始まり
女がナイフを両手で握りしめ、振りあげる。
この乙女ゲームは全年齢版であり、人の死とは無縁のゲームだったのに。
しかも直前まで、世界は平和で満ちていたのに!
転生したからと言ってチートな能力を得たわけでもない。
武術の達人でもないのだから、この振り下ろされるナイフに抗う術はなかった。
もう、ダメだ。
死を意識したその瞬間。
前世と転生後の記憶が脳をよぎる。
蓄積した記憶の中で、生き残りを見つけるための走馬灯だ。
そして私はあの日のことを思い出していた。
そう、ヒロインが空から降って来た日のことを――。
◇
平成のラノベ展開あるあると言えば。
食パンをかじった少女と出会い頭でぶつかる。
お風呂場でヒロインとお色気遭遇。
そして、空から美少女が降ってくる――。
そう。
まさにそれが目の前で起きた。
「危ないです~! 避けてくださ~い!」
突然そんなことを言われても。
避けられるはずがない。
黒髪に水兵のような服装の少女が、上空から落ちてきたと思ったら――。
「ごめんなさ~い!」
「きゃあああああ」
◇
20代前半の頃。
一人で牛丼屋とラーメン屋に入るのは恥ずかしい……と思っていた。
まだ乙女だったと思う。
だがアラサーにもなると、そんなこと関係ない、だった。
食べたい物を食べたい時に食べる。
それではいいのではないかと開き直った。
ということで家の近所にオープンした家系ラーメンの行列に並び、スマホでプレイしていた乙女ゲームを起動。昨日の途中からスタートだ、と思ったまさにその時。
ドリフトでもやっているのか!?というけたたましい音がして、顔をあげた瞬間に――。
そこから先は真っ暗な闇。
だが目覚めると見知らぬ天井……ではなく、天蓋が目に入る。
ふかふかのベッドで目覚め、自分の顔の周囲に波打つ様なブロンドが広がり、色白の手、白いネグリジェの胸のあたりの豊かな膨らみに気が付く。見渡す部屋には暖炉が見え、高そうな額縁に飾られた絵画、高級そうな調度品も見えている。
「えっと、これは……」
鈴を転がすようなソプラノボイスに目が点になる。
しかも日本語をしゃべっているつもりが、発せられている声音は私のものではなく、しかも外国語!
ちょっと、どーなっているんですかー!?
ベッドから降りると、すぐ壁に飾られた鏡が目に入る。
その鏡に映る自分の姿を見て、「え」と固まってしまう。
だって。
そこに映るのは、乙女ゲームにハマっているアラサーオタク女子ではない!
キラキラブロンドに碧眼、高い鼻にピンクの唇。
ほっそりした首に、長い手足にくびれたウエスト、そして豊満なバスト!
まるで外国人モデルのような美女ではないですか!
そしてこの顔、私は知っている。
この顔は……私がプレイしていた乙女ゲーム『ラブロマンス~姫君の恋物語~』に登場する、グロリア・エリザベス・ウォルトン公爵令嬢……!
「そうだ、スマホ!」
そう思い、スマホを探すが見つからない。
そしてじわじわと理解する。
目覚める直前の光景。
あれは……事故に遭う寸前の記憶なのでは!?
つまり私は元いた世界……前世にて事故で死亡し、まさにその時スマホで起動していた乙女ゲームの世界に転生したのではないか、と。
転生したのにいきなり大人の体かと思ったが、違う。
多分、前世記憶が突然覚醒したんだ。
その原因は――。
空から落ちてくる少女の姿を思い出す。
あの日本人形のような黒髪にセーラー服は……間違いない!
ヒロイン!
乙女ゲーム『ラブロマンス~姫君の恋物語~』の主人公!
