ち着くし、リラックスもする事が出来る。
なるほど、と呟いたダーナは缶を見て、頷く。
「は、入ってみて良い?」
「も、勿論。ちゃんとお風呂に入って、リラックスして、身体もほぐさないと。あ、明日に響いてしまうので……ちょ、ちょっと待って下さいね」
ユノは薪を集め、その上に缶を置く。
それから両手を缶の上に広げ、魔法を行使する。
手のひらには小さな魔法陣が現れ、水が流れ落ちていく。
それを並々注いでから、今度は薪に指先で火をつける。
魔法。
探索者だけではなく、探索者ではない人たちも使える『生活の必需品』
ここ大国パンケアの生活の全てを支える技術であり、探索者として鍛え上げれば、武器にもなる優れもの。
ユノは簡単な風魔法で火の勢いを調節しながら、お風呂の準備を進める。
「……うん。このくらい、かな? ダーナさん、ど、どうぞ」
「了解。あ、ゆ、ユノちゃん。ちょ、ちょっと向こう見ててくれる?」
「あ、は、はい!!」
ユノはすぐさま後ろを向く。
すると、後ろから布と肌が擦れる音が聞こえてきた。
それからちゃぷん、という水に入るような音が聞こえ、ユノは振り向く。
「どう、ですか?」
「これは……悪くない……むしろ……素晴らしいわ……」
湯加減が丁度よかったのか、どっぷりと肩まで浸かり、ほっこりとした表情になるダーナ。
「ダンジョンって空気も綺麗だし、それに気候もちょうど良い……家にあるお風呂よりも気持ちいいかも……」
「そ、それは……よかったです。あ、後、ご、ご飯もすぐに作るので……」
多分、ダーナはお風呂から出てしまったら、すぐに眠くなってしまうだろう。
だったら、このまま片手で何かを食べられる方がいいかもしれない。
ユノは机を用意し、そこに食材達を乗せる。
パンに、各種野菜に、モンスターボアのお肉、瓶詰めされた塩に、自家製ソース。
お風呂から見ているダーナは赤みがかったボアの肉を見つめ、口を開く。
「それって、ボアのお肉だよね? モンスターのお肉って食べられるの?」
「あんまり馴染みが無いよね……。モンスターのお肉ってすっごく硬いし、食べる為にはかなり手間が掛かるから、お値段も高くなりがち……どちらかというと、ペットとかそういう食事に使われがち……」
「確かに高いし、手間、ね。殆ど珍味、みたいな感じ」
「うん。でも……ダンジョンの食材はダンジョンのモノを使えば美味しく食べられる」
ユノは瓶詰めしてある塩をボアの肉の上に振り掛ける。
すると、パチパチ、という弾ける音が響き、ボアの肉が徐々にほぐれていく。
それにダーナは目を丸くする。
「え? 何それ? 塩? でも、ただの塩じゃない?」
「こ、これは第二層にある海域で、採れる『弾け塩』……普通に舐めると口の中で塩が暴れ周り、激痛が走ると言われている」
ユノは辛い過去を思い出す。
子どもの頃、父と母が仲睦まじく料理をしているときに、安易に舐めて、口の中がとんでもない激痛に襲われた事があった。
しばらく塩恐怖症になり、塩を舐められなくなった。それくらいに弾ける勢いが強い。
しかし、これを人の手には硬すぎるボアの肉に振り掛ければ、柔らかくジューシーな仕上がりになる。
そうして、柔らかくなったボアの肉をフライパンに載せ、焼いていく。
そこに父特製の自家製ソースを掛け、両面を綺麗に焼いていく。
じゅー、という肉の脂と火が織り成す音色を聞いていると、ダーナが呟く。
「お、お腹が空く音がする……」
「ご、ごめんね。も、もう少しだから……」
肉が焼けたのを確認してから、パンを取り出し、野菜と一緒に肉を挟む。
そうして完成するのが『ボアのパチパチサンドウィッチ』である。
父が開発した料理であり、ユノの大好物。
それを出来立ての内にダーナに渡す。
「は、はい。どうぞ。片手で簡単に食べられて、お腹も膨れるから……」
「……あ、ありがと」
ダーナは受け取ると、両手で掴み、一気に頬張る。
「ん!? お肉、めちゃくちゃ柔らかい!! それに……うまっ!! 何これ!? 甘辛のソースとちょっとしたしょっぱさがアクセントになって、美味しい!!」
「よ、良かった……」
ユノは安堵する。
口に合わなかったらどうしようかと思っていたが、合うのなら作った甲斐もある。
ダーナは一つをペロリと平らげてしまう。
「ユノちゃんって料理まで出来るなんて……何でも出来るの?」
「……その、私ってほら……独り……だから……」
そう、これらの技術全ては独りだったから、身に付いたものだ。
周りの目が怖くて、ギルドの中に居るのが苦手だったから、ダンジョンで寝泊りするようになり、身に付けた生き抜く術に過ぎない。
そう、ユノからすればこれは生きていく為だけに磨いた技術だ。
ユノが俯くと、ダーナはじっとユノを見つめる。
「ねぇ、ユノちゃん。ちょっと聞いても良い?」
「え? あ、はい……」
「ユノちゃんってさ、パーティ組みたいって思わなかったの?」
「…………」
ダーナの問いにユノは俯いてしまう。それからすぐに頷いた。
けれど、ユノはすぐに口を開く。
