「苦悩」
待ち受けていた相手はヒルダであった。
相変わらず動きやすさを重視し、客に媚びない装備をしている。そして腰全体にショートソードを差していた。
午後一番で見かける顔だったので、フレデリックは多少は驚いた。だが、燃えた。勝ってみせる。さもなきゃ、俺は物乞いとまではいかないが、浮浪者に身をやつさねばならない。
六メートルの間隔を開けると、審判が宣言した。
「第二試合、ヒルダ対フレデリック、始め!」
相手は同じ片手剣使い。だが、顔面へ正確に投擲もする。油断はできない。
互いに睨み合い、そして踏み込みはほぼ同時であった。
木剣が激突する。手に痺れが走ったのが意外だった。カンソウ並みの膂力である。そんな力がこの華奢な身体のどこに隠れているというのか。
二合、三合、打ち合い、ヒルダが後方へ距離を取った。
そして手にしていたショートソードを投げつけて来た。
その速度が恐ろしく速い。木製とはいえ、頑健でそれなりに重さのある剣だ。
フレデリックは目を見開いて、それを剣で叩き落とした。
だが、その頃には人をヒルダは目の前に居り、フレデリックは辛うじて胴を打つ剣を得物で遮った。
油断できない。カンソウなど相手にならぬだろう。それは俺にも言えることだ。剣越しに睨み合い鍔迫り合いをした。
フレデリックが押されている。
その時、足が払われた。
「しまった!」
競り合いにのめり込み過ぎた。体勢を崩すフレデリックは慌てて剣だけを突き出した。だが、分かっている。こんな応戦では相手を防ぎきれないことを。
地面に倒れ、フレデリックは転がって逃げた。ヒルダは後を追って来る。
客席から笑い声が聞こえた。俺は確かに無様だ。だが、勝ってこその戦い!
「たあっ!」
フレデリックは飛び上がり、剣を薙ぎ払う。分かっているんだ、こんな牽制も無意味だということが。
ヒルダはやり過ごして、フレデリックが落ち着いたところに剣を繰り出した。フレデリックは身を捻って避け、剣を打ち込んだ。
籠手を打ったと、思えば、そこにヒルダの姿は無く、彼女はフレデリックの後方へスライディングして回り込み、背後から剣を振った。
鉄兜など買う余裕も無い。振り返った額に木剣が衝突し、フレデリックの目の前は一気に真っ暗になった。
2
俺には才能がある。小説を書きながらそう思った。作家として食べていける。絶対の自信を持っていた。だが、家族は反対し応援してくれず、実質無業のフレデリックに辛く当たっていた。更には近所の連中も無業のフレデリックを嘲笑い話の種としていた。
俺の心は壊れた。
もう、ここに俺の居場所は無いのだ。
何になろう。何処で何をすればいいのだろう。
田舎の詮索する視線に嫌気がさし置手紙を残してどこぞへ家出した姉を今になって羨ましくも、尊敬してもいた。
その時、コロッセオの噂が入ってきた。
俺は自分の次の憧れを見つけた。
ここには何回か来たことがある。コロッセオの医務室だ。
額にぬるくなった手拭いを置かれていた。
ヒルダの姿が過った。客に媚びることなく、最高のパフォーマンスを発揮できる外装に身を包み、それなりの戦法を仕掛けて来ていた。
スライディングなど午後の試合でも見られなければ、あの優雅で敏捷的なドラグナージークですらやらないだろう。
「目が覚めた?」
女性の声がし、彼女は歩み寄ってきた。
ウサギの耳のバンドを頭に着け、黒い刺激的なレオタード姿の妖艶な女性ジェーンであった。
「君が看病してくれたのか?」
フレデリックの問いにジェーンは頷いた。
「ありがとう。だが、いつまでもここに居るわけにもいかない。もう、行かなければ」
フレデリックがベッドから降りようとするとジェーンが言った。
「何処へ?」
「え?」
言われて思い出した。もう、あの平原には戻れないのだった。
「安宿でも借りるよ」
「そんなお金無いでしょう?」
図星を衝かれ、フレデリックはため息を吐いた。
「その辺で夜を明かすさ」
「何も飲まず食わずで?」
「……ああ」
「フレデリック、もう一度来なさい。私の家へ」
何と魅力的な提案だろうか。だが、自分は彼女の恋人ではない。
「自分で蒔いた種だ。野垂れ死んでやるよ」
フレデリックは出口へ向かって歩き始めた。
「わざわざ看病させてしまってすまないな」
「フレデリック」
開け放たれた扉を潜ると、背にジェーンの悲壮な声が聴こえたが、無視して受付まで戻った。
「フレデリックさん、お金大丈夫なんですか?」
受付嬢まで心配してくれている。
「何とかするさ。大丈夫、人の道を外れたことはしないよ」
ブロードソードを受け取り、フレデリックは外へ出た。
午後の陽光が眩しかった。コロッセオからは霞のごとく観客達の声が聴こえていた。
午後一番の試合か。しばらくさらばだ。
フレデリックは歩き始める。
さて、俺は本当に何処に行けばいいのだろうか。神様は何故、俺なんかを世に生み出したのだろうか。世の中、つまらないことだらけではないか。誰も俺を必要としないし、認めない。作家志望の俺も、闘技で食べようとする俺も。
それにしても腹が減る。ジェーンに銀貨を借りるのを忘れていた。いや、これで良いんだ。いつまでも情けないまま居るわけにもいくまい。
恨むべきは、夢をはく奪した家族か、近所の奴らか。あるいは神か。
「それとも、恨む相手などいないのかもしれない。唯一居るとすればそれはこの人生の選択をした俺だ」
フレデリックはどこへ行くでもなく宿場町の喧騒の中を歩いた。
誰しも役目を全うできているからこそ、俺のように擦り切れた心などあっても忘れてしまっているのだろう。
例えば酒場で働く給仕だって、その役目を全うしている。
神よ、竜の神よ、賢き竜よ。我を導いてください。
ふと、フレデリックの行く先に幟が上がっていた。
「給仕、募集」
フレデリックの腹が鳴る。
「これも天命か」