新米外科部長の病院改革
「僕は、病院という場所は居心地の悪い場所であるべきだと思っています」
何をとんちきなことを。老獪たちがせせら笑う。
若造め、奇を衒った発言をして我々の関心を引こうという腹積もりか。
手術の腕は立つが、病院経営のなんたるかを知らぬ青二才め。
病院とは、患者の皆様が安心して利用できる場所でなければならないのだ。
それを言うに事欠いて、居心地の悪い場所にしたいだと?
まったくふざけたことを抜かす。
誰がそんな病院で診療を受けたがるというのだ。
まあいいだろう。寛大な心をもって、その意を酌んでやろうじゃないか。
「もちろん全ての患者さんにとって、という意味ではありません
不慮の事故、感染症、食中毒、先天性の疾患など、
本人に非のない事由で来院される方々に対しては従来通り、
患者さんに寄り添った形の診療を行なっていく方針です」
ほう?
「問題となっているのは、自業自得な事由で来院される患者さんです
それは例えば、よそ見運転の末の自損事故であったり、
酒の席で無茶な一気飲みをして倒れてしまったり、
自ら肛門に異物を挿入して抜けなくなってしまったりだとか、
我々医者は、そういうふざけた連中の診療までしなければいけない
そいつらの相手をするせいで、まともな事由で困っている方々が
診療を受ける機会を奪われているんです」
たしかにそれは由々しき問題だ。
だが、その手の連中はいついかなる時代にも一定数存在するものだ。
奴らはいくら注意喚起しても同じような失敗を繰り返す。
なぜなら、そいつらは馬鹿だからだ。
病院の居心地を悪くしたいなどと言い出したのは、つまりそういうことか?
奴らに『二度と医者なんかの世話になるものか』と思わせたいのか?
「はい、仰る通りです
いくら交通安全や健康的な生活習慣を提唱したところで、
聞く耳を持っていなければ意味がありません
そこで、彼らにはここで極めて不愉快な体験をしてもらい、
事故や病気に対する危機意識を自ら高めてもらおうという算段です」
馬鹿な行為をした結果起こり得る災難を未然に防ぐ……
つまり予防のために敢えて、というわけだな?
だが、それは諸刃の剣であることを理解しているか?
我々は今、情報化社会の中に生きているのだ。
ひとたび当院に対する悪評がSNSなどで拡散されれば、
まともな患者の足まで遠のいてしまうのではないかね?
「その可能性があるのは否めません
しかしながら、それこそ今は情報化社会ですので、
悪評を広めようとする者たちの人柄も即座に明るみとなるでしょう
そういう連中は得てして危険運転や暴飲暴食を自慢したがるものです
そんな人間が『医者に冷たくされた』と喚き立てたところで、
良識のある方々はどのような反応をすると思いますか?」
自業自得、だろうな。
「ええ、僕もそう思います
どうか短期間の試験運用をさせてはもらえないでしょうか?
もしその結果、経営に大きな悪影響を及ぼすと判断した場合は、
その時は『不相応な権力を得てしまった若輩者による暴走』として、
僕を外科部長の座から引き摺り下ろしていただいても構いません」
なんと。そこまで覚悟の上での発言だったとは。
その地位を狙っている者がどれだけいることやら。
出世欲のない若造だとは思っていたが、まさかこれほどとは……。
あいわかった!
この若き先鋭に機会を与えて、その手腕を拝見するとしよう!
──こうして動き出した“お馬鹿さんには塩対応キャンペーン”だが、
すんなり即開始とはいかず、3ヶ月の準備期間を要した。
まず、どこまでが患者本人に落ち度がある事由なのかという線引きだ。
それがどんな経緯であれ、誰だって怪我や病気をしたくはないのだ。
それでもそういう結果になってしまったから病院を頼ってくるわけで、
大抵の場合は自分のせいではないと思いたがるものである。
逆に、明らかに本人は悪くないのに自責の念に駆られる者たちもいる。
それに患者が真実を語るとは限らないので、決めつけてかかるのもよくない。
この問題に関しては患者の判断に任せるのが無難という意見に落ち着き、
事前説明をよく理解した上で同意書にサインした者だけが対象となった。
それから小児科、産婦人科、精神科などはキャンペーン対象外とし、
他の部署も様子を見ながら運用していくという流れだ。
続いて病院食の調整に取り掛かった。
ただでさえ味が薄いだのおかずが少ないだのと不評なそれを、
どうすればこれ以上まずくできるのかという議論が取り交わされた。
塩分摂取量などを考慮すると無闇に調味料を追加するわけにはいかず、
温度変化により壊れる栄養があるので調理法を変更するのも難しい。
会議にはシェフや料理研究家なども参加してもらったのだが、
大半は話し合いの途中で憤慨して帰ってしまった。
まあそれも仕方ない。
彼らはおいしい物を作ることに命を懸けているのだ。
まずい料理を作れと言われれば嫌な気分にもなるだろう。
紆余曲折を経て栄養満点のまずい病院食は完成したが、
協力者の名前は伏せてほしいと懇願された。
それとレシピも非公開にすると約束を交わした。
彼ら曰く、『家庭で再現してはならない料理』だそうだ。
難航したのはスタッフの教育だ。
「スピードの出し過ぎは危ない」「酒の飲み過ぎはよくない」
と、ありきたりな口頭注意を行なったところで
その手の患者の多くはハイハイと聞き流すものであり、
ゆえに馬鹿な事故や生活習慣病で訪れる患者が一向に減らないのだ。
そういう自業自得な連中を排除するのが本題であり、
今回キャンペーンを行うに至った最大の目的だった。
当初、外科部長は『そういう患者には塩対応でいい』
というスタンスで診療しようと考えていたのだが、
ただ素っ気なくされただけで患者が不愉快になるだろうか?
