004
「それじゃあ、ユノちゃん。宜しくお願いします!!」
「え、えっと……は、はひ……」
ビシっと敬礼をするダーナにユノはビクっと肩を震わせる。
握手を終え、いよいよダーナに探索者の極意を教える事になったのだが、ユノの胸中は緊張で溢れていた。
カチコチに固まる全身と先ほどから止まらない冷や汗。
ユノはダーナと顔を合わせる事も出来ずにキョロキョロとしてしまう。
「……ん~、なるほど」
「だ、ダーナさん?」
「ユノちゃんは結構、人見知りするタイプ? それも結構酷い感じだ?」
「え、えっと……」
ユノが小さく頷くと、ダーナはうんうんと頷く。
「だよね。んじゃ、ユノちゃん。私の言う通りにしてみよっか?」
「へ?」
いきなりの提案にユノが目を丸くすると、ダーナはニコっと笑い、両手を広げる。
「ほら、吸って~……」
両手を広げ、ゆっくりとダーナは大きく息を吸う。
ユノもそれに倣って大きくゆっくりと息を吸う。
お腹が膨らむ感覚を覚え、少しばかり気持ちが落ち着くのを感じる。
「吐いて~……」
ふぅ、っとゆっくりとダーナは息を吐く。
ユノもまたゆっくりと息を吐く。
リラックスする為の深呼吸。先ほどまでカチカチに固まっていた身体が少しばかり弛緩していき、心が落ち着いていくのを感じる。
「どう? 多少はマシになったでしょ? 慣れない人とかが目の前に居る時は一回、落ち着くといいんだ。頭がパニックになっちゃったら色々大変でしょ?」
「…………」
かなり気を遣われているらしい。
何だか申し訳なくなり、ユノは肩を小さくする。
「うぅ……ご、ごめんなさい……」
「もぅ、謝らなくてもいいのに。人には向き不向きがあるんだし、ユノちゃんが人付き合いが苦手なんだったら、私もそれに付き合っていくから大丈夫。
ゆっくりと慣れていけばいいよ」
何という優しい言葉だろうか。
ユノは感激してしまうが、心のどこかでそれに甘えるべきではない、とも思ってしまう。
ただ目の前に居るダーナが優しいだけ。
他の人はそうではない事が殆どだ。だからこそ、自分が変わらなければならないと分かっている。
ユノは首を横に振る。
「う、ううん……わ、私は……が、がん、ばる……」
「……うん!! じゃあ、まずは何をしたら良い?」
ダーナの問いかけにユノは考える。
探索者の極意について教えて欲しい、と言われ、引き受けてしまったが、正直な所、何を教えたらいいのか分かっていなかった。
というのも、ユノが強くなった方法というのは基礎の反復でしかない。
実家に居た頃から、ただ闇雲に剣を振り続け、探索者になってからも、体当たりで負けを繰り返しながら強くなってきた。
愚直と言えばそうだし、基礎は大切だ。
かと言って、この方法は時間が掛かる。
でも、一足飛びに強くなる方法は存在しない。
色々な可能性を考えるが、その前に。
ユノは知らなければいけない事に気付き、声を掛ける。
「あ、あの……だ、ダーナさんはどのくらいの探索者経験がありますか? その……ら、ライセンス試験の結果とか……お、教えて下さい……」
「探索者経験は本当に少しだけ。それこそ、クエストを数個受けたくらいかな? ド新人で良いと思う。後、これが私の試験結果」
ダーナはポケットに入れていたD=デバイスを取り出し、画面を操作して、ユノに見せる。
探索者になるには、ギルドが定めるライセンスを入手しなければならない。
そのライセンス取得には『試練』が存在する。主な要素は三つ。
『身体』
身体能力の素養を見る。
『面接』
パーティを組む際など、ギルド内でのコミュニケーション能力を見る。
『筆記』
探索者として必要なモンスターの知識を見る。
この三つを総合的に見て、適正があるのか無いのかを判断し、ライセンスを渡すかギルドが判断する。
ユノはダーナのD=デバイスの画面を見た。
身体 D 可もなく不可もなく、そこそこ。
面接 S 良く気づき、コミュニケーション能力が高い。
誰とでも上手くやれるだろう。
