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【閑話】手紙

 ――まだお会いしたことのない貴女へ


 彼は婚約したばかりの婚約者へ、初めて送る手紙の書き始めにそう書いた。


 夜が過ぎ去り、既に空は白みかけている。部屋に置かれているランプの油は切れかけていたが、明るい朝の光が差し込めばいずれランプの必要はなくなる。


 車椅子に座っている彼は、自分の書いた流麗な文字を何度も見直す。文字の間違いがあるなどもっての他だが、初めて彼女が目にする自分の文字なのだから、手紙であっても今出来る最高のものを届けたい。


 穴が開いてしまうほど自分の書いた文字を眺めていたら、ドアをノックする音が聞こえて侍従が顔を見せた。


「今朝は随分早いですね、急ぎの執務なんてありましたっけ?」


 そう言って侍従は慣れた様子で寝室に掛けられた厚手のカーテンを開ける。カーテンは二重になっていて、白い薄布のカーテンはそのままだったが、明け方ならではの柔らかくて白い光が薄暗かった部屋を何トーンも明るくする。


 そこでふと侍従が彼の座る机の上に置かれたランプに灯がまだ灯っていた事に気が付いた。


「えっ、まさか昨夜からずっと起きてたんですか?」


「……」


 主からの返事はないので、自分の言葉が正しいのだと理解した侍従は言葉を続ける。


「確か昨夜は婚約者様に手紙を書いてからお休みになられるとおっしゃってましたよね?あれからずっと起きていたのですか?」


「……」


 返事がない主人の様子に侍従は額に手を当てて、さも嘆かわしそうな仕草をする。


「今日も執務が溜まっているのは知ってますよね? それで貫徹? 仕事が忙しいのを分かってます?」


「……うるさい」


 そこで侍従は彼の足もとに置かれている屑入れが、紙で溢れそうになっている事にも気が付いた。


「うわっ、こっちに入ってる手紙って字がびっしり書いてあるじゃないですかっ。こんな手紙の束を受け取ったら重過ぎて相手に引かれますよ」


「……だから、減らしたんだ」


 侍従は言葉の少ない主の机の上を見る。一枚の中にたった一行だけ書かれたカードが十枚ほど机の上には置かれていた。


「えっ、まさか清書した後にどれがいいかって、同じ内容をこんなに書いて選んでたんですか? これだけ真っ白な紙って高いんですけれど、知ってます?」


「……」


「まあ、あの手紙の束よりはいいですけれどね、あなたの字は綺麗なのですから、どれを選んでもいいじゃないですか、っていうか俺には全て同じに見えます」


「いや、違うだろう。跳ねの角度とか文字の入り方とか。こちらはこの文字が縦に長くなっているし、こちらの跳ねの角度は鋭角過ぎる」


「……クリフォード様、このままでは永遠に手紙は出せないと思います」


 そう言って侍従は大きくため息を吐く。そして侍従はすっかり明るくなった部屋の中で必要がなくなったランプの灯を消すのだった。


「そういえばこの間、妹が言っていましたが、最近令嬢たちの間で手紙に香水を振り掛けるのが流行っているらしいですよ」


「そうなのか?」


 クリフォードは車椅子に座ったまま身を乗り出しそうになった。


「手紙を受け取った相手が開封した時にほんのり香るくらいがいいらしいです。洒落てますよね。そのカードだと無地ですから封筒の内側にでも数滴くらい落とすのがいいんじゃないですか?」


「なるほど……」


 彼は納得したように頷いている。


「とにかく、このままでは執務が出来ませんし、朝飯の前に俺があちらの家に届けてきますので、どれにするかさっさと選んで下さい。……これなんかいいんじゃないですか?」


 そう言って侍従は自分に一番近い場所に置かれたカードを指し示す。本当にこれがいいのかとクリフォードは不審に思いながらも、一刻以上ずっと悩み続けて既に煮詰まっていたので、そのカードを選ぶ事にしたのだった。


「じゃあ今から香水のボトルを持ってきますから、好きなものを選んでください」


 そう言って侍従はクロークの中へ入っていく。


 昨日婚約をしたばかりのクリフォードは婚約者の顔を思い浮かべる。彼女を思い浮かべる時にいつも思い出すのは黄色だった。あれだけ手紙に時間を掛けたというのに、香りを選ぶのは一瞬で、クリフォードはシトラスをベースにした爽やかな香りを選んだのだった。


「それじゃあ、手紙を送ってきますね」


「待て」


「どうしましたか? もう違うカードに変えるのは駄目ですよ」


「カードと一緒に花も贈りたい。彼女には初めて贈るものだから、庭に咲いている花の中で一番美しいものを贈りたいんだ」


「えっ、まさかご自分でお選びに、……なられます?」


「もちろんだ」


 きっぱりとそう告げるクリフォードに、侍従は軽い眩暈を覚える。


「分かりました、今から花を探しに行きましょう」


 そう言って侍従は覚悟を決めてクリフォードの車椅子を押して庭へと向かう。主の部屋は一階だが、車椅子を使って庭に出るには廊下にあるドアを使わないと出れない。


 侍従は車椅子を押しながら、まだ寝ているであろう庭師を叩き起こす事と主がどんな花を選ぶのかを考えるのだった。


◆◆◆ お知らせ ◆◆◆

 あらすじで触れさせていただきましたが、本作は電子書籍化されています。

書籍化に当たり、かなりの加筆をいたしました。(11万文字から24万文字に増えました)

ひとつのエピソードのボリュームを増やすのではなく、新たなエピソードを複数追加してあります。


 また、本作は二年以上前に書いたものなので、今の自分が読み返してみますと違和感を覚えるところが多く、電子書籍版では気になる箇所は全て書き直しましたので、細かい変更や言い回しを変えた箇所が多数ございます。


 ボリュームが増え、読み応えバツグンの作品となりましたので、電子書籍版の本作もご拝読いただけると嬉しいです。


下記のページ(出版社様のサイトです)に、シーモア様を始めとする電子書籍販売各社へのページへのリンクがござますので、ご覧いただけますと幸いです。


https://mugenup-pub.jp/book/b10203346.html


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