003
「あれ? 何かおかしいな」
後頭部を掻きながら、D=デバイスの画面を見つめるダーナ。
D=デバイス。
それは大国パンケアに暮らす人の九割以上の普及率を誇る携帯端末だ。
ダンジョン由来の代物であり、およそ十年前から爆発的に普及した便利グッズだ。
一般人は生活のサポートや連絡手段として使え、探索者はそれにプラスして、ダンジョンの情報が内臓されている。
モンスターの動向や図鑑、更には探索者達が受けるクエストの管理に、探索者ライセンス、それだけに留まらず、モンスターが落とすドロップアイテムの管理まで何でもござれ。
まさしく、探索者達の探索を支える便利アイテムだ。
そんな端末を操作し、ダーナは首を傾げる。
「この辺りってウルフのナワバリなんだけど……」
ダーナの立っている場所、そこはD=デバイスの画面ではウルフの縄張りと書かれている。
にも関わらず、周囲にはモンスターの気配は一つも感じない。
場所は草原。隠れるような場所もない。
恐らく誰かが倒した、そう考えるのなら――。
ダーナは画面を人差し指でタップし、操作する。
この先にあるのは『守護者の間』
受付嬢ルキナが言っていた場所はここの事だろう。
「守護者の間っていっぱいあって良く分からなかったけど、一番近くで正解だったみたい」
守護者の間以外、詳しい場所を聞かずにここまで来てしまったが。
正解だったらしい。
ダーナはD=デバイスをショートパンツのポケットに仕舞い、手に黒のベレー帽を持つ。
「早く返してあげないと。それだけじゃなくて、今度こそちゃんと話が出来るといいけど……」
先ほどはどうも怖がらせてしまったらしい。
ダーナ自身、そういうつもりは全く無かったが、彼女の特徴をもっと良く把握して、声を掛けるべきだったかもしれない。
「元々、人付き合いはかなり苦手な方なんだし……次はもっと慎重に……うん」
彼女の事はそれなりに知っている。
関わりがあった訳ではないが、ダーナ自身が一方的に彼女を知っている。
「まぁ……向こうはガチガチだったし、覚えてないよね」
一年ほど前の記憶を思い出しながらも、ダーナはすぐに首を横に振る。
あんまり長居すべきではない。
ここでウルフがまた現れてしまったら、また時間を取られてしまう。
それにもしかしたら、ユノが何処かへ行ってしまうかもしれない。
ダーナは先ほど確認した方角へと向き直り、足を進める。
それから十数分後。
モンスターとも鉢合わせる事もなく、平和に歩みを進めていたダーナ。
が、突如として、烈風が襲い掛かる。
「うわっ!?」
ぎゅっと反射的にダーナは黒のベレー帽を持つ手を強め、顔を腕で覆ってしまう。
衝撃波か、突風か、ダーナには分からなかったが、突然の事に目を白黒させる。
「い、いきなり何!?」
幸い、怪我をする事はなかったが、この道をそのまま進むのは危険だ。
そう思ったダーナは少しばかり道を逸れ、前に歩き始める。
ブン、とまたしても先ほどまで居たダーナの場所に向かって、突風が吹き荒れる。
「うえ!? 何事、マジで……」
若干の冷や汗を流しながら足を進める。
そうして最初に見えてきたのは――巨大な牛の怪物だった。
「へ……え……」
その巨体を見た瞬間、ダーナは足が止まった。
辺りを見渡したが、隠れられるような場所はなく、草原が広がっているだけ。
視線の先に見えるのは闘技場のような円形の広場。
そこに巨大な牛の怪物が居た。
あれが、ミノタウロス?