このゲームの舞台は中世ヨーロッパ風の世界で、攻略対象は最初三人だ。
公爵家の嫡男、騎士団の副団長、大神官の息子。
まずはこの中の一人を攻略すると、ゲームクリアになる。
クリア後、攻略した相手との溺愛ルートへ入るもよし、別の攻略対象を攻略するもよし。新たに攻略ルートに入ると、選べる攻略対象が一人増えるという仕組みになっていた。
で、プレイヤーが動かすヒロインは、異世界からこのゲームの舞台となるミネルヴァ王国へ異世界転移する。転移した先で出会うのが公爵家の嫡男、騎士団の副団長、大神官の息子で、グロリアは公爵家の嫡男の婚約者だった。騎士団の副団長はグロリアの兄であり、大神官の息子は幼なじみ。ヒロインが誰を攻略対象に選ぼうとグロリアは……邪魔をする。
そう、グロリアは……この乙女ゲームにおける悪役令嬢なのだ……!
しかしまさか空から落ちてくるヒロインと悪役令嬢が激突するなんて。私がプレイしていた時は、攻略対象三人がお茶をしている場にヒロインが突然現れ、「君は何者!?」となったはずだ。そして大神官の息子であるロイ・グラスが「これは女神のお告げに記されている異世界の乙女ではないですか!? この世界に新たなる知恵と知識をもたらすと言われている」となり、ヒロイン……リコは神殿で保護される。そこで前世の知識を披露しながら、ロックオンした攻略対象のハートを掴んでいく。そして攻略対象とヒロインの距離が縮まるための踏み台が、悪役令嬢であるグロリアだった。
グロリアとしては、自身の婚約者であるエルク・ウィリアム・ハリントンとリコが仲良くなるのは不快。自身の大好きな兄や仲の良い幼なじみが、どこの馬の骨とも分からないリコと仲良くするのも不愉快。
だが公爵令嬢であるグロリアは、暴力なんか振るえない。そこで口を使い、つまりはトークでリコに文句を連ねる。その結果。婚約者であるエルクからは「未来の公爵夫人に相応しくない」と婚約破棄される。兄であるアレクシス・ジェフ・ウォルトンからは「王宮勤めをして、性格を丸くしろ」となり、ロイからは「大神殿に入り、悔い改めた方がいいでしょう」となる。
ようはやり過ぎたグロリアは、婚約者もしくは兄もしくは幼なじみから叱られ、代わりにヒロインが彼らとの距離を縮めるのだ。というかグロリアの退場に合わせ、ロックオンされている攻略対象は、リコと婚約=ハッピーエンドの流れになるのだけど……。
よくある乙女ゲームの悪役令嬢の断罪=死刑がないのは、まさに救い。
だがヒロインが誰をロックオンしようが、グロリアは口が災いの元になってしまうのだ。
状況を理解した私は、ふかふかのベッドに座り、改めて考える。
『ラブロマンス~姫君の恋物語~』に転生していることは分かった。しかも悪役令嬢であることも理解した。後はヒロインが誰を攻略するつもりなのか、だけど……。
誰を攻略しようとも、グロリアはヒロインに物申すわけだ。
でもそれって……ねちねちヒロインに文句を言うのは……。
なんだか面倒だ。
そこに労力をかけたくない。
それにそもそも誰かのことを悪くは言いたくなかった。
そこで私は思いついてしまう。
「あ、話せないことにすればいいんじゃないの?」と。
つまり落下したヒロインが直撃したおかげで、私はこの世界の公用語であるミネルヴァ語が話せなくなってしまった。そんなフリをすればいいのでは!?
どうせ話せないフリをしても、睨んだとか、ガンを飛ばしたという理由で、悪役令嬢としての役目を果たすことになると思う。でもヒロインにねちねち言わずに済む。
ぽすっとベッドに横たわった私は「そーしよー」と大きく伸びをした。
オタク女子である私は、自分の夢中になっているもの以外に労力をかけることが……非常に面倒と感じる“ずぼら女子”でもあった。
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