【閑話】見習い神官の回想
※完結後に驚くくらいにたくさんの方がブックマークやお気に入り登録をして下さったので、お礼の気持ちを込めて書いてみました。
※8,000字を超える1話分としては長い話です。分ける事も検討したのですが、ストーリー展開的に分ける話ではないと思ったので長いままでアップ致します。( 長い等のご指摘があれば分けます)
※そ後のランドルフの話です。
ざまあ的な展開は無いのと、本編には影響の無い話になっています。
ざまあを期待された方にはぬるく感じられるかもしれません。
◇◇◇
秋も終わり、2度目の冬を迎えようとした頃、彼は田舎町にある神殿の図書室で黙々と教典を写していた。
1年と少し前までは白く綺麗な指だったのだが、大きなペンダコと水仕事で荒れてしまい、今ではすっかり別人の手になってしまった。
ふと小さな窓を見たら、木から落ちた葉が風に揺られて舞っていた。
昨年はあの枯れた葉を見る度に忌々しい気持ちになっていた事を思い出しながら、写本の作業を続ける。
自分の人生が変わってしまった夜会があったあの日、何が起きたのか彼には全く分からなかった。
長兄と思っていた王太子は偽物で、次兄は病気で先は長くないから、お前が父であった国王の跡を継ぐのだと母親であった王妃に言われた。
先ずは王太子を騙っていた者を貴族たちの前で暴く為に、王族の証明と呼ばれる秘薬を使う事を公の場で父王に願い出るように言われたのでそうしてみたら、自分も秘薬を飲む羽目になり、自分も知らなかった母親の不貞を身をもって示してしまった。
自分と父親に血縁が無いことを知っていたら、あのような曰くのありそうなものは絶対に飲まなかった。
あの時彼に理解出来たことは、自分が父親や兄と思っていた存在が赤の他人で、自分には高貴な血など流れていなかったという事だけだった。
写本の作業を進めていると、外から鐘の音が4回鳴った。彼は書きかけの本とペンを片付けて調理場へと向かった。
◇◇◇
かつてランドルフと呼ばれていた彼の一日は夜明け前に始まり、井戸の水を調理場の大きな瓶へ貯める事から始まる。
1日に食事は2回で、昼と夜に食べるので、朝は何も食べずに水汲みの後は洗濯が待っている。
洗濯が終わる頃に祈りの時間になり、そこでようやく他の司祭や神官達が支度を終えて礼拝堂に集まってくる。
司祭や神官達は木の椅子に座って神へ祈りを捧げるが、見習いである彼はどんなに寒くても石の床に座らないといけない。
鍛えた事の無い細身の彼は1度目の冬は何度も体調を崩してしまった。
薬も無く医者もいない中で、熱にうなされながら何度も自分の置かれた状況を呪った。
祈りの時間すらも、毎日彼は頭の中で恨みつらみを神に向って呟いていた。
( こんな事になるのなら、俺も母上のように毒杯を賜りたかった)
エルデン国で王族を騙る事は死罪に相当する。知らなかったとはいえ、自分はそれをしていたのだから死罪になるのだと思っていたが違った。
実子ではない自分を国王が庇うとは思えなかったし、兄だった二人とも仲は良くなかった。頼みの綱だった母親と公爵は罪人になってしまったので、ランドルフは誰が自分の命を救ってくれたのか分からなかった。
( これは救われたというべきなのだろうか?)
死罪ではなく無罪とすると通達があった時は嬉しかった。しかし今はどうだろうか?