そんな疑問と同時にダーナは理解した。
あれは――無理だ。
睨まれている訳でもなければ、こっちに気付いている訳でもないのに。
ただ、そこに居るだけなのに恐怖で足が竦んで、動けなくなっている。
そう、まるで金縛りにでも掛かってしまったかのように。
ダーナは思わずその場にペタン、と腰を落としてしまう。
「違う、ミノタウロスは先生って呼ばれてるんだよ? だから、アレは違う……でも、アレは何?」
自分でも驚くぐらいに震えた声だった。
しかし、ダーナは勇気を振り絞り、ポケットに手を入れる。
確かに見た目はミノタウロスだ。
ダーナはD=デバイスを取り出し、図鑑を見る。
合致する存在は居た。
ミノタウロスロード。
ミノタウロスの上位種であり、ユニークモンスター。
当階層よりも遥か上の実力を持つモンスターであり、討伐報告は一人。
あれが、ユニークモンスター。
初めて見るその威圧感に戦々恐々としていたが、ダーナは見つける。
そんな潜在的な恐怖を突きつけてくる存在の真正面に立つ威風堂々たる少女の姿。
ギルド史上初めてユニークモンスターの討伐に成功し、今でも日常的にユニークモンスターと戦い続けている、通称『ユニーク狩りのユノ』
ユノは右手に剣を持ち、先ほどまでとは全く違う堂々とした佇まいで立っている。
次の瞬間、ユノが動いた。
ユノが動いたと理解したのか、ミノタウロスロードが右手に持つ大鉈を力いっぱいに振るう。
それは縦に巨大な突風を起こし、ダーナの横を通り過ぎていく。
「きゃっ!?」
さっきまでの突風ってコレ!?
ダーナは思わず身を小さくしてしまうが、視線はユノから逸らさない。
逸らしていない、はずだった。
「あれ? 居ない、どこ……」
そうダーナが呟いた時、ドン、ドン、という心臓に響く音が鼓膜を、心臓を震わせる。
その瞬間、ミノタウロスロードの頭に生えた壮大な二本の角を貫き、削り取っていた。
ダーナは思わず空へと視線を向けると、ユノが剣を振り抜いていたかのようなポーズで、空中に浮遊している。
「グアアアアアアアアアアッ!!!!」
今度はミノタウロスロードの絶叫。
ダーナが思わず耳を押さえると、ミノタウロスロードに変化が起きる。
血走った紅い瞳になり、全身の筋肉が隆起。更には熱を放っているのか、全身から白い煙を噴出している。
「あ、アレって、確か……あ、ミノタウロスの象徴の角を折ったから……怒ったんだ」
ミノタウロスを攻略する手順として角折りという方法がある。
ミノタウロスにとっての強さの象徴であり、誇り。それが角だ。
それを折る事はミノタウロスにとっての誇りを穢す行為であり、最も逆鱗に触れる行為。
それを受けたミノタウロスは怒り狂い、暴れ回る。
だが、それは同時に弱点を露呈する。
「怒りのあまりに全身の血か沸騰するほど熱くなって、本来は硬い肉体が柔らかくなる……。ミノタウロスを攻略する時の常套手段だっけ……それってユニークモンスターにも有効なんだ。
でも、それって……」
ミノタウロスロードは怒り狂っているのか、真っ直ぐにユノを睨みつける。
そして、右手に持っている大鉈を見えない速度で振り回すと、それは一つ一つが小さな斬撃となり、ユノに襲い掛かる。
ダーナには最早、何が起きているのか全く分からなかった。
ミノタウロスロードが振るう大鉈の速度なんてまるで見えないし、ユノが空中を華麗に動きながら近づいているが、何を避けているのかも全く分からない。
何も分からない。
分からないはずなのに。
ダーナはユノから目を離せないでいた。
ユノは斬撃を剣で弾きながら、地面に着地すると、そのまま地を蹴る。
ミノタウロスロードはユノの動きを察知したのか、大鉈を大きく振りかぶった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
唾を飛ばすほどに叫び散らしたミノタウロスロードの絶叫と共に振り下ろされる大鉈。
だが、ユノは剣をぎゅっと握り直し、振るった。
「え……は?」
振るわれた刃は刃渡りよりも長いミノタウロスロードの胴体を簡単に切り裂いた。
ミノタウロスロードの身体は上と下で綺麗に半分になり、振るうはずだった大鉈は右へと逸れていく。そして、切断面からミノタウロスロードは光の粒子となって、消失が始まる。
「嘘……でしょ……ユニークモンスターを、一撃で……」
