「兼業剣士」
食堂内は盛り上がっている。午後になり、昼食を取りに訪れた客達で混雑していた。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
案外、接客業も合っていたのかもしれない。外面を見せる姿勢で行けば自然とそのようになる。
「焼肉定食を」
客の中年の男が言う。
「畏まりました」
フレデリックは一礼し、厨房の方へ歩んで行って、料理人らに声を掛ける。
「焼肉定食一つ!」
「おい、新人、もっと声出せ!」
厨房からイラついたような声が返ってきた。
「焼肉定食! 一つ!」
「おうよ!」
今度は通じた。
鈴が鳴り、来店者の存在を知らせる。フレデリックは慌てて歩んで行き、客の女性に声を掛ける。
「いらっしゃいませ!」
「混んでるのね」
その声が来る前にフレデリックは空いている席を頭に入れていた。
「空いてるお席へご案内しますが、よろしいでしょうか?」
「ええ」
女性は席が空いていたことに安堵していたようだ。
「フレデリック君、お勘定!」
先輩の給仕、自分よりも年下の可愛い女の子の声が、狭い喧騒の中飛んできた。
「はい、ミリーさん!」
フレデリックは飛ぶように店内を駆け、会計を待っている親子連れの対応に当たった。
2
今のフレデリックは、午前はコロッセオに挑み、午後は食堂で給仕として働いている。おかげで、安宿の確保が出来た。食事も切り詰め、それでも肉やパンが自分のお金で食べられる幸せは筆舌に尽くし難かった。給仕の仕事は午後の五時まで続いた。正午から立ちっぱなしで、忘れたころには脚が痛くなる。これはこれで良い修練だと彼は思っていたが、終業後、宿の裏手で素振りや基礎トレーニングだけは続けられるだけ続けた。
午前の部は相変わらずで、カンソウとは互角。ヒルダとマルコには勝てなかった。一つ変わったとすれば、ジェーンに少しずつ借金を返していることだ。こういうことは早ければ早い方が良い、フレデリックがお金を返すと、ジェーンは最初、悲し気な顔で訊いてきた。
「夢を諦めちゃったの?」
悲壮感漂う顔だ。何故、そんな顔をするのだろうか。
「いいや、まぁ、これも天命というやつだ。午前の部には顔を出す。連続出場記録だけが取り柄だからな」
その答えに、ジェーンは頷いて微笑んでくれた。
フレデリックがアルバイトを始めたことで、彼の事情を知っている闘技場の関係者らは安堵したようだった。
ありがたいと思った。こんな自分を気にかけてくれる人達がいることが。
午前の部で初戦のマルコに負けると、賞金無しでフレデリックは引き上げる。そしてそのまま職場へと歩んで行く。
「おはようございます」
忙しい時間の始まる少し前、まばらな客に配慮し、フレデリックが挨拶すると、ミリーと厨房のボアという店主が顔を覗かせ応じてくれる。
フレデリックは気合が入るのが分かった。今の環境が、境遇が、大好きだった。自分でもやればできるということが分かり嬉しかった。
「邪魔するぜ」
裏で着替えていると、馴れ馴れしい声が聴こえてきた。
制服とエプロンを着けたフレデリックが出ると、そこにはカンソウが立っていた。カンソウはフレデリックの姿を見つけると、意地悪く微笑んだ。
「よぉ、フレデリック、客として来てやったぜ」
ミリーが応対しようと出るがフレデリックはそれを止めるために声を出した。
「いらっしゃいませ、空いているお席にどうぞ」
「フン」
カンソウは鼻で笑い、中央の席に座った。
何事も無ければ良いが。フレデリックは少しだけ嫌な予感がしていた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「冷たい茶をくれ、後はステーキ四百グラム」
カンソウが言い、フレデリックは厨房に声を掛けた。
フレデリックはまずは茶を運んできた。
「お茶でございます」
「ああ」
カンソウはそれだけ言った。
フレデリックが背を向けた時だった。
「客を舐めてんのか!? この店は!?」
カンソウの激昂する声が反響し、他のお客達は驚いたようにそちらを振り返った。
「おい、フレデリック! てめぇ、客の茶にハエを入れやがったな!」
「ハエ?」
「見ろ!」
カンソウがグラスを差し出すと、茶色の茶の表面にハエが浮いていた。
「フレデリックよぉ、どうすんだ? 喧嘩売ってるってことで良いんだな?」
「私は見ましたけど」
ミリーが駆けつけてきた。
「お客様がお茶に何かを入れるのを私は見ましたよ。てっきり薬だと思っていましたがハエだったようですね」
「何だ、てめぇは? 俺の自作自演だと言いたいのか?」
「はい。お代は結構なので出て行ってください」
ミリーが冷たい声で言うとカンソウの平手が飛んだ。
物凄い音で、ミリーは吹き飛びテーブルと椅子を薙ぎ倒した。
「おい、アンタ!」
厨房からボアが顔を出す。
「良いのか? この店はハエを客に出す店だって言い触らすぞ」
「何だと」
ボアが怒りながら戸惑いを見せた時、フレデリックの口が自然と開いた。
「俺が気に入らんのだろう、カンソウ? 外に出ろ」
「外に?」
「ああ。剣で白黒つけようじゃないか」
フレデリックは冷淡な態度を装っていたが、内心、ミリーが殴られたのを見て怒り心頭だった。自分に付き纏うまさにハエのようなカンソウを自分の手で追い払ってやる。そう、意気込んだ。負けた時のことなど考えてはいなかった。
「良いだろう、お前が勝てたら俺は二度とこの店には来ない。だが、フレデリック、お前が負けたら、その時は男らしくこの店を畳めよ」
「何だと、そんなことが承服できるか!?」
ボアが声を上げた。
「提案したのはフレデリックだ。今更、止めるなんて言わないよな? それとも言うのか? 腰抜け」
カンソウの挑発など聞き耳持たなかった。ただ、フレデリックは嫌悪し怒っていた。
「もう一つ、カンソウよ。俺が勝ったら、ミリーさんに謝れ」
「フフッハハハッ、良いだろう。おら、表出ろよ。白黒とやらをつけようじゃないか?」
カンソウは勝ちを確信したかのように外へ出る。
「フレデリック!」
「すみません、ボアさん」
フレデリックは更衣室へ戻ると、鎧下着とプリガンダインに着替え、腰にブロードソードを佩いた。
「フレデリック君、勝って!」
前を通り過ぎるとミリーが言った。フレデリックは足を止め、頷いた。
「必ずや」
そうして入り口を潜って外へ踏み出した。