ランドルフは平民として、ラルフと名前を変えさせられて、20人ほどの神官達がいるこの神殿へ見習いとしてやってきた。
ラルフがかつてランドルフと呼ばれていた事を知っているのは司祭長だけだったので、皆遠慮なく新参者のラルフをこき使った。
そして自分よりも後に入ってくる者はまだいないので、下っ端の仕事はラルフが一人でやらされている。
こんな所はすぐにでも出て行きたいが、ラルフには帰る場所も無いし、生活のアテも無かった。
そうこうして出て行きたいと思っているうちにあっという間に1年が過ぎてしまった。
◇◇◇
ラルフは月に1度だけ司祭長との面談を設けられている。王子に戻せと何度言っても司祭長は厳しい瞳でラルフを見つめるだけで何もしてくれなかった。
やがてラルフは司祭長に何も言わなくなった。王子に戻すどころか、生活の改善を訴えてもまるで聞いてくれないから、司祭長に期待するのは止めたのだ。
今日も面談の日だった。
応接室と呼んでいる木の椅子とテーブルしかない殺風景な小部屋に、いつも通りに司祭長が座っているので、ラルフも司祭長の正面の椅子に腰掛ける。
白い頭に顔にはたくさんの皺が刻まれている司祭長の正確な年齢は知らないが、ラルフの祖父よりも高齢に見える。しかし枯れ木のように痩せた体をしているのに、青い瞳にはどこか揺るぎないものを感じさせられた。
「ラルフ、今日は何か話したい事はあるか? 」
いつもなら「 何もありません」と言って退室を命じられるだけなのだが、今日はふと思った事を聞いてみた。
「 ……俺はどうして生かされているのでしょうか?」
「 お前が毎日書いている写本、あれが書き上げられた後にどうなるか知っているか?」
「 いいえ、知りません」
字が下手だと怒られながら書かされている写本が一冊終わった後にどうなるかなんてラルフは1度も考えた事は無かった。
書き写せと言われたのでそうして、写し終われば次の本を渡されるので、ラルフはただ延々と書き写しているだけだった。
「 明日は写本はしなくても良いから、午後はロイと共に教会へ行きなさい」
司祭長にはそれだけ言われて、その日の面談は終わった。
◇◇◇
面談の゙後に固いパンと具の少ないスープだけの昼食を食べた後は図書室でまた写本を始める。
字を雑に書く癖のあるラルフは丁寧に書こうとすると速度がかなり落ちる。
( クリフォード兄上は字がうまかったな)
あれはランドルフが11歳の時、療養の為に2年以上も遠くの離宮で暮らしていたクリフォードが王宮へと戻ってきたばかりの頃だった。
幼いランドルフの記憶にあった療養前のクリフォードは、活発なランドルフとは違い、穏やかで大人しそうな子供だった。
それが療養から戻って来たら、顔からは一切の表情が消えていて、父王から話し掛けられても、ほとんど喋らない人形のような子供になっていた。
それが面白く無かったランドルフはクリフォードを怒らせてみたいと思って、クリフォードが王子教育を受けていた部屋に乱入した事があった。
――兄上、何を学んでおられるのですか?ちょっと見せて下さい。
――………。
そう言ってクリフォードが使っていた書物と、書き物をしていた途中の帳面を取り上げてみたが、クリフォードは何も反応をしないどころか、ランドルフすら見ていなかった。
そしてその時、帳面に書かれていた文字を見たら、手本のように美しい文字が書かれていて、ランドルフは驚いたのだった。
◇◇◇
翌日の午後は、ラルフよりも5歳年上のロイという名前の神官と一緒に、抱えるほどの大きさの麻袋を持たされて、近くの教会へ向かった。
「 あ、ロイ様だ!」
「 ロイ様、ロイ様、あたしねっ」
「 ロイ様、俺さー、おいのりが言えるようになったよー」
教会の敷地へ入った途端、子どもたちに囲まれてしまったので、ラルフは驚いてしまった。
ランドルフだった頃に教会へは母親と共に何回か訪れた事はあったが、母親はいつも応接室で神父と話すだけだったので、ラルフは教会には身寄りのいない子ども達が暮らしている事を知識として知ってはいたが、実際に見たのは初めてだった。