見た事が無かった。
感じた事が無かった。
ダーナは思わず息を飲む。
何だ、この子は……。
ユノがゆっくりと刃を鞘に収めると同時にミノタウロスロードの全身が光の粒子に消え、ユノの腰にあるD=デバイスへと吸収されていく。
ユニークモンスターの討伐。
並の、否、今までどんな探索者であろうとも、パーティでも果たせなかったユニークモンスターの討伐。それをたった一人で、しかも、たった一太刀で終わらせてしまった。
「すご……凄すぎる……ハハ、アハハハ……こ、これがユニーク狩り。嘘でしょ……」
まだ夢を見ているような気がした。
でも、これは夢じゃない。
それを教えてくれるように心臓の高鳴りが抑えられない。
彼女は紛れも無い『最強』だ。
「ん~、今のちょっと遅いな~……。ミノタウロスロードくんがちょっとした抵抗を見せちゃったし、それに手間取っちゃったし……うー、も、もう一回!!」
「凄い!! 凄い凄い、凄過ぎる!!」
ダーナは思わず拍手をしていた。すると、その音が聞こえたのか、ビクっとユノが肩を震わせた。
「ひゃあっ!? な、何!? って、さ、さささ、さっきの!?」
ダーナはすぐさま立ち上がり、一気にユノに近づく。
そして、ユノが反応するよりも先に手を握った。
「貴女、凄い!! ユニーク狩りってこんなに強いなんて!!」
「え? へ!? え、えっと、あ、あの、その……」
ぐるぐる、と目を回し、戸惑っているユノを見て、ダーナは思わず手を離す。
「あ、ご、ごめんね、いきなり。で、でも、私、凄く興奮しちゃって……この世の中にユニークモンスターをあんなに簡単に倒せる人が居るなんて、噂では知ってたけど、本当に居るって目にしたら、何か興奮しちゃって。あ、そうだ。これ。帽子、落としてたよ?」
「え? あ……」
ダーナは当初の目的通り、黒のベレー帽をユノに渡す。
すると、ユノは目を丸くし、そっと黒のベレー帽を手に取った。
「あ……えっと……その……」
「ん?」
ダーナが首を傾げると、ユノはあたふたと慌てふためく。
それを見たダーナは優しく笑い、小さく頷く。
「うん、ごめんね。言いたい事、あったんだよね。大丈夫、待ってるから。ゆっくりで、ね?」
「え、あ、えっと……えと……あ、ありがとう……ございます……」
か細すぎて聞こえるか分からないくらいの小さな声だったが、ダーナにはしっかり聞こえていた。
であれば、ちゃんと笑顔で応える。
「うん、どういたしまして」
「…………」
チラチラとこちらの様子を伺っているユノ。
ダーナは思う。何というかさっきとはまるで違う。
戦っている姿はとても勇ましくかっこよかったのに、今はまるで怯える小動物だ。
何だかとても可愛らしく見えてくる。
しかし、今はそういう事を言っている場合ではない。
それに彼女がこういう事が苦手であるのなら、こちらからちゃんと進めないと。
「私はダーナ。ユニーク狩りさん、少しお願いしたい事があるんだけど、良いかな?」
「へ?」
「私ね、まだ探索者になったばかりなんだけど、一ヶ月以内にミノタウロスを一人で倒さなくちゃいけなくてね。その為に探索者について教えてくれる先生を探していたの。
それで……私にその戦い方を教えてくれないかな?」
☆
「戦い方を教えてくれないかな?」
目の前に居るダーナの提案にユノは目を丸くする。
突然の提案だった。
というか、彼女の登場がユノにとってはあまりにも想定外だった。
先ほどまでずっとミノタウロスロードの討伐タイムアタックをやっていた。
今日はそこまで芳しい成果を上げられている訳ではなかったが、先ほどまで沈んでいた気持ちがようやく上向いていた時。
そこに彼女、ダーナが現れ、黒のベレー帽を返すと同時に提案をぶつけてきた。
帽子を持って来てくれたダーナはきっと凄く良い子なんだろう。
それはユノも何となくだけれど察する事が出来ている。
それに、提案も凄く嬉しいものだった。
もしかしたら、何かが変わるきっかけになるかもしれない。
これを逃したら、本当にダメな気がする、最後のチャンス。そんな気さえしてくる。
けれど……。
「……え、ええっと……」
「ん? 何か言いたい事がある感じ? 勿論、何でも言っていいよ?」
親指を立て、満面の笑顔を見せるダーナ。
その表情を見てユノは歯噛みする。
本当に良いのだろうか?
