「新たな壁」
「ダンハロウと申します」
老紳士が笑顔を絶やさずに言った。手にはこちらと同じ長剣の木剣が握られていた。
「フレデリックです」
審判が両者を見る。
「では、第二試合、ダンハロウ対フレデリック始め!」
歓声が沸き起こる。だが、今回は新参だというのにダンハロウを推す声の方が大きかった。カンソウをあそこまでやったのだ。観客も度肝を抜かれ、この老人に惚れたに違いない。
「秘剣!」
ダンハロウがそう叫んだ瞬間、彼の姿は間合いに入り胴を薙ごうとしていたところであった。
フレデリックは慌てて剣を下へ向けて攻撃を受けるのだが、木剣同士の音と共に手に痺れが走った。
この老人、本来なら午後一番が相応しいのでは無いか?
ダンハロウの乱打をフレデリックは紙一重で受けていた。
手に手に痺れが走り、足が止まり、剣を落としてしまいそうだ。
その時だった。
「フレデリック君! 頑張れー!」
一際冴える声の持ち主は振り向かずとも分かる。ミリーのものだ。
ミリーさんが来ている。気持ちに応えたい!
だが、無情にもそこで木剣が圧し折れた。
観客が歓声を上げる。
折れた木剣を見てフレデリックは大きく一息吐いた。
2
あれは何者だ。木剣といえど堅い木だ。それを自分の武器は圧し折らず、俺の武器だけを圧し折った。考えるに乱打しながら打つ位置をずらしていた。
ああ、せっかく声望を得たのに、まさか老人に敗退するとは。
医務室が見えてきたとき、扉が開き、まるで亡者のようによろめく影があった。スケイルメイルがガチャガチャ鳴る。
「カンソウ!」
フレデリックは思わず名を呼んで、散々嫌がらせされたことを忘れ、駆け寄った。
「小僧か」
カンソウは腹を押さえていた。スケイルメイルが穿たれたようにへこんでいる。
「金属をここまでか?」
「何だ、小僧、お前もあのジジイと戦ったのか」
「ああ。剣を折られたよ」
「全く、いつまでも小山の大将でいられないことは分かっていたが、凄いジジイが入り込んで来たものだ。あれは剣鬼よ」
「剣鬼……」
「小僧、お前も来るか、特別席に?」
それを聴いて驚いた。特別席は金貨一枚もする観覧部屋のことだ。闘技戦士目線で見られる。だが、金貨すら一度も手にしたことの無いフレデリックは苦笑しかぶりを振った。
「誘いはありがたいが、銭がな」
「おごってやる」
「だ、だが」
「確かに俺とて午前の部の最終戦にまでは残れる実力はある。お前よりは稼いでいるつもりだ。来い。いつもこんな気まぐれを起こす俺ではない」
「ありがとう」
カンソウに礼を述べると、相手は少しだけ照れたように鼻を鳴らし、歩んで行った。
3
特別席は酒付きだった。カンソウはワインを頼んだが、この後仕事のあるフレデリックは飲酒を辞退した。
試合場を去ってからここまでくる間に既に三人も沈められたようだ。
悠然と立つ礼服姿のダンハロウ老人の前に巨漢が片手剣をブンブン言わせながら歩んで行った。
「何てこった、雑魚ではないか! 奴では試合にならん!」
カンソウが呻く。
相手はデズーカであった。フレデリックでも比較的楽に倒せる巨漢だが、膂力だけは午前の部の誰よりも優れている。
「当たれば老人の剣を圧し折ることができるかもしれない」
「当たればな……」
カンソウはワインをグイっと呷った。
審判が第六試合の始めを声高に宣言する。
デズーカの猛獣のような咆哮と大地を蹴る音が轟く。
物凄い音が木霊した。デズーカの剣をダンハロウは片手に握った剣一本で抑え込んでいた。フレデリックは瞠目した。
「ぬうううはああああっ!」
デズーカが両手で柄を握り、もう一発打ち込んだ。
「見え見えだ馬鹿が」
カンソウが溜息を吐いた。
また木剣の衝突する音色が轟いた。
ダンハロウ老人はやはり剣のダメージを気にしているようで、先ほどよりも鍔に近い位置で受け止めているように思えたが、ここからでも選手達は遠い。
デズーカがもう一度木剣を振り上げた時だった。ダンハロウ老人はここぞとばかりに右からヒラリと背後に回り込んだ。
「幾ら何でも隙が多すぎるわ、薄ノロ」
カンソウの呆れた声が終わった瞬間、ダンハロウ老人の剣がピシャリとプレートメイルを打った。デズーカの身体が、雷に打たれたかのように痙攣した。そして彼はよろめいて後ろに倒れた。
「勝者、ダンハロウ!」
観客達は大いに沸いていた。
「この分だと特別見れる試合もチャンプ戦ぐらいなものだろうな」
「カンソウ、あんたはチャンプと戦ったことはあるのか?」
「勿論だ。だが、最近はそうもいかん。貴様やヒルダがいるからな。午前の部はチャンプが姿を見せることは無い。つまりは最近は誰も十連勝をしていないのだ。このような情けない話があるか!?」
「そうだったか」
取り乱し気味のカンソウを見つつ、フレデリックの目が次の挑戦者を捉えた。
「ヒルダ」
「む」
カンソウの目が険しいものになる。
入り口で騎士のように剣の鍔を顔に寄せ掲げ上げる。相変わらず軽装のヒルダは腰の周りに投擲用のショートソードを八本ほど提げていた。
「第七試合、ダンハロウ対ヒルダ、始め」
ヒルダが切り込んだ。だが、ダンハロウはそれを避け、ヒルダの腰からショートソードを一本抜いた。
「何っ!?」
「馬鹿が! あの女が勝つにはこれまで耐えてきたジジイの剣が圧し折れる他、道は無いというのに、敵に一本ぶん捕られるとは! ヒルダのアホが!」
「まぁ、俺達はあの老人を恨んでいるわけでもない」
「気楽なことを言うな」
次の瞬間、フレデリックとカンソウは揃って瞠目した。
ダンハロウは二刀流を披露したのだ。右が打てば左が斬る。
ヒルダもまた初めての二刀流に身体が追い付いていない。
「一旦離れて、投擲して、懐に入る!」
ヒルダ流の攻め方を何となく知っていたので、フレデリックはそう宣言した。
ヒルダは離れ、投擲したグルグル回る剣をダンハロウ老人は左で弾き、右で間合いを詰めていたヒルダの籠手を打った。
鋭い音色が会場を静まらせ、審判がダンハロウの勝ちを告げると、会場はまるで午後一番に来た時のような盛り上がりを見せた。
「ヒルダでも駄目だったな」
「このままだとあのジジイが新参で初参加でチャンプと手合わせすることになるぞ!」
カンソウは憤怒していた。
第八試合の相手が現れたが、これは時折見るまだまだ実力の無い挑戦者であった。
フレデリックの胸中は複雑だった。老人とはいえカンソウの言う通り、新人にチャンプと戦う機会を与えるのは、情けなかったが、チャンプの姿を拝んでみたいという思いもあった。
試合開始が告げられ、挑戦者が猛然と老人へ向かって斬りかかって行った。




