5 新しい婚約者
「また王族の方なのですか!?」
フィリアは貴族令嬢らしくもなく声を上げてしまった。
第二王子は、婚約破棄をされた時にランドルフと一緒にいた公爵令嬢の元婚約者だ。二人は半年ほど前に婚約を解消をしたばかりで、今は婚約者はいない。
多少時期は開いているし、公爵令嬢のマレーネとランドルフは恋人関係であって、まだ婚約には至っていない。
しかしランドルフ好みの容姿と家柄を持つマレーネは、いずれランドルフと婚約をすることになるだろう。
ランドルフとマレーネまで再婚約に至った場合、結果だけ見ると、お互いの婚約者を交換した形になってしまう。
王子二人と高位貴族がこのような婚約解消と再婚約を結んでも良いのだろうか?
(何だか頭が痛くなってきたわ)
こんな面倒な婚約は本音を言うと御免だが、父の口ぶりでは既に婚約届けにサインをしてしまっている。
フィリアは新たな婚約者となった第二王子の噂を思い出してみる。
会った事が無い相手なので、第二王子の情報は噂くらいしか知らないが、何も知らないよりはマシだと思う事にする。
第二王子は身体が弱い事を理由にあまり夜会へは出てこない。
公爵令嬢のマレーネと婚約解消をしたあたりからずっと、病気を理由に王宮の敷地内にある離宮へ引き籠もっていると聞いている。
噂では、離宮に引き籠もってしまったのは病気ではなく、マレーネに失恋をして気鬱になってしまったからだと話す貴族もいる。
そして第二王子は貴族達から、気の弱い王子だと評されている。
「お父様、先ほど第二王子殿下自らが私との婚約を望まれたとおっしゃいましたが、それは本当なのでしょうか?」
(気の弱い方なのに、ポナー家の財力が欲しいのかしら?)
「ああ、それは本当だ。昼過ぎに王宮で婚約解消の手続きをした後、第二王子の離宮に呼び出され、この時間までずっと粘られ、首を縦に振らないと帰してもらえなかった。だが先ほども話したが、お前の気持ち次第ですぐに解消できる内容の条件を呑んでくれた」
たかが貴族令嬢の気持ちだけで王子と婚約解消できる条件なんて聞いた事が無い。
フィリアは父親がどんな条件を結んできたのかが気になって父親を見た。
「お父様、この婚約の条件を教えて下さい」
「細かくはいくつかあるのだが、主な内容は、婚約後は第二王子は浮気及び愛人を作らない事、お前を愛する努力をする事、これらの条件を守ったとしても、お前が願えば無条件で婚約解消に応じる事だ」
(浮気を禁止するのはともかく、愛する努力をするってどういう事?それに私の気持ちひとつで解消できる条件なんて、どちらも金銭的な利益を条件に挟んでいないじゃない)
商売人の父ならば、金銭的にこちらが有利になる条件を結んだのだと思っていた。
フィリアの気持ちだけを考えた条件を結んできた事に息を飲み、父親を驚きの表情で見詰めた。
この条件ならば、もしも第二王子がランドルフのような相手であったとしても、これまでのように辛くなったらいつでも解消することが出来る。
嫌な相手に我慢をしなくても良いなんて、フィリアにとっては破格の条件だった。
(お父様が利益よりも、私の気持ちを考えて下さるなんて)
フィリアはこれまで諦めていた父の愛情はずっと自分に向けられていたのだと初めて気付いた。
「ありがとうございます。お、お父さま……うぅっ」
嗚咽混じりのフィリアの声には父への感謝の気持ちで溢れていた。
「本当はもう王族とは関わりたく無かったのだが、王族にあそこまで懇願されてしまったからな。私も一応貴族だから、あの王子を一度だけ信じる事にしたのだ」
仕方ないと言わんばかりに伯爵は腕を組む。ふとフィリアはこのおかしな婚約の条件を受け入れた、第二王子がどんな人物なのかが気になった。
こんな条件を呑んでまでポナー家の枯葉令嬢と婚約をしたがるのは、国の為に自分を犠牲にできる愛国者か、変わり者のどちらかに違いない。
「お父様、第二王子殿下はどのようなお方なのでしょうか?その、女性の容姿にこだわる方なのでしょうか?」
何せ第二王子の元婚約者はあの公爵令嬢なのだ。悔しいが、外見では全く敵わない相手だ。
「どのようなお方なのかはお前の目で確かめてきた方がいい。お前の容姿の事は好ましいと仰っておられた」
(えっ、あれだけランドルフ様に貶されてきた私の容姿が好ましいですって?第二王子殿下の事は、数回遠くからお見掛けした事があるだけよ。それなのに私の事を知っているの?まさか適当に描かれた絵姿で見たとか、他のご令嬢と勘違いされてはいらっしゃらないわよね)
フィリアは微かな記憶から第二王子の姿を思い出してみる。第一印象は、フィリアよりも少し暗めの茶色い髪色を持つ、大人しそうな雰囲気の王子だった。
前髪は長めに下ろしていた上に、距離があったので瞳の色まではよく見えなかった。
国王と王太子の瞳は濃い青色をしていたので、もしかしたら第二王子も同じ色を持っているのかもしれない。
(第二王子殿下の瞳のお色も、青かったら良いなあ)
フィリアの頭の中に、王宮で出会った王太子の瞳の色が浮かんだ。
王家独特のロイヤルブルー。貴族の中に青い瞳を持つ者は多いが、皆あそこまで青色が濃くは無い。ランドルフも青系の瞳の色だが、現王妃と同じ水色の瞳をしている。
「わかりました。お父様、この婚約をお引き受け致しますわ」
第二王子の方から先に連絡があると言われていたので、フィリアは連絡を何日でも待つつもりでいたのだが、父と話をした翌日の、それも早い時間に黄色い薔薇の花束とカードが第二王子から届けられた。
封筒を開けてカードを取り出すと、微かにシトラスのような柑橘系の香りがした。
カードには『まだお会いしたことのない貴女へ、近いうちにお会いしましょう』とお手本のような綺麗な字で書かれていた。
(殿下は私の好きな色が黄色だと知っていらしたのかしら?それとも殿下も黄色がお好きなのかしら?)
フィリアは第二王子へのお礼の手紙を早速書き、顔合せの為に殿下の都合の良い日を聞く事にした。便箋は贈られた黄色いバラの色に合わせて、淡い黄色のものを使った。
次の日には黄色いガーベラの花と共に返事のカードが添えられていて、カードには『いずれ出会う貴女へ、お会い出来る日を心待ちにしています。』というメッセージが、希望の日程と一緒に書かれていた。
カードからは昨日と同じ柑橘系の爽やかな香りがした。
ランドルフと婚約をしていた時は誕生日に花束が贈られてきたが、カードは添えられていなかったし、お礼の手紙を書いても返事は無かった。なのでフィリアが異性と手紙のやり取りをするのはこれが初めてだった。
(男性と手紙のやりとりをするってこんなに恥ずかしいものなの?)
ランドルフからは罵詈雑言しか言葉を掛けられてこなかったフィリアには、手紙でも会いたいと意志表示をされるだけで、顔が赤くなってしまうのだった。