筆記 B ケアレスミスもありながら、高水準。
総合 B 姉とはまた違った優秀さ。
何より誰とでも仲良くなれる潤滑油のような女性。
リーダーの器であり、サポートもこなせる。
それら結果をじっと眺めていると、ダーナの恥ずかしそうな声が聞こえた。
「な、何かはずいね、こ、これ、見られるの」
「へ? あ、ご、ごめんなさい……え、えっと……その……まだ、会って全然経ってないけど、だ、ダーナさんって感じがします」
変な取り繕い方をしてしまったのか、ダーナは恥ずかしそうに笑う。
「や、やめてよ。そ、それよりも、どう? 私の成績は?」
「え、えっと……悪くない、と思います。身体のDランクは一応、最低に近いランクですけど……誰だって最初はそうだから……全然、大丈夫です。実力は、分かりました」
「本当? こう剣とか一発、交えた方が分かりやすかったりしない?」
ダーナがいきなり物騒な事を言い出すが、ユノは首を横に振る。
「た、探索者同士の戦いはき、禁止されていますから……」
「……そうだったね」
「新人で、身体能力も並くらい……」
頭の中でいくつかの可能性について考えてみる。
それは一ヵ月後にミノタウロスに勝てる可能性。
ユノはそれを考え、頭の中で纏める。
しかし、考えを纏めると、果たしてそれは言っていい事なのか迷ってしまう。
これはダーナを追い詰めてしまう事になるのではないだろうか。
そう頭の中で考えてしまうが、ユノはそんな考えを振り払う。
これは『命』が関わる事だ。
だとするのなら、そこで遠慮をしてはいけない。
その遠慮で、目の前の良い人、優しい人を死なせてしまうかもしれない。
それは――ダメだ。
ユノは意を決し、口を開く。
「……だ、ダーナさん。その……い、言いにくいんですが……」
「何? 何でも聞くよ?」
「……今のダーナさんの実力で頑張っても、ミノタウロスに勝てるかどうかは割りとギリギリだと、思います。パーティなら余裕もあるんですけど、ダーナさんは……ソロ、なんですよね?」
「うん」
ユノはダーナの目を見る。
すぐに恥ずかしくなり、逸らしそうになってしまうが、ぎゅっと両手に力を込め、真っ直ぐ見る。
「だ、だったら……そ、相当、頑張らないと難しいと思います。わ、私も……た、大変な事、いっぱい、言うと思います。それでも……が、頑張りますか?」
「うん、私はやるよ」
即答だった。
「私はね、認めさせなくちゃいけない人が居るの。絶対に負けたくない人が居るの。共に並び立ちたい人が居るの。そんな人たちと一緒に私は戦いたいから。
だから、その為に血反吐を吐く事になったとしても、私はやる。やらなければならないの」
意志の込められた力強い言葉だった。
威厳と覚悟。その両方を感じ取れた言葉にユノは胸を打たれる。
本気だ。
彼女は本気で勝とうとしている。
だったら、ユノのやるべき事は一つだ。
「分かりました。じゃあ、私が持ってる全部を貴女に伝えます」
「うん、分かった」
「それじゃあ、まず、最初に……大事な事を教えます」
ユノは真っ直ぐ整った綺麗な顔立ちのダーナを見た。
ダーナもまた真剣な眼差しでユノを見ている。
「だ、大前提で、人間とモンスター。その力関係について、です」
「力関係?」
「うん。私はえっと……人間は弱い存在だと思ってます」
「え?」
ユノが言った事にダーナは目を丸くする。
「そうなの? あんなに強いのに?」
「強くても……私はミノタウロスロードの一撃を喰らえば、簡単に死にます。私達、人間とモンスターじゃ、まず、強度が違うんです。
私達はちょっと殴られたりしたら死んじゃうけど、モンスターは違います。
何度も攻撃する事になったりする。だから、人間はパーティを組むんです」
個の力が乏しいのが人間。個の力が強大なのがモンスター。
この絶対的な差を埋めるのが、パーティだ。
足りない部分を補い合い、強大な敵に挑んでいく。
それが人間がモンスターを倒す為に持っている『力』
