【閑話】彼の願い
その日クリフォードは内宮の庭園の片隅にいた。
少し離れた場所にはお茶の準備が整っていて、ちょうど黄色いドレスを着た女の子が着席したところだった。
向かい合う席にはまだ誰も座っていない。
女の子は大きな瞳に期待を膨らませた表情を浮かべて椅子に座っていた。
カールさせた明るい茶色の髪が陽の光を浴びてキラキラしている。
1年ほど前に亡くなった母も同じような色をしていた。
「こんなところにいたんだ」
後ろから音も無く近付いた従兄弟に声を掛けられる。
「ああ、戻ってきていたのか?」
クリフォードは久し振りに会ったというのに、イーサンの事は見ずに女の子を見つめながら話を続けた。
「いや、今日は王都で仕事があったから寄ってみただけだ。あの子は誰?」
「ランドルフの婚約者」
「へぇ、可愛いな。あの生意気なチビにはもったいなくない?」
クリフォードは無言で頷く。
彼女が早く来てしまったのか、相手が遅刻しているのか、女の子の向かい側の席は空いたままだ。
「なあイーサン。俺、あの席に座りたい」
「無理だろ。王妃に殺されるぞ」
「俺、母親も奪われたのに、どうして婚約者まで奪われないといけないんだろう?」
「クリフ……あちらの動きがまだ分からない。伯母さんだけで終わらないかもしれない」
クリフォードは強く拳を握る。
「……分かってる。でも俺は悔しい」
そこへ侍従と侍女を何人も引き連れたランドルフがやってきた。
『なんだ、婚約者がいるからと言われたから来てやったのに、誰だ?こんな地味な女を連れてきたのは』
離れているから声は聞こえないが、2人は唇の形が読めるので、何を話しているかは大体分かった。
ランドルフの言葉に少女の表情が凍る。
「さっきまであんなに良い表情をしていたのに可哀そうだな」
「あいつ……消したい」
「おまっ、今話したばかりだろう。あの時の事故でオスクリタの主要な人たちが何人も亡くなったんだぞ。俺たちなんて一瞬で終わるぞ」
「じゃあ、俺はどうしたらいい?」
「まずはさ、とりあえず婚約話を受けたら?喪が明けてしまったし、いつまでも母君を亡くして傷心中だから何も考えられない、は続けられないだろ」
「はぁ?っざけんな、あの女頭悪いし、可愛くないし、ワガママだし、俺近付くのも嫌なんだけど」
「まあ、顔だけは悪くないと俺は思うけど、婚約者でいる間はお前は生かされるだろう。お前の暗殺の可能性が減ると俺たちもラクだ。生き抜く為にあの婚約は必要だよ」
イーサンの言う事は正しいが、それでもクリフォードは母親の仇と縁を結ぶ事は感情的に納得がいかない。
『そのドレス!お前のような地味な女にその色は似合わない!平民のような髪色をしているくせに、よくも貴族を名乗る事ができるな、恥ずかしくないのか?』
『申し訳、ございません』
ランドルフに責められて少女は耐えながらも泣きそうな表情を浮かべる。
「アレの考えだと、俺たちも貴族じゃなくなるな。あの子多分アイツの髪色に合わせてあのドレスの色にしただろうに、ドレスの色を貶すなんて最低だな」
イーサンはヒモでひとつに纏めた自分の長い髪に手を触れ、クリフォードの髪を見る。共に濃い茶色の髪色をしている。
「違うよ、あのドレスはきっとあの子のお気に入りなんだよ。ランドルフに合わせたのなら、金糸の刺繍で飾り付けられたものを着るだろう?髪飾りも黄色だし、きっと黄色が好きなんだよ」
突然ランドルフは手にしたティーカップを傾け、わざとお茶を地面に落として、カップの中身を空にする。
侍女達が慌てても意に介さないランドルフは、カップをソーサーに戻すと、無言で去って行った。
ランドルフを追って、侍従や侍女達が去って誰もいなくなった後に、真っ青な顔をして震える少女の瞳から涙が溢れ出す。
フィリアとランドルフの初めての顔合わせはここで終わった。
その様子をクリフォードはイーサンと一緒にじっと見つめていた。
「イーサン、俺は公爵家との婚約話を受ける」
「突然どうした?」
「それでまずはオスクリタの体制を整える。これからは諜報に力を入れて、あちらの影達の弱点を探す。母上を直接手に掛けたあいつらを許す事が出来ない」
さっきまで光を失っていたクリフォードの青い瞳は、1年振りにその光を取り戻していた。
