8 夜会への招待
初めてのお茶会以降、フィリアは週に1度のペースでクリフォードとお茶会をしている。
天気の良い日はガゼボか応接室に隣接しているテラスで外の空気を感じながらお茶を飲んでいる。
クリフォードは、自分は会話をするのが得意ではないので、お茶会の時は読書をしたり刺繍をしたりして好きに過ごして構わないと言ってくれたので、フィリアはその言葉に甘えて、お茶会の時はいつも好きな本を持参して読んでいる。
クリフォードは書類の束を持ち込み、書類仕事をしている。
そしてクリフォードの仕事の合間に、フィリアが読んだ本の内容など、他愛もない話をして過ごす。
暖かい木漏れ日の差す午後のテラスは葉擦れの音に混ざって、紙を捲る音とカリカリとペンを走らす音が微かにしている。
「婚約者とのお茶会に仕事を持ち込んでしまってごめんね。今は少し立て込んでいて兄上の執務の補佐もしているから忙しくてね」
ペンを置いて苦笑いを浮かべるクリフォードは、一度伸びをしてからぬるくなってしまったカップに手を付ける。フィリアもクリフォードに合わせるように読んでいた本を閉じた。
「まあ、ご無理をされてお体は大丈夫ですの?」
「無理をしてでもこなさないといけないのが今の状況だからね。他に出来る人もいないから仕方ないよね」
(他に人がいないとおっしゃったわ。ご兄弟だけど、ランドルフ様はアテにしていないという事なのね)
「そうそう、これと同じものが伯爵宛てにそのうち届けられると思うけれど、フィリア嬢の分は直接渡してしまうね」
そう言って白い封筒を出してきたので、受け取ってからクリフォードを見たら、にこにこ微笑んでいるので、早速開封して中身を確かめる。
封筒の中には、夜会への招待状が入っていた。
「王家主催の夜会が開かれるのですね」
「その夜会で、私とフィリア嬢の婚約を発表することになったんだ。まだランドルフとの婚約解消を知らない貴族も多いんだよね。フィリア嬢も嫌でしょう?アイツと婚約者と思われるのは」
頷きにくい事をクリフォードは穏やかな笑顔を浮かべながら聞いてくる。離宮とはいえ誰が聞いているのか分からないのに、答えられるはずがない。
「……その、今回はクリフォード殿下も夜会にお出になられるのですか?」
「その事なんだけどね、本当に申し訳ないのだけど、私は病気療養中の為に参加が出来ないと既に話が通っているんだ」
クリフォードは眉を下げながら頭も下げる。婚約者のエスコートの無い夜会にフィリアは慣れている。
「……かしこまりました。私の事は心配なさらないで下さい」
気を遣ってフィリアも笑顔を浮かべてみるのだが、クリフォードのように上手く笑う事が出来ず、ぎこちない表情になってしまった。
エスコートが無い事に慣れてはいても、自身の婚約発表に1人きりなんて、本音を言ってしまえば辛いし、悲しい。
「兄上からの命じられた事なので、私の意思ではどうしようも出来なくてね。でもフィリアのフォローをお願いしたら、エスコートは出来ないけれど、ダンスは了承してくれたから、練習をしておいてね」
「おっ、王太子殿下とっ、だっ、ダンスですか!?」
あまりに驚いてフィリアの声が裏返ってしまった。顔がどんどん熱くなっていく。
柑橘系の香りに混ざって、ウッディな香りがしたような気がした。
「あっ、あのような方とダンスだなんて、むっ、無理ですっ!」
「もしかしてフィリア嬢は兄上と面識があったの?……知らなかったな」
クリフォードの声音は低く平坦になり、笑顔も消えたが、聞いた情報を頭の中で整理出来ないでいるフィリアは、クリフォードの変化に気付く事ができない。
「いっ、1度だけですっ。……す、少し前に、内宮の廊下ですれ違った時に、お、お声を掛けて頂いた事がありましてっ、その時にし、失礼な態度を取ってしまったので、ダンスを踊るなんてどうしようと思うのですっ。……そっ、それに、私はもう何年も踊っていないので、きっとご迷惑をお掛けしてもらうので、お、王太子殿下でなくても男性と踊るのなんて絶対に無理ですっ!私は壁の花でいるのが丁度良いのです!」
「うーん、もう兄上にお願いしてしまったからねぇ。それに私の体も良くなってきているんだよ。健康になっても私と踊ってくれないと言うのかい?」
「そっ、そんな事はっ、でも私は枯葉令嬢でっ、そのような立場ではっ……」
「私は動けるのなら、フィリアと夫婦になった後もずっと踊りたいと思うよ」
「ふっ、夫婦っ!」
礼儀作法も忘れたフィリアは顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏してしまった。
「フィリア嬢、もしかして君は……」
クリフォードは、いつも側に控えている背の高い侍従に目配せをして呼ぶ。侍従に指示をして、車椅子をフィリアのそばまで寄せて近づくと、そっとフィリアの指先に触れた。
「ひぃっっ!」
驚いたフィリアが椅子ごとひっくり返ってしまった。侍従がフィリアを助けようと慌てて近寄るが、クリフォードがそれを止めた。
「彼女に男は駄目だ、侍女を呼んでこい」
すぐにやって来た侍女二人に助けられてようやく座り直したフィリアは、いくらか落ち着きを取り戻したらしく、気不味そうに項を垂れていた。
紅茶も淹れ直してもらったが、今はそれを口に入れられる状態ではない。
「もしかして、男性が苦手なの?私と結婚をするのは嫌?」
「そ、そういう訳ではないのです。私は、その、……父とも縁が薄く、男性は祖父のような年齢の家令としか接した事が無かったのです。第三王子殿下は殿下を敬え、軽々しく近付くなといつもおっしゃられていらしましたし、どうしてもエスコートが必要な時も、極力触れるなと言われていました」
ランドルフの話題が出たところでクリフォードが微かに眉を顰める。
「それで、自分でも考えてみたのですが、私に優しくして下さったり、温かい言葉を掛けて下さった男性と距離が近くなると、緊張で動悸と息苦しさを感じて、頭に血が上ってしまうようなのです」
それは恋心を抱きかけているのではないかとクリフォードは思ったが、黙っていることにした。
「つまり、フィリア嬢は男性に対して怖いと思っているわけでは無いんだね」
「ええ、それはもう、怖い方は第3おう……いえっ何でもございませんっ、今のはお忘れ下さいっ」
クリフォードはくすりと笑ってフィリアをじっと見つめた。
「私はフィリア嬢のような女性は好ましいと思うよ、とても」
「!!!!!っ」
突然好ましいと言われたフィリアは驚ききのあまり急激に頭に血が登り、呼吸をするのも忘れてしまった。
そして頭の中でこれはマズイと思ったのだが、視界が暗転してしまった。