「だから、人間は弱い。私も含めて、全ての人間が弱いんです。そして……弱い事を自覚すれば、慢心をしないし、油断もしない」
「……なるほどね。何となく言いたい事は分かるわ。モンスターが常に有利でいるって事を思ってればいいって事だね?」
「そういう事です。これは絶対原則だと、思ってます。どんなモンスターであっても、人間を殺してしまう怖い存在……例え、この一層に居るウルフやスライムであっても、そうです」
ユノは常にそう思っている。
ウルフもスライムも簡単に人間を殺せる。
実際に殺されてしまっている探索者も居る。
それだけ人間にとっては過酷な世界なのだ。
「だから、最初の内、私が良いって言うまでは……一人でモンスターと戦わないで下さい。これは……大事な約束です。もしも、何かが起きて、ダーナさんが死んでしまうかもしれない、から……。
戦うなら、私と一緒、です」
「うん、分かった。ちゃんと守るね」
「ありがとうございます。これはちゃんと覚えていて下さい。基本的にダンジョンはモンスター有利、です」
ユノの念押しにダーナは頷く。
じゃあ、次は、と。
ユノはD=デバイスでこの第一層の地図を開く。
始まりの草原の全体図を見つめ、線で通るべき場所をなぞっていく。
全てをなぞり、始点に戻ってきたら、その画面をダーナに見せる。
すると、ダーナの顔が一気に青ざめた。
「えっと、それじゃあ、今から……始まりの草原を……走ります」
「え? えっと……ユノちゃん、この線は? 何かスライムのナワバリとか、ウルフのナワバリとか、ボアのナワバリとか全部通ってるけど……それだけじゃなくて……円が大きくない?」
「そ、それは、今から始まりの草原を走りながら、全部回ります。それと、道中で出会ったフィールドエリアモンスターは全部、倒して下さい」
フィールドエリアモンスター。
それはエリアで最弱の敵だ。
第一層で言うのなら、ウルフやスライム等の下級モンスターだ。
その階層における最底辺であり、このモンスター達を倒す事が出来て、ようやくその階層のダンジョン探索が出来る、というレベルだ。
「あ、安心して下さい。ミノタウロスみたいなフィールドボスモンスターの徘徊ルートは全部外してあるので……」
フィールドボスモンスター。
フィールドエリアモンスターの上位種であり、このくらいになるとパーティを組んで戦う必要があるくらいのレベルだ。
ミノタウロスもこのレベル。
ただ、ボスとは一口に言ってもピンキリな部分も多い。
ダーナは何度か画面を触り、冷や汗を流す。
「え、えっと……始まりの草原って滅茶苦茶広いよね? それこそワープポイントを使わないといけないみたいな……これ、端から端まであるんですけど……。だって、端から端って歩いたら、次の日になるって聞いた事あるけど……」
「?」
ユノは首を傾げる。
「えっと……あ、ご、ごめんね。体力をつける必要があるの。戦いっていうのはやっぱり、い、一番大事なのはた、体力だから……まずは基礎体力を付けて、とにかく戦う。
大丈夫。私は日課でやってた事だから」
「な、なるほど……そ、そーいう事ね。全てを理解したわ。良いわ、やってやろうじゃない……」
「だ、大丈夫。わ、私もちゃんと着いて行くから、ね?」
ユノも最初にここに来たときにやった事だ。
つまり、今のダーナにだって出来るはずだ。
ふぅ、と息を吐き、真剣な表情になるダーナは気合を入れた声で言う。
「じゃあ、行きます!!」
「わ、私は後ろから着いて行くから……あ、歩いたらダメだよ?」
「……え?」
「え?」
歩いたら、修行にならないから。
ユノがそう思っていると、ダーナは乾いた笑みを浮かべる。
「な、なるほどね、すべてをりかいしたわ。むじかくすぱるたってやつね」
「だ、ダーナさん?」
「やってやるわ。そう決めたもの。行くよ!! ユノちゃん!! 屍は貴女が拾ってね!!」
「えぇ!?」
屍になんてならないのに~。
そう思いながら、走り出したダーナの背中をユノは追いかけていった。