「え、えっと……い、良いんですか? 言っても……」
「勿論!! バッチコイ!!」
「そ、その……い、1ヶ月でミノタウロスは……そ、相当……その……頑張らないと……」
そこでユノは口を閉ざしてしまう。
パーティであれば連携を高め、個々の力を多少伸ばせば、ミノタウロスは倒せるだろう。
でも、ダーナが言っているのはソロ。
だとすると、話は違ってくる。
ミノタウロスと対等に戦えるだけの実力にしなければ話にならない。
ダーナの実力を見ていないから断定できる訳ではないが、現実問題一ヶ月という期間で可能ではある。
だが、当人が相当、努力しないと無理、というのがユノの判断だった。
しかし、ダーナは首を縦に振る。
「大丈夫。どんな事だってやるって決めてるの。それに私は絶対に探索者になりたいの!! 認めさせなくちゃいけない人が居るの。だから……お願いします、ユニーク狩りちゃん!!
私に……探索者の戦い方を教えて下さい!!」
真っ直ぐユノを見つめ、ダーナは頭を下げた。
その言葉から感じたのは誠意とやる気。そして、覚悟。
ユノは手に持っていた黒のベレー帽を見た。
これはチャンスだ。
今まで掴む事の出来なかったチャンス。
自分が踏み出す事が出来なくて、不意にしてきた事はいくらでもあった。
ユノはぎゅっと帽子を掴む。
「あ、あの……わ、私で……い、良いんですか? そ、それに、す、すごく大変で……」
「大変なのは百も承知!! それに私は貴女が良い!! 貴女の強さは何ていうか……自信に満ち溢れていた。今まで鍛錬を欠かさなかったんだって、何ていうか真摯な強さっていうの? そういう感じだったから!! 私は貴女が良い!!」
「……うぅ」
真っ直ぐすぎる瞳がユノの双眸を貫く。
あまりもの熱意。けれど……嬉しかった。
こんなにも自分が良い、と言ってくれる事が。
であるのなら、それに背を向ける訳にはいかない。
「……わ、わわ、分かり……ました……私で力になれるか、分からないけれど……そ、その……が、頑張ります」
「本当!? ありがとう!! えへへ、じゃあ、宜しくね!! ユノちゃん!!」
真っ直ぐユノに向けて手を伸ばすダーナ。
それを見てユノは思わず首を傾げる。
「へ?」
「え? 握手だよ、握手。ほら」
「へ、あ、う、うん」
握手と言われ、ユノはすぐに両手の平をズボンに擦りつけ、汗を拭く。
それからおそるおそる手を伸ばすと、ダーナが手を更に伸ばし、ユノの手を掴む。
「宜しくね、ユノちゃん!!」
「え、えっと……は、はひ……よろしくおねがいしましゅ……」
ダーナの眩しすぎる笑顔にユノはキョドってしまう。
けれど、その繋がれた手から感じる優しい温もりはどんな温もりよりも、心地よいものだった。