「 ロイ様ー、この人はだあれ?」
そう言って小さな子どもがラルフを指で指した。
指で指すなんて不敬だとランドルフの時の思考で一瞬思ったのだが、次の瞬間には自分は平民のラルフだった事を思い出していた。
「 この人はラルフといって、私と同じ神殿で働いてるんだ。お前たちが元気過ぎて少し驚いてるみたいだな」
そう言いながらはロイは、大きな手で子ども達の頭を一人ずつ撫でていく。
「 わーラルフ様、よろしくねー」
「 ラルフ様の髪の毛の色、きれいだねー」
「 ラルフ様のほっぺたと首のポツポツはなんであるのー?」
「 あ……、これは」
無邪気な子どもの問いかけにラルフはたじろぐ。
断罪の日に、秘薬により首筋から右頬の下にかけて発疹が出来たのだが、それが痕になって残ってしまったのだ。
鏡を見る機会が無いのですっかり忘れていたが、ラルフにとってこの発疹の痕は、自分が不義の子だという証のように感じていた。
「 そうだ、今日はクッキーを焼いて持ってきたぞー」
戸惑うラルフを気遣ったロイが話題を変えてくれた。
「 やったー!」
「 ねえ、クッキーにお星さまがかいてあるかなー?」
「 ばーか、クッキーには字しか書いてないだろう」
そう言って笑いながら礼拝堂の前を通り過ぎて、子どもたちの住居と思われる建物の中へロイと子供達が入っていくので、ラルフもそれに続いた。
建物の中には更に年齢が様々な十数人くらいの子ども達がいて、大きな子どもは小さな子どもの世話をしていた。
「 ラルフ、袋を」
ロイに促されて持ってきた麻袋を渡すと、ロイは部屋の奥にいた年配のシスターに袋を渡して、ラルフを紹介してくれた。
袋を受け取ったシスターは、一度奥の部屋へ引っ込むと、木の皿に丸い形をしたクッキーを載せて持って戻ってきた。丸形のクッキーには先の尖った何かで、1枚ずつ簡単な単語が引っ掻くように書かれてあった。
(神殿には砂糖があったのだな )
毎日パンとスープしか食べていなかったラルフは、神殿は貧しいのだと思っていた。
( どうして施すばかりで、自分たちは食べないのだろう?)
「 ロイさまー、この字、何て読むのー?」
「 お星さまの絵があったー!」
「 俺のは犬か豚かな?なんかよくわからないものがかいてあるー、あはは」
優しそうな表情で子供たちを見ていたロイは何かに気付いたようで、部屋の中をひと通り見てから、近くにいた子供とラルフに話しかけた。
「 フィオがいないな、フィオはまた裏にいるのか?ラルフ、悪いが裏の墓地に女の子がいると思うので、連れてきてくれないか?」
大きな子供もクッキーに夢中だったので、手が空いているのはラルフしかいなかった。
呼びに行く子どもの名前が少し気になったが、ラルフはロイの言葉に従い裏の墓地へと向かった。
墓地といえば王家の王陵しか知らないラルフは、小さな墓石が並ぶ墓地を珍しい物を見るように歩いた。
墓地の端の方まで行ってみると、新しい墓石の前で10歳くらいの小さな子どもが膝をついて蹲っていた。
「 おい、起きろ」
子供はラルフの声に反応をしなかった。まさか死んでるのかとも思ったが、呼吸をする度に背中が小さく動いているので、生きてはいるようだ。
「 起きないとクッキーを食べ損ねるぞ」
子供への接し方が分からないラルフは彼なりに考えて、クッキーで釣ろうとしたのだが、それでも反応は無かった。
こうなったら子供を抱き上げて連れて行くのが良いのだろうが、子供の抱き上げ方なんてラルフは知らない。
仕方なくラルフは子供が自分で起き上がるのを待つ事にした。
しばらく子供を見ていたら、子供が声を殺すように泣いている事にラルフは気付いた。子供の目の前にある墓は親の墓なのかもしれない。
よく考えてみたら、自分は父親が誰か分からず、母親も死んでいる。目の前の子供と同じで自分にも身寄りがいないのだと改めて気付いた。
あの人形のようになったクリフォードですら、母親が亡くなった時は一年くらい塞ぎ込んでいたと聞いた。
それなのに自分は母親が亡くなった事をあっさりと受け入れ、こうしてのうのうと生きている。
( 自分とは何が違うのだろう?)