と疑問の声が挙がり、作戦の見直しが行われた。
患者を不愉快にさせるには、もっと強い態度で出なければならない。
しかし、これが難題だったのである。
この場所で働く者たちの多くは暴力的な行為とは無縁に育ち、
いい学校へ行くために優等生でいなければならなかったため、
それゆえ人前で大声を出したりすることに慣れていないのだ。
そんな彼らが睨みを利かせたところで威圧感などまるでなく、
患者から鼻で笑われて終わりだろうと予想された。
思い悩む若者たちに救いの手を差し伸べたのは院長だった。
彼は事の成り行きを静観すると公言していたのだが、
どんな心境の変化か、強力な助っ人を寄越してくれたのである。
どうやら院長と個人的な付き合いのある女性らしい。
特別講師として迎えられたその人はとても厳しい性格をしており、
勉強一筋で育ってきた若者たちの心を次々とへし折っていった。
職場には連日、耳を塞ぎたくなるほどの罵詈雑言が飛び交い、
あまりの酷さに耐え切れず逃げ出してしまった者もいるくらいだ。
だが、それでも、外科部長をはじめとした真の戦士たちは、
己が使命を果たすべく、地獄の特訓を耐え抜いたのだった──!
ERに運ばれてきた患者に対し、医者はニコリと微笑んで言った。
「へえ、スマホゲームでガチャを回しながら運転を?
その結果ガードレールに大当たりしたそうですねえ?
残念ながらよくある事故なんで、レアは引けませんでしたね
まあ、誰も轢かなかったのだけは不幸中の幸いでしたね」
「な、なんだと!?
俺は会社に向かう途中で事故に遭ったんだぞ!?
もう完全に遅刻だし、クビになるかもしれないんだぞ!?
これ以上の不幸があってたまるか!」
病室にて。入院中の患者は運ばれてきた食事を一口放り込むと、
その想像を絶するまずさに思わずむせ返り、ゴミ箱に吐いてしまった。
「なんじゃこりゃああ!?
人間の食いもんじゃねええ!!
さっさと代わりを持ってこい!!」
「おかわりが欲しいんですね?
では、すぐにお持ちいたします」
「違う、そういう意味じゃない!!」
肛門科にて、女性看護師が鬼の形相で怒鳴り散らす。
「どいつもこいつもケツに電動歯ブラシぶっ刺しやがってよー!!
おめえらの歯はケツに付いてんのかって話だよ!!
しかも、どいつもこいつも同じ言い訳しやがってよー!!
『風呂上がりに転んだ拍子に』とか、まずあり得ねえんだよ!!
素直に『私は変態です』って言ってみろよ、このブタ野郎が!!」
「うっ、うぅぅ〜〜〜!!!
私は!! 変態の!! ブタ野郎です!!」
何度も尻を引っ叩かれた患者は悔しさと恥ずかしさのあまり、
顔を真っ赤にして号泣していた。
中庭では、車椅子の少女が目を輝かせながら将来の夢を語る。
「私、将来はお医者さんになる!
私もアレやりたい!
患者にブタ野郎って言ってみたい!」
「はは、大丈夫!
君ならきっとなれるよ!
医者でも、なんにでも!」
──そんなこんなで月日はあっという間に過ぎていった。
この半年のうちに大量のクレームが寄せられたが、
そのどれもが根拠のない言いがかりのようなものであり、
病院の経営に打撃を与えることはなかった。
怪我人に嫌味を言ったり、病院食が恐ろしくまずかったり、
時には患者に対して過度なスキンシップが行われたりもしたが、
そういう対応をするということは事前に説明しており、
患者本人の同意を得た証拠があるので法的なトラブルには発展しなかった。
そして本題のお馬鹿さん排除の件はというと……
「ふう、やれやれ
誰かさんのおかげで随分と忙しくなったものだな
まさかこの私まで現場に駆り出される羽目になるとは」
「院長……
その、大変申し訳ございません」
「おいおい、何を謝っているんだ外科部長殿?
君のおかげでくだらない症例で訪れる患者が激減し、
まともな患者が訪れやすい環境へと生まれ変わったんじゃないか
以前よりも多くの症例に触れる機会が増えて、
研修医たちにとっていい刺激にもなっているんだ
初めはこんな作戦が成功するはずがないと思っていたが、
今となっては我々の見る目がなかったのだと反省しているよ」
「いえ、ですが院長……
原因は不明ですが、肛門に異物を挿入する患者が倍に増えたのです
数字を見る限り、やはり僕のやり方に何か問題があったのかと……」
「そうか、君はそれを自分のミスだと思っているのだね?
ふむ、困ったものだ……」
しばしの沈黙の後、院長は窓際へと移動し、
悩める外科部長に背を向けたまま再び口を開いた。
「陳腐なセリフに聞こえるだろうが、人は誰でもミスをする
恥ずかしながら、かくいうこの私も例外ではないのだ
患者の体内にハサミを残したまま縫合したのは1度や2度ではない
うっかり注射器を使い回してしまったり、赤ん坊を取り違えたり、
その手のミスを数えたらキリがないくらいだ」
「院長……」
「だが大事なのは自分を責め続けることではなく、赦すことだ
今度は同じ間違いを犯さないようにと誓い、前へ進むことだ
そうして進み続けることこそが我々の使命だとは思わんかね?」
「我々の、使命……」
「さあ、いつまでもクヨクヨと悩んでいる暇なんてないぞ
我々に助けを求めている人々が大勢いるのだ
彼らの期待に応えてやろうじゃないか!」
「…………はい!!」
医師たちの戦いは終わらない──。