「老剣士現る」
早朝、最近のフレデリックの目覚める時間は一番鶏より早い。だが、寝るのも早い。仕事があるおかげで、安宿を拠点に食べるべき物を食べ、身体も見違えるほど調子が良くなった。カンソウに感謝だな。あのまま郊外の草原で暮らしていても、俺は強くなれなかった。それに、やはり人と繋がりを持つのは楽しい。
寝巻から鎧下着に着替え、プリガンダインと鉄の籠手、脛当てを装着し、ブーツを履くとフレデリックは宿の外へ出た。
身体に良いという噂を聞き、割れたクルミを買っていた。それを口に入れて嚙み砕き、宿の外で素振りを始めた。
一番鶏が鳴いた。こちらは定刻通りで、フレデリックと競うつもりは無いらしい。
朝が始まる。
2
フレデリックは最近、コーヒーというものを飲むようになった。そのため、朝早くから営業している喫茶店、「木の葉」へ通っていた。
コーヒーを飲むと目が覚める。フレデリックは香ばしいパンにスクランブルエッグを乗せて口にすると、熱いコーヒーを啜った。
その目がこちらに背を向けて、おそらく紅茶を楽しんでいる老紳士に向けられた。大柄でも無ければ小柄でもない。恰幅の方も別段、何ともいうことは無い。だが、腰に剣を提げていた。持ち手にガードの籠の付いたあまり見ない上品そうな剣だ。
今の大陸は九割型は治安が良い。戦争も終わったが、無頼の者達がならず者行為を働くぐらいだ。なのに武器も防具もこの大陸からは消える気配が無い。何故だろうか。フレデリックは老紳士が白髪頭に黒のシルクハットをかぶったところで目を逸らした。
老紳士が会計を済ませ、歩んで来る。気付けばフレデリックは尋ねていた。
「何故、未だに剣が必要とされているのでしょうか?」
老紳士は白い口髭と顎髭に覆われた口をニコリと愛想良く微笑ませた。
「竜を守るためです。剣と盾と鎧が竜に対しての敬意と信頼の現れなのです」
竜傭兵でも城の竜乗りでもない自分には今一つピンとは来なかった。
「そういうものか。お答えありがとうございます」
「いいえ。では、コロッセオでお会いしましょう」
「ええ。……え?」
その時には老紳士は既に喫茶店の扉を潜り外へ出て行っていた。
あのご老人もコロッセオに? だが、午後の部の強豪グランエシュードという老人の例もある。年寄りだからと甘く見てはいけない。
フレデリックも勘定を払い、店を出た。朝の喧騒に包まれる宿場町は勿論、人が多く、あの老人の姿はどこかへ隠れてしまっていた。
懐中時計を見る。時刻は九時過ぎ。コロッセオは開いていた。カンソウに会ったら礼を言おう。皮肉ではなく心からだ。それがまたカンソウにとっての本物の皮肉になるだろう。
最近の午前の部は朝から観客が多く占めていた。午後の一番に相応しい戦士が現れるのかどうか、観客達の目を自分達が技で魅了できた結果だ。
「おお、あんたフレデリックだろう?」
コロッセオの手前で、若い男女に呼び止められた。
「何か用ですか?」
「いいえ、試合、頑張って下さい! それだけが言いたくて」
女の方が顔を赤らめて言った。
「ありがとうございます。では」
フレデリックはコロッセオの受付へ出向いた。
出場料の銀一枚を払い、剣を預ける。
「フレデリックさんもようやく噂に聞くようになりましたよ」
いつもの受付嬢が嬉しそう言い、フレデリックもこそばゆくなった。
「そういえば」
フレデリックは思わず口を開いていた。若く可愛らしい受付嬢がこちらを見た。
「老紳士が来なかったか? 黒いシルクハットと正装の」
「ああ、今回初めて参加される方です。鎧も着ずに大丈夫なのでしょうか」
「耄碌しているわけじゃないよ。あの老人はきっと強い」
フレデリックは思わずそう口走っていた。無意識のうちにあの老人を強者と認めてしまっていた。ただ数度、口を交わした間柄だけだと言うのに。自分でも信じられなかった。
「そうですか。コロッセオが賑わうなら大歓迎ですよ、私たちは」
受付嬢が明るい顔で言い、フレデリックは軽く笑った。
程なくして扉が開き、ジェーンが姿を見せた。
「おはよう、フレデリック。案内するわ」
「ああ、よろしく」
ジェーンと並んで薄暗い回廊を行く。こんなに暗くて良いのだろうかとフレデリックは思った。ジェーンやその同僚たちはこんな魅力的な恰好をしている。この薄闇で、嫌な心に火をつけてしまう男どもだっていないとは思えない。
控室へ案内されると、フレデリックは籠を漁った。いつもの木剣を選び、感覚を確かめる。そういえばと、壁に立て掛けられてあるあらゆる盾を見た。こいつらを使う相手に未だに会ったことは無いな。出番はあるのだろうか。
「ジェーン、盾を使う戦士って出場したのを見たことがあるかい?」
ジェーンは軽く考えた様子を見せた。
「いないわね。この子達が可哀想かもしれないわね。あなたが使う?」
フレデリックは小型の盾バックラーを左手に取り、構えて、木剣を振るい、盾を払った。シールドバッシュという盾で殴りつける技だが、フレデリックにはどうにも身体がぎこちなく動き、盾は合わないと判断して壁に戻した。
「センスは無いわね」
「そうだな」
すると、扉が叩かれた。
「あら、フレデリック出番よ」
ジェーンの同僚が笑顔を見せた。
「誰と誰が戦ったんだ?」
「それがね、凄いのよ」
ジェーンの同僚が感激したような顔をしたので、フレデリックは手で制した。
「やっぱり、自分で確認する。じゃあ、ジェーン」
「幸運を」
フレデリックは回廊を駆け、短い階段を上がり、再び回廊を抜けた。
観客の歓声が鬨の声のように耳を貫いた。
フレデリックは初めて見る光景を目の当たりにした。担架で誰かが運ばれて行く。上で気を失っていたのはカンソウであった。
カンソウをここまで痛めつけるとは、相手はヒルダか?
中央に歩んで行ってフレデリックは驚いた。
「御機嫌よう。先ほどぶりですな、お若い方」
そこには喫茶店で言葉を交わした老紳士が、シルクハットを取って微笑んでいた。