しばらく子どもを眺めながらラルフはそんな事を考えていたが、答えは出なかった。
時間が経ちすぎたせいで、ロイが厳しい表情を浮かべながら迎えにきてくれるまで、ラルフと子供はずっとそうしていた。
「 連れて来ないと駄目じゃないか。寒くなってきたのだから、フィオが風邪をひいてしまうだろう」
そう言いながらはロイは子供の両脇に腕を入れて子供を抱き上げて歩き出す。子供は泣き疲れてしまったのか眠っていた。
「 ……すみません」
そう謝ってから何気なく振り返ると、墓の前には子供の手で摘まれた花が供えられていた。
ラルフは花の名前なんて知らないが、供えられていた花は黄色いマリーゴールドだった。
フリルのある黄色い花びらは、令嬢たちが着ていたドレスを思い起こされる。
その花を見た時に、ラルフの心の中で小さな引き攣るような痛みを感じたが、ラルフにはその痛みの理由を思い起こす事が出来なかった。
◇◇◇
それからラルフは隔週でロイと一緒に教会へ行くようになった。
教会へ行く道すがらロイは教会の事や子供たちの事をラルフに話してくれた。
墓の前にいたフィオは小さな商店の一人娘で、ラルフが初めて会った時は両親を流行り病で亡くしたばかりだったとロイが教えてくれた。
教会へ着くと相変わらず子供たちが二人を出迎えてくれる。
最近では出迎えてくれる子供の中にフィオの姿を見掛ける事が多くなった。
子供たちのほとんどは茶色の髪色と瞳の色をしていて、それはフィオも同じだった。
子ども達はラルフの髪と瞳の色が綺麗だと言って、よく髪に触りたがるが、ラルフには手入れをしていない髪も、色艶を無くした肌をしている上に、顔には発疹の痕のある自分はもう美しくないと思っている。
「 ラルフ様の髪の毛は僕のと違って光ってるねー」
「 ラルフ様のお目々はお空みたいだね」
しゃがんで子供達に髪を触らせていたらフィオもやってきた。
大人しいフィオは遠慮がちにラルフの元にやってくる。フィオのそういったところも、ラルフにとっては彼女を思い起こさせたので、ラルフはフィオが苦手だった。
ランドルフの頃は何人もの令嬢を周りに侍らせていたが、今では顔も名前も思い出せない。マレーネすら名前は覚えていても、顔は朧気にしか記憶に無く、髪の色と瞳の色しかはっきりと覚えていない。
それなのに、いつも俯いていた元婚約者の顔だけは鮮やかに覚えている。
王宮の庭園で自分を拒絶する彼女はとても美しかった。小柄なのに、あんなにも強く輝く大きな瞳を持っていたなんて知らなかった。
( 俺は、間違っていた)
髪や瞳の色だけでは人の価値は決められない。自分は目を引く髪や瞳の色を持ってはいるが、それだけだ。
やがてラルフの髪を触る事に飽きた子供達は、ロイの方へ行ってしまった。
子供達の扱いに慣れているロイの方がラルフよりもずっと人気があって、教会へ行くとロイの周りにはいつも子供達がいる。
ラルフの前にはラルフの髪を触るのを遠慮していたフィオだけが残った。ラルフはフィオが苦手だから、どう声を掛けていいのかが分からない。
「 髪を触りたいのか?ほら」
そう言ってラルフは触りやすいように頭を下げた。髪を触らせて、さっさとロイの方へ行ってもらいたかった。
しかしフィオはなかなかラルフの髪を触ろうとはせずに目の前に立っているだけだった。
何をしたいのかと訝しげにラルフが顔を上げると、フィオは恥ずかしそうにもぞもぞとしながら、背中に隠していた本をラルフの前に差し出す。
「 読んで欲しいのか?」
ラルフがそう言うと、フィオの顔がぱあぁぁと明るくなり、瞳をキラキラと輝かせながら頷いた。
茶色の瞳をキラキラと輝かせるフィオに既視感をラルフは感じたが、それ以上は深く考えずにフィオから受け取った本のページを捲った。
「 ……なんだこれは?この本は字が汚くて読みにくいな、待てよこれは…」
ラルフが神殿に来て最初に写本をしろと言われたのは数十冊の絵本だった。
絵なんて描けないと言ったら、文字だけでもいいから写せと言われ、仕方なく書いた覚えがある。
絵本はどれも神殿の教義に沿って書かれた寓話で、ラルフにとってはつまらない内容ばかりだった。
