第1話:放射線
「あなたは元の世界に帰りたいの?」
マリー・キュリーの問いは、俺の胸に突き刺さった。
帰りたいのか。
その言葉が頭の中で反響し、様々な感情が渦巻いた。
俺がいた元の世界。そこは、徹夜続きでへとへとになり、上司にこき使われる日々だった。自分の人生を、自分の時間を取り戻したいと、心から願っていた。だが、それはもう叶わない。俺は死んだのだ。過労死という、なんとも情けない死に方で。
「帰りたい……のか?」
俺は自分自身に問いかけた。
マリーさんの問いは、俺の心を深く抉った。帰りたいと口にすれば、この神殿にいる偉人たちに、元の世界での俺の惨めな日常を晒すことになる気がした。彼らは皆、科学に人生を捧げ、偉業を成し遂げた者たちだ。それに比べて俺は……。
「……わかりません」
かろうじて、そう答えた。正直な気持ちだった。
元の世界で、俺の人生はとうに終わっていた。だが、ここにいるのは、科学の歴史を変えた偉人たちだ。彼らがこの神殿で何をしようとしているのか、それを知ることができれば、何か新しい自分が見つかるかもしれない。
「そう……」
マリーさんは、俺の答えに小さく頷いた。その表情は、どこか寂しげに見えた。
「きっと、ここにはあなたの探し物があるわ。あなたがここにいるのは、偶然ではなく、きっと意味があるのよ」
彼女の言葉は、俺の胸に温かい光を灯した。
まだ、自分にはできることがあるのかもしれない。この理大神殿で、俺の人生の続きが始まるのかもしれない。そう思えた。
「ほう、興味深いな」
ニュートンが、俺たちのやり取りを満足げに見つめていた。彼の目は、まるで新しい実験の被験者を観察する科学者のようだった。
「その答えは、我々の今後の実験にとって、非常に重要なデータとなるだろう」
ニュートンはそう言って、再びリンゴを差し出した。今度は、そのリンゴが宙に浮き上がった。
「見事に反重力状態だ。この神殿は、あらゆる物理法則を再現し、検証することができる。私はここで、万有引力理論の矛盾を解き明かそうとしている」
ニュートンは誇らしげに語る。リンゴは彼の周りをゆっくりと旋回し、再び彼の手に戻った。
「しかし、貴殿がここに来た理由は、我々の誰にも理解できない。貴殿の存在そのものが、我々にとっての未解明な事象なのだ」
その言葉は、俺の心に重くのしかかった。俺は、科学の偉人たちにとって、ただの実験材料でしかないのだろうか。
「心配しないで、大重さん」
マリーさんが、そっと俺の肩に手を置いた。
「私たちは、あなたを尊重するわ。あなたは、私たちの知らなかった『何か』を知っている。それが、あなたをここへ導いたのよ」
彼女の言葉は、ニュートンとはまったく違う響きだった。温かく、優しく、そして、どこか悲しげだった。
「私たちは、元の世界に戻ることはできない。でも、あなたは違うかもしれない。だから、私と一緒に来て。この神殿の真実を、そして、あなた自身の真実を、見つけ出す手伝いをするわ」
マリーさんは、そう言って、俺を神殿の奥へと誘った。
俺の奇妙な旅は、まだ始まったばかりだ。