「それに俺がオスクリタの一員である事を敵は知らない。公爵家と婚約関係になり、時間を稼いでいる間に俺は力を付ける」
「うん、それがいいと俺も思う」
「それと、兄上と手を結ぶ」
「フレドはこちら側に付きそう?」
「兄上は野心家だから、俺が王位に興味が無い事を分かってもらえれば、敵は同じだから共闘が出来る」
「なるほど、命を狙われるのはフレド側も同じだからな」
「それと、……おそらくランドルフは父の子ではない」
「おいっ、それは確かか?」
「母上が亡くなる数日前に、側妃だったあの女と話しているのをこっそり聞いたんだ」
「王家の闇、深いな…」
「だから、俺がいらないと言えば王位は必ず兄上のものになる」
「お前は欲しくないの?王位が欲しかったら、きっとオスクリタはお前の味方をするぞ」
「うん、俺と兄上が本気で争ったら、多分国が壊れる。国として機能しなくなるよ」
「あいつ、腹黒だけど王にしちゃって大丈夫なの?」
「だから俺がいるんだよ。母上が俺にオスクリタを任せたのは、俺と兄上の性格をよく分かっていたからなんだよ、きっと」
「その結果、俺も巻き込まれてクリフと一緒にスラムとオスクリタ行きにされたのかあ」
「……あの頃はかなりキツかったけど、今はオスクリタが嫌いじゃない」
「今も厳しい修行中の身としては、そこまでは思えないけど、組織のトップがそう思うのは悪くはない」
そう言ってイーサンは腕組みをしながら顎に手を当てて、何事かを考える素振りをしていた。
「どうした、イーサン?」
「……なあ、もしもお前の婚約者を取り戻せるチャンスがあったら俺が協力するし、あの席にも座らせてやる。だから、お前はその時まで頑張れ」
「うん、…ありがとう」
クリフォードが控えめな笑顔を見せながらそう答えると、イーサンは「よしよし、いい子だ」と言ってクリフォードの頭をくしゃくしゃと撫でた。この時はまだイーサンの方が身長が高かった。
風が優しく頬を撫でる。葉擦れのカサカサという音と懐かしい土の香りを運んでくれる。
「……ん、夢か」
「あら、お覚醒めになられましたのね」
頭の上から愛しい人の声が降ってきて、髪を優しく撫でてくれる。
クリフォードが半日だけ休みが取れたので、何がしたいかをフィリアに聞いてみたら、庭でピクニックをしたいと答えたので、草地に敷物を敷き、昼食を食べて過ごしているうちに眠ってしまったらしい。
フィリアが選んだ場所が偶然にも、あの時クリフォードとイーサンがいた地点に近い場所だったからか、昔の夢を見てしまった。
クリフォードは自分が枕代わりにしていた彼女の膝に額をぐりぐりと甘えるように擦り付けてから起き上がる。
「少しのつもりが、ちょっと夢を見ていたみたい。ごめん、俺の頭重かったよね」
「いいえ、クリフ様の寝顔を近くでじっくり見れたので、役得でしたわ。どんな夢を見ていらしたのですか?」
「……うーん、覚えてない」
あの日、自分もここにいたのだとクリフォードは言えなかった。
「今度、キミに黄色いドレスを贈りたい」
「今度も黄色なのですね」
「うん、だってよく似合っているから。黄色いドレスを着て、笑っているフィリアの顔をもっと見たい」
「ふふふ、ありがとうございます。先ほどイーサンがクリフ様がお目覚めになられたら、あちらにお茶を用意すると言っていました」
フィリアが指で差した場所は、まさにあの時にランドルフとフィリアがお茶をしていた場所で、似たようなテーブルと椅子まで用意されていた。
お菓子を選んで欲しいとアンナに呼ばれたフィリアが先にテーブルへ向かう。
「あいつ、よく覚えてたな」
クリフォードもゆっくりと歩きながらテーブルに向かうが、背後で人の気配がしたので立ち止まった。
「玉座よりもあの席に、座りたかったんだろう、クリフ?」
「ああ、俺はずっとあそこに座りたかった。約束を覚えていてくれたんだな。ありがとう、イーサン」
クリフォードは彼にしては珍しく、従兄弟に自然な笑顔を向けた。
その顔はイーサンにとっては、ひどく幼く見えてしまい、何も知らなかった幼い頃の彼を思い起こさせた。
懐かしい気持ちになったイーサンは「良かったな、クリフ」と昔の彼を思い出しながら呟いた。
◇◇◇
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