「で、でも、私は……全部、失敗しちゃった……から……」
「失敗?」
「わ、私はその……ぱ、パーティを組んだ事があります。その……三回、だけ。い、一回目は皆仲良しのグループで……お、お姉ちゃんが空いてるからって入れてくれた……」
当時の事を思い出し、ユノは語る。
「私もすごく、嬉しかった。だから……いっぱい頑張って、モンスターとか全部倒しちゃって……その、皆の役に立ちたくて、でも……私……皆に……。
そんなに頑張って欲しくないって……皆はただ……仲良しでパーティになっただけで……上は目指してないって……私のやり方は望んでないって……言われて……私は、パーティを抜けた」
「…………」
「に、二回目は、実力者の集まるパーティにまた、お姉ちゃんが……入れてくれた……でも、私……前の事があったから……あんまりでしゃばらないようにして……でも、そしたら、今度は……コミュニケーションが取れないとか、何考えてるのか分からない、とか言われて……」
ユノ自身、分かっていた。
これらは全て自分のふがいなさ、失態である、と。
相手は悪くないのだ。自分がちゃんと相手との距離を測り、コミュニケーションを取る事が出来ていたら、こうはならなかった。
だからこそ、自分が成長しなくちゃいけない、って思っていたのに。
勇気を出さなくちゃいけないって思ったのに。
「それでまたやめちゃって、三回目のパーティは皆の役に凄い立って……皆、私を友達だって言ってくれて……それがすごく嬉しかったけど……。
そのパーティは私の成果を独り占めしてて、それが……バレて解散しちゃった……」
「…………」
三回目のパーティは本当に楽しかった。
パーティメンバーの人たちは優しくて、友達だとも言ってくれて、自分が何をやっても肯定してくれていた。それが嬉しくてモンスターを数え切れないほど、倒した。
ユノは別に報酬が欲しかった訳ではない。ただ、パーティを組んで誰かの役に立ちたかった。もう一人ぼっちで居なくても済んだような気がしたから。
けれど、ギルド法で報酬の搾取は許されていない。
そう、全ての報酬をユノは貰っておらず、全てその友達が独占していたのだ。
つまり、ユノはただ働き。
ユノはそれでも良かった。けれど、世界はそれを受け入れなかった。
それがギルドに露呈し、パーティは解散。
三人の内、リーダーだった男ヒュブリスは最も重いダンジョンへの追放処分。
クルーガーとルーチェの二人は探索者のライセンスが剥奪された。
そして、ユノは被害者という事で、何も無かった。
けれど、これはユノにとってあまりにも辛く、苦しかった。
もう自分にはパーティを組む資格はないんだ、そう痛感するくらいに。
でも……やっぱり。
「わ、私は全部……失敗してるんです……。私の、せいで……でも……本当は……」
ユノは目から溢れる涙を拭いながら、言う。
「私も……パーティが組みたい……皆が……羨ましい……寂しい……でも、どうしたらいいか……全然、分からなくて……」
やっぱり、パーティを組みたい。
独りよりも皆が良い。
「ユノちゃん……良し!!」
ザバーン、と思い切り立ち上がり、ダーナはユノの前に立つ。
何か強い決意に満ちた表情で、堂々と立っている。
「今、ユノちゃんに足りないのは成功体験、だよ!! ユノちゃんは人と関わろうとする事を成功した事がないんだ!! もしも、ユノちゃんが本当に人と話せないなら、私とだって話せてない、でしょ!? だから……出来ない訳じゃない。そのきっかけがないだけ。だから……私がユノちゃんの先生になるわ!!」
「だ、ダーナさん……」
「ユノちゃんが私に探索者としての極意を教えて貰う代わりに……私がユノちゃんに人との関わり方を教えてあげる。それで……パーティを組めるようにする!!
今、私がそう決めた!! ユノちゃん、貴女は出来る!! だって、貴女はこんなにも優しいから!! だから、自分を責めないで!!」
「ダーナさん……」
ダーナはドン、と胸を叩く。
「私が必ずユノちゃんがパーティを組めるようになるまで、コミュニケーションを取れるようになるまで……全部、教える!! だから!!」
そう言い切ってから、ダーナはユノに手を差し伸べる。
「これから頑張ろう!! 一緒に!!」
ユノは月明かりに照らされる女神を見た。
そして、これは本当にラストチャンスだと感じた。
きっとこの手を取らなかったら、もう自分はダメなんだと。
ダーナがくれた最後のチャンス。それをふいにする訳にはいかない。
それが――確信に変わった。
ユノはダーナの手を取る。
「うん……わ、私、変わりたい……だから、その、よ、宜しく……お、お願いします。ダーナさん」
「さんはダメ!! 私が相手なんだから、もっと気安く!!」
「え、えっと……あ、その……」
ぎゅっと強くダーナの手を掴み、口を開く。
「だ、ダーナ……ちゃん……」
「うん!! それで良し!! フフ、これから宜しくね、ユノちゃん」
「……うん、ダーナちゃん」
そうして、ここにもう一つの師弟関係が結ばれた――。