「ダンハロウを破る者」
今日もフレデリックはダンハロウに敗れた。老紳士はこれで何十回とチャンプに挑んでいる。その老紳士を退けるチャンプがいることにフレデリックは考える度に驚きを隠せなかった。
全ては偶然だったのか。少なくともカンソウとヒルダ、デズーカと外でばったり出くわさなければ、観覧席に行こうなどと思っていなかった。
だが、観覧席はチケットが売り切れたと言われ、フレデリックは仕方なく、仲間達と特別室へと赴いた。給仕もいたが、その前にダンハロウが苦戦しているところが見えた瞬間、二の句が継げず、慌ててカウンターの座席へ駆け寄っていた。
女だった。大柄な女が両手剣の木剣を振り回し、ダンハロウを圧倒はしていないものの優勢を保っていた。
「あれは、カーラさん」
ヒルダが言った。
「知ってるのか?」
師の窮地にデズーカが騒ぐ脇でカンソウが尋ねた。
「ええ、サクリウス姫様お付きの近衛兵の方です」
「また厄介なのが来たな。このままでは俺まで兼業剣士になりそうだ」
カンソウが浮かぬ顔で言った。
「良いんじゃないか? 仕事もやってみると楽しいぞ」
フレデリックが思わず言うとカンソウは無言で戦闘を見ていた。
剣は荒いが切れの良い風の音色が轟く。カーラという女性が洗練された技量を持っている証だ。高めのポニーテールが揺れ続ける。プレートメイルであそこまで動けるとは大したものであった。
剣が薙ぎ払われる。ダンハロウは後退せず、果敢に飛び込んだ。観衆が、フレデリック達が、驚きの声を上げた。途端に鉄を打つ音色が轟き、勝敗は決した。
「さすが、師匠だ! こけつが何とかってやつだぜ」
デズーカが満足そうに言い、一同はここまでかと席を立とうとしたが、ヒルダが声を上げた。
「どうした?」
フレデリックが問うと、ヒルダは口を押えていた。
「嘘」
「ん?」
彼女の視線を辿ると小柄な女性が進み出ていた。出口のところですれ違ったカーラも驚いたように茫然とその背を見送っていた。
手には木の短い槍。甲冑姿だが、その背丈から子供が挑んでいるように見えなくも無かった。
「王妃様」
ヒルダが言った。
「誰なんだ?」
カンソウが問うと、ヒルダはこちらを見て頷いた。
「紹介は後程、この戦い、どうなるか分かりませんよ」
ヒルダは興奮している様子だった。彼女がここまで浮足立つとは珍しい。ヒルダに続いて男達も席に座った。
「では、第九試合、ダンハロウ対アナスタシア、始め!」
審判の宣言が飛ぶや、挑戦者アナスタシアの姿が消えた。ダンハロウが彼には珍しく慌てて上段に剣を繰り出した。
そこに槍の穂先が激突する。
ダンハロウとアナスタシアは競り合いを演じながら、何やら言葉を交わしていた。
「知り合いという感じだな」
カンソウが言った。
「そうなりますね」
ヒルダが言った。フレデリックは最前彼女が、「おうひさま」と言ったのを忘れてはいなかった。だが、イルスデンの皇妃はいない。既に昔に亡くなっている。
「まさか、べリエル王国の王妃様か?」
「そうです。ダンハロウさんでも苦戦しているのを見兼ねてついに、御自ら来てしまったようです」
アナスタシアの槍筋はまるで見えない。ダンハロウも防戦一方だった。
「べリエルの王妃が何故ここに?」
「それは……」
カンソウの言葉にヒルダは言い淀んだ。カンソウは空気を読んだように追求せず試合を眺めやった。
風と影、衝突の音色、観客も茫然としていた。
「師匠! 頑張れー!」
デズーカただ一人が声援を飛ばす有様だ。
アナスタシアの姿が見えた瞬間、ダンハロウが剣で切りつけた。
捉えたように見えたが、そこにあったのは影で、アナスタシアの姿は無かった。
ダンハロウが周囲を見回している。まるで彼に挑んだ時のフレデリックそのものだった。
ダンハロウがハッと頭上を見上げ、そして危機一髪飛び退いた。
木製の槍が丸い断面にも関わらず大地を穿ち突き刺さっていた。アナスタシアはヒョイと槍を引き抜き、頭上で旋回させ、左手を前に向けて身構えた。
「さっきの近衛の方が可愛いぐらいだ」
カンソウが真正直な感想を漏らした。フレデリックは頷いて試合場の両者の睨み合いを眺めていた。
ようやく観客が我に返った。アナスタシアを称える声が一色になった。ダンハロウを応援するのはデズーカだけであるが、カンソウもおそらくはフレデリックと同じ思いだ。せっかくダンハロウを破るべく修練を積んで来たのに、そのダンハロウよりも強い者がまた壁となって立ちはだかるのだ。カンソウはおそらく、仕事探しについて考え始めているだろう。
槍が飛んだように見えた。
が、実際は突き出してアナスタシアが物凄い速度で駆けているだけに過ぎない。数メートルの間合いを一気に詰め、突き出す。
ダンハロウはこれを剣で受け止めたが、両手を使っていた。
どれほどの手の痺れだというのだろうか。今も弱小だが、フレデリックは様々な戦士達の太刀筋を受けて、その都度、手から腕、身体に走る痺れに遭遇している。だから分かる。今まで自分が受けて来たものが遠雷だとすれば、目の前の少女の様な女が放つ槍が生み出す痺れは轟雷だ。一気にそこまで上がったのだ。
アナスタシアは打ち込みよりも、突く方が圧倒的に早かった。風を短く唸らせ、繰り出される槍をダンハロウは良く受け止めてはいたが、アナスタシアが跳躍し槍を叩きつけると、防ぎに回った木剣が傾き、そのシルクハットがずり落ちた。そのままアナスタシアは地面に足を付き、槍は木剣を押し、圧倒し続けていた。
そうしてダンハロウが押し出された。
老剣士はこれまでにないほど無様な恰好で後方へよろめいていった。恐ろしかったのはアナスタシアが既に老人を追い、その眼前で槍を突いていたところだ。
「何て速さだ。何もかもでたらめだろう」
カンソウがフレデリックやヒルダ、デズーカ、観客達の胸中をそのまま代弁してくれた。
老剣士は少しずつ体勢を取り戻しつつあったが、もはや優位に戻すには間に合わなかった。足払いをまともに受け、地面に倒れたところで、剣から手を放し、降参したのであった。
「勝者、アナスタシア!」
一瞬の沈黙ののち、歓声が大いに響き渡った。




