「月光」
フレデリックは少し遅めに町へ出た。
心なしか、往来を行く人達の数が少ないように思えたが、その理由こそがコロッセオである。この宿場町はコロッセオの出場希望者とそれを観覧する客達によって成り立っている。皆、今はコロッセオの中にいるということだ。
わざわざ遅れたのは、この状況を確認するためでもあった。自分達は人を魅せる試合が出来ているかどうか、今の往来は少し寂しいがそういうわけで仕方がない。
フレデリックもコロッセオまで来ると、石壁の巨大で広大な建物から大勢の客の声が重なり合い、一つの音となっているのが聴こえた。
さぁ、月光のお披露目だ。
「フレデリックさん、最近は午前の部でも有力者として注目されてますよ」
受付の可愛い娘がキラキラとした笑顔を浮かべて言い、剣と参加費を受け取った。
「ジェーン、案内よろしくね」
事務所の扉が開き、ジェーンが姿を見せる。
「今日は少し遅いのね」
「町の様子を確認したかったんだ。誰か午後から移って来た奴はいるかい? 昨日のウォーはおそらく午後に戻ったとは思うけど」
ジェーンが答えようとした時、フレデリックは慌てて言った。
「やっぱり止めた。自分の目で確認するよ」
「それが良いわ」
もし、午後の部から誰も来なければ、俺にだってチャンプに挑むチャンスはある。いや、午後の奴がいても突破して見せれば良いだけだ。
薄暗い廊下の壁の一つのようになった扉をジェーンが開けてフレデリックは控室に入った。
籠の中から片手持ちの長剣型の木剣を選び、試しに両手で握った。悪くは無い。真剣に劣る重さなのは仕方が無い。だが、フレデリックの浮かれ具合をジェーンは見抜いてしまったらしい。
「ずいぶん、今日はやる気に満ちているわね」
「まぁな。一つ、掛け声を変えたんだよ。俺もウィリーのような咆哮が出せればな」
「あなたにはそんな声は似合わないわ」
「そうかな?」
「そうよ」
沈黙が支配しそうな気配になりかけたところで丁度、扉が軽く叩かれた。
ジェーンの同僚が顔を出す。
「出番よ」
「分かった。行って来る、ジェーン」
「ええ、幸運を」
ジェーンが頷き、フレデリックは控室を出る。
近頃はすっかり暖かくなっていたが、この薄暗い回廊だけは寒々していた。お化けの一匹ぐらい隠れていてもおかしくはない。フレデリックは回廊を駆け、少しの階段を上がり、そして会場へまっしぐらに走った。
2
陽光がコロッセオ全体を照らす。
広い会場を中央へと歩んで行く度、フレデリックの名を呼ぶ声援が聴こえた。待っていたのはデズーカであった。
「ヒルダは?」
「さぁな、俺は会ってないぞ」
「君は何勝目だい?」
「ええっと?」
デズーカが目玉を額に向けて指を折って数え始めた。
「四勝目だ、たぶん」
「凄いじゃないか」
「師匠のおかげだ」
謙虚になったものだ。やはり誰かに師事することは自分の身体の力もそうだが、内面も変えてくれるのだろうか。前のデズーカでの評価では心技体の技だけ成長したと評したが、彼は心までも成長を遂げていた。
「両者、準備は良いか?」
審判が尋ねてくる。
デズーカが返事の代わりに、腰を落として居合の構えを見せる。
「いつでも」
フレデリックは正攻法に真正面に構えた。
「第六試合、デズーカ対挑戦者フレデリック、始め!」
おいおい、四勝じゃないじゃないか!
