「居場所」
カンソウはまるで勝ちを確信したように、邪悪な笑みを浮かべていた。
フレデリックはその前に立ち塞がるとカンソウに言った。
「ルールはどうする? 殺すのか?」
「それも良いだろうが、あいにく殺人罪で捕まりたくないのでね」
もう勝った気でいる。その自信はどこから溢れてくるのだろうか。フレデリックは相手の言葉を待った。
「よし、コロッセオと同じだ。武器が鎧や肌に命中して勝ち負けとする」
「分かった」
「フフッ、小僧、舐めるなよ」
カンソウは強気の笑顔で両手剣を腰から抜いた。トゥーハンデッドソード。フレデリックも長剣を抜いた。こちらはブロードソード。武器が違うから勝敗が決まるというわけではない。だが、一部集まってきた観衆達はフレデリックの負けを囁いていた。
俺も、今までのフレデリックとは違う。右目の端に店が映る。ここを守るために勝たねばならない。
「合図など要らんな。死ね、小僧!」
カンソウが剣を振り上げて地を蹴った。
ここはコロッセオでないのだ。無様に避けてもブーイングが来ることだって無い。
フレデリックはコロッセオでなら得物で受け止める一撃を回避した。
「ちっ!」
カンソウが素早く剣を薙ぐ、これも避け、次は突きが来るがこれも躱した。
「弱虫が、逃げるだけか?」
挑発には乗らない。俺は店を背負っている。俺が迂闊を踏んで負ければ、店の仲間達に多大な迷惑が掛かる。
フレデリックは機を待った。
「来ないなら仕掛けるぞ!」
カンソウもまた出方を窺っているようだ。言うだけ言うが動かない。いや、今の連撃で少し息を乱している。体力、持久力が無い。つまり早くもへばり始めている。
そうか、好機なのだ。
フレデリックは剣を下段に構えて、カンソウへ斬りかかる。駆けながら下段から、中段に構え直し、一気に突こうとした。
カンソウが捌こうと剣を薙ぐ、だが、フレデリックはそれを避けて、がら空きの身体へ今度こそ、突きを入れた。勝負とは時に一瞬で決まるものなのだ。
ブロードソードの切っ先がスケイルメイルに激突し、カンソウは驚いたように目を見開いた。
「カンソウ、俺の勝ちだ」
「何だと、こんなはずは無い! 断じてありえない!」
カンソウは憎悪の視線を見せると、フレデリックに斬りかかった。 初めてだ。他人から殺意の刃を向けられるのは。この平和な時代にそうそうあることでは無いだろう。
カンソウの殺気に溢れた刃が、目の前を翻弄する。
「カンソウ! 気は確かか?」
「黙れ、小僧!」
大ぶりの一撃を避け、カンソウの懐に飛び込んで、拳を顔面に叩きつけた。
「ふがあっ!?」
鼻血をまき散らしカンソウは悲痛な声を上げた。
「カンソウ、今日は俺の勝ちだ。そういうことにして置いて退いてはくれないか? 俺達はコロッセオのチャンプを狙う言わば同志だ」
「な、何が同志だ! 貴様のような弱者と一緒にするな!」
カンソウがフレデリックを突き飛ばす。
「今日のところは退いてやる。生意気な小僧めが」
カンソウはそう吐いて鼻を抑えて去って行く。
周囲から拍手が沸き起こった。
「冷や冷やしたぜ」
店長であり厨房で腕を振るう初老のボアが言った。
「フレデリック君、カッコよかったわよ」
先輩で年下のミリーが目を輝かせてこちらを見ていた。
「すみません、ボアさん。それにミリーさん、あなたに謝罪せず相手を逃がしてしまった」
「謝罪なんて良いのよ。正直、恰好だけだと思っていたけど、強いんだね」
フレデリックは今になって冷や汗をかいている己に気付いた。ボアの気持ちが理解できた。軽率だったんだな、俺は。負ければ、自分の今後だけでは済まなくなるところだった。
「さ、店に戻って働いて貰うぞ。皆の衆、今日は全品三十パーセントオフだ。安くてうまい飯を食うなら今しかないぞ」
ボアが幾分、機嫌よく言ってくれたのでフレデリックは安堵した。
2
店を終えて食事を済ませ、宿、竜の旋回亭に戻ると、そこにはマルコが待っていた。
「よぉ、フレデリック」
「マルコ、待たせたか?」
「いいや。それより、酒飲むか?」
夜空には満月と星が出ていた。月見酒か。だが、フレデリックは何となく、マルコが何を決意し、報告しに来たのかが分かっていた。
「美味い」
木杯を呷り、宿の外で壁に背を預けながら二人は酒を飲んだ。
「食えてるようで本当に良かった」
「心配かけさせたな」
「全くだ。だが、これでしばらく思い残すことは無くなった」
フレデリックは木杯の酒に目を落とすマルコの言葉を待った。
「フレデリック、俺は一度、故郷へ帰るよ。自分の腕がどの程度か分かったんだ。兼業で働くお前を見ていたら、俺も兵士として再び任に就きたくなった。誤解するなよ、お前のせいじゃない」
「ああ。マルコには今まで色々世話になったな」
「そう思うなら、今度来た時には俺から一本取って見せろよ」
「勿論だ」
「しんみりさせちまったな。さぁ、飲め飲め」
フレデリックとマルコは木杯を次々呷った。
良い月だな。と、マルコが嘆息した。フレデリックも、そうだなと答える。
やがて、酒が尽きた。
「じゃあな。明日の朝にはここを出る」
「マルコ。また戦おう」
すると、マルコはぐしゃりと顔を歪ませ、泣いた。
「もっと行けると思っていたんだ。俺の槍はもっともっと通用すると思っていたんだ。悔しいぜ、フレデリック」
「マルコ」
フレデリックはマルコの肩に手を置いた。
「向こうでも修練は欠かさないんだろう?」
「勿論だ」
「それで良いんだ。修練を止めない限りお前は闘技戦士だ。コロッセオでまた会おう」
「ああ、勿論。必ずな」
マルコは涙を拭い払い、微笑んだ。
そして二人はまた夜空を眺めたのであった。