6 離宮へ
その日フィリアは離宮へ向かう馬車に揺られていた。
エルデン王国は王宮の敷地が広く、本宮の他に離宮がいくつもある。側妃がいる時は側妃とその子供たちが離宮で暮らすのが慣例だった。
今の王妃は元は側妃だったが、当時の王妃が若くして亡くなってしまい、空いた席に収まる形でランドルフの母親でもある側妃が王妃となり、ランドルフと一緒に本宮へ移り住んだのだった。
馬車が王宮の大きな正門に着いた。門兵がポナー家の家紋を確認してから通行の許可が下り、御者が離宮への行き方を確認している。
フィリアは前方に見える本宮を見ると、どうしてもランドルフの事を思い出してしまう。
(本宮にはランドルフ様がいらっしゃるから、第二王子殿下が離宮にお住まいで良かったわ)
フィリアにとってランドルフはもう二度と会いたくない存在でしかない。あの美しい顔を思い出すだけで鳥肌が立ってしまう。
第二王子の婚約者になってしまったので、これからも全く顔を合わせないという訳にはいかないだろうが、ランドルフの婚約者時代に第二王子と会う事は無かったので、本宮にさえ入らなければ、王家主催の大きな夜会で顔を見る程度だとフィリアは思っている。
馬車が再び動き出して右へ曲がる。第二王子が住む離宮は王宮内の東の方にあるようだ。
これから向かう離宮は主の第二王子の他は侍女や護衛等の使用人しかいないので、気負いはしなくていいはずなのに、どうしてもフィリアは緊張してしまう。
そして馬車は森のように木の生い茂った石畳の道をゆっくりと走ってゆく。
本宮以外は知らないフィリアは、王宮の中にこんな小道があるなんて知らなかったので、小窓を開けて新鮮な空気を楽しみながら、これから会う第二王子の事を考えた。
(あのカードを書いたのはどんなお方なのかしら)
表立って皆が話す第二王子は、穏やかな王子と評されている。
しかし噂話になると辛辣な内容が多い。気弱で気鬱になりがち、体が弱いので内に籠って外に出てこない。賢い兄と美しい弟に挟まれて目立たない存在感の薄い王子。
国の財政の為にフィリアとの結婚を望み、敏腕な商人でもあるポナー伯爵を捕まえて数時間も粘った人物と噂の人物が同じ人として繋がらない。
フィリアはこの数日で第二王子から送られた花束の事を思い出していた。
自分はフィリアの好みをちゃんと知っているとのアピールをしているかのように、あれから届いた花束はもれなく黄色の花が使われていた。そして添えられたカードにもフィリアに懸想しているような少しキザな内容のメッセージが毎回書かれていた。
(私を想っていると書いてくれるのは嬉しいのだけれど、国の為の政略的な婚約で、まだ会った事も無いお相手なのよね)
フィリアはランドルフとの婚約で結婚に夢を見る事を止めてしまったので、第二王子からのメッセージは嬉しいと思う反面、実際に会ってみないとわからないとも考えていた。
――まだお会いしたことのない貴女
第二王子はメッセージカードの中でフィリアをそう呼んでいた。丁寧な言葉遣いは穏やかな王子という噂とも合致するので、ランドルフのように乱暴な言葉を浴びせる人物ではないと思いたい。
ポナー伯爵と結んだ婚約の条件の中に『フィリアを愛する努力をする』とあったので、あのメッセージはそれを守ってくれようとして書かれたものなのだろう。
(改めて考えると、私って顔も性格も服も地味よね)
今日のドレスは渋い緑色で、胸元には真珠を使った小さなブローチを付けている。ネックレスやイヤリングを付ける度胸はフィリアには無かった。
以前ランドルフとのお茶会にお気に入りのネックレスを着けて行ったら、ランドルフから「似合いもしないくせに、金に物を言わせたような下品なものを着けて来るなんてさすが商人の娘だな」と言われて以来、着飾る事を止めてしまったのだ。
だから、この慎ましやかなブローチひとつ着けて出掛けるだけでもフィリアには大きな勇気が必要だった。
地味なフィリアの姿を見たら第二王子はがっかりしてしまうかもしれない。そう思うと、契約があっても見知らぬ王族の男性に会うのは怖い。
ランドルフは王妃に似ているので、母親の違う第二王子はあそこまではキラキラしていないだろう。
母親が同じ王太子は男性的で整った顔立ちをしていた。もしも第二王子が王太子と似ていたら、あんな素敵な方の隣にいて耐えられる自信がフィリアには無かった。
それに捨てられるように婚約解消された直後なのだから、本当は少しの間はそっとしておいて欲しかった。
今日第二王子から冷たい態度を取られたらすぐに婚約解消をしてもらおう。フィリアがそう思ったところで馬車が一度止まり、離宮の敷地内に入る。
馬車の扉が開き、男性使用人に手伝ってもらい馬車を降りると、文官服を着た侍従らしき人物がフィリアを出迎えてくれた。
第二王子は迎えに来てはくれなかったようだ。
あれだけ会いたいとカードに書いてくれていたので、出迎えはあるものだと思っていたのだが、違っていた事にフィリアは少し落胆してしまった。
(これは、お父様の目の届きにくいところでは私への扱いを変えるという事かしら?)
「クリフォード殿下のいらっしゃるところへご案内致します」
そう言って背の高い侍従はゆっくりと歩いていく。
そういえばランドルフに仕えていた使用人たちは冷遇されているフィリアへの態度があまり良くなかった。
今のように主人の元へ案内する時も、ランドルフに仕えている使用人はヒールにドレス姿のフィリアの事なんて考えてくれずに、さっさと早く歩いていくので、フィリアは置いて行かれないようにいつも必死だった。
(使用人はちゃんとしているのね。)
侍従の後に付いて行くと、木々がたくさん植えられた庭へと出た。
ランドルフとのお茶会は豪華な調度品に囲まれた応接室ばかりだったので、会話がなくなる無言の時間はフィリアにとって息の詰まる時間だった。
なので庭園でのお茶会は開放感があって嬉しい。会話が止まってしまっても、庭園や花を眺めていれば少しは気詰まりもしないかもしれない。
侍従はゆっくりと庭の奥へと歩いていく。この先に第二王子がいると思うとフィリアは緊張した。