「声援」
力比べでもヒルダに及ばないのは悔しかった。競り合いから飛び退き、牽制の薙ぎ払いを見舞うが。ヒルダはそれを弾き返して、フレデリックを追って来る。
何てこった。このお嬢さんの度胸はどこから来るのだろう。フレデリックとヒルダは再び競り合い、ヒルダがハイキックを見舞った。
これは或いは好機だ!
フレデリックは足を掴んで布鎧の襟首を掴み、すぐさま、足を掴んでいた手をヒルダの剣を握る右手首を掴んで、思うがまま、一本背負いを決めた。
泥水を跳ね上げヒルダは呻いた。
フレデリックは剣を逆手に持ち、ヒルダの腹を突こうと振り下ろそうとするが、剣を持つ手を蹴られ、泥の上を回転し、離れた場所でヒルダが立ち上がった。
「さすが、強い」
フレデリックは自分より数歳年上の女性に感心していた。
その時、会場が沸いた。
フレデリックもヒルダも息を整えながら遠くで顔を見合わせていた。コロッセオはこうでなくちゃいけない。
ヒルダ、よく来てくれた。
「フレデリックー!」
ヒルダコールの中、何と、空耳かと思ったが、自分の名を呼ばれた。フレデリックが自分の名を呼ばれたのは新人時代の一か月のみだった。午後の試合に出ては無様に負け、観客に良いところを見せられなかった。或いは俺は午後一番の試合を汚していたのかもしれない。あそこは猛者の集う場所だ。俺みたいなのは場違いだったのだ。
雨が激しくなってきた。
だが、ヒルダもフレデリックもそれでも試合の行方を追ってくれる観客に感謝の意を込めて剣を振った。
そして視界が効かない中、ヒルダが腰に回している幾本ものショートソードを投擲してきた。
フレデリックは突進し、雨風の揺れる宙を行く剣を弾き返して、ヒルダに向かって大上段に剣を構えて跳んだ。
当たれば最高にキマっていたが、ヒルダは躱し、後ろから斬り付けた。
フレデリックは振り返り様に得物で剣を受け止めた。そこからヒルダが乱打し始めた。力強く速い剣が幾重にもフレデリックを打とうと狙うが、フレデリックは全てを捌いた。
自分がここまでできるとは思わなかった。
フレデリックはヒョイと後方に跳んだ。夢中だったヒルダの剣が空を切る。
「貰った!」
フレデリックは踏み込み剣を突き出した。だが、終わりでは無かった。ヒルダのローキックがフレデリックの右膝を蹴っていた。中途半端になった技はそこで堰き止められ、フレデリックは冷やりとしながら何とか身を捻ろうとした。だが、ヒルダはフレデリックの懐に飛び込み、薙ぎ払いを放った。
木剣がプリガンダインの表側の雨に濡れた皮部分を打った。
フレデリックは後ろへ倒れていた。
審判が慌てて駆けてくる。
「彼女の勝ちだ」
フレデリックは、視界が悪く試合を追えなかった審判に向かってそう言った。
「勝者、ヒルダ!」
会場は歓声に包まれた。
「ヒルダー!」
会場が勝者を祝福した。
フレデリックはこちらを見ているヒルダに笑顔を見せると、大人しく出口へと向かって行った。
「フレデリック、いい試合だったぞ!」
「また楽しみにしてるからな!」
出口付近の客席から思わぬ声がかけられ、フレデリックは猛烈に嬉しくなり、頷いて手を上げて出口へと消えていった。
2
フレデリックは途中、これからヒルダと戦うであろう戦士とすれ違った。少し前に流行ったポニーテールにした長い黒髪の女性で、唇が魅力的に厚かった。
「また女か。だが、女が決して弱いというわけでは無いからな」
背をシャンと伸ばしプレートメイルに身を包むさまは最高にイカしていた。何だろうか、歴戦の威厳を感じさせた。彼女もまた、元気の無い午前の部を沸き立たせてくれる戦士なのかもしれない。
フレデリックはあれほど軽く見ていた午前の部が好きになり始めているのに気付いた。あの嫌なカンソウでさえ午前の部では貴重な戦士だった。デズーカは修練の必要はある。張り合いが出てきた。マルコが抜けたのが尚痛く感じた。
受付で剣を返して貰うと、ジェーンが現れ、傘を差しだした。
「フレデリック、嬉しそうね」
「ああ。午前の部で頑張らせてもらうよ。そしていずれは午後一番に復帰、いや、挑戦する」
「うん」
ジェーンはニコリと笑みを浮かべて事務所へと戻って行った。
フレデリックも仕事場へと向かった。
店には客がまばらに居た。もう慣れてきた忙しくなる手前の光景だ。
そんな中、ミリーが外から入ってきた。雨でピンク色のチュニックは濡れていた。
「やぁ、フレデリック、ミリー」
もう一人の給仕のロイドが声を掛けて来た。三十代の気さくな男性であり、ここではフレデリックの先輩だ。
「おはようございます、ロイドさん」
「おはよー、ロイドさん」
フレデリックとミリーがそれぞれ言うと、厨房からボアの声が飛んだ。
「早く着替えて来い! こっから忙しくなるぞ! 気合入れていけ!」
「はい!」
フレデリックは厨房の方を見て返事をした。
そうして更衣室へ歩んで行くところで、ミリーが言った。
「フレデリック君、強かったじゃない」
いきなり何のことだかフレデリックには分からなかった。ピンク色の髪をタオルで拭きながら、ミリーは笑みを浮かべた。
「試合見てたの」
「そうでしたか。まぁ、負けでしたけど」
「でも、お客さんに名前まで呼んでもらえて、他人事だけど凄く感動した」
「ありがとうございます」
フレデリックは十代を抜けたばかりの年下の先輩に礼を述べた。
ミリーはタオルをこちらに渡した。つぶらな茶色の目がこちらを見てそして逸らした。
「私の彼もフレデリック君ぐらい強ければ良いんだけど」
「無理して強くなる必要も無いですよ」
「まぁね、優しいのが良いところなんだけどね。さぁ、私先に更衣室使わせて貰うから」
「どうぞ」
フレデリックは更衣室の扉が閉まるのを見届け、今、自分が過去最高に気分が良いことに気付いていた。ヒルダとほぼ互角の戦いを演出でき、観客に名前まで呼ばれたばかりか、職場の可愛い先輩にも自分のことを強いと言われた。ミリーに彼氏がいたことが少し悔やまれた。
「お待たせー」
制服とエプロン姿のミリーが出て来た。
「さぁ、剣士フレデリック、その鎧からエプロンへ着替えて御出でなさい」
ミリーが悪戯っぽく言った。
「はい、今すぐに」
次なる戦闘に出るためフレデリックは更衣室へと入った。