少し前にロイに、自分が書き写した本はどうなるのかと聞いたら、ここや近隣の教会で読まれていると教えられた。特に絵本は、文字を覚えるのに丁度良いのでよく読まれているらしい。
フィオが持ってきた本はラルフが1年程前に書き写した絵本のうちの1冊だった。
ラルフがフィオに本を読み始めると、小さな子供たちがラルフとフィオの周りに集まってきた。
あまりにも字が汚いので、ラルフは子供達からは文字が見えないように、本を立てるように持って読み始めた。
「 ――あるところに犬がいました。犬は皆が水を飲めるようにと、大きな瓶に一生懸命水を汲んでいました。それをキツネが木の陰から見ていました……」
本のあらすじは、皆の為に瓶に水を汲んでいる犬に意地悪をしようと、キツネが犬がいないうちに瓶の水をひっくり返してしまう。
そして、瓶の水を溢されて犬が悲しそうに泣く姿を見て、キツネは後悔するのだが、溢れてしまった水は瓶には戻せないという内容だった。
一年前の自分の字を見ていたら、ラルフの頭の中で、当時抱いていた感情と記憶が、意図せずに溢れてきた。
あの頃の自分は怒りの感情でいっぱいだった。腕力の無いラルフは物に当たる事も出来ずに、ただ自分の中の感情を持て余しながら、写本をしていた。
そして字が下手だと怒られ、洗濯も出来ないのかと呆れられ、瓶へ入れる水も満足に運べないのかと嫌味を言われていた。
蘇ってきた感情に、ラルフは胸が詰まり、少しだけ息苦しさを感じていた。
今なら一生懸命に汲んだ水を溢された犬の気持ちが分かる。そう思った時に、突然ラルフの中で古い記憶が思い起こされた。
――なんだ、婚約者がいるからと言われたから来てやったのに、誰だ?こんな地味な女を連れてきたのは
あれは元婚約者と初めて会った時、彼女は大きな瞳を輝かせて自分を見つめていた。
でも自分は早く茶会を終わらせたくて、茶会が始まってすぐに紅茶をわざと溢した。
その時の元婚約者がどんな表情を浮かべていたのかをラルフは思い出せない。何故なら彼は婚約者を見ることさえしないでその場を去ってしまったから。
「 ……あっ」
ラルフの胸が強く痛み出し、手にしていた本を強く握ったまま、もう片方の手で自分の左胸を押さえた。
「 ラルフ様、どうしたのー?」
「 お胸がいたいの?」
「 ロイ様を呼んでくる?」
様子のおかしいラルフに子供達が次々に声を掛けてくる。
古い記憶を思い出した事がきっかけとなり、ラルフの頭の中で元婚約者に浴びせた罵声が次々に蘇ってきてしまい、ラルフはその場に蹲ってしまった。
( 俺は何も考えずにずっと彼女を傷付け続けてきたのか)
あの頃の彼は蝶よ花よと育てられ、
チヤホヤされては傅かれ、自分を悪く言われた事が無かった。
神殿に来てからは、出来損ないだと言われ続けて、その通りだとも思ったので何も言い返さなかったが、心の中では憤る感情が常にあった。
きっと彼女もずっと自分に怒っていたはずだ。
「 ラルフ、大丈夫か?」
ロイに声を掛けられた事で現実に引き戻されたラルフは青い顔色をしていた。
「 ……大丈夫、です」
ラルフは冷や汗を拭いながら立ち上がる。子供たちを見ると、皆が心配そうな表情でラルフを見上げている。
「 驚かせて、……悪かったな。少し頭が痛くなったのだが問題ない。この本は字が汚くて読みにくいから、後でちゃんと書き直してくる」
そう言いながらラルフは読んでいた本を懐へ仕舞う。自分が怒りに任せて書いた物を誰かの目に触れさせるのは嫌だと思ったからだった。
「ラルフ様、本、楽しみにしてるね 」
フィオがそう言うと、ラルフの胸の中で温かい何かが湧き上がってくるのを感じた。
そしてラルフは、次に写本をする時は、文字を習う子供達のためにもっと丁寧に書こうと思った。
自分が何故生かされているのかは分からないままだが、少なくともここにいる子供達はラルフの写した本を読んでくれている。
もしかしたら、それだけでも自分には僅かであっても生きる価値はあるのかも知れない。
あの時溢した紅茶を戻す事はもうできないが、誰かを傷付ける事はもうしたくない、ラルフはそう思いながら、ロイを真似てフィオの頭を撫でてみた。ラルフから子供に触れたのは初めてだった。
こわごわと頭を撫でるラルフの撫で方は下手だったのか、フィオはくすぐったそうに笑っていた。




