「午前の部の感想」
陽光を受け輝く黄金色のスケイルメイルの鱗をジャラジャラと鳴らし、カンソウが目の前に立った。
カンソウは整った口髭を摘まむと、意地悪く微笑んだ。
「お前が誰だったのかは忘れた。俺は弱者の名など覚えはしないからな」
フレデリックはカンソウの挑発に乗せられないように、悔しさと、憤怒に渦巻く感情を抑え込んだ。
「俺は知っているぞ、お前はカンソウ。どうだった、午後一番の試合は? ここにいるということは全く歯が立たなかったという証だろう」
「何だと、小僧! 痛い目に合わせてやる!」
カンソウは存外気の短い、ちっぽけな誇りだけを生き甲斐に剣を取っている剣士に過ぎない。フレデリックはまず、目の前の男をそう評した。
審判が間に立つ。
「両者、準備は良いか?」
フレデリックは頷き、カンソウは憎々し気に吼えた。
「第二試合、フレデリック対カンソウ始め!」
まばらな観客達は未だ黙ったままだった。
こいつは俺より強いらしいが、人気はさほどでも無いようだな。
「オラアァ!」
カンソウが気迫を上げて突進してきた。
木剣が上段から唸りを上げて振り下ろされる。
フレデリックはそれをあえて木剣で受け止めた。
息を上げるカンソウは誇りを傷つけられ、怒り心頭の様子だった。凄まじい睨みがフレデリックを畏怖させる。
力は敵の方がやや上か。俺もこいつのように顔が怖ければ良かったのかな。
「オラアッ! オラアッ!」
カンソウが剣を振り上げ、まるでフレデリックの木剣を圧し折ってやろうと乱打してくる。午前の部というのは金に困った戦士達の稼ぎ場所と共に、力を持て余した連中のうっぷん晴らしの場と言えるだろうか。
カンソウの剣を避け、フレデリックは左へ回った。
カンソウがこちらを向き、慌ててフレデリックの薙ぎ払いを受け止めた。
その目は相変わらず怒りに満ちている。フレデリックの一撃はカンソウの腕を痺れさせる程の膂力は無かった。
力が無ければ技術で応戦するまでだ。
フレデリックは剣を振り上げ、一瞬、剣を振り下ろそうとした。カンソウが防御に走る。だが、フレデリックは足払いを仕掛けた。
「ぐわおっ!?」
カンソウが転ぶまではいかず、体勢を崩す。
貰った!
フレデリックが剣を振り下ろした時だった。
カンソウが口をすぼめて、唾を吐いた。
「何っ!?」
フレデリックは慌てて離れる。その頃にはカンソウは体勢を立て直し、フレデリックの懐に飛び込んでいた。
負ける!?
カンソウの突きがフレデリックの胴を打った。
「勝者、カンソウ!」
審判が告げ、観客達が歓声を送った。
「俺が卑怯だと思うか?」
カンソウは満足げな顔で尋ねたが、フレデリックは潔く会場を後にしようとした。
カンソウの嫌味と罵詈雑言が耳を掠めたがフレデリックは思っていた。
あんな奴も倒せないとは、俺はその程度の剣士だったのか?
薄暗い回廊を行き階段を下りると、ジェーンが待っていた。
「有利だったみたいだけどどうしたの?」
カンソウが唾を吐きかけてきたのだ。とは言わなかった。何もかも言い訳だ。ジェーンは恩人だし、温かみのある女性だ。何でも親身になって聴いてくれるだろう。だが、これ以上は甘えすぎでもあり、結局、自分の力量が不足していたのが原因だ。
「奴の力は俺以上だった」
フレデリックはそう言うと、ジェーンのわきを抜けて受付へと向かった。
「フレデリックさん、一回戦突破の賞金です!」
受付嬢が嬉しそうに一枚の銀貨と剣を差し出した。
「良かったですね、やっと一勝できましたね」
「ああ」
こんな一勝など、午後一番の試合に比べれば温いものだ。道々フレデリックは心の中で愚痴っていた。
その時、ふと、前方を悠然と歩いて来るマルコの姿を見た。
フレデリックは反射的に樽の後ろに身を隠した。
長い槍を縦に持ってマルコは通り過ぎて行った。
何故、隠れなければならない。
それは、フレデリック自身が午前の部を程度の低い出るのは不名誉な試合だと散々マルコに向かって言ったことがあるからだ。
今日は既に闘技に出ている。出られるのは一日一回だけ。マルコは合理的な男で、金が寂しくなれば、午前の試合で、その槍を使って金を稼いでくる男だ。フレデリック程、午後一番の試合に拘りを持つ男ではない。
マルコの姿が見えなくなると、フレデリックは郊外の居場所へと歩んでいった。
2
確かに俺には筋力が無い。素振りを七十本目で音を上げ、体力も無いと付け加えた。だが俺はまだまだ若い。伸びしろがあるのだ。フレデリックは自らに言い聞かせ、そう信じると山道へ向かって駆けだした。
一時間ほどして戻ってくると、沢へ行き水を掬って飲んだ。
柄杓が欲しいかもしれない。
今、財布には銅貨が少しと、銀貨が二枚ある。
貴重なお金だが、フレデリックは決めていた。どこかでまともな飯を食おう。野草と水だけの生活を見直さなければならない。野草では血肉にはならない。日に日に衰えを感じていたところであった。フレデリックはもう一度宿場町へ戻った。
午前が終わり、人通りが多くなっていた。
フレデリックは当てもなしに歩き、竜の糞という名前の食事処へ入った。
繁盛しているようだったが、フレデリックの席が辛うじて余ってくれていた。
給仕の若い女性が席へと案内してくれた。
何を食べようか。
メニューを見ながらフレデリックは考え、肉を頼んだ。
程なくして油滴る焼かれた肉とパンが運ばれて来た。
「これで銅貨八枚か。我が血肉となれ、いただきます」
フレデリックは久しくフォークとナイフを握る機会が無く、慣れない手つきとなって、一切れずつ丁寧に口に運んで行った。
マルコにも肉の挟まったパンを恵んでもらえるが、今回の料理はそれ以上に美味かった。
だが、とも思う。
ジェーンの野菜スープの温かみには適わないだろう。
それにしてもジェーンは何故、俺を気にかけてくれるのだろうか。
フレデリックのその疑念は食事の美味しさと、午後の鍛錬のメニューを考えているうちに消え失せてしまったのであった。