フレデリックは心で苦笑し、デズーカが左右へ歩みながら間合いを詰めてくるのを焦れて、一気に斬り込んだ。
デズーカの抜刀はやはり見えない。凄まじい膂力が、膂力不足のフレデリックの剣を一気に打ち、押し退ける。デズーカは素速く剣を居合の姿勢に戻して二撃目を放った。
「月光!」
フレデリックは叫んで剣を両手で握り、デズーカの剣と打ち合った。
凄まじい痺れが手を伝って走り、腰砕けになりそうだった。デズーカの方もよろめいていた。
そうだったデズーカの弱点は足腰だ。だからこそ鍛えてはいるとは思うが、試させて貰おう。フレデリックは剣を離し下段へ薙ぎ払った。
デズーカは驚きながら後方へ跳んで避けた。以前よりは反応は良いが、育てに育った上半身をこの下半身がどこまで支えきれるだろうか。
フレデリックは足払いを仕掛けた。足が引っ掛かり、デズーカの巨体が前のめりに倒れた。観客もこれでは詰まらないだろう。
フレデリックは体勢を崩したデズーカの右手首を握り締めて、すっかり十八番となった一本背負いを決めた。
デズーカの身体が地面に叩きつけられた瞬間の音は凄まじく響き、地を揺らしコロッセオの建物を崩壊させるかと思った。
観客達がフレデリックの名を呼ぶ。
デズーカがスッと手首を抜き、よろめきながら立ち上がった。
「やっぱり足と腰だ」
デズーカが言った。
「そうだな。俺も最近は素振りだけだが、たまには走り込まないと」
デズーカは居合の姿勢を取った。
フレデリックはどこでも応じられるように、試合開始時と同じ真正面に剣を立てた。
「ヒケエエエエエン!」
デズーカの雄叫びが終わる前に剣と剣はぶつかっていた。
心なしか先ほどよりも濃い痺れが身体を貫いた。だからこそ、危うかった。その一瞬の間だけでデズーカは二発目の居合をぶつけて来たのだ。
武器で辛うじて受け止める。またもや痺れで、膝が下がった。親友マルコの雷鎚を喰らったかのようなダメージであった。
くそっ、負けるわけにはいかん。
フレデリックは地面を転がって間合いを離した。
デズーカの弱点は下半身だが、それでは面白くもない。デズーカを甘く見ているわけでは無いし、こんな窮地に何を考えているかというと、それは自分の全力と、デズーカの全力、どちらが本当に強いのかはっきりさせたかったのだ。客もまたそれを期待しているだろう。
真っ向から打つ。
フレデリックは剣を真正面に構え、両手で柄を握り締めた。
デズーカが腰を落とし、居合の構えをしながら悠然と歩んで来る。
間合いに入った瞬間、フレデリックは両眼を見開いた。
「月光!」
「ヒケエエエエエン!」
大きな衝撃が手に伝わった。身体を揺さぶった。脳が揺れ視界が暗転する。
剣は二本とも折れていた。
「ははは……」
フレデリックは苦笑いをしていた。
「折れたーぁっ!」
デズーカが驚きの声を上げていた。
審判が駆け寄って来る。
「両者引き分けとする!」
観客達が大声援を送ってくれた。フレデリックにもデズーカにも、二人とも客の心を掴む戦いが出来ていたということだ。
午後では、いや、今後はこんな遊ぶような真似はしない。月光の具合を見るために今は試したのだ。相手が骨のあるデズーカでそれが実証されたが、おそらくは本来なら折れていたのはフレデリックの剣のみであろう。デズーカは六連戦も自分の得物を使ってきたのだ。剣の方が傷みで限界だったのだろう。
「やるなぁ、フレデリック」
「君もだ。相変わらずの腕力には恐れ入る」
二人は並んで会場を後にして受付へ来る。デズーカは剣と賞金を、フレデリックは一勝もしていないので剣だけ返して貰った。
「じゃあな、フレデリック、俺は下半身を鍛えるよ」
「ああ、またな」
デズーカが歩んで行く。その背をフレデリックは晴れ晴れとした心で見送っていた。デズーカはすっかりフレデリックの友人となっていたのだとこの時に気付いたのであった。




