たかが呪いの三重奏
教室に入った途端、気温が11℃下がるのを感じた。
生徒たちが大人しく席に着き、全員が私に背中を向けている。
怪奇といえば夏──そんな固定概念とは無縁な空間だ。秋になると異界に通じるというこの私立 蔵井中学校2年C組に、理事長と名乗る老人から依頼を受け、私はやって来た。
「あの教室には呪いが三重にかかっています」
理事長はそう言った。
「ところで……失礼ですが、あなたは普通の……というかアイドルのような女子高生にしか見えませんが……、大丈夫ですかな?」
「ご心配いりませんよ」
私はクスッと笑って答えた。
「人は見かけによりませんので」
そうして私は仕事を引き受けた。
この霊能力者 九狐葵、これまで引き受けてきた仕事をしくじったことはない。
じつは今までで最強に邪気を感じる仕事に内心ドキドキしていたが、信じている、今回も私のキツネが守ってくれる。
静かに扉を開いたとはいえ、生徒たちは誰もこちらを振り向かない。
まるで人形が並んでいるようだ。
私は余裕を取り繕いながら、慎重に霊気を探った。
──いる。
何か途轍もないものが、どこかから私を見ている。
キツネに聞いた。
『わかる?』
キツネは答えた。
『……古い。どうやら年季の入った怨念だ』
ふと見ると、白い床があっという間に赤く染まった。
乾いた音を立てて、ざわざわと枯葉が私のスニーカーに纏わりつく。
私は咄嗟に霊力で身体を宙に浮かせながら、キツネに言った。
『これはまた別の霊気だわ』
『二番目の呪いが姿を現したようだ』
生徒たちが一斉に、ぐりんとこっちを向いた。
身体は前を向いたまま、首だけが──
『あ! これは新しい……!』
『最近いじめられて自殺した子の呪いだな』
「なんにしろ──」
私は不敵に笑ってみせた。
「たかが呪いの三重奏! この私たちの敵ではない!」
キツネを纏った。
背中から私を包み込んだキツネが、三つの呪いを睨み返す。
呪いの主の一体が姿を見せた。
教室の隅に蹲るように潜んでいたその影が立ち上がる。
防空頭巾を被った若い男女の首が、一つの身体の上に並んでいた。戦時中に亡くなった恋人どうしの霊に見えた。
私はキツネの霊体から力を引き出すと、それを縄の形にして構える。
霊の身体は逞しい軍人のものだった。
ゴリラのような軍服姿がゆっくりと近づいてくる。首の上に乗せた二人の顔が白目を剥き、口をおおきく開けて迫ってくる。
床では枯葉たちが渦を巻き、騒いでいる。
水を求めるように乾いた声をあげて、竜巻に姿を変えて襲いかかってくる。
生徒たちが首を真後ろに向けたまま立ち上がり、声を揃えて怨嗟の言葉を浴びせかけてきた。
「おまえが悪いんだ」
「おまえのせいだ」
「かわいそうに……」
私はじぶんの胸に手を当てた。
「あなたたちは……じぶんでじぶんをどうにも出来ないのね」
「おまえたちを解放する」
キツネが言い渡す。
「九狐葵に感謝しろ」
呪いの三重奏が岩のような音を立てて、私に襲いかかる。
私は手に持った霊力の縄を、放った。
それは縛るために放ったのではない。放つと同時に縄は光の粒子となり、散らばった。
「解放の束縛」
光が呪いの三重奏を包み込み、不協和音だったそれらを、ひとつの旋律に変えて鳴らした。
「救魂の旋律」
教室じゅうにあかるく煌びやかな和音が爆発するように響き渡り、すべてを照らし出した。
空襲の中、人々に見捨てられた恋人たちは、私の愛に包まれて、初めて顔を笑わせ、涙を流した。
カサカサに乾いた真っ赤なミイラがその姿を現し、涙の雨に濡れた。
優しそうな男子生徒がぺこりと私に頭を下げ、ふたつの呪いとともに天へ昇っていった。
「あの二つ首の呪いが他の呪いを呼び寄せていたようだな」
キツネが言う。
生徒たちが全員、首を前に戻し、意識を失ってバタバタと倒れていく。
救護してやらねばと思ったが、私の足も言うことを聞かず、その場にへたり込んでしまった。
「どうした、葵」
キツネが笑う。
「まだ慣れないか?」
「な、慣れないよ〜……」
私はつい、泣き出してしまった。
「怖いんだから……っ! 慣れるわけないっ!」
「フ……。しかし今回も皆を救うことができたな」
優しく笑うと、キツネは私のセーラー服のポケットに戻った。




