「チャンプ陥落」
アナスタシアは瞬く間に十連勝を成し遂げた。午前に挑む戦士達にとっては明らかに力量に差があるほか、場違い感もあった。
「ダンハロウを破って力量がどれほどか分かったが、現実に見せつけられると、改めて恐ろしいものだな」
カンソウが言った。デズーカはもういない。負けてしまった師が気になり部屋から飛び出していったのだ。
歓声が沸く。煌びやかな太陽が黒い甲冑を照らし出す。
チャンプ闇騎士が入場してきたのだ。
「一体いつになったら帰って来てくれるのですか!?」
アナスタシアが声を上げた。
「いや、悪いな。つい」
「アーニャは一人で赤ちゃんを産みました。赤ちゃんはまだ名前だってありません!」
アナスタシアは明らかにチャンプを責めていた。
「何か言い訳はありますか?」
「いや、無い」
「ならば、ここは闘技場。アーニャが勝ったら赤ちゃんに会って名前を付けてもらいます」
「何も戦うことなど。俺は今すぐチャンプの座を降りて」
と、闇騎士が言いかけたところで、アーニャが丸い木の槍先を向けた。
「大勢の方がアーニャとあなたに注目しています。その期待を簡単に裏切るというのですか?」
「では、戦うのだな。そうこなくては。正直、ここでの戦いにも飽きが来ていた頃だった。ウィリー、ヴァン、ドラグナージーク、ダンハロウ。何度も戦い当然のように勝ちを収めて来た。だが、アナスタシア、お前なら一筋縄では行くまい」
「そのつもりです!」
アナスタシアは槍を旋回させ、一振りした。
「行きますよ、陛下!」
「来い、我が愛しきアーニャよ!」
両者が向かい合うのを見て審判が歩んで来た。
「では、チャンピオン戦を行います! 挑戦者アナスタシア対、チャンプ闇騎士! 試合開始!」
痴話喧嘩のようなやり取りの後に試合が始まるが、突っ込んで行ったのは闇騎士であった。
腰から両手持ちの木剣を抜き様、アナスタシアに斬り付けた。影の様な黒がアナスタシアの槍と激突する。木の鈍い音色が木霊した。
またしても見えなかった。チャンプだけある。闇騎士の斬撃は迅雷の如しであった。
あれを相手に俺はどれだけ持ちこたえられるだろうか。いや、修練を積んでもあれを捌けるほどの腕前に成長できるのだろうか。
アナスタシアは足払いを仕掛けるが、闇騎士はその足を片足で踏みつけた。
「これは勝負あったな」
カンソウが言った。
だが、次の瞬間、アナスタシアが身を反転させ、威勢よく石突で打って来た。闇騎士は思わずといった形で後退し、攻撃を避け、自由になったアナスタシアは得意の目に見えぬ突きを嵐のように放ってきた。
木と木がぶつかり合う。観客達もまた固唾を飲んで様子を見守っていた。
「ハアッ!」
アナスタシアがその小柄な体躯で闇騎士に体当たりをした。
闇騎士は微動だにせずそれを受け止めた。と、思った瞬間、アナスタシアは足を払って闇騎士の両肩を掴んで投げ飛ばしていた。
甲冑が一度鳴り、闇騎士はすぐさま立ち上がった。そして高々と上空から槍を振り上げ、襲い来るアナスタシアに気付いて攻撃を避けた。
渾身の槍が大地を穿ち、凄まじい音と土煙を上げた。
誰もがアナスタシアが土煙の中にいると思い込んでいたようだが、フレデリックは闇騎士が既に下目掛けて剣を払ったの見た。
アナスタシアが跳躍し、それを避け、槍を突いた。
闇騎士は寸でのところで身を捻って躱した。
そして着地を狙って下段から剣を振り上げたが、アナスタシアは槍先を下してこれを受け止めて無事に着地した。
「戦い方は違うが、ウィリーならもう負けている頃あいだ」
カンソウが瞠目しながら言った。
そのまま両者はどちらが主導権を握っているのか分からない打ち合いを演じ、そして同時に離れた。
「もう、終わりにします」
「良いだろう」
二人は身構えた。だが、すぐに飛び出した。
木と木が鳴ってすれ違った。
「同時?」
「ええ……」
フレデリックの思わずの問いにヒルダが息をのむように答えた。
場所が入れ替わり、両者は、再び駆け出した。
薙ぎ払い。二人ともやや下段に構えながら向かってゆく。
そして激突の瞬間、アナスタシアが跳んだ。
大ぶりを躱された隙だらけの闇騎士の背に回り、槍を突くのではなく上から脳天に叩きつけた。
破壊的な甲高い音色が轟き、闇騎士がよろめいて倒れた。
「勝者、アナスタシア! これより新のチャンピオンはアナスタシアになった!」
審判が声高に宣言すると、静まり返っていた会場から拍手と歓声が飛んだ。
だが、アナスタシアが審判に向かってゆくと何やら話していた。
「アナスタシアのチャンプ辞退を受け、これより、闘技場にはチャンピオン無しとなった!」
審判が慌てて宣言すると、客達は静まり返った。
そんな様子などどこ吹く風というように、ダンハロウとデズーカが会場に現れ、気を失ったであろう闇騎士を抱え上げていた。
「皆さん、ごめんなさい! 審判殿が言ったとおりです! お騒がせして申し訳ありません!」
アナスタシアはそう言うと、それぞれ四方に頭を下げた。
「チャンプ不在か。これは好機だな」
カンソウが真面目な顔で会場を見詰めて言った。
フレデリックもコロッセオ当初から参加しているので知ってはいるが、最初のチャンプは午前の部の優勝者と、午後の部の優勝者によって競われた。
見事に午前の部の覇者となれば、チャンプも夢では無いということだ。明日の試合は午前も午後も大盛況だろうとフレデリックは思った。
そしてアナスタシア達の様子を見ると行って先に出て行ったヒルダの後に、カンソウと共に回廊を歩んでいた。
「さっきの話だが、確かに好機だが、ダンハロウ殿がいるぞ?」
「お前も察しが悪いな。ダンハロウはアナスタシアと闇騎士の知り合いだ。そして奴は、闇騎士を説得するために午前の部に出たに過ぎぬ」
「ということは……」
「ダンハロウが出るとすればこれからは午後の強豪どもとの試合だろう」
喜ぶカンソウとは違い、フレデリックは残念な気持ちだった。ダンハロウ老人は壁であり、自分はその壁を乗り越えることなく、壁の方から崩れ去ってしまったのだ。
今後は誰が自分の壁になってくれるのだろうか。
そう思いながらコロッセオの外まで歩いていたのだった。




