「ミリー」
午前の部をダンハロウに敗れ、コロッセオの外に出る。薄暗い建物の中から陽の光りに照らされて目が眩んだ。今日も稼ぎは無かった。
ダンハロウを闘技戦士達が亡者のように蘇り、試合を汚してから数日経っていた。だが、ダンハロウにはまだまだ及ばずであった。
闘技戦士らも去る者と残る者に分かれた。残る者はフレデリック同様、兼業で他の仕事へ就くしかなかった。
これが力の無い者の現実なのだ。
フレデリックは午前もそろそろ午後になり始めて来た宿場町の中を職場へと歩んでいた。
「フレデリック君!」
その時、背後から声を掛けられた。
自分より幾分小柄なピンク色が立っていた。職場の年下の先輩ミリーは顔を上げて微笑んだ。どうやら彼女もこれから出勤らしい。
「あのおじいさん本当に強いよね」
「そうですね。どうにも俺の動きは読み易いのかもしれません」
だが、ミリーはこちらに顔を伏せてまるで遠慮がちに言葉を選ぶように言った。
「フレデリック君もカッコよかったよ。コロッセオに夢中で、負けても次の日にはまた挑戦するし……」
ミリーがそこで言葉を切り、フレデリックはどうしたものかと思案した。
「あのね、フレデリック君」
「何ですか?」
「す……好きなの」
今、彼女が何と言ったか、フレデリックは耳を疑い、もう一度その言葉を確かめたかった。言ったかもしれないし、言わなかったかもしれない。勘違いと言うこともある。
ミリーが歩みを止めた。
「ミリーさん?」
「何かを頑張っている男の人ってステキだと思う。私にとってそれがフレデリック君だったみたい」
フレデリックはただただ驚くばかりだ。
切れ長で少し大きな彼女の茶色の瞳がこちらを見上げていた。
「俺が?」
やっとの思いでフレデリックは沈黙を破った。
「そう。いつだったか披露した一本背負いも物凄くカッコよかった。だけど、この間の卑怯な試合の時に、勝つのが難しいダンハロウさんを見捨てず、逆に味方に飛び出したところで私ね、物凄いドキドキしたの。これが恋なのかもしれないと、はっきりはしないけど、フレデリック君にもっと近づきたいと思って、それでたぶん、あなたが好きなのかなって」
ミリーの告白はまだまだ不安定だった。だが、とも、思う。その気持ちが俺への恋の一部なら、俺が応じて二人で完成させれば良いだけのことだ。完成させられなかったら、別れればいい。
「どう? フレデリック君、私と付き合ってくれる?」
フレデリックは頷いた。
「あなたを幸せにできるかは分からないし、むしろ苦労させることになるとは思いますが」
「お互い支え合えば良いわ」
「分かりました。よろしくお願いいたします」
「ありがとう、フレデリック君。振られたらどうしようかと思ってたの。だって同じ職場で顔を合わせるんだもの」
「確かに」
ミリーが手を掴んで来た。
「これが剣を握って来た手なのね。何だか愛しい。さぁ、今日も頑張ろうか」
「はい」
二人は並んで職場へと向かったのであった。
2
あの時、助太刀に出たのは、自分とヒルダとデズーカとやはりカンソウだった。コロッセオの特別室へ呼ばれ、シンヴレス皇子自ら、その行動を褒めたたえてくれた。そこで褒美に金貨を数枚貰えたのだが、驚くことに誰もが辞退した。
「身体が勝手に動いたことです。ダンハロウ殿なら我々の加勢が無くとも、亡者も生者も一網打尽に、打ち払うことができたでしょう」
カンソウが代表して言い、シンヴレス皇子は、お付きの体格の良い猛者と共にこちらを順繰りに見た。
全員が頷いた。
「分かった。君たちは本当に誇り高いね。試合はたまに見せてもらってるんだ。ダンハロウさんとも手を合わせたこともあるけど、破るのは難しいよね」
シンヴレス皇子がそう言い、そこで解散となった。
そういえば、と、四人並んで回廊を歩きながらフレデリックは尋ねた。
「ヒルダは、相手がすぐにシンヴレス皇子だと分かったんだな」
フレデリックが言うと、ヒルダは頷いた。
「皇子御本人のお顔は見ていませんでしたが、竜に見覚えがあったので」
デズーカと共にフレデリックが感心していると、カンソウが驚きの声を上げた。
「ヒルダ、まさか、お前、竜乗りか?」
「え? はい、そうですが」
その彼女の答えにフレデリックも驚いた。
「道理で動きが洗練されていると思った」
カンソウが言い、彼は続けた。
「まさかとは思うが貴族か?」
「いちおうは、父の代理ですが」
またもやフレデリックは驚いた。デズーカだけがどこ吹く風というようにこちらを見下ろし歩くだけだった。おそらくフレデリックらが驚いたキーワードのことすら彼の純朴な脳には記憶されていなかったのだろう。
「貴族で竜乗りか。恐れ入った」
フレデリックが思わず言うと、ヒルダはかぶりを振った。
「恐れ入る必要なんかありません。私たちはコロッセオの同士ではないですか。そこに貴族や竜乗りなんていう言葉が入り込む余地はありません。違いますか?」
フレデリックとカンソウは二の句が継げ無かった。だが、カンソウが深く息を吐き、頷いた。フレデリックも正気を取り戻して言った。
「確かにその通りだ。貴族や竜乗り、身分なんかここでは関係ない。だけど、驚いた」
「おい、お前ら剣を忘れてるぞ」
いつの間にかコロッセオの外に出ていた。
デズーカに言われ、共にダンハロウに負けてしまったフレデリック達は受付で預けた剣を返してもらった。
「隠すつもりはありませんでしたが、公になった以上、この後、私が竜の世話に戻ることをお知らせしておきます。では、皆さん、ごきげんよう」
ヒルダが去って行く。
「カンソウ、もしかしてお前も実は貴族だとか無いだろうな?」
「いいや、無いな。誓って。しかし、ヒルダの奴がどうして女だてらにあそこまで動けるのか、原因が分かった。ドラグナージークは竜傭兵として名を馳せているが、ヴァンやウィリーも竜傭兵だ。竜に関われば強くなれるということだろうか」
カンソウが言った。
竜傭兵は今はほとんど居ない。各領地で一人か二人、巡回で雇っているぐらいだ。
俺も将来を考えなければならない。ミリーさんの世話ばかりになりながら弱小闘技戦士を続けていけるとは思えない。
残った三人はそこで各自別れを告げて去って行った。




