「家」
ジェーンの家は借り家で、小さかった。それでも風呂にトイレもある。キッチンと部屋が一つだけという最近流行りの独身者の家であった。
内装の感想としては姿見と洋服ダンスがある程度で、普段の仕事の時の大胆な恰好とは正反対だとフレデリックは思った。
「お風呂浴びて来て」
「分かった」
沢の水を浴びて身を清めていただけのフレデリックは、久々に熱い湯船に浸かった。最高の気分であった。が、ふと思う。こんな良い環境で強くなれるのだろうか。と。
上がると、着替えが置かれていた。驚いたことに男物の下着もあった。
茶色のチュニックを着ると、キッチンから慌ただしい音が聞こえていた。
ジェーンが鍋を掻き回したり、フライパンの様子を見たりしていた。
立ち尽くしていると、ジェーンがこちらを振り返った。
「服、きつくないわよね?」
「いい塩梅だ」
「そう、もうそろそろご飯もできるから」
そう言われ、腹減り具合が極限を超えているのを感じた。いつもなら、野草と沢の水で何とかなっていた。
「部屋に戻ってて。勝手に私の下着を取ったりしないでね」
「そんなことするもんか」
そう、そんなことよりも、大事なことがある。お金だ。明日出場するためのお金が欲しい。
部屋に戻り、テーブルの前でカーペットに座って待っていると、ジェーンが盆に料理を乗せて現れた。
目玉焼き、長期保存の効くパン、野菜のスープであった。
「卵だあっ!」
思わずフレデリックは喚起する。故郷を飛び出して一年弱、卵を食べる余裕すらなかった。
「食べましょう」
「ああ、いただきます」
ジェーンの料理はどれも美味しかった。デザートにフルーツまで出てきた。だが、腹は満たされようがフレデリックは忘れていない。明日の試合に参加するためのお金のことを。
「ジェーン、コロッセオのお金を貸してくれ」
「料理の感想の前にそれ?」
「君の料理はどれも最高の味付けだったよ」
「今更言っても少し遅いわよ」
ジェーンはポーチから銀貨を一枚渡した。
「すまない」
「良いんだけど、やっぱり午後一番に出るつもりなのよね?」
「当たり前だ」
するとジェーンは切れ長の目を厳しく歪めた。
「あなたじゃ、ウィリーやヴァンやドラグナージ―クにはなれないわ」
「何故、そう決めつける?」
フレデリックはムッとして目の前の綺麗な女性を見た。
「語弊があったわ。今の、あなたじゃ、ってこと」
「確かに修練途中だしな」
「まぁ、それもあるかもしれないけど……せめて午前の試合を制覇してから、午後の方に挑まない?」
「午前の試合の連中はそんなに弱いのか?」
「まぁね……あなたと違って、強豪が揃う試合を避けるぐらいですもの」
「情けない」
「情けないですって!?」
ジェーンが声を上げた。
「誰だってヒーローになりたいわよ! 強豪を退ける力を誰だって得たいと思ってる! だけど、それが今は無理だから、誇りを曲げて、身の丈にあった試合の時間帯を選んでいるんじゃない!」
「俺はもう誇りを曲げたりしない」
小説家として大成できなかったことを思い出す。家族も近所の連中も嘲笑い呆れるだけであり、ロクでも無い噂を流されたりもした。
「ジェーン、風呂と食事とお金をありがとう。俺はやっぱり帰るよ」
「帰るってどこへよ? まさか、また郊外の草原とか言わないでしょうね?」
「そのつもりだが」
「……私が悪かったわ、フレデリック。だからあなたはここに居て良いのよ」
フレデリックはジェーンの顔が本当に悲しいものになったので少し驚いていた。
「ジェーン、君はどうして俺に情けをかけてくれるんだ?」
「だって、このままじゃあ、あなた餓死しちゃうもの。風邪だって引くかもしれない」
ジェーンが涙を流しながら言った。
フレデリックは驚いて台布巾でジェーンの目元を拭った。
「バカ、ハンカチにしてよ」
「そんな物、俺が持ってると思うか?」
「……そうよね」
「君を泣かせたらしい、そこは謝罪する」
フレデリックはそう言うと、立ち上がった。
「で、出て行くの!?」
「ああ、出て行く。俺は君を泣かせてしまうらしいからな」
「……だったら、明日から受付で案内人は私を指名して」
「何故だ?」
「お金を貸すためよ」
「すまない。風呂と食事をありがとう。ジェーン、君は恩人だ。お金は必ず返す」
フレデリックは外へ出た。
この辺りは独身世帯の似たような住宅が並んでいた。
フレデリックは歩み出し、そうして郊外の草原へと戻ってきた。
吹き荒ぶ風が懐かしい。僅かの間に沢が無くなってはいないか不安になり、見に行ったが、そこは変わらず、せせらぎがあった。
そうして雨避け代わりの樫の木の根元で毛布に包まり、彼は眠りに就こうとしたが、思い立って、素振りを始めた。
マルコにヒルダにカンソウ。その三人の姿を思い浮かべた。ジェーンの必死な話が脳裏をよぎり少しだけフレデリックは考えた。ウィリーやヴァンにドラグナージークにはなれないか。直近の目標はこの三人に勝つことにしよう。
フレデリックは素振りをする。闇をただ切り裂くべく剣を振るう。そこに好敵手やヒーロー達がいると思って剣を振るう。
気持ちが揺らいでいる。午後の一番の試合に参加し続けてきたが、俺は確かに大敗し、一勝も出来ていない。ならば、一度午前の試合に顔を出して己の力量を量るべきだろうか。
逡巡し、決意が固まらぬまま素振りを終えて、スクワットをする。夜に野山を駆けまわるのは危険だ。そんなことぐらいは分かっていた。
夜目に慣れて来て、樫の木の影に来ると、毛布をかぶり、彼は明日に備えて眠ることにした。